第一章 天嵐神社にて告げられる

第一話 飯岩浜の一騒動

 討幕戦争終結から十一年後。

 和深かずみ暦一八九三年 芽慈めいじ十一年。 三月十五日 水曜日



「鬼の飯岩めしいわ」──という奇岩があるという。

 なんでもその昔、大鬼がくだんの岩に飯を盛り付けていたそうで、そのための窪みがあるらしい。

 とうの大鬼はとっくに死んでおり、真偽のほどはわからない。死後有る事無い事法螺を吹くのは往々にしてあることだが、なんとも死人に口なしとはよく言ったものだ。


 けれど、幕末に生き、今なお亡霊のように芽慈を過ごす朔夜にはおおよそ信じられぬ話であった。


 古く、和深かずみでは衛生概念と疫病の因果関係が指摘されている。今でこそ、エルトゥーラ王国の近代医療が最先端である。けれどこの国では疱瘡が幾度となく猛威を振るい、その都度、時の将軍らは方策を練ったのだ。

 特に、戦国の世の兵糧攻めという残酷な戦術は、時に城内を酷い汚染をもたらし、病を蔓延させた。その経験から、不衛生が病の物のを呼びつけるという考えが──当時は何かにつけて「物の気」というものが重んじられた──広まった。


 それゆえに幕末に流行を見せ、今も時折思い出したように猛威を振るう虎狼痢ころり──王国人はコレラと呼ぶが、罹患したものがコロリと死ぬ様子から、和深かずみの地では虎狼痢という──による被害を、可能な限り封じ込め、対処できている。


 とまれ、果たして人間よりずっと賢い妖怪が岩に飯を盛り付けるだろうかとか、いや、案外頑健な鬼だからこそそうしたのやも知れぬという思考が脳裏をぐるりと二巡ほどしたのち、どうでも良くなって、朔夜は考えることをやめた。

 後付けの伝説よりも、実物としての奇岩がどのようなものなのか、そちらの方が大切だ。よもや、どんぶりめいた岩でもあるまいが、気にはなる。


 稲葉朔夜いなばさくやはあの戦で初陣を終えた後、各地で起きた残党勢力の反乱鎮圧に駆り出される生活を送っていた。

 忌兵隊に十三で参加した彼はその才覚を認められて、その後も追撃作戦にほぼ全て参加。

 北の遠呂智おろちで行われた、討幕戦争最後の戦である五稜郭戦争──榎本武弘えのもとたけひろ率いる旧幕府軍の殲滅戦にも参加していた。


 その後の細々とした内乱鎮圧にも、参加している。

 璣巧からくり使いらの反乱もあれば、平和に嘆いた妖術師や妖怪の反乱もあった。

 昨年には一際大きな、西郷時盛さいごうときもりの乱の鎮圧に向かい、その戦だけで四十七の首級をあげたほどだ。

 普通、そんなに首をあげれば尊敬どころか恐れられる。


 ついたあだ名が、人喰い化け狐、であった。


 官職への誘いもあった。陸軍の要職につき、国のため尽くしてくれと。

 だが朔夜は断った。


 ──俺は充分やった。やれるだけやった上で、何も残らなんだ。僅かばかりの誇りまでなくしてたまるか。

 そう言い、両手で朔夜の手を取ったかつての上官の、怒りに震える顔を見放し、去った。


 大勢の死。仲間も敵も──隣で死んだ戦友の名も、まして殺した相手の名も……聞くことなどなかった。

 その、無数の死の果てに得た多額の報奨金は、果たして……望んだものだったのか? それを己に問うたとき、何の答えも、浮かんでこなかった。


 全ての金を、朔夜はその時泊まっていた宿に捨て置き、夜半逃げるように飛び出した。

 理由なんてない。目的もない。知ったことじゃない。

 流れるまま、さすらい、流浪していた。


 なおも燻る、闘争心を持て余しながら。


 現在、二十四歳。苛烈な幕末を生き延びた妖術師。

 歳こそ若いが、その戦歴は老兵のそれ。目つきも人殺し特有の、闇色の昏い陰りを落とし、罪悪感と狂奔めいた戦神が同居する。


 彼の一族は、先祖に妖狐を持ち、祖父も妖狐。直近の祖父だけ見ても四分の一の半妖だ。

 ゆえに、歳の割に見た目が若々しい。下手したら、十六と言っても通用する。


 なぜ、彼が今更奇岩に興味を持ったのか、それは本人にしか知る由はない。

 けれども人に死に触れすぎた故の、奇行──とも、思えなかった。厭世的になった? なら、人混みに紛れて見物に行ったりはすまい。


 ときに、ひととは、そのようなものだ。

 理屈で全てかたがつかぬからこそ、ひとである。屁理屈、そもそもの理屈の破綻などは、日常茶飯事。

 であるから、あのような戦が続き、今もなお小さな内紛が起きるのだ。


 傍目には、物見遊山に来た若者あたりに見えているだろうが──。

 先述した目つきや立ち振る舞いは常人には醸し出せぬ風合い。しかしそれを周囲に気取られぬ、達人の歩みである。足音も、わざと出していたが、その気になれば消せる。

 けれども見る者が見れば、朔夜が常に重心を低く保ち、如何なる時、どこから斬りかかられても即座に無手で制圧できる自信がみなぎっているのが、見てとれる。


 見物人が道をそぞろ歩く中、朔夜は周囲の鳥やら、海のさざなみ、松の木を眺めて「ほぇ」とか「ほぅ」とか間抜けな声を漏らしている。

 だが、一度死線を潜り抜けた者であれば、わかる。


 ──なぜ雛鳥の群れの中に、ひとの形をした怪物が混じっておるのだ。


 “帯刀令たいとうれい”に従い、朔夜含めその見物人の一行は、刃物を携えている。

 この帯刀令には、目的がいくつかあった。

 一つは、身分証。もう一つは、自衛手段。


 何かと物騒な世だ。それに、和深かずみの民にとって、刀は御霊の写し鏡である。

 身分に応じて持てる刃物は異なるが、士族かつ妖術師である朔夜は太刀を腰にいていた。この時点で彼が普通ではないのは確かだが、そういう制度であるから、仕方がない。


 侍や妖術師という生き物は、人間とは明確に違う存在だ。


 彼らは異常と言える運動性、反射神経、回復力を持ち、妖術師に至っては異能の力を保有する。共通するのは、どちらも祖先に妖怪がおり、それゆえの超人性を持つということ。

 ゆえに周囲と明確に立場を分けるため、相応の身分と「わかりやすい武器の携帯」を政府から義務付けられていた。


 群衆は朔夜を見、「妖術師じゃないかな」とか、「いや、侍? それにしちゃあ若いか」とか……「頼んだら術を見せてくれるかな」とか、まるで彼の方が奇岩よりも珍しいような扱いであった。

 無理からぬことだ。手から火が出る、吐息で水を凍らせる、雷を落とす──そんなの、珍しいに決まっている。

 妖怪がそれをやってのけるのは、むしろ当然である。だから、珍しさは感じられない。


 けれども妖術師は人間の身でそれをやるから、珍しがられるのだ。


 さても奇岩は、海岸沿いの岩場にあるらしい。

 朔夜に周囲の声が聞こえているのか疑わしいが、けれど、その時さざなみの音に紛れた足音を聞き逃すほど、衰えてはいなかった。


「ねえ、あれなに?」

 両親に手を引かれている子供が、海の方を指差した。


「ひっ、リクザメだ!」


 誰かが叫んだ。

 海岸に上がってきたそれは、象ほどの大きさもある魚獣ぎょじゅう、リクザメ。

 サメの胴体に、爬虫類の脚部を持つ奇妙な生物である。この和深かずみの大陸ではごく普通に存在する化獣ばけものという生物の中でも、敵性に分類される種だ。


「なんでっ、駆除したんじゃないのかよ!」

「子供から逃すんだ!」「ふざけんなよ、命は、ビョードーだろうがよ!」「どけっ、邪魔だジジイコラ!」


 群衆が押し合いへし合い、そこへ──。


「黙れ! まずは子供から逃がせ! 親御は子を抱えろ! 次いで女と老人、和深の男なら殿を務めろ!」


 朔夜が怒鳴った。


「んだと、幕末は、終わったんだぞ! 何をくだらな──」

 腰から太刀を抜き放ち、文句を垂れる、サル顔の男の鼻先に切先を向ける。



 殺気、というものをあてられたのは初めてだったのだろう。男の腰が崩れ、その場にへたり込んだ。

 朔夜は首をごき、と鳴らしてリクザメへ悠然と向かっていく。


「あれは俺がやる」


 幕末の亡霊が、戦に散る残り火が、十一年前と変わらぬあの四つ重ねの帯から紙筒を一つ手に取って、投擲。


「オン・キリカク・ソワカ──〈白犬しろいぬ〉、包囲して足止めしろ」


 顕現したのは二頭の真っ白な芝犬。全身に冷気を纏い、目は青白く幽鬼の如くゆらめき──、駆け出した。

 犬とて元は猟犬。その果敢さは、式神であっても変わらない。砂浜を蹴り、リクザメに接近。

 自身の何倍もある体躯のリクザメに接近する。そのリクザメが吠えてぐるりと尾を薙いだ。

〈白犬〉は屈んで尾の一撃を避けて、一頭が右足に、もう一頭が喉元に喰らいつく。


 その時には朔夜も駆け出していた。二尺七寸五分、抜き身の太刀を握っての全力疾走。おまけに足場は踏ん張りを効かせづらい砂地であるが、平地と変わらぬ健脚である。

「縛りつけろ──オン


〈白犬〉が炸裂。冷気の爆弾となって爆ぜ、過冷却状態の妖力となってリクザメを凍結させる。足と喉を氷柱で地面に縫い付けられたリクザメは、必死にもがいて拘束を逃れようとした。

 強引なことをすれば、肉が千切れ飛ぶだけだ。


 だが、相手も野生に生きる獣。生存本能は、ヒトの比ではない。

 聞く者を竦ませるような唸りをあげて、ぶちぶちと肉ごと氷を引きちぎり、血に塗れた顎で朔夜を食い殺さんとした。


 すかさず朔夜は右脇腹に引いていた太刀を、左上へ跳ね上げる。鋭い斬撃、それがリクザメの下顎を切り砕いて、返す一太刀で電場感覚器が集中する鼻を断ち割り、地に沈める。

 苦しみを長引かせるな──己にそう言い聞かせ、リクザメの喉笛を掻き切り、トドメを刺した。


 あっという間だった。

 朔夜は太刀についた血を払い落として、着物の肘で脂を拭い、鞘に納める。


 人々は逃げるつもりだったのだろうが、朔夜の活躍に見惚れ、足を止めて見物していた。

「おい、逃げろと言っ──」

「あんたやっぱ妖術師だったんだな!」「すごいな、式神なんて初めて見たよ!」

「ヨウジュツって、どうやってならうの!?」


 あっという間に、周囲に人だかりができた。

 朔夜はこういうのが苦手だった。王国でいうところの──えんたぁていなあ、という連中とか、こめでぃあん、みたいな性格の奴らは、むしろ妖術を売り物にした見せ物小屋を開くそうだが……。

 いや、技芸自体は好きだ。講談も、演劇も相撲も好きである。大道芸も、人並みに見たいと思う方だ。


 けれど、妖術を見せ物にする腐った根性が理解できない。同じ妖術師に言わせれば、余計な世話だし、下世話にも思える行いだ。

 その生き様は唾棄こそすれ、好く筋合いはない。向こうだって、別に、朔夜個人に好かれるつもりはないだろうが。


 要するに──今の平和なつまらぬ世に、侍と妖術師の居場所はない。

 士族といえばそれまでで、「立場だけ投げ与えて気分は良くしてやるが、食い扶持は自分で稼げ」というのが芽慈政府の本意であろう。


 朔夜は「悪いが、俺は……」と、どうにか言葉を探して連中をやり過ごそうとした。

 すると、幸か不幸か、第四課が駆けつけた。笛を鳴らし、警棒を握り、腰に刀を差している。黒制服に制帽の男らが数人、現場にやってくる。


 元は士族の集まりであった治安維持組織・邏卒らそつは、四年前に大塔京で警視局が発足されるに従い、県庁第四課という地方警察へ性格を変えた。

 朔夜は助かったという思いが四割、面倒になったという気持ちが六割だった。


「来い、署で話を聞く」 


 朔夜の太刀を奪い取り、両腕を後ろに回して警棒を突っ込み、引き連れていく。


「あれが命の恩人にすることかよ」と、人々は、そう第四課を罵った。

 けれど、切先を向けられた男は、「ざまあねえ」と吐き捨てている。

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