「私を虫けらのように扱った愚者共が許せない」女子生徒の前でパンツを降ろされたことも…27歳の青年に『同級生の皆殺し』を決意させた“いじめの記憶”(平成3年)
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「私は中学時代に私に服従を強い、私を虐待し、私を虫けらのように扱った愚者共が許せない。私は奴等をこの世から消滅させ、そして私も消滅する」 【写真を見る】女子生徒の前でパンツを降ろされたことも…「クラスメイトの皆殺し」を計画した『27歳のいじめ被害者』 中学時代のいじめの記憶を、大人になっても忘れなかったある青年は、復讐を決意する。50人近い人間を大量殺人しようとした、驚愕の「復讐計画」の中身とは……。我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊 『世界で起きた戦慄の復讐劇35』 (鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 続き を読む) ◆◆◆
「同窓会大量殺人計画」
1991年1月2日17時、佐賀県東部の三養基郡上峰町の旅館で地元中学校の同窓会が開かれていた。参加したのは同窓生40数人、恩師5人。卒業以来、12年ぶりの再会だった。皆は酒と食事を楽しみ昔話に花を咲かせた。ただ、一つ気になることがあった。同窓会の主催者である赤沢俊一(仮名。当時27歳)の姿がない。なんでも、会社の用事で来られなくなったという。自ら幹事を務めながら、仕事で欠席とは……。皆は残念に思いながらも特に不審感は抱かず、宴は滞りなく進んでいた。 と、そこに突然、何人もの男たちがなだれ込んで来た。佐賀県警の警察官で、参加者が飲んだビール瓶を調べ、現場をくまなく捜索している。いったい何があったのか。あっけに取られた彼らは翌日の朝刊に躍る文字を見て驚愕する。「同窓会大量殺人計画」「ヒ素入りビールと爆弾」。実はこの同窓会、主催者の赤沢が参加者を皆殺しにするために開いたものだった。動機は中学時代に受けた屈辱的ないじめへの復讐である。
「地獄の日々」だった中学時代
赤沢は1964年、中学校英語教師の父親と音楽・養護教諭の母のもと佐賀県で生まれた。職業柄、両親は教育熱心で、その期待に応えるべく小学校時代から勉学に打ち込み成績は優秀だった。が、同級生に馴染めずクラスで孤立。不安視した両親は息子を学区外の小学校に転校させる。心機一転、新しい学校では友人ができるはずと思ったものの、そこで待っていたのはいじめだった。赤沢は何か言われると激しく言い返す性格で、小柄な体型もあいまって、格好のからかい対象になった。 それでも小学校時代は軽い悪口を言われる程度だった。しかし、中学校に入るといじめはエスカレートする。駐輪場に停めていた登下校用の自転車が壊される、掃除用具のロッカーに閉じ込められる、女子生徒の前で下着ごとズボンを脱がされ下半身を裸にされる、プロレスごっこと称し椅子で頭を打ちつけられ何針も縫う怪我を負う、ドブ川の汚水を飲まされる等々。赤沢にとってはまさに地獄の日々だった。 耐えきれなくなった彼は父親に事情を打ち明け、助けを求める。が、返ってきたのは「いじめられるのは、おまえにも問題があるからじゃないか」という冷たい言葉。実は父親は赤沢が通う中学の教師で、息子の問題を校内の大事にしたくなかったらしい。 実の親さえ味方になってくれない絶望を抱えながら、なんとか中学校を卒業したものの心に負ったトラウマは消えない。どころか、湧き上がってくるのは将来必ず自分をいじめた人間に仕返しをするという強い憎しみだった。 《懲役は…》母親さえいなければ…毒入りビールで同級生を皆殺しにしようとした「27歳青年の殺人計画」が失敗に終わったワケ(平成3年) へ続く
鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載)
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