法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』

 子供を助けようとして父が死に、母ひとりに育てられた少女、百合。成績は良くて教師や母からすすめられても、貧しい生活で大学に進学することをあきらめており、母と衝突して団地を飛び出る。そして豪雨のなか古い横穴で雨宿りしていたところに雷が落ち、目ざめた百合の前に住宅地ではなく古い田園地帯があらわれる。そこは太平洋戦争末期の日本だった……


 現代の少女と特攻隊の恋愛を描いた2023年の日本映画。ケータイ小説サイト野いちごに掲載したSF恋愛小説が商業出版化され、TikTokで評判となりベストセラーになった小説を映画化した作品。

 あまり期待しづらい企画だが、人気作品の映画化だけあって、けっこう映像はしっかりしている。序盤の豪雨は水量が多いし、過去の風景にも明確な隙はない。狭いなりに住宅街セットは飾りこんで、すべての窓に飛散防止のテープをはり、空襲や出撃のVFXも短いなりにそつがない。
 特攻隊員はきちんと全員が丸刈りで、過去に飛んだ主人公も序盤にわたされたモンペ姿のままで華やかな姿にはもどらない。そして不自然な照明はつかわず、彩度が低めのおちついた映像は難病映画のよう。


 ただし物語も難病映画のようで、戦争は天災のように描かれる。日本が先にしかけたことが言及されないだけでなく、敵も人間として映ることがいっさいない。上空の爆撃機が遠景でうつる他は、B29や空母といった兵器名が台詞に出てくるだけで、敵国は名前すら出てこない。
 さすがに現代の主人公は成績優秀だけあって敗戦する未来を知っている。軍国主義に染まることなく厭戦的な態度はつらぬく。命令されて特攻する無意味さを特攻兵に指摘するし、戦災孤児には手をさしのべ、非国民な態度を警察に見とがめられもする。さまざまな理由で戦場から逃げようとする軍人も出てくる。
 父親の自己犠牲に主人公が反発していたことが本筋にかかわらないところも、物語としては稚拙でも特攻の位置づけとしては逆に良くて、見ていて安心した。人助けのために死ぬ父と特攻兵をなぞらえて両方を肯定するようなドラマにはしない。
 しかし主人公を追いつめる社会の圧力は弱い。早稲田で哲学を学んでいた知的な特攻兵、佐久間彰に最初に助けられ、女将の優しい特攻兵用食堂に身をよせることで、当時の社会の荒波を正面から受けることは少ない。特攻兵の側は命令ではなく志願したのだと自認して主人公を叱責するが、決定的に見くだしたり決別したりはしない。警察ひとりの叱責は彰がわりこんで止め、周りで見ていた住民は特攻兵の側につく。だからこそ主人公は厭戦的な態度をとりつづけられたのだとはいえるが、全体的に恋愛優先の物語らしい甘さがある。
 恋愛描写はともかく戦争描写がクリシェまみれで類型を一歩も出ないことも気になった。非国民な主人公を警察がとがめる場面は『ドラえもん』の「ぞうとおじさん」とよく似ているが、そちらは過去に戦争をつづけようとした人間の愚かさを子供たちが意図せず笑い飛ばしたことで、最新のアニメ化において現代の一部視聴者にまで反発される力強さがあった*1。一方この映画の主人公は高圧的な警察に正面から対峙するが、周囲に守られることで当時の社会全体が問題だったのではなく警察ひとりが例外的という雰囲気になってしまっている。
 クリシェすぎて戦う理由として国だけでなく「天皇陛下」が台詞として登場したところは、現代の反戦映画では正面からの追及をさけるので逆に珍しくはあるが、あっさり流されてしまい、主人公の問題意識として残らない。


  さすがに特攻を賛美するような映画ではないし、良くも悪くも過去の反戦作品の類型で構成されている作品ではあるのだが、ひたすら個人の恋愛的な成就の問題として戦争を描いて終わった。まるで集団難病映画のようだ。
 そのような個人の動機を庶民が重視することが軍国主義全体主義では許されないわけだが、主人公が死んだ人間の心残りをうけつぐだけでは社会のありようを問題視する意識ははぐくまれない。