歌でヘイトを蹴散らせるか KPOPガールズ!デーモン・ハンターズ
何か面白そうな番組はないかとネットフリックスを探っていて目に留まった。
KPOPアイドルが魔物と戦う? なんだか無理矢理くっつけた感、しかもアメリカ製の3Dアニメ。まあ、どんなものなんだかちょい見てみるか、と油断したのが間違いだった。最後まで一気見+号泣でした。
以下、ネタバレありのレビューですので、未見の方はまずご覧になってからお読みください。
普段はスタジアムを満員にしている、KPOPスーパースターのルミ、ミラ、ゾーイ。けれど、その裏では、常に迫りくる不可思議な脅威からファンを守るため、正体を隠して戦う凄腕のデーモン・ハンターズでもあった! そんな彼女たちの前に、これまでで最も手強い相手が現れる。それは、圧倒的な魅力を放つライバルのボーイズバンドに化けた、敵デーモンたちだった。
冒頭、朝鮮王朝時代の村を魔物たちが襲う。そこに降り立った3人の天女たち。華麗に歌い、舞いつつ、魔物たちを撃退し、結界(ホンムーン=魂門)をはりめぐらせて、人々を救い、魔物を封じ込める。
それから歴史は流れ、代々、3人組の歌姫たちが、魔物の脅威から世界を守ってきた。その流れを引き継ぐのが、人気絶頂のガールズグループ・ハントリックス。
その彼女らは、活動の空き時間、様々な場所に出没する魔物と、剣で、二挺ナイフで、青龍刀で戦う無敵の軍団。彼女らを倒すべく魔物のラスボス・グィマが送り込んできたのが、魔物たちで構成されるボーイズグループ・サジャボーイズ。
買い物の途中、イケメン揃いのジャボーイズに街頭で出くわしたハントリックスの3人組、あまりのかっこよさに夢中になってしまう。リーダーのルミと、サジャボーイズのリーダー・ジヌがすれ違いざま腕がぶつかり、しりもちをついたルミにジヌが手を差し出すシークエンスは、超スローモーション+ロマンチックなOSTと、いかにも韓流ラブコメの出会いのシーンをコピーしていて笑いを誘う。
とはいえ、絶対に相いれないデーモン・ハンターズと、デーモンたち。この両者がどんな物語を紡いでいくのか……。
ここまでは、あらすじを読めば予想の範囲内だ。テンポのいい語り口、魅力的すぎるハントリックスのステージ、ファンにはお馴染みのKPOPあるある,
いかにも韓流的美少女とイケメンの取り合わせ、華麗な魔物退治、時折、過剰にならぬ範囲で挟まれる日本アニメ的ギャグ表現など、飽きさせることなく語られる。それだけなら「ウェルメイドなエンタメ」だが、それにとどまらない、深く突き刺さるものが、この作品にはある。
以下は、本当にこの作品の核心をつくネタバレになります。
サジャボーイズの正体が魔物と気づいたハントリックス。ルミは、敵のリーダー・ジヌが、ろくに食べるものさえない極貧から抜け出すため、魔物のラスボス・グィマと契約した事を知る。彼が唯一持っている音楽の才能で王朝を構成する貴族社会(両班)の仲間入りができた。だが、大事な母と妹は、極貧のままに放置され、ジヌはその罪に苛まれながら、グィマに従い続けていたのだ。
それを知って、ルミは今までどおりの魔物退治に従事することができなくなる。かつてルミの母と、デーモン・ハンターズのメンバーとして組んでいたセリーヌからは、「魔物には感情がない」と教えられてきた。一方で、「ハンターは、悲しみや苦しみを絶対に表に出してはならない」と。
ひょっとしたら、魔物とは、悲しみや苦しみをこじらせ、そこをグィマにつけこまれた者たちではないか。
そんな疑問がルミを支配する。「感情のない魔物に死を!」と歌いながら戦ってきた彼女は、しばしば、敵を倒すことにためらいを見せるようになる。
なぜなら、ルミの父親は魔物だった。彼女に身体には、半ば魔物の血を引いていることを表わす紋様(パターン)が刻まれている。彼女を、その才能やかつての同志だった母親への思いから後継者に指名したセリーヌは、その悩みを訴えるルミに言う。
「隠し続けるのよ」と。
ルミは、その教えに従い、一緒に銭湯に行こうという仲間の誘いも断り、ステージ衣装に着替える時も決して他人には見せず、隠し続けてきた。
だが、その努力もむなしかった。アイドルナンバーワンを決めるアワードのステージで、ルミが魔物の血を引いていることが暴露される。ハントリックスの人気は急落し、仲間であったはずのミラとゾーイも、ルミに刃を向ける。
救いを求めるルミ。同じ「魔物」としての悲しみを分かち合ったはずのジヌは、「仕方なく母や妹と別れたわけじゃない。最初から自分だけが豊かになりたかった。あの話をしたのは、君をだますつもりだったのさ」とうそぶく。セリーヌは「隠し続けるのよ、私がなんとかするから」と言いつつ、今や顔や脚にも表れ、隠し切れなくなった魔物の紋章にまみれたルミを直視できない。
ルミは呟く。
「しょせん、私は魔物。ホンムーンを壊してあげる」
勝ち誇るサジャボーイズたちは、ソウルの中心に聳える南山で、特別なステージを宣伝する。ホンムーンが破壊された今、人々は取り憑かれたように続々と南山へ向かう。ルミの仲間だったミラやゾーイも。
ミラは、その反抗的な態度から、家族の鼻つまみだった。
ゾーイもまた、居場所のない孤独を、ラップメイキングではらしていた。
そうした悩み、悲しみ、苦しみを、仲間であるハントリックスにも打ち明けられず、隠してきた。
ルミが魔物と分かり、グループの絆が壊れてさまよう彼女たちに、グィマがささやきかける。
「こっちにこいよ」
人が「魔物」になるのは、たまたま生を受けた場所が不運だったという設定は、例えば「鬼滅の刃」にも共通する。「生まれ育ちのせいにするんじゃない」と言うのは簡単だが、人間は、ふとしたことで簡単にダークサイドに落ちる。
美貌と歌やダンスの才に恵まれ、華やかなステージを軽やかに歩くハントリックスでさえ。
そのダークサイドが表に出てしまった瞬間、それまで喝采していた人々は、簡単にヘイターへと変貌する現象は、世界中で起っている。
絶望のどん底から、「ホンムーンを破壊する」と宣言したルミ。
南山で、集まった膨大な観衆に、サジャボーイズは歌う。
「僕らはアイドル。僕らにひれ伏せ。君たちを解放してあげる。一緒に暴れよう」
そこに、ルミが現れる。
彼女の全身には、魔物の印である紋様が露わになっているが、今までと違い、白く光っている。その表情は、何かを覚悟した人だけが浮かべられる穏やかに満ちている。
彼女は言う。
「私たちはデーモンハンター。世界を正しくする」
サジャボーイズも、観衆も、息をのむんで見守るなか、グィマが現れ、嘲笑する。
「自分を見ろ。魔物じゃないか。ホンムーンも破壊された。どうやって、世界を正すんだ?」
ルミは答える。
「新しいホンムーンを作る!」
そして、静かに歌い出す。
「本当の私を突きつけられた」
「自分の生まれを恥じて、立ちすくむしかなかった」
「こなごなに砕かれた私。でもガラスは破片でも美しく光を放つ」
「心の傷や闇を抱えた私。でもこれが本当の私。そう、響かせたい」
グィマが繰り出す魔物たちにも負けず、ルミは歌い続ける。ミラとゾーイが、それに加わる。サジャボーイズの悪魔のささやきに魅了された観客も。そして、魔物ではなく人としての魂を取り戻したジヌも。
刃ではなく、歌の力で、グィマは倒され、世界は新たなホンムーンに包まれる。
勝利を収めたハントリックスの3人には、勝ち誇った表情は一切ない。
こういう世界を見たかった。
虚飾で人気を得て、武器で敵を倒す。そんな「仕事」ではなく、自分たちが本当に愛するもの。
「歌」で世界を変えた。
素晴らしいアート(美)は、世界をよりよき方向に変えられる。
素晴らしいアート(美)は、内なる欲望や憎悪を満足させるためにあるのではなく、世界をよりよき方向に変えるために、ある。
それを体感できた喜びに包まれた表情。
この世に命を受けてきて、こんな表情を浮かべられたら……。
幸せとはこういう事だと気づかされる。
歌が世界を変える。
世界はそんな生易しいもんじゃない。
そう言うのは簡単だ。
斜に構えて何もせず、意識高いぶりたがる人たちのみならず、世界を変えようとして高い壁に撥ね返されてきた人たちも、そう言うかもしれないし、自分も半ば同意できる。
ただ、この作品が、韓国系アメリカ人の監督(マギー・カンさん)が発案し、韓国を舞台とし、吹き替えに韓国系アメリカ人の俳優やミュージシャン、イ・ビョンホンやアン・ソヒョプといった韓流スターを起用し、そこに韓国系や日系を含む様々な出自のスタッフが、コロナ禍をはさんで数年かけて実現させたことを思うと、一見、青臭い「憎しみではなく、憎しみや悲しみや苦しみを包摂し、より良き世の中を作ろうとする媒介として、世界には歌やアートがある」というメッセージが説得力を持つ。
なぜなら韓国は、憎悪や憎しみではなく、「歌」で、少なくともダークサイドに落ちかけた国を救った前例があるからだ。
2016年に北朝鮮の脅威を煽って恐怖政治で韓国を支配してきた保守層が担いだ朴槿恵政権を、2024年にそれに加えて女性の権利拡張を否定することで反共教育に洗脳された高齢層やいわゆる弱者男性の支持を得ようとした尹錫悦政権の非常戒厳を打倒したのは、若い女性層を中心とした、歌に満ちた集会だった。
そこで歌われたのは、少女時代の「まためぐりあう世界(INTO THE NEW WOLRD)」。
私たちの目の前に聳える高い壁
乗り越えられない
でも諦めない
かすかな光を私たちは追い求める
この世界に繰り返される悲しみのさよならを
ファシズムは、中間層の没落への恐怖から生まれる。今、トランプ政権のアメリカや、ヨーロッパの様々な国で起こっている事だ(日本でも参院選での参政党の躍進という形で可視化されつつある)。そこにあるのは、変化しゆく世界、その変化によって自らが没落するのではないかという不安であり、他者が不当に優遇されているという嫉みであり、自分が不幸なのはこいつのせいだと攻撃できるターゲットを誰かに決めてほしいという自己欺瞞だったりする。
そして不安や嫉みや自己欺瞞は、個々人が裡に抱える過去の悲しみや苦しみ(自分のせいだけではない)によって増幅される。「そんな連中はしばけ!」というカウンターの発想が、社会をどれだけより良くしたのか。新しい憎悪を産み続けただけではないのか。
いつの時代にも、苦しみや悲しみからダークサイドに陥り、憎悪を煽る扇動者についていくことで平安を求める人間はいる。そういう人間がネットで垂れ流すヘイトが、世界をおかしくする。独裁者の立場にたった「指導者」が憎悪を煽り、劣等感を抜け出そうとしてダークサイドに陥った人間が、指導者的立場に立とうと憎悪を煽る。
悲しいことに、その歴史は続き、21世紀の現実でもある。
そこに、憤りを感じることは正しい。だが、ヘイターをしばく事が目的化してしまえば、終わりなき闘争が続くだけではないか。
それとは異なる、より良き社会を築くため(最終解決ではなく)の在り方を示してくれたのが、この「子供向けアニメ」ではないか。
暴力や憎悪ではなく、歌の力で立ち向かった韓国の人々を、2016年と2024年の冬に間近で見た人間として(作り手の意図とは異なっているのかもしれないだろうけれど)、この作品のメッセージが世界中に届くことを願う。
世界を救う「最終的な解決」などない。
それを見出そうとすることは、かえって災禍を招く。
でも、より良き世の中を押し進めるための「希望」は捨てちゃだめだ。
そんなメッセージが。
エンディング・クレジットに、TAKEDOWNを歌うTWICEのレコーディングシーンが挿入された時、またも号泣したのは、彼女たちが、心無いネット上ででの誹謗中傷で複数のメンバーがメンタルを痛めつけられ休養しながらも、まさに歌の力と仲間たちとの連帯で乗り越えてきたグループだから。
その彼女らがエンディングに流れる曲をとオファーされて選んだのは、ヘイターを叩きのめせというメッセージを含んだTAKEDOWNだった。
「私への憎悪を煽った連中が、今にあなたに牙をむく。殻に閉じこもって魂が砕けたあんたたちを、私は叩きのめす」
歌の力で。



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