谷尻 誠さん(撮影 石塚定人)
「瀬戸内の能天気な気候がそうさせるのかもしれませんね」
ユニークな発想についてたずねると、建築家の谷尻誠さんは笑みを浮かべてそう答えた。
住宅を中心に商業空間から公共施設、そして最近ではインスタレーションにも創作の領域を拡大している。既成の枠にとらわれないダイナミックなデザインで、デビューして間もなく手掛けた住宅が建築雑誌などで紹介され、注目を集めた。
「潔いといえばそうですが、しがらみを気にせず、いいものを作ればいいのだという思いでやってきました」
高校卒業まではバスケに打ち込んだ。部活だけのために夕方から登校することもしばしば。いまも笑顔の向こうにやんちゃな一面をのぞかせる。
「卒業の時は悩みましたね。このまま就職するのか、もうすこし親のスネをかじらせてもらうのか。インテリアや家具に興味があったので、とりあえず広島のデザイン学校に入ってみようと。お金もかかるし、ここはまじめに勉強しなきゃという思いで、やってみたらこれが結構おもしろかった」
人生のベクトルはバスケからデザインへ、ゆっくりと、しかし確実に動きはじめた。
デビュー当時から、オフィスは変わらず広島にある。2008年から東京にも拠点を構えているが、基本的な設計作業はすべて地元で行う。
「広島にいても、東京にいても忙しさはそう変わりません。でも地元のほうが何となく時間がゆっくり流れている気がして」
ふたつの拠点を行き来する中で、合間を縫うようにして地元で開催している恒例イベント「THINK」のプロデュースや執筆活動にも専念する。そんな息もつけぬ多忙な彼に、大好きなファッションの話や発想のヒミツについて聞いた。
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――谷尻さんは、ふだんはどこで服を購入していますか。
知り合いのデザイナーの展示会に呼ばれて買うか、ふらふら歩いている時に買うかの2通りですね。今日着ているライダースジャケットは、今シーズンの〈ディガウェル〉のもの。〈ホワイトマウンテンニアリング〉も好きです。
広島には10代から通っているセレクトショップがあって、そこには目利きのオーナーがいるんです。昔から遊びに行っては、「なんかないですか」って言いながら服を買っていますね。
――着る服の好みは変化していますか。
あまり変わっていないかもしれません。スーツもたまに着ますが、ふだんはラフな格好です。ただ一貫しているのは、設計の仕事もそうですが、ちょっとハズす感覚。合わないはずのものを合わせてみるとか。たとえば、ネクタイにライダースをわざと合わせてみたり。ミスマッチだけどナイスマッチっていうのがすごく好きですね。
――ファッションに目覚めたのはいつ頃ですか。
高校の終わりくらい。とにかくお金があれば服に費やしていました。単純に、服しか格好つける手段を知らなかったんです。当時は『宝島』を買っていて、完全にサブカル。いわゆる裏原世代なので、藤原ヒロシさんに影響されまくりました。彼の着ている服とか、聴いている音楽とか、藤原さんの背景にあるものにすごく興味がありました。雑誌に載っていた彼の部屋にイームズの家具があって、僕もそれを買いましたから。
そしてイームズのことを調べるうちに、「建築やプロダクト以外にも映画を撮ったりして、すごく面白い人だな」と思ったんですね。そこからだんだん興味がインテリアに移っていったように思います。
――谷尻さんはつねに既成の枠にとらわれない発想で、建築やインテリアにアプローチしている感じがします。
そもそも僕がこの仕事を始めた時は、建築業界とはなんのつながりもなくて、まさに手探り状態からここまで来た感じです。間違いなく出会いに恵まれていたというか、いいタイミングでいろいろな方が僕を起用してくれたのだと思います。
元伊勢丹カリスマバイヤーの故・藤巻幸大さんには生前、こんな言葉をかけていただきました。「谷尻くんは、他人の七光りだね」と。確かにそうだなあと思います。すごくしっくりきました。「親の七光り」だとやっぱり選ばれた人しかその道を歩めない感じですが、「他人の七光り」ならみんな平等に可能性を持てますから。
――高校までは体育会系だったそうですね。
高校時代はバスケ部でした。その経験は今の仕事にもかなり生かされています。体格が小さいほうだったので、それを逆手にとったプレーを日々練習していました。
みんながやっていることをただ追いかけるのではなくて、少し離れてみると、いろんなことが見えてくる。これって、どんな仕事にも言えることだと思います。
――それが谷尻さん流の少し変わった建築へのアプローチにつながっているのかもしれませんね。
これまでの建築家というと、敷居が高く、ある程度お金を持っていないと設計を頼めないというようなイメージでした。そういう凝り固まった世界観が根付いているのなら、僕はそれを解かせばいいのだと。
高校生の頃、「スポーツ人口を奪い合うよりも、一緒に増やしていこう」というナイキの会社理念に感銘を受けました。今の建築には、まさにこれが足りていないのだと思うんです。いつまでも「俺が俺が」と小さい砂山を取り合ってばかりで、なんで砂山を大きくすることを誰もしないんだろうって思います。
――建築やインテリアだけでなくデザインの分野でも、谷尻さんの存在が注目されています。
僕は“スター建築家”のように華やかな道を通ってきたタイプではありません。サラブレットばかりで組まれているレースよりも、僕みたいにどこの馬の骨とも分からないのがたまに出てくるほうが面白いんじゃないかなと思います。たぶんずっとサブカルの中で生きてきたので、すべてがそこに起因するのかもしれません。だから、いつまでも変なことができる事務所でありたいなと思いますね。
――でも、組織が大きくなればなるほど、失敗や冒険はしづらくなりがちでは。
いやいや、僕はいまだにスタッフよりもアホな提案をしてますよ。知識や経験を積むと、僕らはその範疇(はんちゅう)で仕事をしてしまう。それがいちばん危険だなと、僕は自分に言い聞かせています。「やれること」よりも「やりたいこと」をしたほうがいいに決まっている。
――今後、どんな建築を手がけてみたいですか。
ホテルとか美術館とかやりたいですね。いま企んでいるのは、「外の美術館」。美術館って、作品をいいコンディションで保つためにある箱ですよね。でも実際には、人が入ために大きい箱を作っていて、空調して湿度調整しながらエネルギーを使っているわけです。
作品のあるところだけ空調して湿度を整えれば、エネルギーも最小限で済むじゃないかと。人には屋根さえあればいい。たとえば森の中で作品に出会えるような、見たことのないような美術館ができると思うんです。
――なるほど。おもしろいですね。
あと「外のホテル」もいいなと。ホテルで人が取る行動って、お酒を飲んだり、食事したり、入浴したり、寝たり……。これも全部、外にしたらどうでしょうか。外で飲むビールっておいしいですよね。外で食べるご飯もおいしい。寝るのもお風呂も外にした瞬間、ふだん当たり前にやっていることが格段に楽しくなる。
あとはテクノロジーを使って快適性を高めていければいい。たぶん「そんなことできないでしょ」って、みなさん思うでしょうけど、でもできる方法を考えればいいんです。僕はそんなことをいつもまじめに考えています。
(文 宮下 哲)
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谷尻 誠(たにじり・まこと)
1974年、広島県生まれ。1994年に穴吹デザイン専門学校卒業。1994年~1999年、本兼建築設計事務所。1999年~2000年、HAL建築工房。2000年に独立し、建築設計事務所Suppose design office 設立。現在 穴吹デザイン専門学校非常勤講師、広島女学院大学客員教授を務める。最近の仕事に、瀬戸内しまなみ海道のサイクリングロード利用者のための複合施設「ONOMICHI U2(オノミチ ユーツー)」、道後温泉のアートフェスティバル「道後オンセナート」の泊まれるアート作品「HOTEL HORIZONTAL」など。
Suppose design office公式ホームページ http://www.suppose.jp/index.html