法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ウルトラマンブレーザー』雑多な感想

 2023年7月から2024年1月にかけて、全25話に3回の特別総集編を足して放映された特撮ドラマ。ニュージェネレーションを牽引した田口清隆がメイン監督およびシリーズ構成を共同でつとめた。

 まずひとつの物語としても完結している第1話について、誤解と軽蔑を恐れずに言うなら、リソースの割り振りを適切にすることで『ウルトラマンネクサス』のコンセプトをきちんと具現化している、といった感想になる。後の回で主人公に妻と息子がいるドラマが描かれるところなど、前日譚にしてシリーズ初代のリメイクでもある佳作映画『ULTRAMAN』の要素もある。

 洋画風にしゃれた特殊部隊の会話は特にうまいとは思わないが、夜間の戦闘が連続する薄暗い映像を気軽に見させる良さがある。不和やディスコミュニケーションでサスペンスを作らないから、ストレスをためずに怪獣との対決に注力できて、1話だけで戦いの終結まで完結させてみせた。よく見るとミニチュアは粗いが、大胆な合成とおりまぜることで怪獣ディザスターの充実感がある。特殊部隊の服装をリアルに寄せることで、おそらく既存の服飾を活用して予算を抑えることにも成功していそうだ。
 ウルトラマンが倒れるビルを支えるのが初変身なところも、前日譚映画の最終変身に通じる。それでいてその倒れかけたビルを支えるために左半身が隠れた状態で怪獣に対峙することで、構図だけで『シン・ウルトラマン*1の初変身のような異物感を表現して見せた。その後のビルにクリーチャーのようにくっつく描写や、評判の鳴き声などもたしかに良い。ウルトラマンのスーツ自体は意外と既存の技術の延長だが、体表のラインを光が走ることで血管っぽく見せて、これも前日譚映画のウルトラマンデザインに通じるわけだが、戦闘後に夜空に飛び去った場面に光跡が残ることで独特の余韻がある。


 以降の各話も、事件や世界観そのものはシリアスでも、それに向きあう特殊部隊が日常の問題として怪獣に対峙することで適度に雰囲気が軽い。各ストーリーは斬新でこそないが、ちょっとした理科知識や祠壊しを現代的な巨大特撮ヒーローで一話完結で見せてくれる。
オープンセットを活用したリアルな質感、煽った構図の巨大感など金子樋口ガメラ的な良さがある。ミニチュアセットそのものは小さいが、実景と怪獣を合成する時に破壊用ミニチュアも組みこむことでなじませ、広がりある映像も適宜描写している。
 ミニチュア特撮としては第4話の軟体怪獣エピソードが白眉。溶解する巨大怪獣が地面を流れるので、街中の河川につづく路地や公園といったTV特撮では珍しい風景のミニチュアが楽しめる。流れる液体が溶けた怪獣なので水と比べて水滴の大きさが気にならない。事実、すぐあとに海上戦闘エピソードがあったが、怪獣が倒れこむ場面は細かな水飛沫を合成していた一方、ウルトラマンとの格闘戦では実物の水をつかってスケール感がバレてしまっていた。
 第7話と第8話の前後編は、郊外の住宅街をTVサイズで広々と表現するミニチュアセットは素晴らしかったが、環境保護テーマの物語化が古い。いわば『大長編ドラえもん のび太と雲の王国』のノア作戦を『機動武闘伝Gガンダム』の主人公ドモンの反論で対抗するような構図で、それぞれ1990年代の切実さとその結果の破滅主義に抵抗する弥縫策を、いまだに根本的な論破のようにあつかってしまう観念が遅すぎる。『機動武闘伝Gガンダム』にしても、弱者に実害をおよぼす代理戦争を、それでも一方的な侵略や全面的な戦争よりは悪くないという立場は堅持して終わった。せめて現代的な持続可能な人類文明のありかたや責任について向きあうことはできなかったか。それを感じさせる物語展開や怪獣設定は作れなかったか。たとえば「怪獣使いと少年」のように、実は人類の環境破壊こそが怪獣を覚醒させていて、博士は怪獣を抑制するために自己を犠牲にしようとしながら人類救済を肯定できる言葉を弟子から引き出したかった、とか……あるいは逆に地球環境テーマをめくらましにして、イスラエルパレスチナ虐殺とそれを後押しする米国福音派のような最終戦争到来願望への抵抗こそがテーマなのだと明かす、とか。それならば最後に博士の心にさざなみをくわえた生きたいという権利の説得にも新たな意味が出たと思う。
 第11話でブレーザーの目の周囲の飾りが実際の炎のようになり、過去のウルトラマンにない口の発光という生々しい表現まで出てきたことには驚いた。その次の回では一転して刀をウルトラマンが持つという、いかにもな販促展開になるわけだが、その伏線として人類側の新兵器とガラモンの素材という二重の踏み台があるので違和感は少ない。特にガラモンは『ウルトラQ』に演出でオマージュをささげつつ侵略者のウェットなドラマを描いた個別ストーリーとして完成されていただけに、ロボット怪獣をコクピットまで貫通させて印象づけた場面を後のストーリーの伏線にするとは予想できなかった。
 第20話の、本筋とはまったく関係のない芝居練習描写で、この作品のジャンルが特殊部隊のお仕事コメディということにようやく気づく。芝居の練習は明らかに笑いをねらった描写だが、シリアスなキャラクターをふざけさせるパロディ的な描写ではなく、その作品世界における日常風景の延長と感じられたのだ。この作品の特殊部隊は、他のシリアスな特撮ドラマよりも地味なのに、気軽に見られるライトさがあり、それでいて違和感がないことが不思議だったが、あまり知られていない地味な職業を題材にして現実感ある苦労をコメディとして描くジャンルの枠組みであれば、むしろ珍しいものではない。予算を使わない特殊部隊をリアリティ高めに描写しつつ辛気臭くなくする位置づけとしてコロンブスの卵だ。本筋の田舎帰りのドラマもお仕事コメディの挿話らしさがある。怪獣の影響で畑が荒れたり、一軒家に住民が集まっている光景も田舎のデフォルメだ。以前にも使ったようなミニチュアを黄昏時に設定した照明で新鮮味ある風景に変えたところと、ブレーザーが粘着物質で拘束された時に倒れた場所がちゃんと田舎の広い庭を感じさせるミニチュア配置になっていて、特撮の完成度も高い。登場人物が明らかに危うい局面で危機感をもたない登場人物が恐怖を生みだし、TV特撮における物珍しさもあって楽しかった。
 第22話も、ETVで放送するような教訓的お仕事ドラマで、誇張された善悪が鼻につくところはあるが、クライマックス直前に視点を変えたアクセントとしては楽しい。怪獣が出る世界だからこその専用保険というネタを起点に、古典的な営業マンのドラマを描いていくわけだが、怪獣が本当に出現する世界なので身近な住宅街が災害に襲われるディザスタードラマとしての見ごたえがある。ミニチュア住宅の多様性も情景として素晴らしいし、その個性によって契約関係で壊れてほしくない住宅を映像でわかりやすく見せられていて物語を支えている。


 そして第23話から第25話までの最終エピソードだが、残念ながら数話をかけて宇宙から飛来した怪獣ヴァラロンは良くない。正体がわからず隕石にはりついた起伏として視覚化するしかなかった時は雰囲気があったのに、着ぐるみとして登場するとデザインは凡庸で、最終形態もわかりやすく各部が伸びただけで感心できなかった。ただ最終回の展開で、あくまで報復のために送りこまれた道具でしかないことが明らかにされ、一抹の哀れさとともに魅力のないデザインであることに意味が生まれたとは思えた。
 対立することになった宇宙の人類と矛をおさめる展開も、幼少期に見れば説教臭く甘ったるく感じたかもしれないが、強国の侵略を許容してしまっている現代社会において、世界がいったん戦端を開かないことを選んでいく描写にヒロイックな魅力を本心から感じることができた。ロボット怪獣やウルトラマンが戦わず傷ついていく姿をじっくり描いた上で、少しずつ照準をはずしていく各国を描いたことで、きちんと考える能力のある人々が熟慮して選択したのだと感じる描写にもできている。
 ウルトラマンの実質的な相棒として活躍したロボット怪獣の技術が宇宙からもたらされた設定も前日譚映画『ULTRAMAN』を思い出させるが、宇宙を移動する人類が新天地をもとめている設定は初代の『ウルトラマン』の各話を思い出させる。過去シリーズでは地球人が過ちを犯していても宇宙人を倒すしかない展開が多かったが、今作は全話を伏線として最終的に対立しない結論にたどりつけた。現代に描くべきヒーローの姿だった。