1987年のデビュー以来、幅広い役柄をこなす演技派として数多くの作品に出演。2025年も映画の出演が続く清水美砂。2020年7月に豪雨で壊滅的な被害を受けた熊本・人吉球磨地域を舞台にした映画『囁きの河』で、主人公の元恋人で、半壊した旅館の再建を目指す女将を演じる彼女に、デビュー時の思い出や映画への思いを聞いた。(前後編の後編)
【写真】清水美砂の撮り下ろしカット&映画『囁きの河』スチール【14点】――清水さんは1987年、映画『湘南爆走族』のヒロインオーディションに合格して、芸能界入りしますが、どういう経緯でオーディションに応募したのでしょうか。清水 当時、街を歩いていると、よくスカウトマンから声をかけられて名刺をもらっていたのですが、特に興味もなかったので机の引き出しに投げ込んでいたんです。それを見ていた母が、変なところに入るんじゃないかと心配になったらしいんですよね。
それで知り合いだったサンミュージックさんの専務さんに話をしたところ、「一度会ってみたい」と仰ってくださったんです。それでお会いしたら、「ぜひサンミュージックに入りませんか」と誘っていただいたのですが、その当時は皆さんオーディション経由で事務所に入っていたんです。私だけ例外というわけにもいかず、『湘南爆走族』のヒロインオーディションを受けて、レッスン生として事務所に入りました。それが俳優業の始まりです。
――お芝居に興味はあったのですか?清水 全くありませんでした。ただ、学校があまり好きではなかったので(笑)、何か新しいことをやってみたいという感覚でした。まだ16歳だったので、漠然とした憧れみたいなものはあったかもしれません。
――俳優をやることに関してお母様の反応はいかがでしたか?清水 賛成してくれました。「学校は辞めずに通いなさい」と言われたんですが、学校に通えないぐらい忙しくなったときに、改めて「お芝居一本でやりたい」とお願いしたんです。母も潔い人なので、「やるんだったら死ぬ思いで、覚悟を決めてやりなさい」と言われて、学校を辞めて、お芝居一本でやることになりました。
――いきなり映画のヒロインで俳優デビューってすごいことですよね。清水 お芝居の経験がなかったから、現場では常に汗だくでした。その当時はフィルムだったんですが、69回もNGを出したんですよ(笑)。しかも監督の山田大樹さんにとっても、『湘南爆走族』は初監督作だったんです。
――そうだったんですね!清水 もともとは脚本を手掛けた和泉聖治さんが撮るはずだったんですが、いろいろあったみたいで、助監督だった山田さんが監督を引き継がれたんです。初監督作というのもあって、「新人でもいいものを撮るぞ!」という熱い思いが山田さんから伝わってきました。そんな中で私は69回もNGを出して、「今後、映画に呼ばれないだろうし、仕事もないだろうな」と思いながらも懸命にやっていました。
――フィルム代も馬鹿にならないですからね。清水 そうなんですよね。でもスタッフの方々が辛抱強く撮ってくださって、不甲斐ない自分に悔しさがありました。