クラクションを鳴らしたい人
クラクション
つい先日運転中に盛大にクラクションを鳴らされ、驚いて車を停止してしまう程のことがあった。顛末はこうだ、朝の通勤時間帯に二十四時間営業のスーパーに寄り、買い物をして駐車場から出る場所でのこと。片側三車線以上の国道沿いのスーパーだが、私が出ようとしたのはその大動脈ではなく、そこに接続する片側一車線の多分市道だった。そこは普通の住宅地沿いの道で、上記の国道に接続しているので走っている車はそこそこある。
私はその市道を右折で出ようとして左右を確認したが、左折側はすぐ先に大動脈の国道となり停止している車が詰まっていて車一二台くらいの空間しか余裕はない。その反対車線のこちらに向かってくる側は赤信号なので直進車もなく右左折車も来ていなかった。そして今度は右側を確認すると、距離が空いた先からバンのような車がこちらに向かって走ってきていただけだ。そして再度左を確認して右折して出たのだが、そこで大クラクションを鳴らされた。
それは先程確認したバンが思ったよりも近くに来ていて鳴らしたということだ。そして最初の驚いてというくだりになる。そこで初めて状況が把握できた。そのクラクションを鳴らした車は先程確認した車で、思った以上に猛スピードでやってきていたのか、右折をするために出た私にこれでもかとクラクションを鳴らした。しかも私が驚いて停止したときにはすでに距離のある場所からいつでも停車できるようなスピードでこちらにきているのだ。けたたましい音ともに。
わたしからすれば確認もしていたし、その車の進行先、私から見た左手には信号があり、一二台先には停止をしなけばならないのでクラクションを鳴らすほどの猛スピードで突っ込んでくる意味はない。どうせ止まるのだから速度を落としているはずだし、結果的に停止できる余裕のあるスピードで近づきながら鳴らしていた。少なくとも私はそう見えたし感じた。私があまりにも不用意なのだろうか、と今は自問してしまう。さらに状況を把握できても分からないのはそこでクラクションを鳴らす意味だ。
運転者を見ると結構な年齢の男性だった。こちらに向かって何かを言っている。私もつい、疑問符のついたようなリアクションをしてしまう。しかし片側一車線の道だ、交通の動きはどちらの車線にもあるかもしれない。国道側の信号も青になるだろう。幸いその時点と直後にこっちにやってきている車はなかった。だからといって止まったままというわけにもいかず、もやもやとした納得できなさに後ろ髪を引かれ進んだ。
そういうことがあったとしてもどうしようもない。そんなことで警察を呼ぶわけにもいかないし、そんなことで来るはずもない。クラクションは危険の警告をするときには鳴らしてもいいのだろうか、しかも今回のそれはどれだけ危険なのだろう。彼はどっちにしろ赤信号で停車するはずだった、私からすれば、その場所のその状況でその速度の侵入は自ら危険を呼び込んでる以外に考えられない。そしてもし私の侵入が危険だったとしても、クラクションを鳴らす余裕があるほどコントロールできているのだ。
私も運転していてアッと思うことはある。こちらの速度や状況を確認せずに車などが飛び出してくる場合だ。しかしその場合はとりあえず対処することに集中し、クラクションを鳴らす暇なんてない。そして対処はできているのだが、そこでクラクションを鳴らしたりはしない。そこでわざわざ鳴らす意味はあるのだろうか、自分ではそう思ってしまう。危ないよ、と出てきた人には伝えたい気持ちはある、それと同じような警告の意味でのクラクションなのだろうか。
鳴らしたい人
今回のことも含めクラクションを鳴らすという行為はどういうことなのだろう。危険への警告の意味かなとも思うが、一方では危険を味わった怒りのはけ口かとも思い、お前は危険で悪い奴だと警告だろうか、そしてそれを裁くということかとも思ってしまう。行動としてあんなに素早くクラクションに手がゆくとか、細かくクラクションを連打したりとか、長時間盛大に鳴らすのはいつもクラクションを意識してないとできることではないとも思う。そう思う私は車の運転を知らないのだろうか。考える。
そんなことを考えて思い出したのは、随分前にも鳴らされたことだ。それも似たような場面だったが、もっと田舎で他には車がいない場所だった。私が道路に出た瞬間もう鳴らし始めていて、ものすごく細かく連打してきたのだ。そういうホーンを付けているのかもしれない。だが鼻先を出した瞬間に鳴らされると、どんだけクラクションに手を置いて用意してるんだ、と疑問になる。その人のことも憶えている。ヤンキー仕様の軽自動車で、それらしい女性がのっていた。真昼の出来事だ。
そのことも今回のことも含め、相手に対してステレオタイプ的なものの見方をしているわけではない。事実としてそうだっただけだ。そういう傾向はあるとは思うが、それはどこまでが真実かは分からない。そして今回の車もいかついワンボックスのバンのような感じ。商用車みたいなものではなく、乗用車で装甲車のような黒いやつだ。ただの自分なりの感想を言うとすれば、ドアがスライドするようなバスのような車には乗りたくないな、と思ってしまう。そんな車でなぜそんな狭い道で速度を出す必要があるのだろう。あの強さを強調したものは下品以外の何者でもない。
ヘヴン
もちろんそんなもの個人の感想で嗜好なので意味のあることではない。そのようなことや、鳴らす人の傾向の推測はいいとして、やはり鳴らすというのは人に対して警告する、怒る、戒め知らしめるという快感を伴っているのではないだろうか。鳴らす傾向にある人がいるとして、その人たちの中では鳴らした瞬間に自分では気づかなくともヘヴン状態なのであろう。心はいらだったり怒ったりはしているが、それを抜くためのヘヴン装置、それがクラクションなのではないのだろうか。考えているとそんなことを思ってしまった。
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