森晶麿 Akimaro Mori

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森晶麿 Akimaro Mori
@millionmaro
小説家、虚構家。変格ミステリ作家クラブ会員。note:note.mu/millionmaro
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森晶麿 Akimaro Mori’s posts

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『あの日、タワマンで君と』(小学館) 4月16日発売 装丁:川谷康久(川谷デザイン)さん 装画:がーこさん そして── 青崎有吾さん 麻布競馬場さん に帯コメントをいただきました! ありがとうございます! 多くは語りません。 絶景の特等席へご案内します。
ヒトラーは超かわいい丸文字を書く人だったしお菓子が好きだったし子どもみたいに歯医者嫌いだった。そこをクローズアップすれば「まあうちの国のトップかわいい」と当時のドイツ人も思えただろう。政治家の政治思想以外の部分に目を向けるのはほんとうにやめたほうがいい
書斎に末の息子が現れて「腹が減ったんだ」と言うのでクッキーを2枚あげたところ「ありがとう。でもあんまりお菓子をあげすぎないように」と釘をさして去っていった。俺はいま注意されたのか。なぜ。
末の息子が、食卓で家の人に小声で「ねえ、僕がプールで顔つけできたこと、みんなに言うなら今がちょうどいいんじゃない?」って言ってて、その場にいる一同丸聞こえだったけど必死で聞こえてないふりして「今日プールで顔つけできたらしいよ」って報告聞いてから、弾けるように皆驚いてみせたのだった
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人はよくわからない存在が国のトップとして関わるとき、恐怖心を捨てたいがゆえに「解釈項」を欲する。で、表情だの趣味だのをきっかけに「なんだ、あの人も人間ね」と思いたがる。そういうふうに無意識でなっているんだってことくらいはたぶんみんなわかると思う
10数年前、家の人がハンバーグ作ってくれて、「美味しいけど何の肉?」って聞いたら「当ててみて」って言うから「豚?」「もっと小さいよ」「…鶏?」「もっと小さい「…兎」「もっと」「鼠」「もっと丸くて小さいよww」「ま、まさか虫では…」で、、正解が大豆ミートだったの時々思い出す。
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みんな自分の日常で手いっぱいなんだよ。だから国のことまで本気で考えたくない。「安心できる人に任せてるんだ」という幻想を抱いて監視するのをやめたほうが気持ちがラクになるんだよね。いまメディアは国民を「監視しなくても大丈夫さ」な気持ちにもってく手続きをしてる。でもそれ民主主義ではない
10年以上前、広告業界から転身して本当に秒程度だけドラマ脚本の世界に身を置いた。いま小説の世界にいるので分かるが広告業界は出版界の3倍速で動かないとやっていけない。ところがドラマ脚本の世界はさらにその2倍速くらいの感覚。しかもあっちこっちから横槍入るし正解なくエンドレスなサイクルに
「性行為のシーンだけなくして出版し直せば?」ってすごい貧弱な発想だよね。性行為のシーンだけが性行為のシーンだと思ったら大間違いだからな?
働いてると本が読めなくなる、というのは一面的に事実だと思う。広告業時代、いつも終電帰りだった私は本を読むよりケータイのゲームなど消費的な娯楽で時間を潰しがちだった。
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だって考えてみ。政治家の「人間的な部分」をみて愛着をもつメリットって何? そんなもん、うちらには一個もないよ。まあ自己愛の延長程度の感情を「愛国」と思っていれば、そこと結び付けて盛り上がるポイントにできるのかもね。もはやそれだったら野球観戦の精神と何一つ変わらんけども。
槇原敬之の「もう恋なんてしない」の朝食自分で作らず君が作ったのなら文句も言えたのにとか言う男について「時代かな」みたいな投稿が流れてきたのですが、あの男、ちゃんと因果応報で失恋してるんですよ。たぶん槇原はあれをダメな男として描いている。「主人公=共感できる人」的な考えは危険です
ところで、校正さんの仕事は「いらん指摘かもしれないけど正しくはこう言うんですよ、ただその正しさも時代とともに変わりゆくことは承知してますが」という気持ちでスタンス的に指摘は入れざるを得ないのであまり誰彼構わず見るこういう場所に校正例を晒してあげないでほしいなと思ったりします
私はあまり最近具体的な政治の話には言及しませんが、「よくわからないのに政治のこと言うのはやめとこう」という空気だけは作ってはいけないと思う。よくわからないのに言っていい。誰でも言っていい。それができないのなら、もう民主主義は成立しない。そもそも誰も「よくわか」ってなんかいないし
あとこれは近年のあらゆるシーンで見かけることだが「不快感」というものが正当な正義の根拠になり得るという集団幻想は危険なんですよ。言うまでもなく「不快」とは主観的なもので千差万別。それを同意見の人が一定数集まるとただの「肥大化した主観」が、「客観」のような顔をして正義の金棒を握る
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まあ国民の政治への関心って8割野球選手に対してでも抱いてればいいようなものなんだよね。「あの人発言が強気で好き」「意外と不良っぽい」「お洒落」「笑顔がかわいい」「ああみえてお菓子が好き」…というか政治の見えない部分が多すぎて「そういうふうに評価するしかないじゃーん」状態なんだろう
「君たちはどう生きるか」「哀れなるものたち」「ボーはおそれている」あたりから「わかりやすく」「一言で」説明できるようなファスト体験の底打ちとその反動が起きているようで、これはとてもいい傾向なんじゃないのかな、と。あのまま行ってたら早々に人類まるごとAIに成り代わられて終わりだから
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思想は思想、人格は人格じゃん、ごっちゃにするほうが悪いって考えの人もいよう。でもそれちょっとかまととぶってない? 世の中がそんな聡明じゃないこと、知ってて言ってるだろって思ってしまうね。あなたは分離して考えられる聡明な人でよかったね、いま個人の話はしてないからね、という感じ
子供の頃、トミーという名の黒猫を飼っていたことがある。ある時交通事故で脳にダメージを受け、柱をぐるぐる周るようになり、ほどなく行方知れずとなった。2カ月くらい経った頃、家の前にトミーが。一緒についてきた野良猫がそれを見届けて去っていった。もう柱を周ることもなく元のトミーだった。
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「イメージ戦略は政治家の常では?」「そうしないと支持地盤が崩れるじゃん普通のことだよ」の発想ももちろん。問題は政党の広報PRとマスコミが同じ方向を向いてるときだね。忖度によるプロパガンダってやつ。これやられたら大衆は無思考に右向け右となる。権力監視システムが機能していない
マザーグースか
Quote
毎日新聞ニュース
@mainichijpnews
警察官4人で飲酒 それぞれの帰路で転落 1人は線路、1人は海に mainichi.jp/20220926/k00/0
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べつに政治家が人間味を演出すること自体はあるだろうしあっても問題ないと思うわけ(いやだけど。でもそれがあっても問題ないのは「国民に主権がある」&「余計な忖度なく大衆と対話できるメディアがある」そういう民主主義国家であることが最低条件だと思うんだよ。
21歳の6割が「紙の本読まず」電子書籍も「読まない」7割だというニュースをみた。 文科省は「読書の習慣付けを後押ししたい」らしいが、人文社会科学系の学部を減少させようとしている文科省がそんなことを言っても何の説得力もないな。あと習慣づけって、文科省がどうこうできるもんでもなかろう
「ここに140文字の小説を書いてください」みたいなキーボードが駅前に設置されて、誰もがショートショートを残していける〈ストリートノベル〉みたいなシステムとかあると面白いんだけどね
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最後に。この当時僕を脚本の世界にお邪魔させてくれた秦建日子さんが僕が下ろされた後にマネージャー越しに伝えてくれた「森くんは悪くないから気にしなくていい」の一言にとても救われたことを書き添えておきます。
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キツかったのが四日に1回くらい打合せ入って2日で1話書いてまた複数の人が集まってああだこうだ言って、それをもとにまた…という、それが状態化してるんですよね。指摘も的を射てるんだか的外れなんだか考える余裕もないまま走らされる。まあだからあの業界にい続ける人はそれはそれで凄いです
編集や校正の指摘が「責められてる」と感じてストレスになる人もいるらしい。でも出版を前提とした指摘は「最高の状態で世に出そうぜ」という共同体としての提案であり、強制でもない。もっと言えば作家だって他人の目になり編集も校正も気づいてない粗を見つけだす第三者機関になる必要がある
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私はミステリ作家なので日頃は本の話か、くだらない思いつきとかしか話してませんので、末の息子の投稿が好きな方は「森晶麿 末の息子」で検索をかけていただくとそういうのだけ辿れます
「本を読んでいる自分を好き」みたいな人を排除する必要はまったくないと思うんだけどな。ていうか、10代の読書の入口なんてだいたいそこでしょ。そのファッション感覚で飛び込んだ海に精神ズタボロにされる、それが読書の醍醐味だし、そういう人を排除してその好機を奪うことはないと思うんだよね
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今回の件でふと思ったのは、自作の脚本を自分でやったら、やっぱり相当メンタル削られるだろうな、と。自分の作品なのに自己肯定感は低くなり敗北感でいっぱいになるんだろう、と。それは誰が悪いのでもなく構造が与える敗北感というのか…うまく言えませんが……
表現規制はまず性描写から始まる、とはよく言われるが、表現規制賛成派はここの「まず」の部分がよく見えていないようなので、太字で書くとかしないといけないのかもしれない。表現規制は「まず」性描写から始まる
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あの時思ったのは「誰が悪いんでもないなぁ、構造の違いか…」ということ。あの業界にはその時間速度で生きる人たちがいて、吟味せず即断しなければ進めないし、そのわりに複数の人間で進めるから右往左往遠回りもする、一見理不尽な構造。でもたぶんそこにはそれなりの理もきっとあるのでしょう、と
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当時の自分の結論は「小説や漫画のように鑑賞者が速度を決められるものは本音AをA以外の言葉でどう伝えるかにかかってるが、ドラマは速度がドラマ主体で本音Aを出しほかにも隠してる本音はぜんぶ表に出す、この違い。だからもう脚本は書かない。小説で行く」で数カ月後に作家になれたのは運がよかった
小説家になる前に、ある編集さんに短篇を褒めてもらって長編を年内に、と約束した。でもデビュー前の自分なんて編集さんにしたら重要度低かろうなと思い、年末「間に合うかな…でもあっちもそんなこと気にしてないか」とか思ってたらちゃんと催促が来た時、ものすごく嬉しかったのを今でも覚えている。
予備校時代に極右と極左の予備校講師がいたんですよね。二人とも日本史の講師で互いの授業で互いの悪口を言う。これが授業そっちのけで最高に楽しくて。二人仲悪い言いながらよく飲みにいくんですよ。こういうのかっこいいな、と。思想が敵対したら酒も飲めない雰囲気ってやっぱガキっぽいと思うんだよ
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ただ、まああの濁流にのまれて思ったのは「それでも優れたドラマができる時はできる。それってなんでなの?すごすぎない?」ってことで。これはたぶん簡単ではなくPとD、DとW、Wと原作者、各々の信頼関係と、みんなで一つの絵を共有する作業が最初にできるかどうかにかかってる。で、それは奇跡に近い
ところで、トリックも何もかも見抜けてしまったうえで、それでも大傑作なのが変わらない小説がありましてね。文章がステレオタイプとか、そんなことすらどうでもよくなって、圧倒的な構造性だけで推理小説として大傑作な上に「文学」たり得ている作品なんですよ。『容疑者Xの献身』ていうんですけど。
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仕事をしていると、その時間は能動的にタスクと向き合う活動しているため、オフには能動性自体をオフにしたくなる。自分のスイッチを切って「さあ楽しませてくれ。手っ取り早く頼むぜ」と。しかし広く芸術的体験というものは、能動性をオフにしてしまったら得られないし、何も語りかけてこない。
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もちろん行き過ぎた校正の指摘というのは枚挙にいとまがないわけですが、それを取捨選択する権限は著者にあります。校正の役割は作者は気が付かないだろう視点から「辞書的にはこうです、社会通念はこうです」と一応言うことで、それは決してこうしろという命令ではないのでそこが誤解されるとめんどい
「ヒトラーはじつは言ってることはまともなんだよ」みたいなのって学生時代の読書かじりイキり野郎の発言感がハンパなくそれを四十五十六十にもなって言うのは「ああ、あの頃から精神的に成長しなかったんだ」としか言いようがない
読書量は文章の巧拙にはあまり影響しない。それはいくら野菜食べたところで優秀な農家になれないのと同じこと。書くうえで大事なのは「どれだけ読むか」ではなく「どう読むか」。これは論文一つ、感想文一つ書くときでも変わらない。
一、二冊くらい出した頃の新人作家にありがちなのが、デビュー版元から切られて心が折れるというパターンですが、なぜそこで心折れる必要がある? 一冊本を出したというのは、確かな実績です、それを履歴書にしたためて次に行けばいい。百社に営業かければ一社くらい話聞いてくれますよ。
学生の頃、読書好きの集まりで宮部みゆき好きな子いて「すごい宮部好きな人初めて会った!」ってめちゃくちゃ喜ばれてソウルフレンド的な勢いでこられたことがあったんだが、読書好きで宮部みゆき好きって、スイーツ好きでパフェ好きくらいの確率で当たりまっせ、と言いたかったけど言えなかった思い出
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校正さんにはあまり遠慮してほしくないんですよ。取捨選択はこっちでできるわけですから、できるかぎり、思いつくかぎりじゃんじゃん指摘してきてほしい。でも作者がいちいちSNSに「こんなチェックが入っててぇ」とか言って晒してるの見ると遠慮しちゃうでしょ
その昔、小説を書きたいが忙しすぎて構想もまとまらず、そもそも言いたいことがない、みたいな時期に毎日ブログを書くことにした。2,3行、何でもいいから書く習慣をもつことは、言葉で自分を構築する契機になる。何を志向しているのか自分は知らなくても、言葉のほうは知っているということがある
炎上中の版元から近日出版する作家さんが宣伝を躊躇してるという投稿を目にした。仕組みもわからず同版元から出版する作家の宣伝に攻撃をしてくるような輩は所詮次々噛みついては忘れてるいっちょ噛み屋なので個人的にはまったく気にせず宣伝したらいいと思う。どうせ夜にいびきかいて翌朝忘れてる
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この「隠してるモノ」というのは「視聴者の知りたいこと全部」と置き換えてもいい。それは台詞に限らず展開のうえでもそうで、だからよく原作からドラマが大幅に変わる理由もそこにあると思ってる。原作ファンのみで視聴率がとれるわけではなく彼らには当然の考えだけど、原作側には別の原理がある
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なぜわざわざこんな話をしたかというと、この十年単位でみたときに、各社軒並み校正の指摘がやや甘くなってるんですよ。「時計が狂ってる」は差別用語では、なんてどうでもいい指摘は入るわりに、どこか遠慮してる気配が昔より目立ちます。それはSNSでの晒し上げも多少関係してる気がするんですね
渡辺謙のAIの脅威に関するインタビューを読んでいて、インタビュアーの「人間ならではの表現力はあるよね」的な期待に対し、彼はたぶんそれ自体はあると思ってはいても「まず鑑賞の力の形骸化の側面からそれが求められない/見分けがつかない」ことを恐れてるんだろうなと思った。
海猫沢めろんさんから出た「作家はキャリアがいくほど後戻りができない」というのはまさにここ数年ずっと考えていることだったのでずしんと響きましたね。いや、これはめっちゃ重要です。「作家5年生存率」なんかよりよほど重要です。問題は5年生き残ってしまった場合なんですよ。
読書感想について、しばしば人が忘れがちなのは「感想とはすでに表現であり、クリエイティブな行為である」ってことなんですよね。そして作家の作品が批判されるように、感想もまた場合によって批判の対象となり得る。少なくともそれが単なる主観の暴走による過誤か否かは問題視される場合はあり得る
合わない本までむりに読了ポストする必要はないが、どうしても「合わなかった、てかつまらん」みたいなことを書きたかったら、書いていいと思います。 ただぁ感想も言語化したら「作品」なので、いま手にしてる本同様批判の対象となります。その時に「ただの感想じゃん」は言いっこなしです。「作品」
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私はこれは見知らぬ風景を彷徨すること、遊歩することが脳に何らかの刺激を与えてある時「ぐるり」から抜け出したのだろうと思っている。こういうことは人の人生のなかにもあって、袋小路の「ぐるり」に入ったときは、やっぱり遊歩するのが大事なんじゃないかなと思ったりする
「『どの社からも距離をとられてるのに創作論を語る作家にならないでくださいね』と新人さんに話しました」みたいな編集さんの投稿、仮にそのような作家さんがいるとして「それを引き合いに出すこと」さらに「それを引き合いに出したことをSNSで話すこと」の意味って何なんだろう?
子どもらが友だちに、父親が作家だというと「なんて名前?」て聞かれて「森晶麿」ていうと「ペンネーム?」「本名」ってやりとりが面倒だったって言うから「ペンネームって言えばいいじゃん、本名は博嗣だよって言いなよ」て言ったら微妙な空気が流れた。
編集さんにありがちな傾向として前半山のように赤が入っているのに後半がスカスカなこと。この場合、「私の原稿が後半になって急に劇的によくなっているはずがない」と考えて「恐らく編集氏は疲れている」と想定して前半の赤の入れ方の特徴を読み込んで後半のチェックに生かす。持ちつ持たれつである
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不快感を根拠に何かを切り捨てていいのは、心の中や友人、家族との談話の中だけだと思うんですよ。一歩社会に出たら、そのやり方では敵が現れるのは当然。なのに敵が現れたことにもまた不快感を募らせる。この構図はちょっと不毛だなと思いますね
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著者がどういう気持ちでそれを取り上げたにせよ、何も知らないで見た人は「校正ってのはいまどき要らない世話を焼きやがるんだな」くらいしか思わないものなので。誤解が大前提のこういう場に投げるにはあまりふさわしくない。
むかし誰だったかに作家は踏まれて育つみたいなこと言われたけど、べつに踏まれても育つけど踏まれなくても育つし、踏まれて凹んで消える作家もいるからその思考回路はやめたほうがいいよって思ったし今も思ってる。踏む以外のやり方探すのがめんどいだけではって気がしてしまうのだ
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このSNSに「キモい」という不快感を武器に闘おうとして反論され「ただの感想じゃん」と逃げるという真似を目撃したことがあるのだが、それは許されない。感想とは表現であり、あなたがある表現をやり玉にあげているようにあなたの感想も議論の的となる。ここで見過ごされる「ただの感想」などない
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もしかしたらだけど、校正さんも昨今はSNSやってる人多いから、社会の目を気にする人が増えてるのかもしれないですね。「差別用語では」の指摘はやたら増えた印象。でも言葉自体の指摘は明らかに減ってきてる。私個人としては社会より言葉自体と向き合ってほしいしそこは遠慮してほしくないですね