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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

「世界最高のオートバイが失敗作になった時」

2025年07月23日 | open

When the Best Motorcycle
in the World is a Failure


良いマシンだった。
1965年発表。
世界初の公道市販車での
DOHCエンジン。
トライアンフT120ボンネ
ビルを狙い撃ちにする為
に開発されたホンダ初の
大型自動二輪。
前後サスにも当時最新の
技術を投入し、キャブも
市販車世界初の負圧式CV
キャブを搭載した。
この444ccマシンは最高
出力43PSを叩き出してい
た。最高速182km/h。
1966年、1967年と改良が
進み、3年後の1968年には
45PSに改良されたCB450
(K1)をホンダは登場させた。
まさにホンダのドリームの
始まりだった。
そして、1969年にホンダの
基幹機種、世界最速のモー
ターサイクルCB750Fourが
登場する。最高出力67PS。
最高速は公道市販車世界
最速の200km/hに達した。
なお、1980年代末期の日

本車の2スト250は、最高
速が210km/hを軽くオー
バーしたのだから、いかに
1980年代が急開発で二輪
の動力性能が飛躍的に進化
した時代だったか分かる。
一種異常
な時代だったのが
1980年代
だった。レーシン
グマシンに保安部品を着け
て公道を走らせているよう
なものだった。

更に今は排気量無制限なら
ば、オートバイの最高速は
400km/hに達する時代とな
った。

ホンダのバイクは世界を
獲る、という日本人の夢
を1960年代に日本の人々
に感じさせた。
のちに4輪の世界では、

やがてF1を征するだろう
とも予感させた。
実際に二輪のレースでは
1960年代後半からホンダ
ではなく2ストで圧倒的
(まさに圧倒的)な速さを
誇ったヤマハのマシンが
世界グランプリで台頭し、
ヤマハ以外のオートバイ
をすべて蹴散らして、「ヤ
マハの二輪でなければ勝
てない」という状況を世
界グランプリで見せつけ
た。

スズキとカワサキも気を
吐き、ヤマハ撃墜のため
の2ストグランプリマシン
を投入した。
それに先立ち、2スト絶対
優位を見据えて、アメリカ
のハーレーがイタリアの
メーカーを買い取り、2スト
ハーレーGPモデルを投入し
て、250クラスで世界GPで
2年連続世界王者になった。
その後はまたヤマハに王者
が戻るが、カワサキがKR
250/350で1970年代後半か
ら圧倒的な速さを見せ、数
年間不動の世界王座に輝い
た。
スズキは500クラスで76年

77年と連続世界王者に輝
いていた。
かつての世界グランプリは
英国車とドイツ車で王者が
占められていたが、完全に
日本車以外では勝てない時
代を日本のメーカーは作り
上げた。
だが、ホンダのみは、4スト
ロークエンジンにこだわっ
ていたので、全く勝てず、
グランプリからの撤退を余
儀なくされた。

1979年に10年ぶりにGPに
復帰したホンダだったが、
まだ4ストに固執していた
ので、全く走らない競技車
両しか作れなかった。
ワークスライダーの片山選

手は市販レーサーのスズキ
RGBを購入して勘を取り戻
すためにレースに参加する
という変化球でしのぐしか
ない程の状態だった。
それほどホンダのワークス
4ストNR500は走らず、壊
れる車だった。

そして、勝つためだけにホ
ンダは4ストメーカーとし
てのプライドをかなぐり捨
ててGPワークスマシンで
初めて2スト500モデルを
作り1982年に投入。
デビュー翌年の1983に世界
チャンピオンを獲得した。
だが、ホンダは4ストがメ
インのメーカーだったが、
市販レーサーではMT125と
いう2ストマシンの歴史的
な名車を
作っていた。かな
り良い
マシンでハンドリン
グも
良好だった。ヤマハ
TZ125よりも圧倒的なシェ

アをホンダ125純レーサー
は誇っていた。ヤマハ系
チームでさえ、TZが回っ
て来ないのでホンダMT
125を使っていた程だった。
ホンダがハンドリングで
変な車を作り始めたのは
1980年代に入ってからだ。

ホンダの夢、CBドリームは
日本だけでなく世界の人々
を魅了した。
CBという機種の冠はホンダ
の夢を実現させた栄冠であ
るといえる。
ホンダはCB、ヤマハはRD、

スズキはGTが基幹コード
だった。
その後、ホンダは2スト時代
にレーサーを中心にNSRが
スプリンターの代表コード
となり、市販車にもNSR呼
称を冠した。市販レーサー
コードはRSだ。
ヤマハはレーサーはYZRで
市販レーサーはTZ、公道
市販車はTZRだった。
スズキはRGBにガンマ呼称
をつけたレーサー、公道市
販車もRGγを命名したが、
市販レーサーは500クラス
モデル以外製造発売はし
ていなかった。スズキの
250レーサーはワークス
マシンであり、一般人は
購入できなかった。
ホンダとヤマハは一般プラ
イベーターのレーシングラ
イダーでも競技専用レーサ
ーのRSとTZを購入できた。
1980年代中期で250クラス
の市販レーサーが新車で1台
160万円程。その後しばらく
すると新車が250万円
前後に
なった。(レースはマシン代
だけでなく、年間消耗部品
代と練習代と遠征費用がか
かる。それらの活動費用は
凡そマシン代の4~5倍程は
年間に最低でも必要だった)


1960年代の英国ロッカーズ。


彼らにもホンダのバイクは
大きな影響を与えた。
ただ、惜しむらくは、ホンダ
はカワサキのように4ストバ
ーチカルツインを現在は復活
させていない。
どころかカワサキ、ヤマハ、
スズキが進む「ネオレトロ」
路線とはホンダは一線を画し
ている。なぜだろう。
ホンダの名車CB450のような
直立並列二気筒の英国風トラ
ディショナルスタイルの二輪
を最新技術と融合させて登場
させたら、大型車でもカワサ
キを抜けると思うのだが。
GB350という中途半端な排気
量のモデルではなく、CB500T
やCB750Tとして。
あるいはカワサキZ900RS撃墜
だけでなく、本家ツインの英
国トライアンフ市場をも食う
つもりで。
ホンダのビッグバーチカル
ツインマシンの登場に私は
期待している。
かつて、CB450が世界初の
世界中が仰天したマシンで
あったような、そういう物
として。
こだわるのは、あくまでも
バーチカルツインとして。

カワサキのWシリーズより
も、英国本場のこいつは手
ごわいよ。
やりがいあるんじゃないか
なぁ。


呼称は宗一郎プライドによ
って鶴の一声で格下げ格下
にされた悲劇のGBではなく、
ホンダのCBのT(ツイン)とし
て。ホンダCB1200Tとかに
して。

ホンダの名車GB250は本

来はCBとなる筈だったが、
レトロスタンダードを嫌う
本田宗一郎氏によってCB
呼称は一蹴され、やむなく
ひねり出した新呼称がGB
=グレートブリテンだった。
CBは最先端最新鋭の機種
でないと駄目だ、こんな
古臭い懐古趣味の機種に
CBは絶対に使うな、とい
うのが当時のGB誕生の実
相だった。ホンダの名車
GBはまさに悲劇の機種だ
った。
今のGB350というモデルは
何か違うと思える。
決定的な何かが。
「走らないホンダ」の代表
がGBというのは、それは何
か根本部分が違う。



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