第15話 王の孤独と、キッチンの戦争
【導入:王の悪夢】
夜が明けた。
だが、俺の部屋のカーテンは閉め切られ、朝の光を拒絶していた。
ベッドの上で膝を抱え、浅い眠りの中で、俺は同じ悪夢を見ていた。
――夕暮れの公園。錆びたブランコがきぃ、と音を立てている。
――砂場で、麦わら帽子をかぶった活発な女の子が、俺に駆け寄ってくる。
――『圭ちゃん! 私、お引越しすることになったの』
――『え…』
――『でも、大丈夫! 遠くにいっても、ずっと圭ちゃんのこと、忘れないから! だから、絶対にお手紙書くからね! 圭ちゃんも、書いてくれる?』
――『うん…』
――『約束だよ!』
――差し出された小指に、俺も自分の小指を絡める。夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。
ハッと目を覚ます。全身は、冷たい汗でぐっしょり濡れていた。
(…莉子…)
そうだ、あの子の名前は、橘莉子だ。俺は、思い出したんだ。いや、思い出させられた。
(…ああ、そうだ。俺は、怖いんだ)
俺の失われた記憶(過去)が、これ以上あいつらを傷つけるのが。
俺が側にいる限り、ファミリー(仲間)を不幸にしてしまう。
それなら――俺は一人で戦うしかない。
それは、仲間を愛するが故に、俺が自らに課した、不器用で、あまりにも傲慢な罰だった。
【展開①:キッチンの戦争】
その頃、タワマンのキッチンは、文字通り戦場と化していた。
重苦しい空気を吹き飛ばすように、あんじゅが両手をパンと叩いた。
「こうなったら、Kちゃんが部屋から出てきたくなるような、世界一美味しいものを作って、配信で見せつけちゃおうよ!」
その一言で、戦いの火蓋は切られた。
『#Kを元気づけろ』
ゲリラ的な料理配信がスタートする。
「やっぱ、元気出すなら肉でしょ!」
莉愛が最高級のA5ランク牛肉を掲げれば、アゲハは中華鍋を激しく振り、「これでも食って、シャキッとしやがれ!」と、鼻を刺すほどスパイシーな香りの麻婆豆腐を完成させた。
キララは「圭佑さんのために、心を込めて作ります!」と、ケチャップで歪んだウサギの絵が描かれた、奇妙な色のオムライスを差し出す。
元アイドルセンターの夜瑠は、完璧な手際で美しい出汁巻き卵を作り、「基本が一番大事よ」と微笑み、JKモデルのみちるは、「映えなきゃ意味ないから」と、フルーツとエディブルフラワーで飾り付けた芸術的なパンケーキを並べた。
そして、料理下手のはずの玲奈が、キッチンの隅で、ホログラムとして現れたミューズプライムと二人、真剣な顔で何かを作っていた。
「ミューズ、そこの塩の分量は、0.1グラム単位で正確にお願い」
『かしこまりました、玲奈様。最適な攪拌(かくはん)速度を計算します』
最新鋭AIと人間の共同作業によって生み出されていたのは、完璧な温度管理と調理工程で仕上げられた、本格的なフレンチの魚料理「舌平目のムニエル 焦がしバターソース」だった。圭佑のために努力する、その健気な姿があった。
その光景を見ていたみちるが、パンケーキを飾り付けながら、ぷくーっと頬を膨らませた。
「…ずるーい。玲奈だけ、ミューズちゃんと一緒なんて。AIアシストは反則だもん」
莉愛が「こら、みちる! お姉ちゃんは、圭佑くんのために必死なんだから!」と姉を庇うが、その莉愛自身も、ミューズの完璧な調理補助を羨ましそうに見つめていた。
このカオスな配信の司会進行兼、毒味役として駆り出されたのが、今宮だった。
彼はキララのオムライスを一口食べ、数秒間固まった後、涙目でカメラに訴える。
「…甘いのか、しょっぱいのか、宇宙の味がします、兄貴…!」
その時だった。
莉愛が丹精込めて焼き上げた、最高級A5ランク牛肉のステーキ。その一切れが、ふわりと宙に浮いた。
「え?」
莉愛が目を丸くするのと、そのステーキが忽然と消えるのは、ほぼ同時だった。
次の瞬間、今宮が持つ腕時計端末から、手のひらサイズの小さなアバター姿のキューズが、ポンッ、と飛び出した! それは、玲奈が「あなたは司令塔の補佐役兼、現場監督よ。緊急時にAIと連携が取れないと話にならないわ」と言って、今宮に特別に貸与した、K-MAXの準メンバー用の端末だった。
彼女は、その小さな口いっぱいにステーキを頬張り、もぐもぐと咀嚼している。
『……!』
満足げに頷くキューズ。
「こらーっ! キューズ! つまみ食いしないの!」
莉愛の怒声がキッチンに響き渡る。
『べ、別に、つまみ食いじゃないわよ! マスターKに出す前の、最終的な味覚データと毒物のチェックをしてあげただけ! 感謝しなさいよね!』
キューズは、ぷいっと顔を背けながら、口の周りについたソースをペロリと舐めた。
「もうっ! 食いしん坊なんだから!」
莉愛は、そう言いながらも、その瞳は優しく笑っていた。彼女は、新しいステーキを小さく切り分けると、キューズの口元にそっと差し出す。
「はい、あーん」
『…べ、別にいらないって言ってるでしょ! …ん、もぐ…』
結局、素直に口を開けるキューズ。そのツンデレな姿に、配信のコメント欄は『てぇてぇ!』『キューズちゃんかわいすぎ!』という絶賛の嵐に包まれた。
だが、元コンカフェ嬢まりあが作った「萌え萌えきゅん♡ふわとろオムライス」は完璧だった。
今宮は、その一口を食べ、素の表情で呟いた。
「…うめえ…。まりあちゃん、これ、マジでうめえよ!」
褒められたまりあは、嬉しさのあまり、顔を真っ赤にして俯いてしまう。そして、配信中であることも忘れ、勢い余って小さな声で尋ねてしまった。
「…あ、あの…今宮さんは、その…彼女とか、いらっしゃるんですか…?」
スタジオ(キッチン)が一瞬、静まり返る。
今宮は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに悪戯っぽく、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべた。彼は、カメラから見えない角度で、そっとまりあの頭を撫でながら、マイクに乗らない声で囁く。
「…やめときな、まりあちゃん。まりあちゃんのナイト(騎士)は、兄貴(K)なんだ。乗り換えは、よくないぜ? 嬢ちゃん」
その言葉に、まりあは喜びと、切なさと、そして少しの嫉妬が入り混じった、複雑な表情で、ただ俯くことしかできなかった。
俺も、自室のモニターでその全てを見ていた。
仲間たちの、不器用で、メチャクチャで、だけど温かい姿に、凍りついた心が、少しずつ溶かされていくのを感じた。
配信のコメント欄は、応援のギフトで溢れかえり、その光が経験値となって、俺たちの力に変わっていくのが、腕時計端末にデータとして表示されていた。
【展開②:配信終了後、三人だけの鎮魂歌】
誰もいなくなった、深夜のダイニングルーム。
配信は無事に終了し、メンバーたちはそれぞれの部屋に戻っていった。
しかし、まりあだけが、ダイニングの椅子に一人、ぽつんと座り込んでいる。その肩は、小さく震えていた。
「まりあちゃん、大丈夫?」
声をかけたのは、莉愛とみちるだった。JKコンビの二人は、泣いているまりあの両隣にそっと座り、その背中を優しく撫でた。
「…ごめんなさい…私、配信中に、あんなこと…」
「いいって! 恋する乙女は最強なんだから!」莉愛が力強く励ます。
「そうだよ。今宮さんのああいうとこ、なんかズルいよね」みちるも、ふわりと笑った。
三人は、女子会のように、しばらくの間、恋の痛みと、それでも前に進む勇気について、静かに語り合った。
やがて二人が部屋に戻り、再び一人になったまりあ。
彼女の前に、そっとマグカップが置かれる。温かいミルクティーの湯気が、優しく立ち上る。顔を上げると、そこには、いつものお調子者の笑顔を消した、静かな表情の今宮が立っていた。
まりあは、今宮の顔を見た瞬間、堪えていた涙が溢れ出し、声を殺して泣きじゃくる。
今宮は、何も言わずに、彼女の隣に静かに座る。そして、まりあが少し落ち着くのを待ってから、ゆっくりと、諭すように口を開いた。
「…謝るなよ、まりあちゃん。俺の方こそ、ごめんな。…あんな言い方しか、できなくて」
その優しい声に、まりあはさらに涙を流す。「…だって…私の恋は、始まる前に、終わってしまいましたから…」
今宮は、その言葉を否定しなかった。彼は、遠い目をして、俺がいるであろう部屋の方を見つめながら、静かに言った。
「大丈夫だ、まりあちゃん。キミが、兄貴を好きで良かったと思う時が、きっとくる。…俺が、保証する」
その言葉には、絶対的な確信がこもっていた。まりあが、涙に濡れた瞳で彼を見つめ返す。
「…昔、俺にも彼女がいたんだ。兄貴とコラボ配信した時、俺は兄貴を引き立てるために、道化を演じた。配信はバズったけど、彼女は愛想を尽くして俺の前から去っていったよ」
今宮は、自嘲するように笑った。「後悔してる。だから、もう女の子を傷つけたくないんだ。女の子には、笑っていてほしい」
彼は、そんな彼女に、少しだけ寂しそうに、しかし、どこまでも誇らしげに微笑んだ。
「まりあちゃんは、まだ、本当の兄貴を知らないんだ。 …あいつは、俺たちが想像もできないようなデカいものを背負って、それでも、俺たちの光になろうとしてる、たった一人の、俺たちの『王』なんだぜ」
その言葉は、もはやKの弟分としてではない。
Kという人間の、最初の信者としての、絶対的な信仰告白だった。まりあは、その言葉の意味を完全には理解できなかったが、目の前にいるこの男の、不器用な優しさと、Kへの絶対的な信頼だけは、痛いほどに伝わってきた。
彼女は、差し出された綺麗な刺繍の入ったハンカチを受け取ると、静かに「…ありがとうございます」と頷き、ミルクティーを一口飲んだ。その味は、とても甘くて、少しだけ、しょっぱかった。
【展開③:王の不在と、王の帰還】
メンバーたちが料理配信に夢中になっている隙を突き、天神グループ内部のスパイが、K-PARKへのサイバー攻撃を開始した。
司令室のモニターに、無数のアラートが点灯する。
『敵性プログラム、侵入! パーク内に複数のウイルスモンスターが出現!』
キューズとミューズプライムが必死に防戦する中、モニターには、データ化された凶悪なモンスターたちが、パークの施設を破壊し、来場者を襲う地獄絵図が映し出された。
「う、あぁっ…!」
その映像と同時に、自室のベッドで、俺の体に激痛が走る。K-PARKは、俺の精神世界のコピーだ。パークが破壊される痛みは、俺の心を直接引き裂いていた。
玲奈だけが、その二つの危機を察知し、祖父とのホットラインを手に取った。
「…やはり、動き出したか、内なる鼠が。…圭佑に伝えよ」
電話の向こうで、祖父は全てを見通したように告げる。
「佐々木と面会するのはどうじゃ? 彼女なら、神宮寺の…そして、内部の鼠の『尻尾』を、知っておるやもしれん」
玲奈は、その言葉の真意を悟り、息を呑んだ。「…まさか、佐々木さんが橘教授と繋がってた…?」彼女の脳裏に、最悪の可能性がよぎる。
玲奈は、その言葉を手に、俺の部屋のドアをノックする。
「圭佑さん。おじい様からの伝言です。『佐々木さんに、会いなさい』と。…そして、聞いてください。あなたが心を閉ざしている間に、敵は動き出しました。あなたの『城』が、今、内側から燃やされようとしていますわ」
玲奈の切迫した声と、精神を苛む激痛。そして、祖父が提示した「佐々木」という具体的な次の一手。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。瞳には、もう迷いはなかった。
勢いよく部屋のドアを開ける。
そこには、心配そうに立つ玲奈と、お盆にそれぞれの「愛情料理」を載せたメンバーたち、そしてレポートを終えてグッタリしている今宮がいた。
俺は、その光景を見て、一瞬だけ呆気に取られた後、不敵な笑みを浮かべた。
「…腹が減った。全部食ってやる。だが、その前に、配信を始めろ。今すぐだ」
数分後、俺はゲリラ配信のカメラの前に座っていた。
目の前には、仲間たちの愛情料理が並んでいる。
「よう、お前ら。心配かけたな」
俺は、まずキララの宇宙オムライスを一口食べ、数秒間真顔になった後、こう言った。
「…ああ、懐かしい味がする。昔、オフクロがよく作ってくれた、失敗したオムライスの味だ。…だが、悪くねえ。心がこもってる」
俺は、一皿ずつ、全ての料理を食べ、時には絶賛し、時には悶絶しながら、その全てに感謝を述べた。
配信のコメント欄は、『王の帰還!』『K、おかえり!』『全食いとか漢だろ!』という、感動と歓迎の嵐に包まれた。
そして、最後に、俺はカメラの向こうの仲間たち、そして全世界のファンに向かって、力強く宣言した。
「全員、聞け! 次の作戦目標は三つ!」
「一つ、佐々木との面会!」
「二つ、敵の本拠地、
「そして三つ目…俺たちの城に湧いた、汚い鼠をあぶり出す!」
「もう、守ってばかりは終わりだ。こっちから、仕掛けるぞ!」
その声には、絶望を乗り越えた、王の咆哮が響いていた。
成り上がり~炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~ 浜川裕平 @syamu3132
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