【命を救ってくれたのは、教会だった】〜アメリカでホームレスになった日本人経営者の記録〜
アメリカで“死にかけた経営者”が知った、絶望の先にあったもの
数年前、アメリカのカリフォルニアにある赤字会社を買収した。
創業から10年間以上、一度も黒字になったことのない違法会社だった。
「お前には無理だ。」と言われ続けた。でも、僕は1年で黒字化を達成した。
しかし、そこから地獄が始まった。
あからさまな仲間外れ、執拗な嫌がらせを受け、暴力に遭い、最終的に、僕は自分の車の中で死ぬことばかり考えていた。
そのとき、僕を救ってくれたのは —— 教会だった。
赤字1,000万円の会社を1年で黒字化
その裏側にあった想像を絶する戦い
僕が買収したのは、毎年1,000万円以上、累計で2億円にのぼる赤字を出していたカリフォルニアの納豆製造会社。
販売ライセンスの申請もせず、役員報酬も高く、会社の経費は湯水のように使われていた。
一部の従業員は会社を完全に私物化し、横領まがいの行為も繰り返されていた。
買収を決断したとき僕は、改革する覚悟を決めていた。
不正社員を追い出し、役員報酬を大幅にカットし、経費をゼロベースで見直した。
そして、事業を引き継いでから1年で、黒字化に成功した。
だが、それが元従業員とその友人たちの感情を逆撫でした。僕に対する妬みや嫉み、陰湿な嫌がらせが始まった。
日本でも、アメリカでも、犯罪に追い詰められていた
当時、僕は日本で飲食店を開業し、多くのお客様に愛され、コロナ禍でも行列のできるお店を営んでいた。
しかし、地方特有の嫌がらせや同業他社による妨害行為は、想像を超えていた。
さらには、ネット炎上。
そしてそれに乗じた、実際の犯罪行為 —— 誹謗中傷、営業妨害、殺害予告など。
アメリカでは買収先の元責任者とその友人たちが、僕に対して日常的な嫌がらせを繰り返した。
名前と顔を隠し、友人知人を使い、合法スレスレの攻撃を仕掛けてくる。
「そこまでして、僕を潰したいのか?全員が自分のことだけを考えてばかりで、納豆を愛している人なんて一人もいないじゃないか。」
そう思った矢先のある夜、自宅で食事をしていた僕に対して、信じていたルームメイトが突如豹変し、僕は無理やり大麻を口に押し込まれ、レイプされかけた。
あまりに突然で、彼らの計画的な犯行に気味の悪さを感じた。
そして、あまりにリアルな“命の危機”だった。
意識が朦朧としたまま、僕は車で逃げ出し、警察と病院に助けを求めた。
「計画的な犯行だ。」と、何度も訴えた。
でも警察も医師も、同じ言葉を繰り返すだけだった。
「自宅へ帰って、安静にして。」
死ぬ直前に届いた、たった一通のメッセージ
病院を後にした僕は、車での生活が始まった。
心も体も限界で、
「もう、生きている意味なんて、ない。」
そう思っていたとき、日本の友人から1通のメッセージが届いた。
「アメリカでは、最後は教会が助けてくれる。絶対に、大丈夫だから。」
僕は迷わず、近くの教会へ向かった。
死ぬ覚悟があったからこそ、怖いものは何もなかった。
教会は、本当に僕を受け入れてくれた
辿り着いた教会は、静寂な雰囲気で、心が洗われるようだった。
困っている人を当たり前のように受け入れる場所だった。
国籍も、年齢も、性別も関係ない。
やつれた僕の姿を見た牧師は丁寧に挨拶をしてくれ、最後まで話を聞いてくれた。
「あなたを受け入れますので、安心してください。」
その日、僕は教会のベッドで眠り、温かい食事を口にし、教会で寝泊まりするホームレスの人たちと一緒に祈りを捧げた。
車でしか眠れていなかった僕にとって、それは、本当に久しぶりに「人間として見てもらえた」と感じた瞬間だった。
「宗教」ではなく、「仕組み」
教会の支援は、信仰心を問わなかった。
布教もされなかった。
ただ、「困っている人を助ける。」 —— それだけ。
それがアメリカでは、社会のインフラとして根付いていた。
僕はその後、異国の地アメリカで、ホームレスとして正式に登録され、支援を受けることになった。
生活の再建まで、教会の人たちが伴走してくれた。
このとき、僕は思った。
「日本には、なぜこういう仕組みがないんだろう?」
日本でも、できる。だから、記録として残す。
僕が日本で開業した飲食店も、ただの店ではなかった。
事情を抱えた若者、居場所のない人たち、そして、夢を持つ人たちを支え、少しでも“人の温もり”を感じてもらえる場所にしたかった。
それは、アメリカの教会の仕組みとよく似ていた。
宗教じゃない。制度でもない。ただ「あなたは一人じゃないよ。」という姿勢。
これは、あのときの自分に届けたい記録
今、もしこれを読んでいるあなたが、「自分にはもう何もない。」と思っているなら、どうか覚えておいて欲しい。
世界には、あなたのことを知らなくても、ただ“困っている”という理由だけで手を差し伸べてくれる人たちがいる。
あなたを無条件で受け入れてくれる場所が、必ずある。
その希望だけは、どうか、手放さないで欲しい。
命が、繋がりますように。
https://www.youtube.com/watch?v=9kLcApVy-CE
--あとがき--
この文章は、今、誰にも言えないまま苦しんでいる人に向けた手紙でもあります。
正直、この話を書くことには、ずっと迷いがありました。怒りや屈辱、恐怖、恥ずかしさ……そういったものが混ざり合っていて、書けばまた傷つくかもしれないけれど、今なら言えます。「死の淵で見た世界に、救いはあった。」と。
この文章が、誰かの“あの夜”に届くことを願っています。


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