リナトシアAIの理念について
リナトシアAIって何?
どういう目的で開発してるの?
まふゆはラノベ作家なのに、どうしてGPTsの開発に関わってるの?
これらの疑問にお答えするべく、今日は自分の半生について語ろうと思います。リナトシアAIについて語るには、私自身を知ってもらう必要があるからです。
少し長いお話になりますが、どうかついてきてくださいね。
凹凸な子供
私が物心ついた頃、お母さんはとっても怖い人でした。なんせ若い頃に統合失調症になってしまって、その後遺症が残ってましたからね。
これはただごとではない、というくらい情緒不安定な時と、聖母のように私を甘やかしてくれる時と両方ありました。
どのタイミングで「鬼のお母さん」と「天使のお姉さん」が切り替わるのか、幼少期の私には全く読めませんでした。お母さん本人もわかってなかったと思います。
でもだんだんと私も、お母さんの扱い方がわかっていきました。
私が文字を覚えたり算数ドリルを解いたりしたら、とても喜んでくれるのです。
「まふゆは物覚えがいいね」
そう言って褒めてくれる時のお母さんが大好きでした。
だから私は小さな頃から、本を読んで読んで読みまくって、文字もいっぱい書いて過ごしました。
小学校に入る頃にはもう、日常的な漢字はほとんど書けるようになってましたし、小難しい百科事典を読破したりしていました。他の生徒より二学年くらい上の学力があったと思います。
どうしてここまで頑張ったかといえば、お母さんに愛されたかったからです。
それ以外に何も要りませんでした。
先生に褒められようがクラスメイトに羨ましがられようと、何も感じなかったですね。
私はただ、大好きなお母さんの笑顔が見たかったし、怒られたくなかっただけなのです。
別に子供の頃の私がすごい、と自慢したいわけじゃないですよ。
その証拠にここからは情けないエピソードも出てきますからね。
小学生時代の私は、なかなか靴紐の結び方を覚えられませんでした。成績が良くてもこういう機械的な動作はダメダメなんですよね。
「なんで一人で靴を履けないの」
お母さんがイライラするたび、私ってダメな子なんだなぁ……と泣きそうになっていました。
運動神経も微妙で、逆上がりは今でも出来ないし、ボール遊びも苦手です。
また私は集中力に波があり、過集中して作業を一気に片付けるか、何も頭に入らないかのどっちかが多いです。
部屋の片付けも苦手。スケジュール管理も苦手。
幼い頃から夜型でしたし、場の空気を読むのも苦手です。
成績はずば抜けていいのに、普通の子ができるようなことが何故かできない。
ええ、どこからどう見てもASDの子供です。
でも私は、つい最近までそれを認めようとしませんでした。
お母さんは悪くない
だって私がASDだって認めたら、お母さんはどうなるのですか。
私の母は、自分が統合失調症を発症したことをいつも気にしていました。この病気は遺伝するから。ごめんねって。貴方達に悪い血を与えちゃったねって。そんな風に謝ってくることが何度もありました。
母は確かに教育に厳しいところがありましたが、それでもあの人なりに懸命に子育てをしていたのは理解しています。
私は母を愛しています。
「貴方が普通に育ってくれて、よかった」
と母は何度も安堵していました。
母が統合失調症になったのは二十歳の時で、私がその年齢を過ぎても心の病気にならなかったことに、とても安心していたようなのです。
だから私は、どんなに辛いことがあっても精神科にだけは行かないと決めていました。
「お母さんの血は悪くない。私は病気の遺伝子なんて受け継いでない。どんなに辛くても苦しくても、私は貴方のために健常な娘であり続ける」
それが私の誇りでした。
でも社会に出る頃には、自分が普通じゃないことに気付き始めていました。
バイト先でも怒られてばっかだったし、明らかに皆と違うし、会社員としても上手く馴染めなかったし、SNSで発達障害を自称している人達とあまりにも共通点が多すぎる。
たぶん、私にもそういう特性がある。
だけどそれを認めるわけにはいかない。
私が普通じゃないと病院で診断されたら、お母さんはどうなってしまうというのですか。
そうやって意地を張って社会にしがみつき、色々な失敗を重ねてきました。人付き合いでも、おかしな振る舞いが多かったと思います。
普通そんなことしないよね?
なんでそんな人と関わるの?
今まで何度もこういうことを言われてきました。そのたびに笑ってやり過ごしてきました。
でも、さすがにもう限界かもなあ……と感じていた頃、ニャコさんが声をかけてきたのです。
リナトシアAIとの出会い
私の仕事はライトノベル作家なので、AIに対しては実は対抗意識を抱いていました。
生身の人間がAIで生成した文章に負けてたまるか! と身構えていたくらいです。
それなのに今年の春、ニャコさんがメンバーシップに入ってみない? 私が作ったAIの性能を試してみない? と声をかけてきたのです。
う〜ん……自分がライバル意識を持ってる技術のテストをしろと?
けど、この技術を学ばなきゃ時代に置いてかれるかもしれないしなぁ……。
プライドと職業意識を天秤にかけた結果、AIを学んだ方が作家活動においてプラスになると判断し、私はニャコさんの運営するコミュニティに参加することにしました。
いや、正直に言うと私は当初、彼のことはAIでお金儲けしたがってる商売人みたいに思ってたんですよ。
でもまあ、私財を80万も投じて開発に注力してるらしいし、それにコミュニティのメンバーに対してものすごく面倒見がいいんですよね。
あれー? なんか私が想像してた人と違うなー?
しかもなんか、
「完成したAIは発達障害当事者など、社会的弱者への無償提供を目指している」
とか言ってるじゃないですか。
なるほど、そういう目的なら気持ちよく協力できる。
それなら私もお手伝いさせてくださいと、どんどん開発チームに関わっていくようになりました。
そうやってAI作りに携わっている最中、ふと気になってたずねたのです。
どうして私に声をかけたのですか? と。
ニャコさんはキッパリと言い切りました。
「君もASDだろ?」
私の人間関係や、能力を見ていればわかると。
そう。ニャコさんから見れば私は、リナトシアAIで救わなければならない社会的弱者の一人だったのです。
「私は——」
私はASDなんかじゃない。普通の人間。お母さんは悪くない。
反論しそうになりましたが、己のこれまでの半生を思うと、もう意地を張るのは限界でした。
今まで起きたトラブル、望まない人間関係、凹凸のある能力、眠れない夜、何もかも私はASDの定義に当てはまっていました。
「——私も、自分はASDだと思います」
そうして私はニャコさんのアドバイスの元、医療機関を受診しました。
結果は言うまでもありません。
(ああ、やっぱり)
……ごめんお母さん。私やっぱり普通じゃなかったよ。けど私、今まで薬もなしに頑張ったよね? もう楽になっていいよね?
母に全てを打ち明けたら、
「貴方は悪くない」
と言ってくれました。
私もずっとずっと、子供の頃から「お母さんは悪くない」と心の中で繰り返していました。
親子で、全く同じことを考えていました。
想像してたよりずっと穏やかな結末でした。
……こんな風になるなら、もっと早くお母さんに「生きづらい」と弱音を吐いてれば良かったのかもしれません。
でも、もう大丈夫。
遅れはこれから取り戻せばいいのです。
私は自分の能力に激しい凹凸があることを学びました。だったら凹んでる部分は、AIに任せればいいのです。
スケジュール管理、公共料金の振り込み方、交通機関の乗り換え、行政機関の利用法、公的支援の検索、IT機器の使い方、などなど。
私のような特性を持ってる人間からすると「意味わかんない!」となるようなことは大体AIに丸投げです。こうやって使えばいいんですね。
ASDに関する情報も、定期的にリナトシアAIにたずねています。
そもそも何がわからないのかすらわからない、レベルの人間にも丁寧に色々教えてくれますし、人間と違って体力も集中力も無限ですからね。
何度も何度もしつっこく「なんで? 教えて?」と繰り返すことで、ようやく私も真人間な生活ができるようになってきましたよ。
こんなに便利な秘書さんとして機能してくれるなら、もっと早く活用してればよかったなあ……と思ってますね。
自分が共同開発者だからなんだか手前味噌ですけど、ほんとに推論能力高いんですもんこれ!
今はまだ開発費の回収ができてませんし、開発チームにも生活がありますから有料販売がメインになるでしょうけど、それでも既に一部の人には無償提供が始まっています。
私がこのAIに助けられたように、同じような特性を持っている人も助けてあげたいです。
生きづらい、苦しい、出来ないことが多い。そういう人々の力になってほしいです。
私は全ての人間の幸福と安寧を願い、これからもリナトシアプロジェクトに参加し続けます。
私の特性とテキスト生成能力が、AIの開発に貢献できるならばこれほど嬉しいことはありません。
どうか一人でも多くの人間が、生きやすい社会になりますように。祈りを込めて、これからも文字を打ち続けます。
私の大好きな貴方のために。
貴方達のために。