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Conversation

君が代 についてのご指摘の数々、有難う御座います。おかげさまで、とても勉強になりました。 日本の国歌として今日まで正式に、そして大切に歌われてきた君が代。 僕はその成り立ちを踏まえ、「二つの君が代」があると解釈しています。 それは、賀歌としての君が代と、国歌としての君が代です。 ●賀歌としての君が代 『君が代』の原型は、平安時代に編纂された『古今和歌集』(905年)に収められた賀歌(祝意を表す和歌)であり、以下の歌に基づいています。 わがきみは ちよにやちよに さざれいしの いはほとなりて こけのむすまで この「きみ」は、天皇に限定されず、敬愛する相手(恋人、親、師など)を指し、 その長寿や繁栄を願う、個人的で穏やかな祝福の言葉でした。 したがって、『君が代』は当初、誰かの幸福を静かに祈る私的な和歌でした。 ●国歌としての君が代 19世紀後半、欧米列強による植民地拡大が進む中、明治政府は国家の独立と統合を重視しました。 その精神的象徴として『君が代』が選ばれ、1888年に正式に国歌として制定されました。 この背景には、「天皇」を中心とする日本の国家観、國體があります。 國體とは、単なる政治制度ではなく、文化的・精神的な日本国民統合の象徴です。 ●「君=君主、天皇陛下」とは限らない、という言語的・神話的構造 「君(きみ)」という語を「君主、天皇陛下」とするのは、語源的に単純化しすぎています。 古語における「きみ」は、より深い構造を持つ語とされており、神話学・国語学の分野では、「キ(イザナキ)」と「ミ(イザナミ)」という男女の創造神の対構造が 「きみ」という語の音韻的・象徴的起源に影響している可能性が指摘されています。 たとえば807年成立の神道書『古語拾遺』には、 伊弉諾尊、亦名を伊邪那岐命(いざなきのみこと)と申す とあり、「イザナギ=イザナキ」であったことが文献上確認されています。 その名は今も、兵庫県淡路市の伊弉諾神宮(いざなきじんぐう)に継承されています。 このような神話的・音韻的背景から、 「君」は単なる統治者ではなく、対なる存在への祈りと調和の象徴でもあると解釈できます。 ●日本国憲法 第二十条(一項) 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 『君が代』の解釈は、本来、憲法により保障された内心の自由のもとにあります。 詠み人知らずのこの歌に込められた、静かで、あたたかな祈りを、僕はただ、信じたい。