目次I はじめにII 子の奪い合いを事後に解決する方法に求められる諸要請III 子の奪い合いに関する本案処理段階の取り組みとその検証IV 子の奪い合いに関する執行段階の取り組みとその検証V 日本法への示唆VI むすびIはじめに一方の親のもとからの子の連れ去りや連れ去られた子の奪還などといった、子の奪い合いは子に大きな精神的負担を与え、その健全な成長発達に悪影響を及ぼすおそれがある。それにもかかわらず、日本においては、子は親との運命共同体として自己の不利益を受忍せざるをえないものとする見方がいまだに根強い。日本の離婚件数の年次推移は平成15年以降減少傾向にある。政府統計(1)によれば、平成12年の離婚件数は26万4246組であるのに対し、平成27年は22万6215組、平成28年は21万6798組であるが、そのうち未成年の子がいる離婚は平成12年では15万7299組(全体の59.5%)、平成27年では13万2166組(全体の58.4%)、平成28年では12万5946組(全体の58.1%)という依然として高い数値を示している。婚姻破綻した父母間の対立に巻き込まれる子の数も少なくないものと思われる。そもそも子どもは、大人と同様に、ひとりの人間である以上、個人として尊重されなければならない存在である(児童権利条約前文、憲法13条)。子の立場を軽視する子の奪い合いは、なくしていかなければならない事象の1つといえる。子の奪い合いに対する取り組みとしては、2つの方向からのアプローチが考えられる。1中京学院大学経営学部研究紀要 第25巻2018年3月発行婚姻が破綻した父母による子の奪い合いに対する事後救済的取り組み―イギリス法の場合―佐藤千恵59brought to you by COREView metadata, citation and similar papers at core.ac.uk
つは、子の奪取ないし奪い合いが発生した後、その継続・拡大を防止し、しかるべき方法で、できるだけ迅速に子の最善の利益(以下、「子の福祉」という)に適った生活の場を子に与える方向である(事後救済的方法)。もう1つは、子の奪い合いが発生する前に、未然に子の奪い合いに至る要因を除去するなどして紛争を予防しようとする方向である(事前予防的方法)日本においては、事前予防的方法については、ようやく議論されはじめた段階といえるが(2)事後救済的方法はある程度のものが用意されている。事後救済においては、いく種類かの手続が並立的に用いられており、手続的に混乱した状況にある。父母間の自力救済を抑制し子の利益を確保するためには、司法救済に対する信頼を得るべく子のために適した実効性の高い司法救済手続の確立が切望されるところであるが、現在もそのような手続の確立をみない。そこで、EU諸国の中でも離婚率の高いイギリス(3)に目を向けてみると、事後救済的方法および事前予防的方法のいずれもある程度整備されたものとなっている。イギリスの取り組みの指針とされてきたのが、1989年に成立し1991年10月より施行されている1989年児童法(Children Act 1989)(4)(以下「児童法」という)である。同法は、虐待児の保護等の個人・国家間の関係を規律する公法と父母間の子の養育に関する決定等の個人間の関係を規律する私法を統合した、イギリスで初めての子に関する統一法である(5)。同法は、子の立場に焦点を合わせつつ、家族の関係性を改善し、当事者主体による解決を目指すものである。最近では、当事者のみでの自主的解決の困難性が認識され、第三者による合意形成支援制度の利用が強く推進されている。具体的には、2010年12月に成立し、2011年4月6日に施行された2010年家事手続規則(Family Procedure Rules 2010(SI 2010/2955))(以下、「新手続規則」という)によって、第三者支援を促す事前予防策の整備・強化が進められている(6)。さらに、2014年3月13日に成立し同年4月22日に施行(一部を除く)された2014年児童及び家族に関する法(Children and Families Act 2014)により、家事司法制度の改善と簡略化、裁判外の紛争解決の推進、手続の遅延防止を中心として、児童法を含む家族に関わるさまざまな法が改正された。その結果、イギリスにおいては、当事者の主体性を尊重する事前予防に関する取り組みに重心を置きつつ、それでも発生する子の奪い合いなどの父母間の対立にはその対立度合いに応じた段階的に強力な公的介入を予定する手続構造の採用が確かなものとなった(7)。むろん、さまざまな国情の違いはあるが、参考になろう。筆者は、同様の観点から、すでにドイツ法の状況について検討を行ったことがある(8)。今回は、英米法系の事情にも目を向けるべく、イギリスの取り組みについて検討を加えようとするものである。本稿は、日本における問題解決の示唆を得るため、事前予防的方法の有効性について論じる前提として、イギリスの事後救済に関する取り組みに着目するものである。そこで、まずこの取り組みの効果を検証したうえで、イギリスも直面しているとされる事後救済的方法の限界性を明らかにし、そこから日本法への示唆を得たい。II 子の奪い合いを事後に解決する方法に求められる諸要請イギリス法においては、子の奪い合いを事後的に救済する司法手続は、子を奪取された親60婚姻が破綻した父母による子の奪い合いに対する事後救済的取り組み ―イギリス法の場合―(佐藤)
(以下「被奪取親」という)のもとで子が暮らすべきか、それとも奪取した親(以下「奪取親」という)のもとで暮らすべきか否かを判断する本案処理段階と、子は被奪取親と暮らすべきであるとされた場合にはその結論に基づき子の引渡し請求を強制的に実現する執行段階と、に分けて考察することができる。まず、本案処理段階では、すでに別の機会に詳しく述べたように、適切かつ迅速な解決が要請される(9)子は安定した成育環境でこそ健全な成長・発達が期待できることから、子の環境変化の回数を極力少なくしなければならない。そのためには、裁判所が、のちに修正される余地を残さない一回的な処理で、時の経過にも耐えられる終局的解決を目指す必要がある(10)。当事者らが納得し得ない結論では、子の奪い合いなどの紛争を再燃させるおそれがある。それでは、子の精神的負担はさらに大きくなってしまうであろう。紛争を蒸し返させないためには、いうまでもなく、当事者らも納得しうる、子の福祉に適った適切な解決をすることが要請されるのである(以下、「適切性の要請」という)また、大人は昨日のことのように争っていても、子どもの時間感覚は大人と異なる。裁判手続が長期間に及べば、子の返還を認める判決が出るまでに子は奪取後の環境に順応し、奪取親との安定した心理的親子関係を築いてしまうことが多い。判決に従い、再度、奪取前の環境に戻せば、改めて今度は奪取親との関係を破壊することになる。子の精神的負担を軽減するためには、裁判所による迅速な解決が要請されるのである(11)(以下、「迅速性の要請」という)しかし、これらの要請を同時に充足することは至難の業である。子の福祉に適合する適切な判断を行おうとすれば、子の心情を十分考慮したうえでの慎重な検討を要し、審理に相当の時間が必要となる。迅速に解決することが難しい場合は多い。逆に、手続を迅速に行おうとすれば、時間的制約により子の福祉をじっくり吟味できず、適切な判断を導くことが困難となる。次に、執行段階では、子の人格に配慮した確実な執行が要請されるであろう(12)そもそも子の引渡しが確実に実行されなければ、本案段階で司法判断がなされる意味がない。そのため、裁判所は、確実な執行方法を用いることが要請されるのである(以下、「確実性」の要請)他方、執行の対象となるのは、人格を有する子の引渡しである。その精神的ダメージを最少化するためにも、その人格を尊重する執行方法を用いることが要請される(以下、「人格尊重の要請」という)しかし、この執行段階においても、2つの要請に同時に応えることは難しい。確実性が高い執行方法は、物に対するのと同等の強制力を用いる強力な方法である。それゆえ、子の意思に反してこれを用いれば、子の人格を侵害しかねない。逆に、人格を尊重すれば、その利用がためらわれ、確実な執行は困難となる。このように、各段階の諸要請は、本質的に相矛盾するところがあり、ともに充足することは極めて困難なのである。以下においては、各段階におけるイギリスの司法手続の概要を述べた後、各段階の手続が中京学院大学経営学部研究紀要 第25巻(2018年3月)61
これらの諸要請を充足するものか否かについて検証を試みたい。III 子の奪い合いに関する本案処理段階の取り組みとその検証1 本案処理段階の取り組み(1)本案手続に関する日本との比較(a) 日本の状況日本における本案処理段階の手続は、主に家事審判手続と人身保護手続が並立している状況にある。戦後、子の引渡し請求事件には、英米法を母法として制定された人身保護法(昭和23年法律第199号)に基づく人身保護手続が多用されてきた。しかし、人身保護手続は、本来、身柄解放のための緊急手続であるため、迅速性の要請にはある程度応えられるものの、管轄は人的・物的な機構・設備を備えた家庭裁判所とは異なる通常の裁判所であることから、適切性の要請からの限界があった。その一方、家事事件手続法(平成23年法律第52号)(旧家事審判法(昭和22年法律第152号))に基づく家事審判手続は、家庭裁判所における手続であるから、子の引渡し請求が家事審判事項(民法766条、家事事件手続法別表第二の三)として扱われる場合には、いずれの親の監護下におくことが子の福祉に適合するかを基準として慎重に判断される。迅速な解決という面では十分でないが、適切性の要請にはある程度応えられる手続と考えられてきた。近時においては、人身保護手続の利用を制限し、原則として、家事審判手続を用いるものとする判例(最判平成5年10月19日民集47巻8号5099頁、最判平成6年4月26日民集48巻3号992頁等)が登場している。結果として、家事審判手続の利用は増加したが、実際には、迅速性の面で人身保護手続に及ばない場合があるため(13)、いまだに人身保護手続が利用されることがある(最判平成6年7月8日家月47巻5号43頁、最判平成11年4月26日家月51巻10号109頁等参照)いずれの手続にも、一長一短があり、いまだに子の引渡しに関する本案手続を家事審判手続に一本化することができない状況にある(14)(b) イギリスの状況イギリスの子の引渡しに関する本案手続は、ほぼ家事手続(family proceedings)と称される手続に一本化されている。家事手続は、子に関する事件の諸手続を総称したものである(15)被奪取親が奪取親に対して子の引渡しを請求するためには、子が被奪取親のもとで暮らすべきであるとの子の居所を取り決める命令を裁判所から得る必要がある。この命令は、児童法8条の定める8条命令(section 8 order)の1つであり、子のための取り決め命令(childarrangements order)と呼ばれる。これにより、誰と暮らすべきかという事実レベルでの具体的な養育内容が決定されることになる。子のための取り決め命令の付与・変更・取消し(以下「付与等」という)に関する手続も家事手続に該当する。家事手続も訴訟手続であるが、わが国の家事審判手続に近似する点も多い。家族の繊細な問題を扱うため、当事者らの協調が促進され、明確な対審構造をとらない(16)。通常、審理は非公式に裁判官の執務室等で行われ、当事者ら関係人のみ出席する非公開の形で実施され62婚姻が破綻した父母による子の奪い合いに対する事後救済的取り組み ―イギリス法の場合―(佐藤)
(17)。裁判所が手続進行予定表(timetable)の作成、当事者らに対する指示(direction)などにより積極的に関与し、子に関する調査を専門家等に命じることもある(18)。他の訴訟手続と異なり、家族領域に対する後見的な配慮がなされているといえる。家事手続を行う裁判所は、2014年4月22日以降、新設された単一の家庭裁判所(Family Court)である(以下、この施行日以降の「裁判所」は家庭裁判所を指す)。その意味では、家庭裁判所を家事事件の専属管轄とする日本の裁判システムに近接してきたとみることもできる。従来は、事件の複雑さの程度によって高等法院(High Court)、県裁判所(CountyCourt)、家事手続裁判所(Family Proceedings Court)(治安判事裁判所(Magistrates'Court))の3つの裁判所が処理していた(19)。そのため、申立ての際にその事件の程度を見誤った場合に裁判所間での移送が必要となり、手続遅延を招く要因ともなっていた。新たな家庭裁判所にはすべてのレベルの裁判官、治安判事がいるため、事件の難易度により裁判所内で事件が振り分けられる(20)。移送の負担が軽減されたので、手続の迅速性が確保できるとされている。イギリスにおいても、かつては人身保護令状(writ of habeas corpus)により子の引渡しを求める方法が用いられていたが(21)、すでに児童法の制定前から、ほとんど用いられていない(22)。人身保護令状を扱う行政裁判所よりも裁判所家事部(現在は家庭裁判所)による家事手続の方が子の福祉を判断するのに適しているとされたからである(23)したがって、子のための取り決め命令の付与等を求める手続が、子の奪い合いを解決するための本案手続として利用され、確立されているといえる(24)(c)管轄外への子の連れ去りに対する法的対応連合王国内の一部に子が連れ去られた場合であっても、イギリスの裁判所で得られた子のための取り決め命令は、第1部命令(Part I order)として(25)、連合王国内の他の裁判所においても承認され執行されうる(26)。他の管轄に子を連れ去ったために、既存の子のための取り決め命令が他の管轄で通用せず、奪取者の立場が優位になるわけではない(27)。子が連れ去られた先が連合王国外に及ぶ場合には、国際的な取決めに従うことになる。イギリスは、「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約(Hague Conventionon Civil Aspectsof International Child Abduction)(以下、「ハーグ条約」という)(28)および「子の監護に関する決定の承認及び執行における欧州条約(European Convention on Recognitionand Enforcement of Decisions Concerning Custody of Children)」という2つの条約に1986年8月に批准している(29)。そして、これらを実施するために、1985年子の奪取及び監護法(Child Abductionand Custody Act 1985)を制定している。子が締約国へ連れ去られた場合には、ハーグ条約12条により「子の所在する国の司法機関または行政機関」が、原則として、「子の即時返還を命じる」ものとされている。子の返還後は、国内にとどまる子の奪取と同様、国内の裁判所で子のための取り決め命令の付与等によって親たちの子をめぐる紛争を終局的に解決することになる。日本も国境を越えた子の奪い合いに関してはハーグ条約に加盟し、その実施法である「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律」(平成25年法律第48号)中京学院大学経営学部研究紀要 第25巻(2018年3月)63
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