『文化大革命を起こしてはならない』 小谷野敦時評集2012-2025
㈱読書人社から心当たりのないレターパックが届いて、怪訝に思いながら開けてみると小谷野敦氏のご著書『文化大革命を起こしてはならない 小谷野敦時評集2012-2025』だったので驚いた。えっっ、小谷野先生から?と思いお礼を言うと、やはり先生からだった。
ありがとうございました。㈱読書人さまも、ありがとうございました。
事の起こりは、私が2023年06月8日に先生のトークショーへ出掛けてゆき、
西村ファンにはお馴染みの芳賀書店を見上げてみたり
「西村賢太は藤澤清造を本当に大好きやったんやで」というエピソードをしたためた手記をお渡したしたことで、それについて書かれた先生のブログが今回、『文化大革命を起こしてはならない』に転載されているのである。
この2023年6月13日のブログには「激しいDVの果てに別れたようであり」と書かれていて、当時私は相当、ギクリとした。
それは、お渡した手記には一言も「激しいDV」とは書いていなかったからで、ああやって改めて文字にされると「え?そこまで言ったつもりはなかったんだけど…?!?!?」という気になったのだ。
つまり、私は私に振るわれたそれを「激しいDV」とは全く思っていなかったようなのである。
私にとっての「激しいDV」というのは、先日文春に載ってた歌舞伎役者の事件のような、血が出たり被害者の顔がお岩さんになったりするようなやつで、作中で言えば、秋恵のように肋骨にひびを入れられたとか、歌穂のように前歯を折られたとかである。
ああ、私が出しゃばって余計なことさえしなければ「激しいDV」などという週刊誌の見出し的な言葉も出て来なかったろうに、もしやそれが独り歩きなどしてしまったら…と、けんけんにも申し訳なく、何をやっているのだ私は…!!!と、2年前の私は舌を噛み切らんばかり。
紛れもなく暴力だったわけではあるし、程度に差はあれそもそも暴力は激しいものだろうし、実際それが我慢できずに別れたほどには嫌だったわけではあるのだが、未だに、2年前ほどではないとはいえ少なからぬ語弊は感じている状態である。
ただし、では全く「激しいDV」ではなかったのか?と問われれば、否定しきることもできない訳で、そうなってくると、「激しいDV」だったと認めることによって傷付く自分というのも浮かび上がってきたのである。直視したくないが。
『レビュー大全 2012-2022』は3.5㎝あったが、『文化大革命を起こしてはならない』も3㎝。ピカピカしたツヤのあるカバーで幅広の背が濃い黄緑だったものだからつい、枝豆の食玩のぶら下がってたけんけんの緑のケータイを思い出した。実際にはも少し薄い黄緑だったと思うが。
『文化大革命を起こしてはならない』というタイトルについては全くその通りで、小説の中でなら話は別だが、現実社会で自然科学がイデオロギーに凌駕されるのは狂気だ。
文学研究が「社会正義」に取り込まれるのも同様。「社会正義」なんて、人によって違うからである。
だから、小谷野先生が冒頭に挙げているスピヴァクという人の「文学研究は『社会正義』のためにあるべき」というのも、言うのは勝手だが、結局このスピヴァクという人のいう「社会正義」に則してなければならず、必ずや「これは私の思う『社会正義』と違う!」と言う人が出てくるので、だからちゃんちゃらおかしい(=結果、自分の首を自分で締める)と思う。行き着くところは文化大革命と同じ言論弾圧なのである。
文学研究が何かに取り込まれてしまうなんて、乗っ取られてしまうなんて、そんなものは、自由でもなんでもなくなってしまう。
政治活動や社会活動は別口で別個にやってくだされ、と思う。
だから、小谷野先生の仰る「もし文学研究がもうやることがないのなら、ダウンサイズして、これまで分かったことを教えるだけの文学学校的なものになるのもやむを得ないと私は考えている」というのは、そのとおりだと思う。
また、仮にこういった「表向きは文学研究」費に公金でも充てられていたりもするなら尚更で、文学研究名目でチューチューされるなんてことになるなら堪ったものではない。
ところで、自分の思想信条と合わないから言論を弾圧する…で思い出したのは、西村賢太の小説気に食わん、すわ出版社へ電凹よ!というおばさんのことである(⇒西村賢太と似非フェミニズム③ 或いは「瘡瘢旅行」)。
2012年2月28日
文春文庫版『小銭をかぞえる』六刷の通知。
(略)
担当して下すっている文春出版局の丹羽氏によると、親本発刊時には本書に関し、中年の女性読者から異常な猛抗議が来たそうな。「なぜ、天下の文芸春秋が、こんな酷い不快な男の出てくる小説を刊行するのか」と。
この、感想にすらなっていない難クセについては、四年前の当時に丹羽氏より聞かされてはいたが、こう云う人は、資質的にも本来小説を読むべきではない。
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