マツケンサンバみたいに、大勢で騒ぐことを『囂(かまびす)しい』というけど、『囂』という漢字は、それ一つで邪を祓う呪符になるという話があったり。
四つ口からなる『㗊(らい)』は『雷』の異字体で、『頁』は人の頭、あるいは跪く人の姿。
つまり雷神に人が頭を垂れる姿であり、マツケンサンバの⇒
祥文字不動堂(仮)
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昔、元パン屋の物件の御祓いを頼まれたことがあって。近くに高校があって、そこの生徒が買っていくので売り上げ自体は悪くなかったけど、店主が高齢になって閉店したと。長く店を続けていたので生徒に人気があって、閉店後にシャッターの前に、『今でありがとう』という張り紙や色紙がおかれて花束⇒
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結構昔の話だけど、『曰く付き物件』というのは、ほんとうに人が死んだりしなくても、噂だけでもつくられるものなんだなぁと実感したと。
拝み屋さんの話なので、話半分で。
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囂(かまびす)しさは、まさに雷神の轟かす雷鳴であり、あの光輝く金色の装束は雷光であるから、その映像を流したり、自ら踊れば、怪異はそれを恐れて逃げ出す。
という見方もできると。
拝み屋さんでも、屋祓いとか外で祈祷をしたときは、
変える前に何処かによりみちして、わざと傘などを忘れたり、自動販売機でおつりを全部とらないなどして、意図的に『小さな厄災』をつくる人もいたり。
呪術的なことをするとその反動があるので、それをコントロールする為に、先に小さな損をすると。
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神主になったアライさん
@araarafene
今流行りの新入社員へのアドバイス〜ってやつではないのだけれど、うちの神社は事故物件のお祓いへ行った後、まっすぐ神社へ帰らず、一度どこかでサボることが許されているのだ。
明確な理由があるわけではないけど、何らかの呪術的な名称がありそうな行為だな、と毎度思っているのだ。
昨日、赤気があらわれて、今日は全国的に雨模様なので、
『赤気が現れた後は雨が降る』という天文道/陰陽道の説が本当になっているの、地味に感動しています。
赤気(オーロラ)が龍神である、というのも本当かも。
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祥文字不動堂(仮)
@syoumonzi
天文的には、赤気は干魃の時に現れやすく、現れた後に雨がふるとされていて普通の自然現象としています。
陰陽道的には、兵乱や風災や火災や地震の前兆であるされているけど、江戸時代の陰陽師・土御門泰福は、先人の説を否定することはできないけど、赤気は干魃の時におきる自然現象だ、としてます。 x.com/syoumonzi/stat…
昔、封神演義という中国の古典がブームになったとき、それを商標登録したトコロのせいでゲームなどが自由につくれなかった、という話があって。
それに対して夢枕獏先生は、『陰陽師』を広範囲で商標登録した上で、それを自由に使わせてくれて、何処かが独占するのを防いでくれていると。そういう⇒
祀る人がいなくなっても神様が其処に残るのは、色々と理由付けや解釈がありますが、
『千代に八千代に』『弥栄に』と、長きに渡ってその地(その家)を栄えさせる“約束”で招かれている以上は、その“約束”が“解約”されなければ、神様とて勝手にそこを去ることが出来ない、という考え方があったりします⇒
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いけちゃん
@ike_chan_2013
拝み屋みたいなこともしてた叔父は、ときどき「もう祀る人がいなくなったから、ここから離れたい!」という神様をお迎えにいったりしてました。子ども心に「神様なんやから、自分で帰れんの?」と不思議でしたが、そうもいかんらしいです。 x.com/syoumonzi/stat…
『伝統は明治につくられたものだ』とよくいわれるけど、
それは江戸時代までの曖昧な規則や、口頭での取り決めや、口伝を、収集し整理して明文化したもので、
その過程でマイナーなものも取り込まれたり、再解釈もなされたという問題点もあるとはいえ、
『勝手に創作されたの』ではないわけで⇒
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なんかもおかれていたのだけど、閉店したってしらない人たちの間で、その御店の主人が自殺をしたという噂が流れて、みんな供養の為に献花してる、という話にかわってしまって。仏花をそなえて、手をあわせる人がでてくると、今までありがとうという寄せ書きの色紙も違う意味を持つようになって⇒
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店の中から店主と奥さんが言い争う声が聞こえるとか、そういう話が広まってしまい、
その噂を終わらせる為に、皆がみているところでお祓いというか、供養をする必要があったと。
だから、別に何もない場所を祓うだけの依頼だったのだけど、
空気がわるいというか、悪い噂が本当に悪いモノ呼ぶ⇒
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不動産屋さんが気がついたときには、事故物件の噂が流れていた上に、『自殺した店主の幽霊が出る』という噂が流れていて。
いるはずの無い幽霊の目撃談、しまっているシャッターの郵便物をいれるところから、外を覗いている目が見えるとか⇒
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みたいな感じで、邪気がたまってますねーと説明して。
一度御店の中をお祓いしてから、別の日に知り合いに手伝ってもらって、鐃鉢(シンバルみたいなもの)鳴らしたりして、ちょっと大袈裟にご供養をしたことがあると。⇒
昔きいた話。
子供向けのアウトドアのイベントがキャンプ場であって、火を焚くための小枝を集めるように指示をだしたら、祠の扉部分とか、彫刻の入った木片とかを拾って来る子がいて、これは何処かの祠を壊したのかもしれないと管理人さんに謝りに行ったら、キャンプ場とその周辺に祠なんてないと⇒
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新しい解釈では、『㗊(らい)』は『雷』の異字体ではないとも言われているけど、甲骨文字だと『田』に近かったり、白川静氏のいうところの『サイ』だったり、『口』だったりするので、何とも言い難いとか。
蛇の話。もう30年ぐらい前。それなりに信者さんのいる拝み屋さんが亡くなって、内装を寺院風に改造してあった道場を、知り合いの在家出身の密教僧が購入したことがあって。
そこのお祓いを頼まれたことがあったのだけど、その人は真っ当な宗教者さんで、どっちかというと拝み屋の私を嫌っていて⇒
昔住んでいた家の近くの、お稲荷さんの祠、
『お酒を1瓶御供えしたら、先に御供えされているお酒を 1瓶、御下がりとして持ち帰っていい』
というルールが出来ていて、
ほぼ毎日、お酒がおそなえされていて。私もたまに参加してたけど、
イタズラかなにかで、煙草の吸い殻を酒瓶にいれた人がいて⇒
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先生のお気持ちをなんとも思わず、『正しい陰陽師像』をかってに定義して、先生の名前をちらつかせながら様々な表現や活動に圧をかけまくった人がいるから、
同じことがおきないように、昔のことをぐだぐだつぶやかないといけない、というのがあると。
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大事にはならなかったけど、また同じような事がおきたら大変だということで、お供え物の持ち帰りを禁止する張り紙がされて、お稲荷さんを介した人と人とのつながりが切れてしまったことがある。
その後、月1で集まる呑みサークルとしてつながりが復活しました(笑)
①とある拝み屋さんが、どんな呪詛も食べてしまうという神様を祀っていたのだけど、この神様は『呪い』だけでなく『祝い』まで食べてしまう。しかも大食いなので、周囲の神社仏閣の祝いまで食べてしまうので、御神体は常に箱にいれられ、必要な時は、蓋を少しだけずらして呪詛を食べてもらっていた。⇒
高度成長期のコワイ話というと、
いわゆる『地上げ』にあった人が、敷地の井戸の魂抜きをしたあと、主犯の不動産屋社長宅の井戸神を拐ってきてそこに移し、井戸神が嫌う鉄の鎌やら包丁やら鋤やら鍬やら放り込んで、砂利で埋めて引っ越していった、
という話を聞いたことがあったり。
江戸時代、水路工事の最中にあらわれた『印旛沼の怪物』はアザラシではないか、という話があるけど。
激しい風雨や雷のような音と共に、辺りが光り輝いて怪獣が飛び出し、13人の役人を殺したから、これは激しい雷雨の中で工事を強行し、落雷で役人が死んだという話ではないか、とも見られるわけで⇒
聞いた話。
新興宗教ブームの時に大量につくられた『宗教法人』が、いま後継者がいなくて休眠化しているのを、反社や外国の人達が購入していくのを国が問題視して、活動実績に問題がある所にイロイロと指導しているそうで。
結果、伝統宗教の法人でも『宗教活動だけでは維持できないので、責任者が⇒
五月五日は蠱毒の日です。
隋書に
『その法(蠱毒)は、五月五日を以って百種の蟲を聚める。大は蛇に至り、少は蝨に至る。合わせて器中に置き、自ずから相啖はしむ。餘一種存するはこれを留む。』云々とあり、
五月五日に百種類の蟲をあつめて一つの器に入れてお互い食い合いをさせて⇒
地鎮祭といえば、
『依頼者が地鎮祭はしなくていいと言ったんだけど、工事をするのは私達だからお願いしたい』と頼まれたことがあって。
私に頼むより、いつも会社で頼んでいるところに頼んだ方がいいですよといったら、
『いや、“工事の間だけ”神様が鎮まってればいいので』と言われたことがある。
大阪万博のコスプレ炎上は、
村(コスプレ文化)を滅ぼす邪神(オタク文化が嫌いな人)を、祠(ルール)を建てて鎮めていた(批判できないようにしていた)のに、若い世代が『こんなのはもう古い』と無視したので、事情を知る村の古老達が『あの祠を壊したのか!』と恐れている、みたいな面もあると思ったり。
中学生が『千の風になって』を歌っていて、懐かしいと思ったけど、あのブームは2006年で、なんで歌えるの?と驚いたけど。
歌詞の
『私のお墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています 』
という歌詞は、今の葬儀⇒
朱墨汁に墨汁を少し混ぜると、ちょっと高級な辰砂っぽい色になるという、安い霊符を書くときの裏技?があって。
配合によっては『かわいた血の色』になる、というのがあったり。
荒俣宏先生も『帝都物語』でふれられていたけど、明治政府が宗教信仰にも口出しをしてきて、それで弾かれた民間宗教者や民間祈祷者の一部が、起死回生のチャンスと考えたのが、病気になられた明治天皇の御病平癒の祈祷だったと。
で、自主的に祈って駄目だったので、そこで心が折れて引退した人達が⇒
ヤマタノオロチ、
首が8つならまたは7つではないか、と言うのはドラえもんでも突っ込まれているけど、
首が8つ横に並んでいるのではなく、胴体から蓮華のように放射状に生えているとみると8またになる、
という話が拝み屋さんにはあったり。
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その後、そのキャンプ場で変なことは起きないし、イベントに参加した子供達に何かあったという話も聞かないけど、
もし破壊された祠の破片を燃やした火で飯盒炊飯やカレーをつくってみんなで食べてたら、なにかおきたのかなと思うことがある、
と、そのキャンプ場の管理人さんから聞いたことがある。
みんな大好き『十種神宝』、
羸都鏡(おきつかがみ)
邊都鏡(へつかがみ)
八握劔(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死反玉(まかるがえしのたま)
足玉(たるたま)
道反玉(みちがえしのたま)
蛇比禮(へびのひれ)
蜂比禮(はちのひれ)
品物比禮(くさぐさのもののひれ)
にも歌があって。市販の呪術書だと⇒
人間が勝手に神仏と尊んで祀った神霊や、
ここに来てくださいとお願いして来ていただいた…勧請した神仏に対して、
祀る人がいなくなりました、
用意した社や尊像が損壊しました、
すべて壊れてなくなって、更地になったら自分で帰るでしょうって考えは
さすがに酷すぎるのではと思ったり。
人の体内に蟲が住むという話、例えば華厳経には『人の体内には八万戸の蟲の家があり、人が楽しめば共に楽しみ、人が飢えれば共に飢える』とあります。
僧侶が食事前に唱える『蟲食偈』には『我身中有八萬戸、一一各有九億蟲』とあり、それぞれの家に九億匹の蟲が住んでいる』とします。人体は蟲で⇒
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もしかすると、いわゆる『処分しようとすると祟りがおきる祠』を他人に燃やさせることによってサワリを分散させようとしたのかも、
いや、それだと祠を壊した段階で祟られるのでは?
という話になり、
結局、粗雑に扱うのが怖いので、管理人さんが山伏に頼んで御焚きあげをしてもらったそうで。⇒
祀る人がいなくなっても神様が其処に残るのに、色々と理由付けや解釈がありますが、
拝み屋さんの世界観だと
『コミュニティーや会社や家(血族)の行く末を見守ってください』と高天原や総本社から招かれたのに、その対象が維持されずに解体され離散し絶えてしまうと、体裁が悪くて帰れない、という⇒
陰陽師・安倍晴明公が使役したという式神十二神将の原型とされる、
陰陽道の六壬式占の十二天将、
天一、騰蛇、朱雀、
六合、勾陳、青龍、
天后、大陰、玄武、
太裳、白虎、天空、
の霊符。
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いままで私たちが伝統として扱い、大切にしてきたものを否定する為の道具として『伝統は明治につくられた』という言葉を使われるのは、もにょるものがあると。
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いわれ、
子供達にどこで拾ったか聞くと、どうも破壊された祠のパーツがキャンプ場のあちこちにばらまかれていたらしくて。
その土地に詳しいキャンプ場の管理人さんも、その祠に心当たりがなく、誰かがその祠を不特定多数の手によって燃やさせようとしたのではなないか?⇒
日光東照宮の陽明門の柱は、何本か逆さになっていて、それが不完全/未完成をあらわしていて、
『まだ完成していないから、劣化は始まらない』
という呪術が施されている、という説がありますよね。
Quote
ルシオラ@まったりゲーマー
@dTkUegOvIfNkHXS
Replying to @syoumonzi
美術品をわざと完成させない
子供に性別逆の衣服を着せる
行事やイベント時に、通常と違う手順をする
いろいろ見聞しますよね