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https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11170374111
私は魂というものを想定してものを考えることが多いです。 魂というのは、いわば、人間にとっての心の故郷。 その心の故郷を思い出すとき、この郷愁から人は泣くのだと思います。 時間が経って、かつてを振り返ると、その当時には見えなかったものが見えてきたりします。なぜその当時は見えなかったかといえば、その只中に居たからということになります。灯台下暗しともいうし、また中国には福中不知福といって、人は幸福の中にいるときには幸福を知ることができないという意味です。これはたとえば震災で家を失くした人などが如実に感じているはずだと想像します。 それで、過ぎ去った過去の出来事が、余計なものが心から外れて、純粋な姿となって、その人の脳裏に浮かぶのです。それは冒頭いった魂により近づいたということなのだと思います。 私たちは、今現在、ちゃんと見ているようで、見ていないことが多いのだという風に思います。今というこの現在の見方、捉え方は、未来永劫そのようではありません。時間を経て振り返ってみたら、今現在のこの時に対する自分の認識は変わっているのです。 私は、こういうことを小学生の内から、自分で実験していました。 今現在を覚えておいて、数ケ月、また1年経って振り返ったら、どんな風に自分の心が捉えているだろうということをよく実験していました。それは大抵変わっていたのです。だから、今現在に対する認識について、今現在の認識が正しいのか、1年経ってからの認識が正しのか、はたまた10年後、また20年後に抱く認識が正しいのか、それについては、ひょっとしたら、そもそも正しい正しくないということもなく、その時々の心でもってその時を捉えているに過ぎないということになるのでしょう。 ただ、人はかつてを振り返るとき、魂に近づいているような気はしています。 心理学的な回答ではなく、すみませんでした。
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質問者からのお礼コメント
ありがとうございました。
お礼日時:2017/2/12 8:26
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とても大切な時間だったんでしょう。 私も曲とか聞くたび、芋づるみたいに回想してしまって、そうなります…(笑) 今現状が辛いわけでもなく、幸せといえば幸せかもしれないような平穏の時、平たくいえば乱心せずゆとりを持てる時に、過去を懐かしんでしまうこともあるんじゃないでしょうか。自然なことだと思いますし、そんな瞬間って結構幸せだったりします。
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私は「清純への志向」だと思います。 「追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。 愛だとかそれから献身だとか、そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、 追憶なしにはそれを占つたり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。 それは落葉をかきわけてさがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。 泉のうへにおちちらばつてゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。 」(三島由紀夫『花ざかりの森』) 現在の地点から過去を見る。そうして現在へ帰っていくことで初めて「清純」は保障されるのです。 自戒を込めて言うと、それは同時に「未来(他者)への恐怖」でもあるかもしれません。
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