【一強が崩れた先に…】滝沢秀明がジャニーズからTOBEへと持ち出した「何よりも大切なモノ」

中森明夫・欲望のジャニーズ論 第4章 滝沢秀明がジャニー喜多川を超える日⑤

前の記事『【もはや青年将校…!】滝沢秀明が見据える「世界変革」のビジョンと傾倒した「過激な思想」』では、滝沢秀明が内に秘める「過激さ」のルーツがどこにあるのかを取り上げた。

明らかな「スペシャル」として

滝沢秀明は、どこへ行くのか?

それは彼がいったい何者か? ということに関わるだろう。13歳でジャニーズ事務所に入り、Jr.のリーダーとなって、「小さなジャニーさん」と呼ばれた。いわば〈ジャニーズの申し子〉だ。

ジャニー喜多川の遺影を手にする滝沢秀明
ジャニー喜多川の遺影を手にする滝沢秀明

’64年に設立したジャニーズ事務所は、およそ60年間の歴史で、数百人、いや千人単位の男子アイドルとその予備軍たちが通り過ぎていった。滝沢秀明は傑出したアイドルだ。しかし、彼以上に人気のあった者、売り上げを記録した者、観客を動員した者、長く在籍した者らがジャニーズには存在する。

するとタッキーを特別な存在たらしめているものは、何だろう?

36歳で芸能活動を引退して、事務所の副社長となったことだ。しかも、創業者の公認を得て。「私は驚きと共に嬉しくて涙がこぼれそうでした」とジャニー喜多川は感謝している。

翌年、ジャニーは亡くなった。そう、滝沢秀明こそがジャニーのその遺志を受け継いだのである。

そんなタッキーが、3年後にはジャニーズ事務所を離れる。いったい、なぜ? その理由を本人はおおやけには語っていない。まざまな憶測が飛び交った。

いや、しかし……。その後にいったい何が起こったか? それだけは、はっきりとしている。

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