なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 ヨハン捜索以来、フィリップとモニカは宿屋の仕事で忙しくしていた。

 掃除・洗濯・買い出しなどの雑用は丁稚や新入りの仕事だし、モニカは次期女将ということもあって時間があれば経営などの勉強をしなくてはいけない。

 

 「おーい、カーター君。食材の買い出しお願い出来るかー?」

 「え? 今からですか?」

 

 洗濯を終えて厨房で水を飲んでいると、副料理長の男がメモ片手に言う。

 フィリップはつい昨日、料理長に言われて食材と酒を買ってきたばかりだ。それも荷車一杯分。

 

 「昨日行ったばっかりですけど、漏れがありましたか?」

 「いや、それがな……」

 

 ぴっと親指で背後を示す副料理長。

 身体を傾けて彼の背後を見ると、モニカより少し年上の料理人見習いがきまり悪そうに縮こまっていた。

 

 フィリップの視線に気付くと、とぼとぼと近づいて来て頭を下げた。

 

 「すまない、フィリップ君。実は調味料をこぼしてしまって……万が一にも足りなくなると困るんだ」

 

 地元の宿屋であればミスした本人が自分で買いに行くのが当たり前だが、王都では違う。

 買い出しは丁稚の仕事で、それを奪うことはたとえ店の主人でも許されないのだ。元は一等地の貴族邸や王城で働く執事やメイドといった侍従職の矜持だったのだが、それが一般人にも定着し、やがて町全体がそんな文化になったらしい。

 

 「はい、分かりました。いつものお店でいいですよね?」

 「おう、頼むわ」

 

 副料理長が渡したメモにざっと目を通し、フィリップは落ち込んでいる料理人に苦笑を向けた。

 

 「こぼしたって、大袋から溢したんですか?」

 「そうなんだ……本当にすまない……」

 

 がはは、と豪快に笑う副料理長に背中をバシバシ叩かれながら縮こまっていく。

 

 ちらりと窓に目を向ければ、もう日が暮れかけている。

 ……かなり急がなければ。夕食の準備はもう始まりつつあるし、大袋一つとなると10キロはある。行きはともかく、帰りに全力疾走は無理だ。

 

 「じゃあ、行ってきます」

 

 相場より少し多めの金を受け取って、フィリップは宿屋を小走りで出発した。

 

 

 

 そんな平和な一日──の、はずだったのだが。

 

 「おや、奇遇ですね」

 

 一日も終わりに近づき始めた夕暮れ時には、というか、なるべくなら一生会いたくない相手が、にっこりと笑顔を浮かべて佇んでいた。

 

 二等地の教会で暮らす神父が二等地の商店街に来るのは不思議ではないが、ナイ神父の纏う浮世離れした雰囲気とはマッチしない場所だ。

 買い物時とは少しズレているが、それでも人が全くいないわけではない。

 

 奥様方やお使いらしい少女たちの視線を集めながら、神父は何を買う訳でもなく店を回っているようだった。

 今夜のメニューに迷っているように見えるが、そもそも食事の必要性すら怪しい身だ。怪訝そうなフィリップの表情を一瞥して、彼は思い出したように手を打った。

 

 「あぁ、そういえば君の奉公先は宿屋でしたね。食堂はありますか?」

 「……えぇ」

 

 何を言い出すか見当のついたフィリップは、無駄と知りつつも抵抗することにした。

 さっと調味料や香辛料を扱っている店に近付き、メモ通り大袋一つを注文する。その後ろにぴったりと神父が付いて来ているが、それは無視する。

 

 「まいどあり。けどカーター君、昨日も来なかったかい?」

 「宿の者が、ちょっと溢してしまいまして」

 

 苦笑交じりに店主と言葉を交わし、重いけど大丈夫かい? という心配に頷いて答える。

 実際、他に荷物のない状態なら10キロの袋を抱えて歩ける距離だ。

 

 受け取ろうとしたフィリップだが、その横から伸びた腕が袋をひょいと持ち上げる。

 香辛料の詰まった袋を肩に担いでにっこりと笑うナイ神父に、フィリップは溜息を苦労して呑み込んだ。それはさすがに「宿屋の丁稚」として許容される行為ではない。

 

 「ナイ神父?」

 「私が持ちますよ。これから食事をしにいくつもりだったので、ついでです」

 

 厚意を理由も無く無碍にするのが好まれないのはどの町でも同じだ。親切は拒むのではなく、受け取り、そして他人や当人にしっかりと恩返しするのが美徳である。

 

 「気にする必要はありませんよ。もしご主人に怒られそうなら、私が謝りますから」

 

 頭をぽんぽんと撫でられ、虫唾が走るような不快感が襲い掛かる。

 マザーは母神だからか、懐かしいような温かさも同時に感じるのだが、ナイ神父からは胡散臭さを同時に感じるだけだ。

 

 先ほどからずっと二人を見ていた──というか、ナイ神父に熱い視線を送っていたご婦人方が黄色い悲鳴を上げるが、フィリップには敗北を告げるホイッスルに聞こえた。

 

 「……お願いします」

 

 これも仕事、これも仕事と口の中で唱えながら頭を下げる。

 満足そうに頷くナイ神父の顔を見ていたら、きっと拳の一つでも握っていただろう。殴りかからない辺り、身の程を知っている。

 

 そんな中途半端な賢しさと惨めさがいっとう面白く、ナイ神父は浮かべた微笑をより深いものにした。

 

 「では、行きましょうか」

 

 先んじて歩き出したナイ神父に続く。

 

 しばらく歩いていると、不意に周囲の音が遠ざかり、ナイ神父の声がやけに鮮明に聞こえるようになった。

 

 「防諜魔術です。姿は見えますが声は聞こえませんよ」

 「……便利なものですね」

 

 防諜魔術や無詠唱がどの程度の技術なのかは、魔術知識のないフィリップには分からないが、舌打ちや溜息を人目を憚らずできるというのはストレスの軽減になる。

 ナイ神父はそんな気楽な感想に嘲笑を向けるが、フィリップが黙殺するとつまらなそうに肩を竦めた。

 

 「それで、何してるんですか?」

 「君に会いに来たんですよ」

 

 ナイ神父が悪戯っぽい仕草でウインクを飛ばすが、フィリップの冷え切った視線に撃ち落された。

 声は聞こえずとも遠巻きに姿を見ているご婦人方が黄色い悲鳴を上げ、何人かが意識を飛ばして周りの人に受け止められていた。

 

 「そうですか。ではお帰り下さい」

 「はは、手厳しい。ですがその前に、“ナイ神父”として君のご主人にお話すべきことがありましてね」

 

 王国に於いて、ではなく、一神教が広く信仰されているこの大陸において、聖職者の地位は高い。少なくとも神父が「主人に話がある」といえば、丁稚風情がそれを妨げるのは許されない程度には。

 染みついた習慣が舌打ちを自制させるが、代わりに溜息として不満を出力する。

 

 すると、神父の纏う雰囲気が一変した。

 

 「魔王の寵児よ。君の意向は最大限尊重するつもりです。ですが──」

 

 底冷えするような声色。『見るな』と、常人の本能であればそう警鐘が鳴らされる威圧感がある。

 残念ながら、恐怖や狂気というものの一切を剥奪されたフィリップは、とうに常人の域を出てしまっているのだが。

 

 何の気負いもなくナイ神父と視線を合わせる。

 髪と同じ黒だったはずの瞳が、吐き気を催すような極彩色に輝いていた。

 

 神威。いや、もっと悍ましい『存在感』のようなものが僅かに感じられ、投石教会の“ナイ神父”としてではなく魔王の使者“ナイアーラトテップ”としての言葉であることを示していた。

 

 「君の守護。そのために行われるあらゆる行為は、この世の全てに優先されます。フィリップ君、君の意思も例外ではありません」

 

 それはそうだろう、と、フィリップは暴風にも勝る威圧感に難なく耐え──というより、殆ど気づくことなく──気楽に納得した。

 

 フィリップ自身には実感も無ければ恩恵も無いが、フィリップは『魔王の寵児』だ。白痴の魔王が何の意図も考えもなく守護を命じた、小さな星の矮小な生き物。外神にとっては一瞥する価値も無いモノだ。

 そんなフィリップの意志と、アザトースの命令。どちらを優先するかなど考えるまでも無いこと。

 

 「まぁ、そうでしょうね」

 

 あっけらかんと言い放ったフィリップに、ナイ神父は満足そうな笑みを浮かべた。

 

 「理解が早くて助かります」

 「……着きますよ。袋、ありがとうございました。あと、すぐにその目を引っ込めてください」

 

 常人であれば最低でも嘔吐、最悪発狂しかねない冒涜的な色合いだった瞳が、瞬き一つで落ち着いた黒に変わる。

 それを確認したフィリップが案内するように扉を開けると、従業員たちの元気な声が飛んでくる。

 

 「いらっしゃい! ……お、カーター君。お疲れさま、すぐ持って行ってあげて!」

 「はーい」

 

 小走りで厨房に向かう背後で、「お食事ですか、ご宿泊ですか?」という問いに「ご主人と話したいのですが」と答える声が聞こえた。

 

 

 

 食事時を過ぎ、忙しさが急に落ち着く時間帯がある。

 従業員たちが食事を摂ったり、身体を休めたり、交代の人員に引継ぎをしたりと自由に過ごす中で、一つのテーブルがまだ埋まっていた。

 

 4人掛けの片側にカソックの長身が一つ。

 対面には宿屋の主人セルジオの仏頂面と大量の疑問符を愛想笑いで隠した女将アガタが並ぶ。

 

 「……ごゆっくりどうぞ」

 

 沈黙に支配されたテーブルを遠巻きに見守る従業員たち。凍ったような空気のなか、誰も行きたがらなかったので仕方なく全員分の水を配膳したフィリップがそそくさと立ち去ろうとする。

 しかし、その背中に制止の声が掛けられた。

 

 「あぁ、フィリップ君。君も座ってください」

 「いえ、まだ仕事が──」

 「残りはやっておくよ。お盆貰うね」

 

 料理人見習いの青年が爽やかに、段取りよくフィリップを送り出した。

 おのれ、恩を仇で返すとは。別にそこまで恨むことでは無いが、クローゼットの角に足の小指をぶつける呪いをかけてやるぞ。

 

 そんな益体の無いことを考え──これを現実逃避という──、フィリップは大人しく空いた席に着いた。

 

 「……どういう状況ですか?」

 

 隣に座る神父にそう訊ねると、正面に座った二人が困ったような笑顔を浮かべた。

 はて、何か不味いことでもあったか。思い起こしてみるが、不味いことのオンパレードだ。神父はその素性がもうダメ、フィリップも出自こそ普通の人間だが『魔王の寵児』とかいう肩書がダメ、ついでにバックにいる外神がもう全然ダメ。

 

 何もできない。無力感に苛まれつつあるフィリップにしかし、主人は仏頂面のまま声を掛けた。

 

 「そう心配そうにするな。お前は何もしていない」

 

 続けて女将が安心させるように、揶揄うような笑みを向ける。

 

 「それとも、何か心当たりがあるのかい? アイリーンに言いつけようか」

 

 アイリーン・カーター。フィリップの母親だ。

 故郷の街で宿屋を経営しており、女将のアガタとは古い友人らしい。フィリップの奉公受け入れもその縁らしいが、それはともかく。

 

 丁稚として不味いことは何もしていないと言える程度には、フィリップは自分の仕事に自信を持っていた。

 仕事上の話、特に叱責でないことは、フィリップにとっては当然のことなのだ。だが心当たりはその外だし、山のようにある。

 

 「ははは……それでは、どういった話なんですか?」

 

 下手な誤魔化しに女将が「おや?」という顔をするが、フィリップの仕事ぶりも知っているからか、特に言及はしてこなかった。

 にこにこと笑顔を浮かべるだけの神父に一瞥を向けて、仏頂面のままセルジオが説明を始めた。といっても、

 

 「こちらの神父様が、お前に魔術を教えたいと仰られている」

 

 という簡潔な一文だけだったが。

 

 「え? それだけですか?」

 

 あまりに短い説明に聞き返したフィリップに苦笑しつつ、アガタが口を添える。

 

 「魔術の修行は大変なんだよ? 普通は一等地の魔術学院で三年間、寮に入って勉強するんだから」

 「彼は魔術の修行のため、奉公を中断、あるいは辞めさせたいと仰っている」

 

 それは少し強引だ、と、フィリップは訝しんだ。

 いくら神父が強い発言力を持つとはいえ、正式な文書などを交わしていない私人間の交渉であっても、契約に口を出すことはできない。より正確に言えば、してはならないとされている。

 

 「アイリーンとも約束したし、あんたが一人前になるまでは面倒を見る──いや、見なきゃいけないと思ってるんだよ」

 

 アガタはそう言うが、ナイ神父は笑顔を崩さず口も開かない。

 しびれを切らしたように、セルジオがとんとんと机を爪弾いた。

 

 「とはいえ、神父様に魔術を教わるなんて機会は滅多にない。そのチャンスをフイにしちまうのも、それは責任と意地の取り違えってモンだ。だから──フィリップ、お前が決めろ」

 「……え?」

 

 考える余地のない二択だった。

 日常か、非日常か。しかもそれは、心穏やかに未来への階段を一段ずつ踏み締めて昇る日常と、いつ訪れるかも分からない破綻に怯えながら地獄へ転がり落ちる非日常が並ぶ選択肢。

 

 誰だって前者を取るし、仮に日常に飽いていたとしても、悍ましい邪神たちと3人で過ごす非日常など願い下げだろう。

 

 選択権があるのなら、誰だって日常を選ぶ。

 

 しかし──ここで初めて、ナイ神父の視線がフィリップに向けられる。

 つい数時間前に経験した音の遠ざかる感じが訪れ、すぐ側にいる二人との間に音の隔絶が齎されたのが分かった。

 

 「フィリップ君。お分かりでしょうが──」

 

 にっこりと笑うナイ神父。

 極彩色に輝く吐き気を催すような瞳には、苦虫を噛み潰したような顔のフィリップ自身が映って見えた。

 

 「──これは父王の命に基づく、決定事項です」

 

 

 

 

クトゥルフ神話要素の強さ塩梅

  • 多すぎる。もっとナーロッパ強くていい
  • 多いけどまあこのぐらいで
  • ちょうどいい
  • 少ないけどまあこのぐらいで
  • 少なすぎる。もっとクトゥルフしていい
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