さようなら、父だった人
さらば父よ。
ゲートをくぐり抜けた先、ルナリアにとっては見慣れた顔が口端をつり上げて微笑んでいる。
ミトス・ヴァン・フォン・アストリア。
アストリア公爵家跡取りの一人っ子で、王宮騎士団団長を父に持つ。アストリア公爵は父として、団長として、厳格だが身内には朗らかな一面も見せ、日々国を、王宮を、そして民を守る重要な役割を果たしている。
華やかな、という表現がしっくりくるような金髪。ベリーショートというまでに短い髪は騎士服に合うよう丁寧に撫でつけられ、整えられている。
同様に澄み切った碧の目。
両方を兼ね備える彼は、見た目だけで言えばまるで王子様、だ。性格はともかくとして。
負けず嫌いの性格が災いし、大変に口が悪い。
そんなミトスは幼い頃よりその父に剣術をはじめとする様々な体術、護衛術、更には簡単な回復も出来るように初級魔術までしっかりと習っていた。
アストリア公爵家に魔術の師として赴いたのはルナリアの母。
ソルフェージュが魔術。
アストリアが剣術。
互いに無い部分を補い、時に助け合いながらより一層の国の繁栄を願い、王家に代々仕えてきた。
ミトスとルナリア、二人は歳が近いということもあり、ルナリアの母が魔術を教えている傍ら、幼い二人が庭園で遊んだり、図書室で本を読んだり、ミトスの部屋でお絵描きをしたりと、大変平和に過ごしていた。
この二人、思いがけずひょんな事からウマが合い、初等学園に入学する頃には互いの腹黒な一面も知っていたり、様々、本当に色々とやらかして(家宝を壊しかけたり歴代当主の絵姿に落書きをしたり)双方の父母をはじめ、祖父母まで含めてこっ酷く叱られたりもしている。
それほどまでに仲が良いが、互いを男女として認識することは一切無かった。
悪友であり、親友であり、互いが心を許している貴重な存在。言葉では言い表せない関係性だ。
四大公爵家は互いに手を取り合い、助け合い、時には対立もするが、国の発展を願い、尽くしている。
互いに協力関係にあるが故に、歳の近い子供が互いの家に産まれても婚約関係になる事はない。
それを理解し、己の責務を全うしている。
貴族とは何か、貴族とはどうあるべきか。その辺の普通の子供とは違うのだ。
歪になったのは、ルナリアの母が亡くなったあの頃。
だいぶソルフェージュ家は荒れた。主に家族関係が。
厳格であり、高潔だった母の、ただ一つだけの我儘。好いた人と夫婦になりたい、という願いを、先々代当主である祖父は叶えてしまった。
それが間違いだった。
婿養子のルナリアの父が、何を思ったか己の立場を盛大に勘違いし、社交界でそれはもうやらかしまくった。
聞くに堪えない事もやらかしかけたが、何より最悪だったのはルナリアの許可を得ずにあの義母達を招き入れた事だろう。
祖父母は己達の、当時のその判断を悔いた。だが、そうなってしまってからでは遅い。
やらかしてしまった父だが、それまでは本当にきちんとしていたのだ。公爵の仕事の補佐もしていた。ルナリアや兄のランドルフにも優しく、平等に接し、時に厳しく。
その時代を知っているからこそ、我慢して、耐えて耐えて耐えてしまった結果、現在に至っている。
とはいえ既に排除されているあの存在達は、もうどうでも良い。もとある所に戻っただけ、否、戻しただけだから。
家族関係で思い詰めていくルナリアの様子を、ミトスは把握していた。
悲しきかな、どうやって慰めて良いのか、どうやって力になれば良いのか分からなかったのだ。
幼馴染であり、悪友でもあり、親友でもある大切な存在が、あそこまで憔悴しきっているのは見たことが無かった。
だが、そんな彼女が凛とした表情で真っ直ぐ歩いてくる。
父からルナリアを迎え、王の間にエスコートするように言われた時、あの時のような死人の目だったらどうしようかと思ったが、とんだ予測違いだった。
生き返った、と言うのが正しいのかもしれない。
目の輝き、堂々とした態度。
まさしく彼の知る、ルナリアなのだ。
「ルナリア嬢、具合は」
「もう平気。…お久しぶりね、ミトス」
「聞きたいことはあるが、まぁ良い。さぁ、手を」
差し出された手を迷うことなく取り、互いに自然と歩調を合わせ、謁見の間に歩みを進める。
「さすがの執事様だな。俺らのとこにも使い魔をいつの間にやら飛ばしてきて、ソルフェージュの直近の現状を教えてくれたぜ。うちの父上、めっちゃキレてたわ」
「でしょうね」
歩きながら小さな声で会話を続ける。
「ようやく腹括ったのか」
「…えぇ、残りはお父様だった人だけよ。ソルフェージュの名を出して城に駆けつけてくるのも時間の問題だけれど」
二人の表情は一切崩れない。
至って真剣。
雰囲気だけが、少しだけ柔らかかった。
「始末すんの?」
「不要なものは家族であれ見捨てる、それが貴族の考え方でしょう?」
「ま、それもそうだな。優秀な血が残り、そうでなければ淘汰される。だから、俺たちは学んできたし、そうやって生きてきたんだ」
「……そうね」
先頭を歩いていた二人の足が止まる。
謁見の間。
ルナリアが王太子の婚約者に指名された時、ルナリアの母が亡くなった時、新年を迎えたその日に四大公爵家が揃って国王への挨拶をする時。
いくつもの記憶が蘇り、巡る。
繋がれている手に、少しだけ力が込められる。
大丈夫だ、安心しろと言われているような感覚に、胸が温かくなる。
静かに深呼吸をして、背筋を伸ばす。
目で合図をすれば、控えていた兵士が頷いてドアをノックし、室内から『入れ』と威厳ある声が届く。
重たい扉が開かれ、真っ直ぐ伸びた赤絨毯の先。
並んだ玉座に座る、国王と王妃。
ルナリアの姿を視界に捉え、王妃が柔らかな笑みを浮かべて緩く頷いた。
まるでそれが合図のように、ルナリアの足は自然と一歩を踏み出していた。
一歩、一歩。
歩く度に近付く距離。
母と王妃が、王立学園の学生時代に大変仲良くしていたこともあってか、ルナリアは大変可愛がられていた。
王妃───リュミエール・リヴィ・フォン・イクシス。
艶やかな翠の髪を結い上げ、顔周りが華やかかつ清楚に見えるよう、装飾品はパールで統一されている。
柔らかな眼差しは、ルナリアが幼い頃に見た事のあるそれのまま。
慈しむように、本当に大切にしてくれた。
「まぁ……なんて立派になって……」
柔らかな声もかつてのまま。
母が亡くなってから公爵としての全ての責務が一人の肩にのしかかり、王太子妃教育もままならない状況になってしまったルナリアに対して、たった一人だけ『無理はいけないわ』と言ってくれたやさしい人。
国母として、王妃として、あるいは王子達の母として、国王の妻として、我が母の友として、色々な一面を持っているリュミエールを、ルナリアは尊敬していた。
「国王陛下、ならびに王妃殿下。亡き母の跡、遺志を継ぎ、ようやくではあり、また急ではございますが…わたくしは公爵として、一歩を踏み出す決意をいたしましたこと、ご報告申し上げます」
「……………うむ」
「本来であれば成人してから、とも思いましたが…当家の特殊な事情も相俟り、こう決断いたしました次第。何卒、ご理解を賜りたく存じます」
「貴方の母が亡くなってからの経緯は聞いております。ルナリア、よくぞ決断しました。これからの貴方のあゆむ道は、決して平坦なものではありません。ですが、四大公爵家、並びにそなたらと共に歩む貴族、公爵領に住まう民、………頼る人を見極め、知恵を、その人の経験を借りなさい。貴方に足りていないのは経験よ。分かるわね?」
「はい、王妃殿下」
臣下の礼を執り、深く頭を垂れる。
ミトスとの手は自然と離れていたが、一歩だけ後ろに下がり、彼も同様に頭を垂れている。
きっと、ミトスが成人すれば次は彼がこうして挨拶をするのだ。
「まだまだわたくしは未熟者、そして若輩者故にお力をお借りすることもあろうかと存じます。貴族とは何かを常に考え、行動し、そして我が公爵領の民たちの平和と末までの繁栄を、ひいてはこの国の繁栄を。…全てをもって、わたくしは王家に仕えましょう」
一瞬、国王の眉が吊り上がるのが見えた。
ルナリアと王太子の婚約を強く望んだのは国王。恐らく『王家に仕える』という言葉が気に入らなかったに違いない。
このままいけば、ルナリアに待つのはまだ破滅だ。それは避けなければならないもの。
さて、どう言葉を続けようかと少し思案していれば何やら扉の外が騒がしくなっている。
「…何事ぞ」
不機嫌を隠しもせず、国王がぎろりと扉の方向を睨んだ。
「お、恐れながら申し上げます!その…ソルフェージュ公爵が…」
「貴様は阿呆か。余の前にこうして立つ、魔術礼服を纏う者、我が愛する王妃の友のただ一人の娘こそ、正当なるソルフェージュ公爵だというに………不埒者を我が前に引きずり出せ!!その面、どんなものか拝んでやろうではないか」
国王の言葉で扉が開かれ、ルナリアの父が引きずってこられた。
ミトスは威厳の影もない、友の父である男を訝しげな顔で見る。勿論、哀れみも含めて。
「ルナリア貴様!!気でも狂いおったか!!」
「……お黙りくださいお父様。国王陛下、王妃殿下の御前にございますよ」
「やかましいわ!貴様のせいで、我が最愛の妻がおらんではないか!娘も!息子もだ!どうしてくれる!!」
ぜぇはぁと息を荒くして父は喚いているが、心の底からどうでも良い。
国王の御前でここまで喚き散らし、公爵となったルナリアに対しての暴言の数々をよくもまぁ吐き散らかしたものだと思う。
「余と王妃の前で、よくぞそこまで申した」
冷えきった声が、落ちた。
「貴様なぞ、ソルフェージュの父であるという以外に存在意義などないというに……どの口が、王妃の無二の友の娘にして、ソルフェージュ公爵と成ったこの才女を、何故、貴様が罵倒した」
国王に罰せられる覚悟でこの場を借り、父を断罪しようとしていたのに、思わずルナリアの肩から力が抜けた。
思ったより国王は王妃をきちんと一人の妻として認め、愛していたようだ。
今までは、父を庇っていた。
親戚からも、領民からも、何もかもから。
でも、もうしなくて良い。
ソルフェージュ公爵家を残す方法は後でいくらでも考えられる。
養子を取り育てるなり、ルナリア自身がさっさと伴侶を見つけて結婚するなり、方法はきっといくつも出てくるに違いない。とはいえ、ルナリアは王太子なんかと結婚する気は皆無だけれど。
「そなたの妻、先代ソルフェージュ公爵に請われ、どうしてもという願いを、ただ一度だけならば、と叶えた余と、先々代ソルフェージュの唯一の後悔が、そなたよ。…我が妻からも大層恨み言を言われたものだ」
「へ、へいか?」
「そなたごときが、余に謁見できると、どうして思うた」
「な、っ、あ?」
「ルナリアはもう『ソルフェージュ公爵』。そなたは、外からの邪魔者でしかないわ、うつけが。貴様、単なる婿養子であろうが!」
「国王陛下、恐れながら発言の許可をいただきとうございます」
「どうした」
「わたくしから父に、最後の挨拶をさせてくださいませ。そしてその上で更に許可をいただきとうございます」
「む」
「父と、兄であった者の除籍の許可、ならびに公爵領からの排除を」
「そんなもの、余の許可など取らずともくれてやろう!よい、褒めてつかわそうソルフェージュよ!この短期間で立ち直りここまで持ち直し決意した!そなたはほんに『貴族』よ!」
一気に機嫌が上向いた国王、そして隣で変わらず微笑む王妃に一礼をして父の方を向いた。
「お父様、さようなら。もう貴方はわたくしには必要ございません。貴方が、あれらを我が家に招き、今このような状況に陥ってしまいました。挙句の果てに、このようにして謁見の間に押しかけるなどという愚の極みをなさるなど、救いようもございません。今、この時を以て、貴方をソルフェージュ公爵家から除籍いたします。兄であったあの方も。そもそも貴方が、ソルフェージュを名乗る資格など…とうに無かったというのに」
哀れみを込めた眼差しで言い切れば、父はへたりとその場に座り込んでしまった。
ミトスに、国王に、王妃に、そしてその場にいる近衛兵はじめ王宮騎士団にも哀れみの眼差しを向けられる。
今、この場にいるのは敵だけだと漸く理解した。
口の中がひりひりと乾いていく。唾液を飲み込もうとしてもうまくいかない。
間違えた、間違えてしまったのだ。
この娘は、己の妻と瓜二つの性格をしていたのに。
自分は、あのままで居なければならなかった。
ルナリアを守り、導き、そして彼女が成人してからゆったりと領地の外れでも良い。隠居して悠々自適な暮らしを送れば、それで良かったのだ。
失った。
間違えた。
何もかも、手の中からはこぼれ落ちた。
「国王陛下、確か…北の果ての地の鉱山で、人手が足りないと聞き及びました。どうでしょう?貴重な男手となります。…あぁ、もう一人おりますわ」
「使い物にならねばどうするか」
「お捨て置きくださいませ。不要でございます」
「あいわかった」
「それと、必要ならば女も二人…」
「あぁ、ちょうど良かろう」
聞こえてくる会話の内容を信じたくない気持ちしかない。だが、事実だ。
ルナリアを見捨てた事も。
亡き妻を最悪の形で裏切った事も。
今こうして、娘から捨てられてしまった事も。
「女二人につきましても手配はすぐかと存じます。ソルフェージュ家にお任せ下さい」
「本日中に頼んだぞ、新しき公爵よ」
「…心得ました」
冷静に、優雅に、冷徹に。
ルナリアは頭を下げ、近くに控えてくれていた騎士団に父を北の果ての地の鉱山に連れていくよう言いつけた。
悲鳴をあげる気力すら湧かず、そのまま父だった人は引きずられていったのである。
「…ルナリア」
謁見の間から出て、ミトスが固い声でルナリアを呼んだ。
「なに?」
「………お前に聞きたいことがあると、言ったな」
「えぇ」
「明日、……いや、他の公爵三家も連れていくから来週だ。時間を空けろ」
「…えぇ」
冷えた声音で続けられた言葉に、ルナリアは少しだけ。ほんの少しだけ目を丸くさせたのだ。
「お前が何なのか、聞かせろ」