📘【“陰謀”と“スピ”で片づけないで──東大発「反ワク分析」へのレター】
東京大学プレスリリース(2024.02.05)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2024-02-05-001
『人はなぜワクチン反対派になるのか ─ コロナ禍におけるワクチンツイートの分析』
この発表を読んだとき、胸の奥に冷たい波のような違和感が押し寄せた。それは怒りでも恐怖でもなく、「置き去りにされた人たちの気配」だった。
🎯 本当に、それだけで説明できるのか
”「スピリチュアル」「波動」「柔軟剤」──
そして陰謀論、参政党支持へ”
これが「反ワクチン的態度」の成り立ちだと、東京大学は分類する。(この決めつけ自体、結構腹立たしいものである💢)
だが、その分析の裏には、語られていない現実がある。
• 📊 超過死亡についての明確な説明はない。
• 🧾 ロットごとの接種記録も統合されていない。
• 📉 長期リスクに関する科学的な追跡もなされていない。
要するに、カルテに紐づけられていないことをいいことに、科学的検証がなされていないのだ。
そうした中で、「疑う声」をあげた輩に対して、これに答えることになく、「陰謀」「スピ」「非科学」とレッテルを貼ること。
これは、どう考えても理不尽である。
さらに、こう記されている。
“将来的なパンデミックにおける公衆衛生の維持のためには、陰謀論やスピリチュアリティが反ワクチン的態度の拡散につながらないように、その連関を断つ方法論が求められる。”
この一文が意味するのは、「反ワク=悪」であり、それと結びつく思想や感性を断ち切ることが「正義」だという構図である。
こうした決めつけこそ、「同調圧力」の温床になっているのではないか。
もっとはっきりいえば、医療従事者のそこそこの割合が、実はワクチンを懐疑的に思いながらも、声をあげられないでいる大きな理由なのではないのか?
最高学府からの発表は日本人にとっては、無条件に重しがあるのだ。たとえそれが不完全であっても。
🧠 科学者の役割は、「分類」ではなく「傾聴」である
「ワクチンを慎重に考えたい」という感情は、科学に敵対するものではなく、むしろ科学を必要とする問いそのものである。
スピリチュアリティや自然療法への関心は、現代医療が拾いきれなかった声の表れであり、科学が耳を傾けるべきサインである可能性もある。
決めつける前に、なぜその“ゲート(入口)”が選ばれたのかを聴くことこそ、科学が人を守るための最初の一歩ではないか。
💡 信頼とは、「説明」と「同意」の上に成り立つ
医療とは、合意と透明性に基づく営みである。
その構造自体が信頼を失いかけている現実に、なぜ目を背けてしまうのか。疑問を抱く自由が失われたとき、科学はその本質を失う。
✍️ 最後に──人間は「ラベル」ではなく、「物語」である
「陰謀とスピにハマった人が反ワク化し、参政党を支持するようになった」
──そんな一行のストーリーで、人間の思考と経験を定義することはできない。
科学というペンを握る者には、もっと複雑で、深くて、ひとりひとり違う“物語”に向き合ってほしい。
“問いを黙らせる科学”ではなく、“声を照らす科学”へ。
問うことをあきらめないすべての人に、
自由と希望がもたらされる未来を、私は信じたい。









