闇雲に「投票に行こう!」と呼びかけるのも、なんだか阿呆らしい気持ちになる。もう何年もそういう呼びかけをしてきたけれど、同世代の投票率は一向に上がらず、ガッカリし続けている。しかし、呼びかけに世間が応じないと落胆したり、無力だと嘆いたりするのは、ありもしない影響力に期待したり、自分の能力を高く見積もっているからで、それは一種のナルシシズムだと言える。もう「投票くらい行けよバカ!」って言っていいんじゃないかなと個人的には思うけれど、それでも絶えず「投票に行こう!」と呼びかける人たちを俺は尊敬している。
Xなどで勇気を出して何かを呟いても、あるいはどこかで声を上げても、結局インプレ稼ぎのネットニュースのネタか、いろいろな陣営の言説に利用されてしまって、勇気を出した人が小突き回されるだけ。多くのアーティストが黙るのは、そうやって都合良く引用されるからだと思う。コムアイもベンジーも素敵な人だと思う。アーティストとしても尊敬している。考え方が違うところは、探せばいくらだってあるけれど、何もかも違う人たちが寄り集まって暮らすのが社会だし、国家なのだから、それぞれを人として尊重し合って、その違いについて話し続ける以外にない。
仕事の都合で、期日前投票を済ませた。
今回、俺はマイノリティーへの優しい視点をちゃんと持ってくれそうな政党と候補者に投票してきた。本人たちが「差別ではない」と主張していても、多数派が多数派であることに胸を張る姿勢は、少数派(マイノリティー)の疎外と差別につながる可能性を多分に孕んでいる。多くの人の生活が少しずつ苦しくなって、将来への不安を感じているのは間違いないけれど、それはこれまで、多数派の人たちによって、多数派フレンドリーな人たちに向けた政治が行われてきたことが原因のひとつではないかと思う。そういう政治を許してしまったのも、大きな主語では参政権のある「私たち」なのだけれど。
少数派であることが理由で、社会の中で生きづらさを抱えている人が世の中には一定数存在している。彼らを支える人たちこそが、社会の底で多くの人の生活や安全を守ってくれると俺は考えている。助けられるのは将来の自分や、家族や友人かもしれない。そういう想像力を持っていたいと思う。救われているのは、未然の、可能性としての私自身でもある。また、現在の世の中で、そうした生きづらさを抱えている人たちの側に自分も立ちたい。そうやって相互に支え合うために、国や社会があるのではないかと思う。自分が何の疑いもなく多数派であるときこそ、よく考えたい。
与党はNOだなと思っても、入れる先がない。みたいな思いにも同意する。でも、ちゃんと働いてきた人は与党にも野党にもいて、「私たち」の解像度が低い、つまり消費者的な態度を続けて、社会や政治に参加してこなかったから見えないだけなのかもしれない。そういう反省を他者に求めるのではなく、いつでも自分に問い掛けたい。
差別には絶対NO。その延長線上に戦争がある。それは、パレスチナに関する本や文章をいくらか読んだらわかることだと思う。友達だったらはっきり面と向かって「差別はやめろ」と言う。結構、厳しい言葉を使ってしまうかもしれない。街中でそういう趣旨のことを発している人がいたら、「どういうことか」と問うてしまうかもしれない。そういうときはなるべく冷静でいたい。お花畑と言われても、1ミリの屈辱感もない。そのまま「俺よ森になれ」とすら思う。脳内、森。密林でもいい。
ただ、自分も無自覚に差別する側に立っているかもしれない。そういう視点も持ち続けたい。そうだった場合には、反省して改めたい。
ここ数年、いろいろな失敗を重ねながら学んだことだけど、「話し合うこと」が大切だと思う。これは使い古された言葉だし、素朴すぎて笑えるかもしれない。書きながら「またかよ!」って思う。本当に大切なのはその前提で、「自分の意見が変わるかもしれない」という可能性を抱えて、話し合いに参加することこそが重要だと思うようになった。「私は絶対に変わらない」と思って参加するならば、話し合いにならない。口が上手いやつしか勝てない。案外、自分の考えに執着しないのは難しいけれど、「哲学対話」のような場所に参加すると、努めてそうあらねばと思う。誰が勝った負けたではなくて、深めたいのはその内容と理解だから。
またフェスやコンサートの現場で会いましょう。
そこには本当に、誰に投票したのか、しなかったのかだけにとどまらず、ありとあらゆる違いを抱えた人たちが集う。そして、どういうわけか、共通の音楽に胸が躍ったりする。体も揺れる。まあそれこそが、音楽の可能性で、音楽にできることかもしれない。こんなにも違う私たちが、その一瞬だけとか、小一時間とかなら、分かり合える可能性を見せてくれる。その程度の力でも、自分にとっては希望だなとずっと思っている。本当に、俺が書いたり言ったりしていることに嫌悪してる人でも、遠慮なく来てほしい。
言葉についても、絶望はしていない。受け取ってくれる人がいると信じている。それは最初に書いたナルシシズムとは逆で、自分の言葉の強さを信じるのではなくて、自分が投げた言葉や表現を、自分が想像もしなかったような方法で、確かに受け取ってくれる人、もっと新しくて素敵な言葉に改めたり、言葉以外の何かに置き換えてくれる人の存在とその聡明さを、信じているということ。もちろん、俺の間違いを正してくれる人たちのことも。
長くなってしまったけれど、選挙が終わってからも、あらゆる何かを隔てるボーダーについて、差別的な何かについて(それが差別なのかどうかも含めて)、多くのひとがそれぞれの場所で話し続ける機運が高まりますように。もちろん、俺もそうした話し合いに参加したい。
読んでくれてありがとう。
ラブは結構難しいけれど、誰もがその人らしくいられるためのピースは求めたい。✌️
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コメント
3✌️✌️✌️
思いや考えを発信してくれることに感謝します!ありがとうございます!
ありがとうございます‼︎