村木厚子氏 リーダーに欠かせぬ「聞く力・伝える力」
厚生労働省 村木厚子元次官(上)
村木厚子さん(66)は広くその名を知られる元キャリア官僚の一人だ。厚生労働省の局長時代、郵便不正にまつわる冤罪(えんざい)事件に巻き込まれた。裁判で無罪を勝ち取った後、組織トップの事務次官に就任。退官後は大学の教壇に立ち、企業で社外取締役を務める。理想のリーダーとは「よく聞き、しっかり伝える力を持つ人」と語る。
――厚労省で局長、事務次官とキャリアを積みました。子どもの頃からリーダータイプだったのでしょうか。
「小さいころは泣き虫で人見知りが強く、対人恐怖症でした。私が生まれ育った高知では行動的で元気な女性のことを『はちきん』といいます。私は全く異なるタイプですね。対人恐怖症を克服できたのは仕事のおかげですが、根本の人見知りな性格は今でもそんなに変わっていません。本当は補佐役、ナンバー2が向いていると思います」
――リーダーというと、組織をぐいぐい引っ張るタイプを想像する人が多そうです。
「自分の仕事上、強いリーダーになれなかったという部分もあります。あるときから出身の旧労働省とは違う旧厚生省の仕事を任され、常に他流試合でした。立場は上だけど、周囲に教えてもらいながら一緒に考えるスタイルでいくしかありませんでした。リーダーの仕事は決断し、責任を取ることです。決断するには情報を集めないといけませんから、人の話はよく聞くようにしていました」
「あるときの送別会で、当時部下だった男性がやったものまねが印象に残っています。すっくと立ち上がり、『ねぇ、どうしたらいいと思う?』と私の声をまねたんです。一同大爆笑でした。彼によると、そんなふうにいわれると試されている気がするそうです。試しているつもりはなかったのですけれど。自分が先頭を歩くリーダーは確かにかっこいいですが、必ずしもカリスマ性が必要なわけではないと思います」
「振り返ると、わからないことをちゃんと人に説明できて、相手の言葉を素直に聞けたときには物事がうまくいきました。新参者で新鮮な目を持っていたときの方が案外いい仕事をできていたのかもしれません。一種の常識を持って判断し、いったん決めたらぶれない。部下には決まったら突き進んでいいと思ってもらえるようにしていました」
――女性リーダーの育成にもかかわっています。
「後輩のみなさんには天台宗の大阿闍梨(だいあじゃり)、故・酒井雄哉さんに教わったことを伝えるようにしています。郵便不正事件で勾留されていたとき、ご著書に救われ、その後、実際にお目にかかる機会を得ました。酒井さんはそのとき、リーダーは『聖』という字を書く、とおっしゃいました」
就いたポストに育てられる
「左側に耳、右側に口、その下に王があります。たくさんの人の意見を聞き、自分の考えを整理して、周りに伝える。聞くと語るという2つの力がリーダーには重要だというお話でした。私は納得しました。リーダーはこの2つの力を持つものだと自分に刻みつけたのは酒井さんの言葉がきっかけです」
「リーダーはみんなの話を聞き、方向を定め、それを語るという重い役割を背負っています。それが認識できました。決め方はさまざまで、部下の言うとおりにするのでもいい。でも決めること、それに最後まで責任を持つということはリーダーにしかできません」
――女性は自分の実力を過小評価する「インポスター症候群」に陥り、昇進に消極的な人も目立ちます。
「私も自分はポストに追いついていないと感じていました。係長になったときは今ならいい係員になれる、課長補佐に昇進したときは今だったらいい係長になれるのにと思いました。ポストによって、見えてくるものが違うからです。昇進は階段を上るのに似ています。下にいたら背伸びしたり、ジャンプしたりしないと見えないものが自然と見えてくるようになるのです」
「少し力が足りないと思っても、そのポストに就いたからこそ力がつくことがある。私は他人と競うのは得意でないのですが、自分の成長という物差しであれば、それを励みに頑張れると思いました。そうして手応えをつかみ、ようやく自信がついてきたのは40代になってからでした」
――尊敬するリーダーはいますか。
「障害者自立支援法をつくったときに厚労相だった尾辻秀久さん(現参院議長)の姿勢に学びました。私が課長時代のことです。障害者福祉を前に進めた法律ですが、医療と介護の利用者負担ですごくもめました。当事者にも反対する人がいて、一度は廃案になったのです」
一歩引き後の評価待つ
「法案が通った後、尾辻さんは『いろんな意見がある。この判断は後の人がする』とおっしゃいました。自分たちが正しいと思って法律をつくったのですが、裏返せば反対する人が間違っているということにもなります。尾辻さんは誰が正しいというのではなく、一歩引いて評価を待とうと考えたのでしょう。怒りや人に対する負の感情に流されない。リーダーはこうあらねばならないと思いました」
――旧労働省は他に比べて女性官僚の多い役所でした。
「女性の先輩にも励まされてきました。2年上の先輩に『あなたはどっちタイプでいく?』と聞かれたことがあります。初の女性労働次官となった松原亘子さん、証券取引等監視委員会委員長も務めた佐藤ギン子さんのどちらを意識するかという意味です。松原さんはバリキャリですごく強いリーダー。佐藤さんはフェミニンにみえるけれど、実は強いタイプ。私はどっちも無理だなと思い、何も言えずにうつむきました」
「すると、彼女は『あなたが第3のタイプをつくりなさい』と言ったのです。この言葉が私を長い間、救ってくれました。まだリーダーになる覚悟すらなかった30歳代のことです。彼女は私がリーダーとなる可能性があるのを示唆し、自分に合ったやり方を見つけなさいと言ってくれたのです。そんな先輩に覚悟を決めさせられながら歩いてきたと思います」
(ダイバーシティエディター 天野由輝子)
むらき・あつこ 1955年高知県生まれ。78年高知大卒業、労働省(現厚生労働省)入省。雇用均等・児童家庭局長だった2009年、郵便不正事件にからみ逮捕、起訴されたが、10年9月の裁判で無罪が確定した。13年7月に厚労次官に就任、15年退官。17年から津田塾大客員教授。伊藤忠商事の社外取締役や困難を抱える若い女性を支援する団体での仕事もこなす。小さいころから本の虫で164日間に及ぶ勾留生活で149冊を読んだ。「読書が精神安定剤になった」と振り返る。
お薦めの本
「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリング他著)
今起きているさまざまな現象を多面的に捉えるための見方を教えてくれる。客観的にものを見ることの大切さに目を見開かされました。
[日本経済新聞夕刊 2022年10月27日付]
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