第21話 田荷島の青い空
世間は天神グループ当主の天神一成乃助が刺殺されたというニュースで持ち切りとなっているが、田荷島の日常は変わることなく穏やかに流れている。
あれから一年が経った。
皆、それぞれの道を歩み続けている。
天津姉妹は配信業を畳み、今は父親が経営するアウトドアグッズメーカーに勤めている。里奈の方は海外進出のプロジェクトを任されたとのことで、非常に忙しそうにしており、しばらく顔を合わせていない。定期的に交わす近況報告を見るに、自身の新たな仕事には誇りを持って臨んでいるようで、活き活きとしているのが分かった。
怜奈はまだ余裕があるようで、しばしばルッツを伴って喫茶ぱにゃへ遊びに来ている。かりんとはすっかり親友の仲で、婚約を打ち明けた際には我がことのように泣いて喜んでくれたものだ。
ソロアイドルとしての道を行く美佳は、全国区のCMに出演する程に大成していた。すっかり雲の上の存在と化していたが、縁が切れた訳ではなく、定期的に民話や妖怪話、都市伝説などが田中達の下へ送られて来ており、かりんと共に苦笑いしつつも楽しんでいる。
美沙は変わらず警官として働いており、喫茶ぱにゃの常連であることにも変わりはなかった。少し前にヒップサイズが1.5cm小さくなったと言って喜んでいた。
順佑の父は、もう誰の心にも謝無が生まれないことを願い、謝無の存在を広める為に絵本を作成した。文と構成を彼が、絵を田中が担当したその絵本を出版社に持ち込んだところ、すぐに書籍化が決まった。担当曰く「謝無になってしまった子供が、両親の涙を受けて我に返り、素直にごめんなさいと言って人間に戻るところが特に良かった」とのことだった。
順佑の父は精力的に読み聞かせなどに参加していたが、二ヶ月前に亡くなった。
亡くなる数日前、彼は田中に言っていた。
「謝無の生まれない世界を……どうか……。最期まで頼って、甘えてしまって申し訳ないが、君に……託したいんじゃ……」と。
今日は月命日であり、田中とかりんが墓参りに訪れていた。
墓を掃除し、花を供えて線香を焚き、手を合わせた。
帰り道、かりんが立ち止まってぽつりと呟いた。
「謝無って、寂しいよね。ありがとうも、ごめんなさいも存在しない、そんな心は、寂しいよ」
「……だな」
「ねえ、何も知らない子供がどうやって、ありがとうって気持ちを学ぶと思う?」
「難しい質問だね。うーむ。自分が小さかった頃を思い出しても分からないな。気付いた時には、ありがとうって言葉を使っていた気がする」
「ふふ、そうだよね。私も同じ。でさ、どうしたら教えてあげられるのかなって考えたんだけど、感謝されるって体験をさせてあげたら良いんじゃないかと思うの」
「ああ、確かにそれなら分かりやすいのかもね」
「うん。だからね、私はこの子に伝えてあげるの。私達のところへ来てくれて、ありがとう、って」
そう言って膨らみつつある腹を撫でるかりんの姿に、田中は鼻の奥がジンとして目頭が熱くなるのを感じた。
「オラが一番だで~」
背筋が凍り付いた。ギョッとして顔を向けると、子供がこちらに駆けて来ていた。声こそ順佑にそっくりであったが、容姿は全く似ていなかった。余所見をしていたその子供が田中にぶつかり体勢を崩す。田中は慌てて腰を屈めて子供の体を支えてやった。
「お墓で転ぶと縁起が悪いからね。大丈夫?」
そう声を掛けたが、子供は何も言わずに後方に居る両親の下へ駆けていった。
両親が口々に謝罪を述べる。子供は父親の後ろに隠れている。
田中は会釈して立ち去ろうとしたが、すぐに裾を引っ張られて振り返った。件の子供だ。
「あのね、お兄さん、オラが転ばないようにしてくれて、ありがとう。それから、ぶつかっちゃって、ごめんなさい」
「良いんだよ。それより君、ちゃんとお礼が出来て偉いね」
「うん、だってオラ、謝無になりたくないもん!」
田中は一瞬ハッとした顔を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
親子と別れてしばし歩いてから、田中は立ち止まり、かりんの薬指にあるのと同じ輝きを宿した左手を額につけて庇を作り、突き抜けるように青い空を見上げた。
――タツさん。俺ね、タツさんが思ってる程、強くないよ。
あの時だって、かりんが守ってくれなかったら、俺は俺でなくなってた。
田荷島に住む人や田荷島を愛する人達に笑顔で居て欲しいって理想も、タツさんに託された謝無の生まれない世界を築くって願いも、守っていけるのか時々不安になるよ。
だけど、きっと、大切な人と共に笑い、励み、信じ合えば、邪悪を退ける奇跡は起こせるんじゃないかって思う。
相変わらず甘くて青臭いかも知れないけど、俺はそう信じて、自分に出来ることをやっていくよ。だから、いつか俺がそっちに行くまで見守っていてください。
田中が立ち止まっているのに気付いたかりんが声を上げる。
「どしたの、お兄ちゃ――」
そろそろその呼び方は変な誤解を生むからやめろ、そう言われた事を思い出してかりんは田中の名を呼ぶ。
「敬介」
田中がかりんに微笑み、歩き出す。
真っ白なTシャツを着た田中の背に、田荷島の空に浮かぶ太陽が微笑むように陽射しを注ぐ。いつか汚れてしまうかも知れないその白さは、しかし、今はまだ汚れてはいない。
了
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