第19話 順佑の狂気

 順佑が拉致されてから十日が過ぎた。

 何の音沙汰もなく、時は平穏に進み続けている。

 順佑を連れ去った者から浜谷家への連絡はない。ブリジョボプレイのブリとして悪名を馳せる順佑が何か目立つ行動を起こせば必ずネットにその情報が上がるはずであるが、それもない。

「あの人、どこ行ったんだろうね」

「さあ……。どこでも良いよ。酷い目に遭ってたとしても自業自得だし」

 荷造りを行いながら、かりんと怜奈は言葉を交わし続ける。

「それよりもさ、マスターとはどう? 進展あった?」

「うん……まあ……」

「そかそか、まあネックレスをプレゼントにもらっておいて、何も気付かない程鈍感じゃないよね、マスターって。良かったじゃん、かりん」

「えへへ……。ありがとね、怜奈」

「それで~……どこまでいったの?」

「……そ、それは」

「良いじゃんか~、私にくらい教えてくれたって」

「……キス、された」

「おお! マスターやるじゃん! それでそれで?」

「もっ、もう良いでしょ! 恥ずいんだから!」

 頬を赤らめるかりんをニヤニヤと眺めていたが、不意に表情を変えて怜奈はため息を漏らす。

「はーあ……あと三日かあ、ずっとここに居られたら良いのに」

「……私も居て欲しいけど、そういう訳にもいかないでしょ」

「まあねえ。特にお姉ちゃんはお父さんから会社の仕事を手伝うように言われてるみたいだし」

「そっか。……うん。じゃあ残りの三日間は目一杯楽しまないとね」

「本当にそう思ってる~?」

 かりんの頬を突きながら、怜奈は少しばかり意地悪な顔をしている。

「な、なによ」

「早くマスターと二人きりになりたいんじゃないの~?」

「もっ、もう! 怜奈!」

 かりんが頬を膨らませ、怜奈がケタケタと笑う。

 夜は穏やかに、賑やかに、更けていった。

 深夜。

 激しく吠え立てるルッツの声に目を覚ました田中は、どうしたのだろうかと外へ出た。普段は天津姉妹の部屋で寝ているはずのルッツが遠くへ向けて激しく吼え続けている。

「おいおい、どうした? イノシシでも出たのか?」

 それらしき影は見当たらない。落ち着かせようと体を撫でてみるが、効果はない。

 ルッツは鬼気迫る様子で吼え続ける。

 その内に、天津姉妹と美佳も外へと出て来た。

 パジャマ姿の美女にドキッとしつつも、田中は苦笑する。

「かりんの奴、これだけルッツが吼えてても起きないのか」

 天津姉妹が穏やかな声色で話しかけつつ、体を撫でてみるが落ち着く様子はない。

 付近の住宅までは距離があるとは言え、大型犬が全力で吼えているのだから迷惑となるだろう。まずは家に戻そうという話になったが、ルッツは動こうとしない。

「一体どうしたんだよ……」

 そう呟きつつ、かりんが起きて来ないことを不思議に思った田中は、彼女の部屋へ向かった。ノックに返答はない。やはり寝ているのだろうか。それとも……。

 嫌な予感がして、ドアを開いた。

 かりんの姿はなかった。窓が大きく開かれている。網戸もカーテンも開かれている。

 何故?

 田中が焦りを覚えると同時、スマホが鳴った。

「タツさん、こんな時間にどうしたんですか?」

「お、おお、起きとったか、田中くん。家に変な電話が来たんじゃ。倉庫にて待つ、それだけ言って切れたんだが……そっちは何もないか?」

「……倉庫ってのは、タツさんちの近くにある廃倉庫のことでしょうか」

「ワシも真っ先に思いついたのはそこじゃった。なあ、ルッツが吼えてるようだが……」

「何かが起きています。すぐに家へ行くので、合流してから倉庫へ行ってみましょう」

 果たして倉庫には、業人とかりんが居た。

 霧島とその部下によって眠っているところを誘拐されたかりんが椅子の上に拘束されている。

 その様子をニタニタと下卑た笑みを浮かべて眺めていた順佑が、かりんの体に手を伸ばす。

 ぴくっ、と体を震わせるが、かりんは何も言わない。

「緊張してるだで? 大丈夫だで、オラは優しいけん。オラに教えて? 本当はオラのガチ恋なんやろ? オラのこと、お兄ちゃんって呼びたいんやろ?」

 真っ白な太ももに手を這わせながら、順佑は言葉を続ける。

「なあ、オラは神作家やで? ブリジョボプレイのブリだで? 田中なんかよりずっと凄い男だで。アッアッアッ! オラは何も悪くないのに、アンチのせいで酷い目にあって来たんだで? 可哀想やろ? オラのこと好きになるやろ? ほんでえ、濡れるやろ? 今、今、濡れてるんかな……」

 順佑の手がそこへと滑り込み、布越しに触れた。かりんは小さく身を震わせたが、すぐにキッと業人を睨み付けた。

「分からんわ……脱がせんと……。なあ、オラのこと好きやろ? オラ、可哀想やろ? オラの小説、読んだんやろ? オラは……オラは優しいから、二番目の彼女にしてやっても良いだで? ……なんで何も言わないんだで?」

 かりんには、自身が何故こんな目に遭っているのか分からない。

 分かることは、田中が必ず助けに来るということ、この業人に掛けるべき言葉など一つもない、ということの二つだけだ。

「オラに言わせたい? オラに言って欲しい? だから黙ってる? にしし、オラはイケボだからなあ、オラに囁いて欲しいんやな? まったくまったく。特別だで? オラは優しいだで」

 かりんの耳元に顔を寄せ、嘴のような口で囁く。

「オラが気持ち良くしてあげるだで」

 瞬間、勢い良く倉庫の扉が開かれた。宙を舞う埃が月光に煌いた。

 事態を察した田中が飛び込み、順佑の肩を掴んだ。

「どけろ!」

 全力を持ってかりんから引き剥がす。順佑の矮躯が吹っ飛んだ。そこへ父親が殴り掛かる。

「こんのぉ馬鹿たれがぁ! お前は! お前は!」

 床に転がった小さな体へ馬乗りになって何度も顔面に拳を叩き込む。眼鏡が砕け散り、順佑の顔は赤く染まっていく。父の拳も同様に。

 かりんの拘束を解いている田中の背後で、順佑の父が叫ぶ。

「お前は! 息子どころか人間ですらない! 人間の心を失くした! 化物だ! 謝無そのものだ!」

「オラ……オラは人間じゃない! だけど化物でもない! オラっ、オラは神だで! おい霧島ぁ!!」

 順佑が真っ赤な顔で叫ぶと、複数の男達が廃倉庫へとなだれ込んで来た。

 男の一人が順佑の父を殴り飛ばし、羽交い絞めにした。

 状況は飲み込めないが、多勢に無勢なのは明らかだ。田中はそう判断すると、かりんを抱き寄せ、それから両手を挙げて抵抗の意思がないことを示した。

 霧島は無表情に田中を見つめながら言う。

「良い判断だ。付いて来い」

 柄の悪い男達に囲まれつつ、三人は浜谷家へと向かった。

 浜谷家は荒らされていた。物や戸を乱暴に退かしたり壊したりして作られた空間には、天津姉妹、美佳、美沙の姿もあった。やはり柄の悪い男達が囲っている。

 捕らわれの身となった田中達へ、順佑はあちこちが腫れ上がった赤い顔で言う。

「オラを悪者扱いしたアンチどもを粛清するだで! オラは何も悪くないの! オラを仲間はずれにして、オラを馬鹿にしたおばえらが悪いんだで!」

 誰も何も言わない。

「オーディションを開始するだで! オラに媚びろ! オラが気に入った三人はハーレム入りを許してやるだで! 他は粛清だで! おらっ! 争い合え! オラを求めろ! オラを巡って苦しみやがれ!」

 誰も何も言わず、動こうとしない。

「順佑、お前……! ええ加減にせえよ……!」

「だばれ! おい! 誰か黙らせやがれ!」

 それは柄の悪い男達へ向けての言葉だったが、やはり誰も動こうとしない。

「おい霧島! おばえの用意した兵隊ども、気が利かねえじゃねぇか! 早く命令しやがれ! あいつを痛めつけて黙らせろ!」

 散々世話になった実父をあいつと呼び、理不尽な暴力を加えろと叫ぶ。その小男を冷ややかに見下ろす霧島だったが、表情を変えずに顎をしゃくった。

 一人の男が順佑の父親を殴った。

 体勢を崩して床に転がった父親の姿に、順佑は狂喜した。

「おほぉぉぉぉっ!! もっとだ! もっとやるだで! 蹴れ! 蹴れ! 蹴れ! 蹴れええええ!!」

 裏返った声で叫ぶ。

 父を殴った男は霧島に目で問い、彼が頷いたのを確かめると蹴りを入れた。蹲った父親の背中を何度も踏みつけた。

「あひっ、あはひゃああ! 何も悪いことしとらんオラを大切にしなかった罰だで!! 後悔しやがれ!! おほおおお!」

 実父が痛めつけられる姿に興奮して股間を膨らませる姿は、まさに化物と呼ぶに相応しかった。

「オラは悪くない、オラは悪くないだで? アンチが悪い、お父さんが悪いんだで? 女共! 見ただろ! 親父と同じ目に遭いたくなかったら早くオラに媚びて詫びやがれ! 服を脱ぎやがれ! オラに尽くしやがれ! オラを楽しませやがれ!」

 応じるものはない。

「なあ、霧島さんよぉ」

 田中達を囲む男の一人が前へ出る。

「こんなチビスケに任せていても埒が明かねえ。早く強情女共に男って奴を教えてやろうぜ? ヒイヒイ鳴かせてやるぜ?」

 霧島は、中指を小刻みに動かしているその男を一瞥し、次いで猪野宮に視線をやった。

 酷薄な笑みを浮かべる猪野宮は金髪をかき上げて言う。

「あーい。兄貴の仰せのままに」

 猪野宮はにやにやと笑いながら、男の前に立った。顎に掌底を打ち込み、勢いそのままに鳩尾へ拳をめり込ませる。崩れた落ちた男の背を足で押さえつけ、腕をあらぬ方向へ曲げ、指は箸も持てぬようにした。

「邪魔だから外へ出しておいてね。ああ、絶対に逃がすなよ」

 別の男に命じた。

 霧島が低く静かに言う。

「我々の素性はともかく、どういう人種かは分かっただろう」

「おい霧島! 何出しゃばってやがる! オラは」

「黙れ」

「悪いけど静かにしててね~。兄貴の邪魔するなら壊しちゃうよん」

 猪野宮がにやにやと笑いながら傍らに立ち、順佑は口を噤んだ。

「お前達のことは調べ上げている。そのことを踏まえて、田中に答えて欲しい。この状況の責任、どうやって取る?」

「せき……にん……?」

「俺はお前みたいな甘ちゃんが嫌いだ。浜谷順佑を切り捨てなかったお前の甘さがこの事態を招いた。我々が手を出さなかったとしても、この男は必ず自分と同じ邪悪を引き寄せていただろう。なあ田中、どうする?」

 猪野宮が懐からタブレット端末を取り出して、霧島へ手渡す。

 霧島が田中達に画面を向ける。

 そこには、喫茶ぱにゃの周囲に立つ男達の姿があった。ルッツは狼狽し、所在なさげにうろうろとしている。

「お前達が築き上げて来たものを壊し尽くし、飼い犬を処分するのは簡単だ。ここに居るお嬢さん方を痛め付けて汚すのも同様だ。なあ、答えてみてくれ、田中よ。お前はこの責任をどう取る? なあ、甘ちゃんよお?」

「それ……は……」

「ふん。答えられないだろうな。考え無しの優しさは、暴力も同然だ。それが分からないからお前は甘ちゃんなんだ。けどな、一つだけお前が生まれ変われる方法がある。お前が言え。末路をしっかり想像してから、お前の口から言うんだ。浜谷順佑を我々に引き渡す、と」

 田中の心臓がドクドクと大きな音を立てながら激しく脈動する。脂汗が額に滲み、頬を伝って顎から滴り落ちる。

 順佑を渡せばどうなるのか。彼はもう二度とこの家には戻って来ないだろう。だが、それでみんなを守ることが出来るのであれば? 天秤に掛けてしまえば答えはすぐに出る。それを口にすれば、店を守ることが出来る。順佑なんかよりもずっと賢く人間味のあるルッツも傷つけられずに済む。

 眩暈がするような思いの中、田中はカラカラに乾いた口で何とか言葉を紡ぐ。

「俺……は……俺は……浜谷くんを」

「言え。断言しろ。自分の大切なものを守れ。こいつを切り捨てろ。お前の甘さに蹴りを付けろ。終わりにしろ」

「はっ、は、俺、俺は……」

 順佑の細い目がこちらを向いている。田中は想像してしまう。ピクリとも動かなくなった順佑の姿を。怖い。自分の言葉が、その未来を確定させる。それは紛れもない恐怖だ。だが、守るべきものは他にある。理想なんて捨てるべきなのだ。

「俺は……!!」

「いい加減にしなさいよ!」

 かりんが叫んでいた。

「日の当たらない世界でしか生きられないゴキブリみたいなアンタ達が、日の当たる世界で真っ当に頑張るお兄ちゃんを甘ちゃんなんて呼んで馬鹿にして良い訳ないでしょ!」

「か、かりん、駄目だ!」

「止めないでお兄ちゃん! この勘違い野郎には言ってやらないと! 自分が汚れているのが気に食わないからって他人も汚そうとするなんて馬鹿のすることよ! そんなことしたって自分達が綺麗になる訳じゃないんだから! だいたいアンタ! お母さんに教わらなかったの? 遊んじゃ駄目な場所もあるって! その薄汚いお人形で遊びたいなら好きにすれば良いわ! だけどね、人の家に勝手に上がりこんで遊ぶなんて駄目に決まってるじゃない!」

 柄の悪い男達はざわついているが、霧島は微動だにしない。猪野宮は相変わらずニヤニヤと笑ったままで言う。

「怒られちゃいましたね~、兄貴ぃ。どうします?」

 かりんを庇うように、順佑の父、美沙、美佳、怜奈、里奈、そして田中が前へ出た。その様子をじっと見ていた霧島が顔色を変えずに言う。

「撤収だ。店の方に回した連中にも伝えろ。絶対に犬を傷つけるなとも」

「あいあい。承知致しましたよ、っと」

 猪野宮が楽しそうに指示を出し始める中、それまで黙っていた順佑が声を上げる。

「おい! オラのオーディションは!? 復讐劇は!!」

「黙れ。お前の言葉は聞くに堪えない。あのお嬢さんのそれとは大違いだ。もうお前に言葉必要ない。ただ黙してその身をお嬢様に捧げよ」

 霧島は取り出したハンカチを順佑の口に詰め込み、腕を捻り上げた。順佑はふがふがとくぐもったうめき声を漏らす。

「我々がこいつを連れて行くことに異を唱える者があれば手を挙げろ」

 無論、誰も手を挙げなかった。

 霧島が順佑の鳩尾を打った。ぐったりとして動かなくなった小男を抱え上げながら言う。

「二度と姿を見せないと誓おう。他の者にも手出しはさせない。それから親父さん、アンタには改めて聞いておく。ここで止めなければ、息子が帰って来ることはもうない」

「……構わん。この子らの為なら、ワシの命だってくれてやる」

 疲れ果てた様子で言った。

「必要ない。我々の目的は浜谷順佑だけだ」

 一同は、ぞろぞろと引き上げていく男達の背を呆然として見送ることしか出来なかった。

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