両親の入院と介護と看取りと相続についてまとめておく

2023年は、私にとって、プライベートで激動の一年でした。実家で暮らしている両親(10年ほど前に母が腰を悪くして、寝たきりではないものの、父が介護をしていた)のまわりで、いろんなことが続けておこりました。大まかなタイムラインはこんな感じです。

  • 2023/1月:父が救急搬送・入院(胃がんが判明し胃摘出・腹膜播種で治療は無理、余命1年程度)、母はショートステイへ

  • 2023/3月:父が退院、金沢の施設に入ることにして、それを探す間、リハビリ入院

  • 2023/4月:父母そろって金沢の施設へ入居

  • 2023/10月:父のがんが進行し、徐々に体調が悪くなる

  • 2024/1月:父が亡くなる

  • 2024/3月:母が亡くなる(予兆なしの突然)

それぞれで、いままでしならなかったこと(社会制度など)がたくさんあり、それぞれにいろんな手続きがあり、本当にいろんな経験をしました。誰でも1回しかない経験かもしれませんが、その分、あまり情報がなく、本当に試行錯誤の過程でした。その過程と経験を、記録としてまとめておきます。(いろいろなやりとり・記録は、些細なことも含めてすべてGoogleDocsに記録していっていましたが、最終的に36ページになりました)

母の入院から父の入院までの日々

10年ほど前に、突然母が転んだ際に腰椎圧迫骨折で入院し、寝たきりではないものの、歩いたり立ったり座ったりが少し不自由になりました。その頃は父は元気で、卓球をやったり絵を描いたり老人会の活動に参加したりしていたので、父が母の介護をするようになりました。約10年間、母のことは父に任せっきりにしていたのが、大きな反省点です。後日家の整理をしていると、介護保険制度やケアマネージャとのやり取りの記録がたくさん見つかりました。父が元気で介護ができ、かつ父もそれでいいと言っていたのに、甘えていました。
それでも徐々に父の体力も落ちいき、ずっとこのまま父が介護するわけにもいかないだろう、と、父と母と話し合いをしたのが2022年12月末でした。母は、いわゆる施設について「折り紙や手遊びをするところ」というイメージを持っていて、そういうところには行きたくない、と言い張っていました。とはいえ死ぬまでずっと父が介護をするわけにもいかない、ということも理解はしてもらい、まずは「どういう制度があるか調べる」ところからはじめることにしました。
もっと早くから調べておけばよかった、というのは大きな反省点です。あるいはケアマネージャさんとよく相談をしておけばよかった、というのも反省点です。(とはいえケアマネージャは一般に担当数が多くて手が回りきっていないケースが多いようで、これは構造的な問題でもあります)一般に「悪くなってから戻す」のはとても大変なので、「なるべく悪くならないように維持」が大切です。そのためのリハビリも通所・在宅があります。また、いわゆる施設についても、母がイメージしていたのは認知症の方が入る「グループホーム」で、それ以外でも、部屋で自由に過ごせる(手遊びとかをやるわけではない)タイプの施設も多くあり、普通のアパートのように入居する(必要に応じて介護を頼める)ものもあります。これらの「選択肢」を知らなかったのが最大の反省点でした。これらの選択肢を知っていれば、もっと早い時期から、例えば週の半分くらいはショートステイをして父が休んだり、父母が揃って施設に入居して家事の負担を減らしたりする、ということも可能でした。(とはいえその頃は父は元気なので要介護・要支援がないため揃って入れる施設は相当限られますが)

教訓:現実から目をそらさず、将来を見越して、まずは制度や選択肢を調べよう

父の入院と手続き

そんな話を年末にしていた直後、2023年1月早々に母から電話があり、父の様子がおかしいので来てほしい、と。すぐに向かうと、立つのも精一杯という様子。翌日、さすがにこれはまずいと救急車を呼びました。前日父が母の簡易トイレに排泄をしていて、その便が黒いことが気になっていたので、それを救急隊員の方に伝えたところ、消化器の出血を疑い、病院ではそれを根拠に検査をして、胃からの出血のため緊急手術、ということになりました。なおその前に、母の世話を、近所に住む母の妹と名古屋で大学に通っている娘にお願いをしておきましたが、これが頼めたのは幸いでした。

手術は無事終わり(まずは胃の穴をふさいで出血を止める)ましたが、関連の手続きがたくさんあります。まず手術と入院とに関して、山のような書類を記入。しかもだいたい書くことは「住所」「患者の名前」「私の名前」で同じで、ほとんどが「同意書」です。50回くらい書いたんじゃないかな・・・個人情報保護的、コンプラ的にやむを得ないとは思うのですが、「まとめて同意する」にまとめられんのか、とは思いました。

その日は深夜に手術が終わったあとに帰宅しましたが、病状はどうなのか、いつ退院するのか、そもそも退院できるのか、母の世話はどうするのか、と、次から次へと今後のことの不安が出てきます。いま思えば、後述のような「おおまかな道筋」が見えていれば、だいぶ気も楽だっただったろうと思いますが、この時点ではすべてが暗中模索、試行錯誤でした。

なおその後、病院とは、術後の様子、病気のこと、退院に向けた準備など、病院とのやりとりが散発的に続きますが、すべて「電話」です。電話は非同期なコミュニケーションでこっちの都合などお構いなしにかかってきますし、出られなくて折り返しても、着信番号が病院の大代表なので、そこから病棟や先生につないでもらうのを毎回やることになります。この電話でのやりとりが、今後全体を通して続くのですが、これが本当に苦痛でした。とはいえメールで伝わりにくい細かいことも多いし、LINEやSNSでのやりとりには、まずはその人と「つながり」をもつ必要があるので、初めて連絡を取る人とすぐに連絡を取る、には、電話が一番なのかもしれません。が、せめてこの非同期性はなんとかならんものか、と、ずっと思っていました。もう1つわりとやり取りが多かったのが、保険会社です(当然電話)。父は医療保険(がん保険)に入っていたので、今回の入院に適用できるのですが、まずはその保険証書を家の中で探し、そこに電話をして、被保険者(父)・受取人(母)ではない自分が連絡を取っていることの事情の説明とその証明(親子関係の証明を求められた)をしつつ、実際の手続きは退院後になるので、これらの手続きは並行して少しずつ進めることにしました。ちなみに概ね必要な書類は、病院からもらう入院証明・診断書と、保険の申請書、です。私位の場合は、遠方のため病院に書類を取りに行けないため、さらに郵送してもらうための手続きが追加されます。

なお治療方針は先生とも相談し、胃の摘出を行って胃の出血を止め、うまくいけば食事もとれるようになる、腹膜内にひろがったがんの進行は積極的に抑えることは無理で年齢的にも治療の選択肢はほとんどなく、あとは自然にまかせる、とし、経験的に余命は1年程度だろう、とのことでした。それを父(入院中だったのでどれぐらい理解できたかは不明ですが)と母に伝えました。母はある程度予想はしていたようで、それほど動揺しなかったのは幸いでした。なお父はその後、めきめきと回復し、退院できそうな勢いだったのですが、後述の両親揃っての施設入居までのつなぎとして、別の病院で「リハビリ入院」をすることになりました。これは、今回のような「時間稼ぎ」や「社会復帰に向けた機能回復」の意味がありますが、最大30日と決まっていますので、その間に、後述の今後のことを決める必要がありますが、逆にそこで明確な締切が決まったので、もう進めるしかない、と腹をくくれた気もします。これらの手続きについては、病院の「退院支援チーム」という方が親身になって相談に乗ってくれたのは、大変ありがたがった&心強かったです。なお父はそこでは食事もふつうにとれるようになり、コロナ的な理由で直接の面会はできなかったものの、1回オンラインで面会したときは、「今日退院するわ」とか言い出す始末で、その元気も表情もすっかり元気な頃に戻っていたのは、驚きでしたが、一時的とはいえ、ここまでできたのは、本当に先生をはじめとする病院の方々の治療と父の体力に感謝しかありません。

なお去年くらいから、父が「遺言書を書かないとなあ」と言っていたので、満たすべき要件(本人の直筆、日付ありなど)を調べて、文面案をつくり、リハビリ病院への転院の日に書いてもらいました。幸い、私の場合は兄弟もおらず、母も相続の意思はなかったので、あまり揉める要因がなく、遺言書もかなりシンプルでした。ちなみに遺言書自体は、要件さえ満たしていれば、自分で書くことができます(有効になるように要件はよく調べるのがよい。なお後述のように、その有効性の話は別)。

母のショートステイと手続き

父が急に入院することになったので、次に母の世話をどうするか、という問題が出てきます。少なくとも当面は父は不在です。この時点では、まだ胃の出血を止める緊急手術のあとで(まだ胃がんであることはわかっていない)それの退院は3週間程度だろう、と言われていまいした。ケアマネージャさんにすぐに連絡をとり、相談をしました。この期間、ずっと私が母の世話をすることは物理的に不可能ですし、父がどこまで回復するか(あるいはしないか)はこの時点では全く見通せないので、回復して退院するケースを想定して、それまでの「つなぎ」です。ケアマネージャから示された選択肢は「ショートステイ」でした。これは、介護施設に「入居」するのではなく、決まった期間受け入れてもらう、というものです。その期間の長さは特に定めはないようですが、まずは(この時点で)父が退院する見込みだった3週間を滞在期間として、受け入れてもらえる介護施設を探してもらいました。幸い1週間後に入居できる施設が見つかり、もろもろ手続き(施設の方が本人を面接して受け入れられるかを判断するというのもある)を進めます。この手続きでも、大量の書類記入がありますが、これはしょうがない。その他にも、ショートステイ先から指定された身の回りのものを準備したりとあわただしいです。母には「少し旅行に行くようなものだね」と話しながら、元気な頃に旅行に行くのに使っていたキャリーカートに身の回りの物をつめていきました。

この1週間は、私が休暇をとり(2020年からのコロナ禍で大学の授業をオンラインでやりやすくなったのがとても助かりました)、あわせて娘と母の妹さんが交代で母の世話をすることで乗り切りました。夜中でもトイレで数回起こされるため十分に睡眠をとれず、一人ではしんどかったので、交代で休みを取れたのはとても助かりました。というか一人だったら体力的に持たなかったと思います。持久戦と割り切って、ちゃんと体力が続く体制をとるのも大切なことです。

ショートステイは母も初めてなので、いろいろと慣れないことも多いと思うのですが、電話やLINE(何年か前から古いスマホを渡してあって、ときどきLINEでやりとりをしていました)で様子を聞くと、少しずつ慣れてきたようで、そちらは安心しました。ちなみに最初のショートステイ先は、時間制限はあるものの、何回か面会もできました。

その後、父の胃がんがみつかり、再度手術をすることになって入院期間が延びたので、ショートステイも何度か延長をしてもらっていました。ただ一度だけ、延長を伝えるのを忘れてしまい、ショートステイ先のほうは予定通り退去するという予定で次の入居者が決まってしまっていて、2月中旬に母がいったん家に戻らないといけなくなってしまいました。急いで次のショートステイ先を探してもらいましたが、最短でも1週間後しかなく、それまでは再度、私の休暇と娘・妹さんで母の世話を乗り切りました。ちなみにこの期間に指導している学生の卒論・修論の発表があり、その日だけはどうしても金沢にもどらないといけなかったので2往復しました。

次のショートステイ先は面会は一切禁止でしたが、母からは、あれがほしい、という連絡がよくくる(お菓子のことが多かった)ので、随時差し入れを持っていっていました(何回かは近くに住む母の妹さんにお願いしました)。金沢とを何回往復したか数えていませんが、名古屋にいる期間が長かったと思います。この時期は大学が春休みで、休暇を取りやすかったのは幸いでした。ちなみにこの期間に一度、夜中に胸が苦しい、と電話があり、救急車を呼んだこともありました(病院までは施設の方が付き添い、私は病院で合流)。幸い大事には至らなかった(どうも将来に対する不安から一時的な不整脈だった模様)のですが、気をもむ毎日ですし、毎日知らないこと・初めての経験ばかりの毎日です。それでも、後述のように、父の退院にあわせて、両親が揃って同じ施設に入居できるめどがたったことで、少し光が見えてきました。

両親の施設入居と手続き

父が退院したあと、母の介護を続けられるかは不明で、そもそも父が一人で生活できるほどまで回復できるかも、現時点では不明です。そこで、いわゆる「施設」を探すことにしました。もちろん金沢の私の家で受け入れるのもありえるのですが、平日家族が不在で面倒を見られないなど現実出来ではありません。場所は、父母が住む名古屋、私が住む金沢、の二択ですが、幸い、父母が名古屋にそれほどこだわりがないこと、から、金沢で施設を探すことにしました。もしかしたらそこが終の棲家になるかもしれません。

で、調べてみると、「老人ホーム」といっても、これがまたいろいろな種類があります。役所などでもらった資料によれば、大まかな分類と特徴はこんな感じ。上ほど公共性が高く、下ほど民間サービス性の傾向があります。ちなみに本人が基本的に一人で生活できる=自立、ある程度の生活の手助けが必要=要支援、生活の手助けがけっこう必要=要介護、という区分があって、要支援と要介護は必要な手助けの度合いに応じて数字があり、数字が大きいほうが手助けが必要。ちなみにその区分は、役所に介護申請を出したあと、本人の様子を調査→審査して、認定されて介護保険証が交付される、という順番(だいたい申請から1ヶ月位かかる)

  • 介護保険施設

    • 特別養護老人ホーム(運営=社会福祉法人):対象=要介護、医療処置はそれほど必要とせず介護サービスを受けて生活

    • 介護老人保健施設(運営=医療法人):対象=要介護、医療中心、在宅復帰に向けたリハビリが中心で、そのための生活に介護サービスを受けて生活。

    • 介護療養型医療施設(運営=医療法人):対象=要介護、重めの医療処置を受けつつ、介護サービスを受けて生活

  • ケアハウス(運営=社会福祉法人、医療法人):福祉施設的側面が強く、所得上限あり。

  • グループホーム(運営=営利法人):認知症の人が対象。

  • 有料老人ホーム

    • 介護付き(運営=営利法人):対象=自立〜要介護。介護サービスあり。

    • 住宅型(運営=営利法人):対象=自立(〜要介護)。訪問介護サービスを同じ建物で提供している場合も多い(ので要支援〜要介護でも入居できる)。

ちなみに金額は、ほんとうにピンキリです。何年住むかはわかりませんので、両親が受け取っている年金や貯蓄の金額をみながら、現実的な料金かどうかを判断することになります。それぞれに独自の工夫があって、境界があいまいになっていて、正直、非常にわかりにくいです。特にわかりにくいのが、「有料老人ホーム」の2種類です。この「住宅型」は、同じ建物内に介護スタッフがいて、介護サービス(たとえば入浴、トイレなど)を受けられる、しかしあくまでも「住宅型」なので、「家に住んでいて、計画された時間に介護スタッフが家に来て、いろいろ手伝ってくれる」というイメージ。もちろん部屋にナースコールはあるので、急な事象があっても、可能な範囲で手助けはしてくれる。一方の「介護付き」は、介護サービスが生活の一部としてあらかじめ組み込まれています。とはいえ「呼べば手伝ってくれる」のは、両者で共通しているので、境界はかなりあいまいに思えます。実際、何箇所か見学をされてもらいましたが、バリアフリーの館内・部屋、ラウンジ的な場所があって食事や歓談でき、テレビや新聞があって、部屋で過ごす人もいればそういうところに出てくる人もいる、というのは、だいたい共通していて、基本的な機能や快適さは、正直、あまり差がわかりませんでした。だからこそ、決め手がない、ともいえます。

今回の両親の様子から、選択肢は「特別養護老人ホーム」か「介護付き有料老人ホーム」あたりで、これに「住宅型有料老人ホーム」でも可、といったところになります。いわゆる串刺し検索サイトもいくつかあって、そういうところで検索して候補をあげていきます。ただそのサイト経由で問い合わせをすると仲介料がかかるので施設側が嫌がることが多いと聞いていた(そりゃそうだわな)ので、それを参考に、名称・連絡先・料金・サービス内容、などをExcelでまとめていきました。ただ「特別養護老人ホーム」は人気が高いのか、ほとんど選択肢に出てこなかったので、今回は除外しました。結果として15箇所くらいのリストをつくりました。そのあとは、片っ端から電話していきます。これがまた面倒で、毎回、両親の状況とこれまでの経緯を説明して、空きがあるか、入居可能か、ということを話すことになります。状況経緯の説明は本当に毎回同じ話なので、動画を作って「まずはこの動画をご覧ください」と言いたくなってしまいます。空きがなかったり(とはいえ、施設の性格上「いつ空く予定」とはいいにくい)、より介護度が高い人が対象だったり、というところを除外して、6箇所の施設を見学させてもらっいました。時期が春休みで、比較的平日昼間に時間の都合がつけやすかったのは、ありがたかったです。

結果として、その中の一つに申し込めることになって(しかも幸い、一人部屋x2で隣の部屋)、その手続が始まりました。もちろん入居の審査(今回は遠方なので病院やショートステイ先に電話などで本人の状況を確認してもらうことになる)はありますが、特に大きな障害はなさそうで、かつ、一つの大きな期限の区切りだった、父のリハビリ入院の退院期限までには入居ができそうなめどはたちました。父の退院のタイミングと受け入れ施設側の予定を調整し、金沢での施設への入居は5月の連休に決まりました。二人一緒につれてくるのはちょっとリスクが多そうだったので、まずは4月末に父、そのあと5月初旬に母を、それぞれ車で連れてくることにしました。

実家を開けることに伴う事務手続き

それにともない、少なくとも当面は、実家がいわゆる「空き家」になります。そのままでもいいといえばいいのですが、電気やガスが使える状態だと火災の心配があったりと、なにかと心配です。そこで、いろいろな事務手続きをすることにしました。これが個別にバラバラの手続きなので、実に面倒です。毎回、状況や自分と契約者(父)との関係を説明し、必要な書類(多くの場合は住民票や戸籍謄本)をとったり、なのですが、地道に進めるしかありません。以下は、行った手続きです。父母が金沢に来る前にやったものもあれば、そのあとで順次行ったものもあります。

教訓:めんどくさいけど、文句を言っても解決しないので、地道に順番にやるしかない。ドラクエのようにクエストと考えるほうがいい。

  • 水道:たまに掃除などで帰省するときにトイレが使えないと困るので、とりあえず契約継続。契約名義のみ自分に変更。

  • ガス:まずは解約ではなく一時停止。立会不要で停止できた。

  • 電気:まずは解約ではなく一時停止。立会不要で停止できた。

  • 電話:電話で解約。工事(光回線端末の回収)は立会が必要なので、名古屋に行ける日と調整。

  • インターネット:電話で解約。

  • AmazonPrime:父のAmazonアカウントは二段階認証(メール)がかかっていたので、インターネット解約前にログインにし、メール認証を通してログイン→解約。

  • 介護用品の返却:引渡日を調整し、返却に取りに来てもらう。

  • 自動車:車検の更新のタイミングが近かったが、ほとんど使わなくなると思われるので、父に了解を取ったうえで、父が買っていた近所の自動車会社に連絡し、事情を説明したところ、中古車として買い取ってもらえることになった。売却のためには父の印鑑証明のみ必要なので、父の印鑑登録証で代理人として取得。

  • 町内会関連:父が町内会(老人会)の役員をしていたため、割といろいろと手続きがありました。直近、前年度の決算がまだ終わっていなかった(入院していた)ので、役員の方と連絡をとり、家に整理せずにおいてあった領収書を集めたりPC内の帳簿らしきExcel表とにらめっこしながら、最後は、役員の方にお任せしました。

  • 新聞:電話で解約。

  • 銀行:父母の口座の登録印が不明(たくさんあってどれかわからない)で、何度か窓口に行って解約の手続き。印鑑を持っていってもどれかは尾教えてもらえないので、最後は「登録してある陰影のヒント」を教えてもらって、これかな?と出したり。自分を代理人とする委任状のために父母のサインがいったりと、かなり面倒。

  • 携帯電話:父はもともとほとんど使っていなかったので、この機会に解約。母は料金引き落としがクレカだったので、自分宛てに変更。いずれも手続き代理人の委任状や住民票などが必要なので、地道に。

  • 郵便局:とりあえず郵便物の転送届を出しておく。

  • NHK:電話で解約OK。

  • クレジットカード:最近の明細をみて公共料金などの引き落としを確認し、それの引き落とし先を自分(クレカや銀行引き落とし)に変更。それがすんだあと、カード会社に電話して解約手続き。しばらくは引き落としできなかった旨の支払い通知が来るので、支払う。

  • 介護保険料・後期高齢者医療保険料:年金から天引きになっているので通知書を保管するだけ。

  • 年金:金沢の年金事務所に電話で事情を説明。自分が窓口にいって必要な手続きをする。

  • 証券会社:父は株取引をやっていて、証券会社に株式口座もっていたので、証券会社に連絡して事情を説明。亡くなったあとの相続はかなり面倒そう(株式ごとに相続の手続きが必要)なので、元気なうちにすべて売却してもらうことに。本人からの電話が必要なので、父に事情を説明し、1件ずつ、売却してもらった。(最後に利息が数円残っていて、それを受け取るために住民票や戸籍謄本を送る必要があったりした)

  • 保険:父母が貯蓄型の簡易保険に入っていて、満期が近かったので、すべて受け取る&解約することにした。また民間の医療保険に入っていたものもいくつかあり、父の入院費用を賄えるものもあったので、退院後に必要書類を添えて申請。なお全ての医療保険の解約は亡くなったあとに。

両親の看取りと手続き

5月に両親が金沢の施設に入居したあとは、しばらくは平和な日々でした。最初のうちは、父が「いつ名古屋に帰るんだ?」と聞いてきたりもありましたが、何度も状況を説明していくうちに、納得(理解?)していきました。釣りをよくやっていた父から「釣りに行きたい」と連絡があって(新聞の釣り情報を切り抜いていたりと、かなり楽しみにしていた模様)、名古屋の実家から釣り道具を持ってきて、一緒に行ったり(ほとんど釣れませんでしたが)、お寿司を食べに行ったり、「コメダにいきたい」と朝コメダにいったり、「お菓子がほしい」というのでお菓子を持っていったり、毎週とまではいかなくても、2週間に1回くらいは顔をみにいっていました。名古屋にいた頃から母に(古い)スマホを渡してあってLINEは使えるようになっていたので、割とまめに「ごはんがおいしかった」「あれがほしい」「コメダいきたい」とか連絡がきたのは、スムーズなコミュニケーションができてよかったと思います。(施設のWiFiは使えないので月額無料(128kbps)のpovoを契約していました)

ただ父の病気は少しずつ進行していて、また昼間は寝て過ごすことが多くて足腰が少しずつ弱ってくるのか、少しずつ歩くのがしんどくなっているようにみえました。幸い、食欲は11月ぐらいまではあって、好きなものを食べられたのは、よかったんだろうなと思います。元気なうちに実家に連れて行こうと、10月上旬に父だけ名古屋に連れていき、ご近所さんのところへ顔を出したり、実家で一泊できたのは、いま思えば最後のタイミングでよかったんだろうな、と思います。11月の父の誕生日のときに、何を食べたいか聞くと、「丸源ラーメン」と即答だったので、母もつれて丸源ラーメン(金沢に1軒だけある)にいったのですが、食後に(急に脂っこいラーメンを食べたからか)低血糖で意識を失って救急車を呼び、1週間ほど入院したりもしました。12月に入ると、食事の量が減っていき、訪ねても眠ったまま、ということも増えてきました。しんどいのか深呼吸することも増えてきたのですが、父は聞いてもいつも「大丈夫」と答えるので、アテになりません、施設の方には「えらいですか?」(名古屋弁で「しんどいですか?」の意味)と聞いて下さい、と伝えておくと、ときどき、うん、と答えたことおもあるそうです。そこで施設の方と相談し、いわゆる緩和ケアを少しずつ導入してもらうことにしました。鎮痛剤(医療用麻薬のパッチ)を貼ってもらうのですが、その分、意識レベルが下がって眠っている時間も増え、会話できる時間も減りますが、やむを得ません。一度、名古屋の親戚にお願いして実家や近所の写真・動画を撮ってもらい、父に見せたときには、懐かしそうにしていました。

早めの時期に、親戚の紹介で葬儀屋さんに連絡をとり、事情を説明して、葬儀の概要を聞いておいたのは、「その時」の見通しを立てられて、よかったと思います。

新年を迎えて早々に能登半島地震があったりもしましたが、この時期にはほとんど食事もとれず、呼びかけても反応がないときも増えました。いよいよかな、と覚悟しつつ、今日は施設に付き添いで泊まろう、と思った日がありました。施設の方のご厚意で夕食も出していただき、久しぶりに3人で夕食を食べられました(父は食べませんでしたが)。その後、今日はもちそう、と判断して帰宅した直後に、施設の方から「下顎呼吸(心肺機能が低下してほどんど呼吸としては機能しない終末期の呼吸)がはじまった」と連絡を受け、すぐに向かいましたが、ついたときにはすでに息を引き取ったあとでした。施設の方もびっくりするくらい、早かったそうです。余談ですが「親の死に目に会えない親不孝」という言葉がありますが、これは、親が息を引き取るときに立ち会えない、という意味ではなく(そもそも人の生物学的な死は定義がはっきりせず、心停止後もしばらくは温かいし、医師による死亡判定が法的な人の死です)、「親よりも子が先に死ぬ」ことを指す言葉なんだそうです。

その時は、悲しみ、というより、いよいよか、と、いろんな手続きがはじまる、という覚悟、のほうが近かったです。医師に来ていただいて死亡診断をしていただき、事前の相談のとおりに葬儀屋に連絡をしました。その後は、葬儀屋さんの案内されるままに進んでいきます。まずは火葬場の空き状況を確認して葬儀日の決定(能登半島地震の影響もあってか火葬場が混んでいて、丸2日、葬儀場に安置してもらいました)、親戚への連絡、僧侶への依頼、などなど。父母の希望で、親戚のみのこじんまりとした葬儀でした。葬儀の後、火葬場で火葬し、遺骨を持ち帰って葬儀場で法要、そのあとは遺骨を自宅に持ち帰って法要(仮祭壇を葬儀屋さんがつくってくれました)、で一段落です。

その後すぐに、仏壇選びをはじめました。母も立派な仏壇はいらない、といっていたので、自宅の仏間におけるサイズのものを、仏壇屋さんを何軒かまわって話をきき(これはこれでいろいろしきたりとかがある)、仏壇を自宅に迎え(これは故人にとっては家を新築するようなものなので、お祝いをするものらしい)、父の四十九日法要にあわせて、仏壇の入魂を先にしてもらいました。このあたりは、葬儀のときの僧侶の方に日程を含めてご相談しました。

その後、父の死去にともなう事務手続きがあります。主なものは、父が受け取っていた年金の停止と母の遺族年金の開始、などで、名古屋の区役所や年金事務所に連絡をとって、これも一つずつ進めていきます。行政関連の手続きは、市役所のWebページなどに一覧があることが多い(参考:名古屋市の場合)ので、それを参考に、順番にやっていきます。正直、父が亡くなったことを感傷に浸っているヒマはありません。

それらが落ち着き、後述の相続手続きも一段落したころに、母が急に亡くなった、と連絡がありました。元々軽い糖尿病と高血圧はあったのですが、夕食中に急に亡くなっていたそうです(施設の方もその場を見ていないくらい)。まさか父の葬儀の2ヶ月後にもう一度葬儀をすることになるとは夢にも思いませんでしたが、2回目なので、いろいろと勝手がわかるのは心強いです。父のときと同様に、感傷に浸るまもなく、行政関連の手続きを進めていきます。

ところで、「お墓」については、生前に父母に相談していました。父の代からの家なので、先祖代々のお墓はなく、今の時代は、お墓はいらない、と聞いていました。法的には、火葬することと、その埋葬などをすること(宗教法人か葬儀業者が行う:自分で庭に埋めるとかは不可)は決まっていますが、埋葬については法的な期限はありません。とはいえずっと自宅に遺骨をおいておくのもなんなので、永代供養をしてもらえるところを探しました。永代供養といってもいろいろあって、合葬墓(いろんな人の遺骨を1つの墓にまとめてしまう)、一定期間納骨堂で預かり、その後は合葬など、形態はさまざまで、費用もさまざまです。いわゆる串刺し検索サイトを使って候補をあげ、電話などで内容を聞いたり資料を送ってもらったりして、最終的に、30年ほど納骨堂で預かってもらい、その後は合葬されるお寺にお願いすることになりました。30年くらいたてば自分も生きているかわかりませんが、それまでは「墓参り」もできます。タイミング的に、一周忌法要(父母が亡くなった日が近かったので、二人まとめて)と納骨法要を同じ日に行いました。その後は、ときどき「墓参り」に行ったり、自宅の仏壇にお供え物をしたりしています。これは自分の気持の問題ですね。

相続に関連する手続き

遺言書の扱い

父の遺言書があったので、基本、父の遺産(銀行預金と実家の土地・建物)はすべて自分が相続するのですが、ます、遺言書の「検認」という手続きが必要です。これは、遺言書が要件を満たしていることを公的に証明する手続きで、一般には家庭裁判所に申請して、日程調整して、裁判官と面談(?)をして、行います。今回は3月下旬に家庭裁判所へ行きました。主な流れは以下。(実はこの検認までに母が亡くなったため、母の出生から死亡までの戸籍謄本を追加で求められてて提出しました)

  • 名古屋家庭裁判所へ必要書類を送る:申立書・遺言者の戸籍謄本(全部事項証明書:死亡時までなので死亡届のあとで取得)・相続人の戸籍謄本(3ヶ月以内)※このときは遺言書は送らない

  • 役所の戸籍係(052-433-2805)に戸籍への死亡届の反映状況を照会(死亡届から少し時間がかかる)し、死亡届が反映されてから戸籍謄本を取得する。

  • 費用:収入印紙800円+連絡用郵便切手(84円切手x2枚)

これが済むと、遺言書に基づく相続の手続きがはじめられます。具体的には、銀行(信用金庫とゆうちょ銀行)に連絡をして、必要書類(父の出生からの戸籍など、まあまあたくさんある)を揃えて、手続きを進めます。

不動産の相続

不動産(実家の土地と建物)の相続は、割と面倒です。まず、最近の法改正で、不動産登記の変更が義務となり(というかこれまで義務ではなかったのが不思議。亡くなった人が名義のまま、という土地がけっこうあるらしい)、亡くなってから3年以内の名義変更が必要です。まずは法務局に相談することにしました。最近はZoomで相談ができますが、基本的に、質問したことに答えるだけで、具体的な手続きの手順は自分で調べるしかありません。司法書士会で相談を受け付けているところもあるようなので、まずは電話して相談しました。その結果、今回の自分の場合は、あまり「揉める」要因がないので、自分で進めるのがよいだろう、ということになりました。相続人が複数いる場合などは、かなり面倒になるので、司法書士・行政書士の方に(お金を払って)お任せするのがいいと思います。法務局のWebページに申請書などの情報があり、今回の場合は「所有権移転登記申請書(相続・自筆証書遺言)」が該当します。そこの記入例をみながら、順番に記入・必要書類の用意をしていきます。以下が主なもの。

  • 登記原因証明情報:遺言書・被相続人の戸籍謄本・相続人の戸籍謄抄本

  • 住所照明情報:相続人全員(=自分のみ)の住民票の写し

  • 課税価格・登録免許税:登録免許税の計算(登録免許税が免除される場合には、課税価格の記載は不要)(参考

  • 不動産の表示:登記記録(登記事項証明書)に記録のとおり

  • 不動産番号:これを記載した場合は、土地の所在、地番、地目及び地積の記載を略できる

要は、登記申請書を、記載例を参考に自分で記入して、必要添付書類を添えて提出すればよい、わけです。実家には、実家の古い登記簿(当然手書き)がありましたが、これは提出不要、ということでした。細かいことは以下(詳しくはWebなどに載っているのでそれに従う)。

  • 課税価格・登録免許税の計算方法はWeb情報の通り

  • 提出方法は、名古屋法務局へ持参 or 郵送。郵送の場合は、簡易書留で送る。返送は新しい登記簿などを送るので「本人限定受取郵便」とし、返信封筒の郵便切手はちょっと多めに貼っておく。なお持参しても、その場で不備のチェックをするわけではなく、不備があった場合の再提出や追加資料の提出は後日連絡となるため、持参するメリットはほとんどないと思います。

  • 遺言書は原本還付の手続きをすると、遺言書原本が登記手続き後に戻ってくる(参考)(逆に言えばそれをしないと、いろいろな相続の手続きで必要な遺言書の原本は戻ってこない) 。「本人限定受取郵便」で返送してもらう必要がある。その料金は重さで変わるので、発送前に返送予定の書類+封筒の重さを測り、その分の普通郵便料金+本人限定受取郵便料金を郵便局の窓口で調べてもらい、その分の切手を貼った返送用封筒に「本人限定受取郵便指定」のようなメモを付けて発送する(参考)。

準備ができたら、登記申請書を簡易書留で発送(遺言書・父・自分の戸籍謄本を同封:返送依頼とあわせて)します。収入印紙を貼り忘れていて別送したり、返送用切手の金額が不足して別送したりと、少し手間はかかりましたが、無事、登記証を受領でき、不動産の名義変更は割とスムーズに完了しました。事前によく調べていたのがよかったんだと思います。

相続税

相続に伴い、相続税のことを調べました。国税庁の「相続税の申告要否判定コーナー」で、相続税について調べることはでき、相続税の納付が必要な場合でもe-Taxでできるようです。今回は、あまり素人で判断するのは不安だったので、知り合いの税理士さん(あとからわかったのですが実は税理士ではなく税理士事務所の勤務が長い税理に詳しい方)を紹介してもらい、事情を説明して教えてもらいました。結論として、今回の場合は、相続税の控除の範囲内で、相続税は不要でした。仮に計算間違いで実は納付が必要な場合は、税務署から連絡がくるので、それからでOK、とのことでした。

相続税の課税対象の現金・銀行預金・不動産の評価額から、債務(必要経費のようなもの?)として火葬費、僧侶へのお布施、死亡後に支払った固定資産税や住民税を引いたものが相続税の計算対象になります。これが「3000万円+600万円x相続人の数」が控除額で、それ以下であれば相続税はかかりません。控除額は、父の場合は相続人=2人(このときは母が生きていたため)で4200万円、母の場合は相続人=1人で3600万円になります。なお土地の評価額は路線価からの微調整があり、実家の場合は「小規模宅地」なので0.85倍、さらに角地なので1.03倍になります。これを考慮しても、非課税の範囲におさまっていました。

実家の売却

父母が亡くなったあとの実家は、完全に「空き家」になりました。自分が子供の頃から住んでいた家ですので、愛着はありますが、とはいえずっと放置するわけにもいきません。実家のお隣さんに挨拶に伺ったときに相談したときには、土地は買い取りますよ、と言ってもらっていました。そこで知り合いの不動産売買の業者の方に相談し、仲介しながら手続きをしてもらいました。また解体費用の概略も現地で立ち会って見積もってもらい、家の中のものの処分とあわせて、解体業者の方にお願いできることになりました。

せめて、とおもい、家の中をスマホで3Dスキャンしたり、ドローン(飛行申請は出して)で家の外側を撮影したり、父母の形見になりそうなもの、自分の思い出の品(むかしつくったプラモデルとか)を持ち出したあと、3月に解体工事がすみました。更地になった元実家の場所に行くと、いろいろと感慨深いです。

その後、土地の売却の契約を済ませ、名義変更の手続きと売却代金の支払いをして、実家の売却が完了しました。なおこの実家の売却益(遺産として相続した土地の売却益)は相続税の対象で、今年の年末の確定申告で申告することになります。すでに相続している(そして相続税の控除範囲内だった)現金や銀行預金などは、二重課税しない原則から、所得税はかからず、確定申告は不要です。ちなみに、その他に、遺産から収入がある(アパート家賃など)場合や死亡保険金の掛け金を相続人が受け取っていたも、所得税の対象なので確定申告が必要です。このあたりは、今度の確定申告のときに、いろいろ調べながら、手続きをしようと思います。

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コメント

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両親の入院と介護と看取りと相続についてまとめておく|akita11
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