新城市の鎮魂祈念日にすべきくらい、忘れてはいけない日。
この事件は残忍な事件にもかかわらず、なぜか穂積亮次の名があまり報道されなかった一面がある。
その理由のひとつとして、穂積亮次の父親が、衆議院議員の穂積七郎、そして当時の岡山県知事が亮次の叔父だったのだ。
この長野士郎は「自治の神様」といわれる反面、「自治の悪魔」と揶揄される側面を持っていた政治家でもありました。
その昔、この長野士郎岡山県知事がキモイリでやった事業に「倉敷チボリ公園」というのがありまして、倉敷駅から徒歩で行ける近距離の大規模テーマパークでした。
自分もこの頃、ゼネコンのパンフ作りで何度か行ったりで打ち合わせもしたり。
最初は東京ディズニーランドの次に賑わってるほどの盛況ぶり。
公園とは言ってもテーマパークで、様々な仕掛けのある遊園地と、クラボウ跡のレンガ建造物などとともに整えられたチボリ公園の風情が楽しめる画期的なものではあったのですが、印象とすれば「20年もたないだろうなぁ」と言うのが本音の感想で、第三セクター運営だったと思いますけど、まーお役所がやってる感丸出しで、楽観的というか。
まそれで案の定10年で潰れたんですねw
一言で言えば、ずさん運営経営。まー無理ですって、行政でこゆのやるのは。
新規事業なので、みなさん張り切って、みんなでやってる感で盛り上がってましたけど、「無能が張り切るのが一番やっかい」の典型で、あっしは「あーすごいですねいいですね」と言いながら、「こんなの潰れるにきまってんじゃん」と、まーいいお値段のお仕事でしたのでね、いただけるものいただければ、潰れようが破綻しようが知ったこっちゃないわけでして。
この頃の岡山県は、岡山市も大きくなりつつある頃で、倉敷などはモダンなレンガ作りの遺構が多く、観光なども勢いはありました。
が、いつまでも持続する感じだったか、と言われると、それは「微妙」と言うしかありません。
バブル崩壊後だいぶたった次期の大規模投資事業で、計画はでもバブル崩壊前くらいのものだったので、変更もできなかったんでしょうね。
行政の「(カネ)突っ込めーっ!」で「玉砕」の典型的パターン。
そんなとこから、行政や政治家側からは長野士郎は「自治の神様」と呼ばれ、一方赤字垂れ流し続けてることから逆に「自治の悪魔」と呼ばれるようにもなったのです。
自民党によくいるタイプかと思いきや、実はこの人社会党でして、その後利権がらみで右左ごった煮となり、穂積市長と周辺の関係とよく似てるなあといつも思います。
結構影響されてると思うのですが。
それにしても、普通なら殺害を目的として乗り込み、殺害しろと命じ、実行された事件というのは、かなりの確率で「死刑」や「極刑」になるはずなのだが、巧妙に「大学襲撃テロ」が「単なる内ゲバ」としてイメージ操作され、それにマスコミなども乗った形となりました。
左翼運動の中の死傷事件でも、「あの穂積による岡山大事件は、内ゲバでもなんでもなく、最初っから殺害を目的にした事件」と当時の岡山大生や左翼運動研究者も言っています。
政治の力は恐ろしいというか巧妙というか、今でも池袋上級国民ジイサマによる母子轢き殺し事件なども含め、全然変わってないんですよね。