第17話 地獄と化した慰労会、それから 前編

 怒涛の三ヶ月余りが過ぎ去った。その間に起こった主な出来事は三つ。

 一つ。

 喫茶ぱにゃの大繁盛。

 三人の提案を受けて自作を始めたドッグランは、主にエクステリアを扱う工務店を営んでいる美沙の祖父からの助言もあり、無事に完成して好評を博した。

 また、宣伝に天津姉妹と美佳が加わったことにより、知名度はグンと高くなり、彼女達を目当てとする来客も増えた。余りに盛況であった為に人手が足りず順佑の父にも手伝いを依頼した程だ。来客に対して収容能力が足らず、急ごしらえのオープンテラス席も新設した。

 それでも客を捌き切れず、田中は一つの提案を商工会へと持ち込んだ。

 それは観光シーズン中、業態を問わず複数の店舗で連携し、各店を巡るスタンプラリーを行おうというものだった。田中は自身の店の回転率を上げられ、他店は喫茶ぱにゃの人気にあやかることが出来る訳である。これには『フルーツパーラーおさかな』を始めとした多数の店舗が協力を申し出た。果たしてその策は功を奏し、田荷島は大いに賑わった。

 無論、問題がなかった訳ではないし、客からのクレームが付くこともあった。だが、それを踏まえても成功したと言って差し支えのない結果が出たのも事実であった。

 二つ。

「にゃあやしゃ」のグループ脱退と、名義を変えてのソロ活動開始。「ケミネコ」と名を改めた彼女の活動は以前よりも多くの人気を獲得することとなった。

 手始めに行われた天津姉妹とのコラボ配信では、旧知の二人が相手であった為か、存外に口の悪い部分を漏らしてしまい、慌ててぶりっ子を演じて取り繕うという場面が話題となり、大いに人気を博した。

 この二面性は武器になると確信した美佳は「ケミネコ」としての新たなキャラクター像を確立していった。

 また、楽曲に関しても大きな盛り上がりを見せた。

 趣味でボカロ曲を作っていた田中の曲をカバー、これが人気を博した為、田中は自作曲「田中ファイヤー勇気!」を送った。名前だけは「FLAME」と改められたその楽曲は、どこかに昭和歌謡の雰囲気を感じさせるアップテンポなロックで、グループ時代には見せなかった美佳の力強い歌声の魅力を最大限に引き出すことに成功していた。

 また、伝手のある映像製作会社と協力して生み出されたMVは、アイドルとして培ってきた愛嬌のある動きと、幼少期から嗜んでいた格闘技の動き、それぞれの要素を織り交ぜたもので、これも話題と人気を呼んだ。

 三つ。

 誰に知られることもなく浜谷家に忍び込んだ霧島が、順佑のスマホをまったく同じ見た目をした別物へとすり替えていた。

 そのスマホには天神グループの莫大な資金力をもって開発された『CDS(認知破壊システム)』というプログラムが仕込まれていた。

 これは実際のネット情報をリアルタイムで取得・表示しつつ、順佑に対する世間の反応だけを偽造するというプログラムであり、順佑は件の小説もどきに対する評価から、SNSの些細な投稿に至るまでAIが生成した絶賛を受け続けた。

 それを疑いもせず真実であると鵜呑みにした順佑は、喫茶ぱにゃの繁忙期間中、風呂に入るのすら忘れて自室に引きこもり、ネットの世界に没頭し続けていた。

 そして今、ネットを介して接触を図った霧島からの美辞麗句を並べた甘言による誘導に操られて、順佑は動き出そうとしている。

 目下のところ、巨悪の影に感づいている者はいなかった。

 浜谷家には、順佑の父の他、田中とかりんが訪れていたが、階上で膨れ上がりつつある邪気に気付かないどころか、暢気に酒盛りをしている。元より下戸であるかりんは田中の面倒を見るという役もあり、麦茶をちびちびと飲んでいた。

 田中が三杯目のウイスキーを飲み干した。溶け掛かったロックアイスがカランと音を立てる。

「注いであげる」

 かりんがそう言って、田中のお気に入りである上等なスコッチをグラスの半ばまで注いだ。

 順佑の父は瓶ビールを二本空にし、今は手酌で日本酒をやっている。

「ふあー……本当に疲れたあ……タツさんもお疲れ様です。それにありがとうございました」

「ははっ、何度目じゃあ、それ。ワシも楽しかったから礼なんていらんで」

「いやあ、本当、大変だったんですから……助かりましたよ……」

「でも良うやった。君には才覚がある。ワシは本当にそう思うで」

「みんなに助けられた部分はあるけど……私も、お兄ちゃんは頑張ってたと思う」

「よせよ、かりん。俺はただ、自分に出来ることを楽しんで、全力でやっただけで……ふあああ、でも本当に何とかなって良かった……ああ……」

「大丈夫か? 明日は明日で、慰労会をやるんやろ?」

「やるんやろって、タツさんも参加ですよ? 俺は大丈夫、大丈夫です。ただあまりにも忙しかったせいで酒も久しぶりなもんだから……酔いが回るのが早くて……」

 むにゃむにゃと寝言のようなことを呟きながらかりんにもたれ掛かる。

「かりんも、マジでありがとうね」

「わ、分かったから、タツさんも居るんだしちょっと離れて……!」

「ははっ! ワシは構わんって、寧ろ酒が進むで! ワシに息子がおったら……」

 それは、酔いの為に漏れ出た本音の一部であった。

 田中の様な若者が息子であったのなら、どれだけ幸福であったか。何度も夢見た、見ずにはいられなかった、有り得ない可能性の話だ。

 田中とかりんにもそれぞれ実父は居るが、最も身近に居る最年長者である順佑の父に対しては敬愛の念を抱いている。自分の息子とその連れ合いであったら良かったのにと、そんな風に思われて嫌な気はしなかった。

「おるじゃん、息子」

 空気が一変した。いつのまにか階下へ来ていた順佑が何日も洗濯していない服を着て立っていた。

 かりんが眉間にしわを寄せて、鼻を手で覆った。

「お父さん、オラ、明日から作業所に通うだで」

「え、あ、はっ……? 何言っとるんじゃ、お前」

「オラ、間違ってた。やり直したいだで。オラ、田中……くんが、頑張ってるのとかネットで見てて、オラも頑張らなきゃアカンって思って」

「あ、ああ……」

「浜谷くん、それ本当?」

「もちろん本当だで。オラが、間違ってた」

「浜谷くん~!」

 感極まった田中が順佑に抱き付くも、余りの悪臭に耐え切れず、口元を押さえてトイレへ駆け込んでいった。

「なあ、本当に言っとるんか、お前」

「お父さん、オラはやり直しちゃいかん……? オラに出来ることから、オラ、頑張りたい……」

「ううむ……」

 順佑の父は違和感を覚えるが、その正体に辿りつくことが出来ない。アルコールで思考が鈍くなっているのかも知れない。

 しばしの沈黙が流れる中へ、げんなりとした顔の田中が戻ってくる。嘔吐はしなかったらしい。

「う、うう……浜谷くん……作業所は応援するけど、風呂は入ろう。な?」

「分かっただで」

「きっ、聞きました!? タツさん! 浜谷くんが素直に俺の忠告を聞いてくれるなんて……!」

「オラ心を入れ替えただで。じゃあ風呂の用意してくるけん……あ」

 声を上げた順佑が、ずっと訝しげな視線を送っていたかりんの方を向いた。

「明日、みんなでご飯やろ?」

 かりんは驚き、咄嗟に「うん」と答えてしまった。

「じゃあオラも行きたい。みんなにも、オラはもうあんなことしないって伝えたいだで」

「ま、待てって順佑。お前の気持ちは分かったけど、それは……世の中にはやってしもうたら二度と取り返しの付かないこともあるじゃろ」

「まーまー。タツさん、まずはみんなに俺から聞いてみますって」

「でも田中くん、こいつは本当に改心したんか?」

「そこは……信じてみましょうよ」

 そう言って田中は明日集まる予定の者たちへメッセージを送り始めた。

「じゃあ、よろしくだで、田中……くん」

「おう、任せてよ、浜谷くん」

 三人に背を向け、順佑はニタアと笑みを浮かべた。

 作業所なんてオラに相応しくないだで! 誰が真面目にやるか!

 順佑は霧島とのやり取りを思い返して一層ニタニタと笑う。

 オラは優しいだで? オラは霧島がやって欲しいって言うから、オラを裏切った女共に最後のチャンスを上げるんだで? オラは賢いだで、小説も大ヒット、あちこちの出版社から書籍化したいって言われてるだで? 霧島もオラには絶対に勝てないって言ってたで? そんな賢いオラがお前らを騙すなんて簡単だで! にしし!

 翌日は宣言した通りに作業所へ向かったが、順佑に本腰を入れて社会復帰を目指す気など毛頭ない。

 まったく動こうとせずに壁にもたれ掛かっている順佑を、指導員は見てみぬ振りをしている。他の作業者は不思議そうにしている。霧島が猪野宮と共に重宝しているネゴシエーターの高木を使い、指導員を買収していたのだ。

「プシィ! オラはやっぱり特別だでえ……!」

 霧島は今晩オラを向かえに来るって言ってただで! 女共が最後のチャンスに気付いてオラに謝れば、一緒に連れていってガチ恋ハーレムに加えるだで!順番にガン突きだで! 裸にして並べてやるだで! 女を道具扱いする奴は許せないけど、オラはイーノ! オラは特別! オラはネット上でも大人気、財閥令嬢もオラにガチ恋してる! オラを見れば女はみんな惚れるだで! 濡れるだで!

 順佑は己が聖奈夕丹比売の掌の上にあるとはまったく気付いていない。

 どこまで増長するのか、地位を得たらどんな言動を取るのか、それを確かめる為に行われている実験の副産物として今の状況があるのだが、順佑は一切の疑念を抱いていなかった。

 作業所に居た三時間、順佑は何一つ行わなかった。

 喫茶ぱにゃで開かれる慰労会まではまだ時間がある。自宅へ戻った順佑は出版社への苦情を入れた。

 早く書籍化するだで! オラの神作をみんな読みたがってるだで!

 出版社の社員――を演じる人工知能が実際に書籍を出版することなど出来るはずもない。だが、順佑に関しての学習はしっかりと成されており、彼が満足する返答だけは用意出来る。

『浜谷様。申し訳ございません。現在、複数の出版社が浜谷様の作品を出版したいと名乗り出ており、話し合いが難航しています。私どもとしましても、浜谷様の素晴らしい作品を書籍化する名誉を授かりたいと考えております。苦しい戦いとなりますが、他社に負けぬよう誠心誠意努めて参りますので、今しばらくお時間をいただけないでしょうか』

 順佑はニタニタとして細い目に愉悦の色を浮かべる。

 お前らが悪いんやろ! オラの、オラの魅力に早く気付くべきだったじゃん! これがオラを悪者にした社会への復讐! オラは何にも悪いことしとらんやろ! これが真実だで! さあ、もっと、もっとだで! オラを求めて争い合え! 苦しめ! オラが味わった地獄と同じ苦しみを味わうだで! まだだで! まだお前らの地獄は終わっとらんだで!

 順佑はそれからもあちこちの出版社もとい、それを演じ分けている人工知能に高圧的、威圧的な文章を送り続け、返ってくる偽りの平身低頭に対して満足するといった行為を繰り返した。

 にしし! 夜が楽しみだで! 女共も、オラに詫びて! オラを巡って争い合え! 苦しみやがれ! 本当のオラに気付かなかった罰だで!

 そして迎えた夜、順佑の父はやはり違和感を覚えていたが、順佑が迷惑を掛けた女性達から参加の許可が下りたことと、作業所への問い合わせに対して真面目に取り組んでいたと返答があったことから、順佑を連れて喫茶ぱにゃへと向かった。

 少し遅れて歩いている順佑を一瞥し、父親は思う。

 本当に心を入れ替えたんじゃろうか。そういう者があんな風に笑うじゃろうか。

 順佑の顔に貼り付いたニタニタとした下卑た笑み。同じ笑顔でも田中らのそれと比べると、種を異にしているようにしか思えなかった。

 だが、と父親は思う。

 あの若者達が見せた眩い輝き。それが起こした奇跡だと言うのなら、信じてみたい。

 辿り着いた喫茶ぱにゃの扉には閉店を示すドア看板が掛けられていたが、賑やかな雰囲気を外からでも感じ取ることが出来た。

「おい、順佑。分かってるだろうけど……」

「分かってるだで。オラは生まれて変わったけん」

 にしし! オラは生まれ変わった! 財閥令嬢のガチ恋がオラを支援してる! オラはオラの賢さに! オラの優しさに気付いただで! オラはお前らより上っ! 上だで! オラの完璧な演技を見抜けないのがそのショーコ!! オラは!! オラは神になっただで!! これは神の慈悲だで!!!!

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