内海アオバは、いつもの通りの夜を迎える。

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 決して、乗り過ごすことがないように。





乗り間違える

 壊れた機関部に銀色のパイプレンチを当て、下からすくい上げるように回す。ネジが動かなくなるまで、強く固く。力を込めたいっぱいの握りこぶしを解いて、呟く。

 

「こ、ここはクソですね……」

 

 内海アオバのなんの変哲のない作業。列車整理員、それも下っ端である彼女であるからこそ断言できる職場環境のこのブラックさ。既に12両もの損傷箇所の修復を終え、進む短針がより早く進むことを乞い願う。そんな陳腐で、愚かしく、不条理な世界をアオバはただのため息一つで吹き飛ばす。

「はぁ……て言ったところでなにも変わりませんよね……」

 着慣れた制服を規定通りに着込み、やや膨らんだポケットと汚れの付いた靴を朱色の瞳でゆるりと流し見て、どこか破れているところがないかを簡単に確認し経費申請の有無の書類に不要と書き込むことを念頭に添える。

「これだったら大丈夫、指差し確認良し」

 

 人差し指で損傷箇所、周囲の機材を指して、それぞれ問題がないことを改めてチェックし、肩に垂れてくる白雪色の髪をそのままその手で退かす。

「そ、それにしても……これが壊れるなんて時間の無駄って幹部たちが怒るのが目に見えて……八つ当たりがないといいけど……」

 

 列車が硬いおかげでパイプレンチで叩くプランAの痕はどこにもなく、アオバが始末書を書かされることもない。先生のコーヒーメーカーのように上手く行くことはあんまりないが、それでもこの手段を取ってしまうのはあの幸せな時間の再演に焦がれているから。そう、脳裏に過る甘酸っぱい大人との話も……勤務時間では憂鬱さを加速させる起爆剤でしかない。

「……まだ、他の整理員は掃除が終わってないだろうし……待ちますか」

 

 この場にはあの騒がしい二人の幹部も居ないし、バスのように揺れていることもない。静謐なまま進んでいく時間はまるで目的地に必ずたどり着くハイランダーの列車の如く、容赦なく切符(現実)を求めてくる。内海アオバは自分に一切優しくない世界で生きているからこそ見なければならない。

 

「アオバ3級整理要員、来たれ」

 

 床の赤いインク、やけに広い車両、この不気味で悪趣味な青い青い列車がハイランダーではなく、W社のワープ列車であり、赤いインクが血肉であることを受け入れなければならない。

 

「ど、どうしたんですか?」

 同じく3級整理要員のイサンに呼ばれ、思考に一回ストップを掛ける。アオバは自分より先輩で、考え方も近い彼に呼ばれないといけない事態になっていることに思わず身構える。彼の担当はこの先にある10〜6両目のはずだと。

「……あしけくに一つの王国やあらん。そなたの力添えあらなば、厳しき戦いに身をやつさん。而して、服壊れたらなむや。……必ずやチーフの怒り降り注がんと思すものなり」

 

「ひぇっ……チーフが…………行くます! あっ、い、いきましゅっ!」

 

 ようやく昇進できて浮かれているアオバの出鼻を慈悲なく折ったあのウーティスチーフ。的確な指示、確かな実力、高すぎる戦場理解能力。列挙だけすれば完璧な整理要員だが、如何せん語気が強く、アオバにとっては常に正論で殴ってるため苦手だ。仕事が終われば優しいのだが、仕事中に怒らせるということをイサン、アオバの双方がそうぞうしたくないことは青くなっていく顔を見れば明らか。

「善哉なり。いざ、行かむ」

 

 車両と車両を繋ぐ連結部をちゃぷちゃぷと音を立てながら、滑るように走っていく。イサンが既に掃除を終えた10〜8両目を通り過ぎ、王国が在るとされる7両目にたどり着く。

 

「……明らかに血が少ないですけど」

 

 運行後には真っ赤に染まることで定評があるこのワープ列車、そんな列車で床が清潔であることが示すのはただ一つ。今回の王国が予想より面倒であることだ。

 

「……げにやげに……王国非ざると言えぬな。また特色が乗っていると思さる……」

 

「やめてくださいよ……そうだったら、チ、チーフが居ても生き残れるかわからないですよ? ……この都市で特色相手に生き残れるのは……特色相手か野良の化物くらいで、こんな会社で働いている私たちなんて……」

 

「アオバ嬢、落ち着きなされ。あなや……行かむしかあらざらん」

 

「そ、そうですよね……この職場は理不尽ですもんね……」

 

「……うむ」

 

 7両目にて待ち構えていたのは、多くの肉塊で鎧を作り、大きな剣を携える。さながら、おとぎ話の紅騎士。垂れていく血液はまるでマントのように見え、肉塊から除く銀色を見ればこの化け物がかつて西部ツヴァイ協会のフィクサーであったことなど自明だろう。

「通さぬ。通さぬ。ここより先、王領。通さぬ」

 車両にひどく重みのある乾いた声が響き渡る。重みのある、まるで幾千もの相手と(まみ)えた歴戦の烈士であるかのように錯覚させ、アオバは思わず一歩を下がる。取り出した一つのマチェーテ型の青い刀剣を強く握り、充電を開始する。バチバチとほとばしっていく様々な色合いの電流は力場を形成し、同じようにイサンも充電を始める。

 

「女王にはあわせぬ。立ち去れ、立ち去れ。ここは王領。女王の地」

 

 紅騎士は大剣を剣先が上を向くように斜めに構え、二人の挑戦者を挑発する。元来、チャレンジャーである乗客とその狩人である整理要員の関係性を見事に逆転させている。多くの別の乗客を切ったであろうその眼差しは虚ろでありつつも、確固たる意志を灯している。

「ど、退いてほしいんですけど〜!!」

 大声で叫んで騎士が少し怯んだ瞬間。アオバが切り込む。騎士の腰回りの隙につけ込み、下腹から胸を目掛けて剣を振るう。電光石火の如き移動を可能にする充電様々のまま、一瞬にして騎士から大きな肉塊を剥がす。

「か、硬いですけど……えへへ……これなら、倒せますね」

 アオバが後ろに下がっていく隙を狙って騎士が大剣を振るうも、すかさずイサンが迎撃。大剣の刃を受け流すように、自身の持っている剣で右に滑らせ、大剣は床に突き刺さる。すかさずイサンは首元を覆う肉塊を切断、アオバも前へ復帰して、膝関節の肉塊を切断。比翼連理と言うべき連携で、騎士の鉄壁の鎧を大きく削ることに成功。

「……激怒、激怒、激怒ォォォ!!」

 怒り狂う騎士は肉塊が剥がれ、身軽になったこともあり、先程より早い速度で床に刺さったままの大剣を縦に薙ぎ払うように振るい、斜め下に突き落とす。

 

「アオバ嬢! 挟めり!」

「期待しないんで欲しいんですけどね!」

 言葉と相反して斜め下に落とされていく大剣の右側に、イサンは左側にそれぞれ自然と動き、先にイサンが横腹に突き刺し、アオバが騎士の脇に斬撃を飛ばす。あわよくば、その手が切断されるように。

「義体の小娘ぇぇ!!」

 脇付近に居たアオバを肘で殴打。吹き飛ぶこと1、2、3秒。壁に背を強打し、思わず剣を手放しそうになるも、ぐっと堪えて騎士から視線を外さない。騎士から義体と形容されたヘイローのお陰でアオバは再び立ち上がる。キヴォトス人の驚異的な身体能力があるからこそ、彼女は強化施術をせずとも強い攻撃に耐えることができる。

 

「こんなのッ、へっちゃらですよ!」

 確かな足取りで再びイサンに並び構え、そして笑みを浮かべる。先程の攻撃で、イサンが布石とした攻撃が実を結び、騎士の身体に破裂痕が広がる。何度も切断され、破裂の広がる紅騎士はそれでも攻撃の手を緩めない。

「……見事、しかし女王の騎士は倒れん」

 

 騎士はイサンの裾を左手で掴み、後ろへと押す。同僚を守るべく接近戦を仕掛けたアオバは蹴りで離れさせ、騎士は十分な間合いを作り上げる。

「ッ、何を企むつもりなりや」 

 

「まずい! せ、西部ツヴァイの突撃です! こ、これ! やばい!」

「なぬ!?」

 

 充電をしているとは言え、まだ十分なほど溜まっていない。にもかかわらず騎士は致命の一撃の用意を終えている。避けるのには時間が足りず、足の速さも足りない。

「うぉぉぉぉ!!!!」

 

 砲声の如き図太い音が響く、その突撃の歓声は二人にとっては絶望に等しい。一歩、騎士が迫る。二歩、死が迫る。三歩、名誉退職が迫る。

 

「私の部下に手を出すな」

 

 ポニーテールを揺らしながら、その褐色の肌と黄色い瞳に怒りを宿してチーフが現れた。大剣をそのまま帯電した手袋で掴み、外らしてから剣を切断。武器を失った騎士の頭部に蹴りを一つ、怯んだところを素早く攻撃。アオバとイサンが横から斬りつける中、チーフは相手の顔を掴み、それを引っこ抜いた。

「じょ、女王……」

 

 そう言い残して沈黙する紅騎士を流し見て、チーフは二人の部下に向き合う。

「報告」

 

「ひゃ、ひゃい! 10両目で作業中……イサン先輩に王国があると言われまして……」

 

「ほう、王国か」

 

 腕を組みながら、イサンに続きを話すように促す。イサンはやや気圧されながらも、すぐに返事する。

「職務を果たす刻にて大きな紅い騎士を見ん。王国なりやと思う故に、アオバ嬢の助力を欲し、今に至れり」

 

「……次もあのようなのが居たら頭が痛いな……アオバ、イサン。付いてこい。その女王とやらに面会を願おう」

 

 騎士と死闘を繰り広げた7両目を通り過ぎ、王国の首都6両目にたどり着く。強く身構えた三名であったが、待ち構えているのはひどく痩せこけたただの少女。それこそ、どの裏路地に居たとしても一切違和感がないような。

 

「あぁ……ぁ……」

 

「……無賃乗車客か」

「そのよう……ですね」 

 

「……これはあの騎士の女王……不憫なるかな」

 チーフは大きくため息を零して、そのまま女王とされた少女を引きずっていく。

「え、えーとチーフ。もしかしたら、ただ乗り間違えただけとか……」

「アオバ」

「はい!」

「……優しいことは良いが、それを与える相手は良く選ぶんだな」

 

「はい……」

 

「今日はもう退社しろ。報告書は私がやっておく」

 チーフに連れて行かれる乗り間違えた客を眺めながら、ふとアオバは先程自分が言った『乗り間違える』という単語が引っかかってくる。自分も乗る列車を乗り間違えたんじゃないかと。

「アオバ嬢、気に病むることなき。今日は早退勤、惰眠デェイなるが故」

 

「そうですね……帰ります」

 

 アオバは自問する。こうして自分はキヴォトスに帰ることなく、あの優しい声を、あの幸せな時間をもう二度と味わうことなく暮らしていかないといけないのか。手に付着した赤黒い液体も、このW社の制服も、売り払ったショットガンも、すべて自分が都市の人間だと言い放って来ているように感じ取れ、涙が込み上げてくる。

 

 けど。

 

 

 弱みを見せたら食い物にされることをアオバは知っている。込み上がってきた涙を引っ込め、退勤するために着替え室に入り、着替える最中。ドアの方を見る。

「やっぱり……血なまぐさいと来てくれませんよね」

 誰一人も通ることがないドアから目を放して、かつて着ていた服の名残を残しているベージュ色の服に着替え終わり、帰路につく。いつもの家、いつものご飯、いつもの寝床。まぶたを閉じて、明日が来る。内海アオバにはもうこれが日常になってしまった。世界は不条理だと嘆いても誰かが助けてくれるわけではない。もう、あの日のように騒がしい姉妹に会える訳でも、先生の言葉を聞けるわけでもない。故に、目を閉じる。そんなことは泡沫の夢に過ぎないのだから。

 

 

 

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。今日も電車は揺れる。

 

「次は──ー終点W社本社、W社本社でございます。翼の職員様は職員専用通路をお使いになるように────」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。今日も身体が揺れる。

「先に左側のドアが開きます。繰り返します、翼の職員の皆様は──ー」

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。今日も心が揺れる。

 

I hate people(乗客が嫌いです)

 

 W社の駅が近づいてくるのを見て、あの忌々しい肉塊を思い出し、軽蔑した。

 

I hate this world(都市が嫌いです)

 

 自分の踏んでいる場所がキヴォトスでないことを思い出し、軽蔑した。

 

I hate being alone(ワンオペが嫌いです)

 

 昇進して以降、業務の負担が多くなっていることを思い出し、軽蔑した。

 

I hate this world(without you)(この列車が嫌いです。……刃なしには)

 

 この刃さえあれば、生きていけると思った自分を、軽蔑した。

 

 

 出勤カードを切り、列車に乗り込む。今日もまた勤務日、青赤入り交じるワンオペの日。ふと、風が入り込む。揺れる髪、揺れる瞳。ドアが閉まっていく、列車と都市を隔てる壁が降ろされるその刹那。アオバは

 

「さよなら、先生」

 

 青葉の一切ない、この青いディストピアにて、かつての青い思い出(ブルーアーカイブ)に別れを告げた。

 

 


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