2025-07-20

夜道ですれ違う時、あなたはわざわざ道路を渡る。僕はそれを「受動攻撃」だと思っている。

夜道で、僕とすれ違う女性が、なぜか明らかにこちらを見た後に、反対側の歩道に渡っていく。

何度もあった。今夜もだった。

危険を避けたい」「用心のため」と言われれば、それはもっともらしく聞こえる。

でも僕はあえて言いたい。それは受動攻撃だ、と。

誰もが「合理的自己防衛」を装って、無言のジャッジを突きつける

この行動には、攻撃性がないように見える。言葉もない。ただ歩道を渡るだけ。

けれど、その沈黙が強烈だ。

僕は何もしていない。ただ夜道を歩いているだけの存在だ。

でもその「存在自体が、「避けられる」「脅威と見なされる」ことにより、

あなた社会的に歓迎されない存在ですよ」と、

無言のメッセージを突きつけられる。

これは否応なく「加害者としての仮面」を被せられることに他ならない。

何もしていないのに、「していること」にされる。

攻撃性とは、必ずしも怒声や暴力の形を取らない

受動攻撃パッシブアグレッション)は、

「私は何もしていません」と言いながら、

相手に「自分が悪いのかもしれない」と思わせる力学を持つ。

無視する、距離を取る、視線を逸らす――

そうした行動のなかには、能動的な「意思表示が含まれている。

歩道を渡ることは、女性にとって「安全確保」かもしれない。

でも同時にそれは、こちらに「お前は怖がられる存在だ」と告げる、極めて強力な社会的サインでもある。

傷ついたと口にすることすら、許されない

これを言うと、必ず「被害者ヅラするな」「女性の恐怖を想像しろ」という声が返ってくる。

わかってる。そういう反応が来ることも、承知で書いてる。

でも、それって「黙ってろ」と言ってるのと同じじゃないか

警戒される側の痛みや孤独は、存在しないことにされる。

から、僕はこう言い換えたい。

あなたが「無害であれ」と社会から要求されながら、

一方的に「潜在的加害者」として扱われるとき

そこには確かに、静かだけど冷たい攻撃の矢が刺さっている。

その行動は、あなたが思っている以上に鋭い刃物になっている。

僕らはそれを「受動攻撃」と呼ぶ。

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必要であれば、「逆の立場から反論」や「バランスを取った視点」の文章も用意できます希望があればお知らせください。

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