山手線恵比寿駅の東に小高い山がありました。
「福沢山」と呼ばれていたそうですが、そうとは知らず
私は その下を通って三田まで通っていました。
そこが、福沢諭吉の長女「お房」さんと「福沢桃介」の
邸宅だったと知ったのは、慶応を卒業して千代田生命に
入社した時です。そこは「千代田生命」の研修センターに
なっていて、入社して一年は教習生として、ここで
暮らしました。
そして、入社4年目に不動産部に配属された時、
土地購入時の一件資料を見つけたのです。
業務上知りえた秘密は公開できませんか?千代田生命も
無くなってしまったから、まいいでしょう。
ここは、お房さんと桃介の邸宅でしたが、400坪ある
敷地には、劇場や書生たちの住まいもありました。
桃介邸は、二棟あり、その間は渡り廊下でつながれて
いました。桃介はほとんど名古屋~岐阜、長野で仕事を
していましたから、めったに東京に帰ることは無かった
のですが、帰京してもお房さんは顔を会わせなかった
ようです。
さて、桃介は巨万の富を築いたのですが、昭和13年に
亡くなり、戦争戦後を経て、株も紙切れとなり、貨幣
切り替えで、何万円もの遺産も100分の1になって
しまいました。
桃介とお房さんの子の「駒吉」は、精神を病んでいて、
看護婦の「八重」さんが付き添っていましたが、
駒吉は、八重さんを妊娠させてしまいます。というわけで、
事実婚です。
そして戦後、駒吉夫婦?は、生活の困窮から、敷地を
千代田生命に売却します。 敷地400坪をたしか1万5千円
だったと記憶しています。(安い!)千代田生命の
創業者は慶応の塾頭を務めた門野幾之進でしたから、
福沢桃介の遺児を救おうという気持ちもあったようです。
その1万5千円も、戦後の超インフレで、あっというまに
価値がなくなり、他の遺族から「売買契約は無効」との
訴訟を起こされますが、千代田の勝訴に終わります。
さて、駒吉さんはその後 どうされましたかな。
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