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Conversation

フォロワーが激減するのを覚悟で何度でも言います。 我々一般大衆が政治で社会を根本的に変えられるということは、まずあり得ません。 「政治」というものも、ある意味では(というかあらゆる側面で)支配層に乗っ取られている、というよりも、支配層がその仕組みを作ってきたと言っても過言ではないわけで・・・。 このことがわかっていない人は、良く言えば「うぶ」あるいは「無垢」、悪く言えば「世間知らず」だということを自覚した方が良い(*決してバカにしているわけではありません)。 ですから、政治を動かすことで我々一般大衆が変えられる部分というのは、実はほんの僅かであり、我々の暮らしのシステムを根本的に政治によって作り変えるということは不可能だということを知っておくべきだと私は思います(*とはいえ全く何も変えられないわけではなく、僅かであっても末端から変えられる部分がある。後述するように私はそこには期待しています)。 また「選挙」とは、一般大衆にとっては、各自投票行為をすることで単に自分の意思表示を行う場に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。 それで応援している候補者が当選したとしても、それでその候補者が政治家として何かを変えてくれる、自分たちの暮らしを良くしてくれるなどとはあまり期待すべきではないと私は思っています(政治家たちに何か特別な力があるわけではない。むしろ、ご存知の通り、ほとんどの政治家は利権構造にどっぷり浸かった俗物人間です。そのような利権構造を崩して庶民のために政治してやろうと目論む人が大物政治家になれるはずがない)。 なかには、選挙で投票に行くことがまるで「至上命題」であるかの如く、また「今回の選挙で勝てないと日本が終わる」とでも言うかの如く、選挙期間中に一生懸命になって声をあげている人もたくさんおられるとは思いますが、はっきり申し上げて、それもあまり意味のないことだと私は思います。 なぜなら「選挙」というものは、結局のところ一般大衆のガス抜き道具や新たな分断・分裂を産むための道具として用いられているところが大いにあると私は感じているからです。 本気で選挙で何かを変えたいと思うなら、まずは地方自治の末端から攻めるべきです。 国政選挙や東京都知事選など巨大な利権構造がバリバリ存在している大きなピラミッドを崩すことは一人(たとえ都知事でも)では到底不可能です。 しかし、小さな役場や町場、人口の少ない区や市議会レベルなら変えられる可能性がある。 だから私は、例えば亀岡市長の桂川さんや、泉大津市長の南出さん、元松本市長の菅谷さん、元明石市長の泉さんらのことは、大いに応援するべきだし、期待する価値があると思っています。 また、身近なところで言えば、「感性医の寺子屋」のメンバーでもある吹田市議会議員の中西勇太さん(参政党)や、高槻市議会議員の市來ハヤトさん(維新の会)の活動を陰ながら応援しています。 しかしながら、大衆支配の道具として発展してきた政治に対して、我々の意識を向け過ぎるのは、やはり良くないと思います。 それは世の中を良くするのに、自分の外側の世界を変えようとする意識に繋がり、健全なことではないと思うからです。 2000年代の保守派言論界を牽引していた西部邁さん(故人)もこういうことを仰っていたものですが、「大衆こそが常にめちゃくちゃなことをしているくせに、政治に何かを期待するなど烏滸がましい」。 その通りだと思います。 また、私も一時期は「選挙に行かないとかあり得ないし、そういうやつらは全員バカだ!そういうバカが多いから世の中変わらないんだ」と本気で思っていました。 しかし、自分が変わらなければ何も変えられない。他者を変えることはできないという真実に気づいてからは、政治に対する執着が全くなくなりました。 しかし、今では自分も一般大衆(被支配層)の一員であるという自覚があるので、故西部さんほど大衆に対する怒りや憎しみの気持ちは少ないとは思います。 むしろ今では、「選挙に行って社会を変えよう!!」と本気で声を上げている人を傍目に「そんなことしても実際には何も変わらないのになぁ」と思っているくらいです。 残念ながら、政治で世の中を変えられるというのは幻想に過ぎません。 今回の都知事選も、本日の投票で決まりますが、出来レース・茶番であり、誰がどのように参加しようともしなくても、大して結果には影響ないと思います。 必ずしも投票にいく必要はありません。 誰を支持するわけでもなければ、行かなくても結果は変わりません。 政治家の戯言動に一喜一憂することなく、地に足をつけて、自分ができることをいつも通り淡々とやっていれば良いと思います♪