横浜が生んだロックンローラー、横浜銀蝿・翔さんを徹底解剖!
ココがキニナル!
「ツッパリ」といえば横浜銀蝿。30周年を迎えた横浜銀蝿の翔さんってどんな人?
ライター:桐生 由美子
1980年。アイドルブーム到来とときを同じくして、社会現象を巻き起こした異色のグループがいる。それが「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」(以下、横浜銀蝿)だ。リーゼントに黒いサングラス、革ジャンに白いドカンという定番のスタイルで多くの音楽番組に登場し、若者たちの視線をくぎづけにした。
そこで今回はツッパリ男子の兄貴分、翔さんへのインタビュー! ガンガン質問させてもらうんで、夜露死苦!
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37回目の売り込みでデビューへ
―横浜銀蝿を結成したのはいつですか?
1979(昭和54)年に結成して、1980(昭和55)年9月にデビューしました。
―横浜銀蝿のメンバーって?
嵐、TAKU、Johnny、翔の4人。俺とJohnnyが高校のときの同級生。嵐さんは俺のアニキ。TAKUはアニキが連れてきた。
―アマチュアの頃はどのあたりでライブをやっていたんですか?
「戸塚公会堂」とか「CLUB24」とか・・・。地元だから横浜ではよくやってたね。
―どんな経緯で音楽業界に入ったのですか?
カセットテープに曲を入れて、レコード会社や事務所に売り込みに行ったんだよ。数えたら36回断られてたね。37回目の売り込みで、ユタカプロダクション(以下、ユタカプロ)の大坂さん(社長)が拾ってくれたんだ。
契約したあとに「僕が言うことにはすべてYESと答えてください。そのかわり翔くんの言うことにはすべてYESと答えます」って言われた。それって、究極の信頼関係を築くってことだよね。
デビュー当時を思い出しながらユタカプロとの思い出を語る翔さん
―ほかの事務所の反応は?
デモテープを聴いてくれてたのかどうか・・・。でもダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童さんが当時やってた「ブギウギオフィス」からは手紙が届いた。「今はそのレベルじゃないけどがんばれ」みたいな。嬉しかったね。
―そしてめでたくレコードデビュー!
キングレコードの水橋さんっていう人が、「レコード出したってそう簡単に売れない。そこで勝負する気はあるのか?」って、あえて言ってくれた。それに「つっぱって生きてきたお前らにしか歌えない歌はないのか?」って言われたときは考えたね。恋の歌や応援歌みたいなのは世の中にあふれてたし・・・。そんなときに「ぶっちぎりRock’n Roll」ができた。聴いてもらったら「これでしょう!」って喜んでくれて。
リーゼント、サングラス、革ジャン、白いドカンが横浜銀蝿の定番スタイル
―デビューのときから解散するときを決めていたって本当?
うん。シングルとアルバムでオリコン1位を取って、ライブで日本武道館を満タンにして2年間でやめるって目標を決めてね。でも2年経ったとき、アルバム1位と日本武道館満タンは達成したんだけど、シングルだけ2位止まりだった。それが悔しくて1年延期したら、「汗かきべそかきRock'n Roll Run」で初登場1位になって、3年3ヶ月経った1983年(昭和58年)の年末に解散したよ。
「俺たちにも何かできることがある!」
ツッパリの格好でステージにあがり、ギターを持ってロックンロールを歌う横浜銀蝿。彼らの存在は、「何をやってもおもしろくない」と言ってはケンカばかりしていた若者たちに、「俺たちにも何かできることがあるかもしれない!」と前を向かせるきっかけとなった。
当時は“アニキ”たちのファッションをまねる若者もいた
―横浜銀蝿が世の中に与えたものは?
銀蝿が出てきて、ロックンロールが世の中に浸透してきたっていう思いはあるね。テレビにもいっぱい出たからね。
そんな俺たちを見て、「俺たちもがんばれば何かできる!」って思った人たちもいたかもしれない。俺たち、決して楽器がうまいわけじゃなかったしさ。でもね、音にはけっこうこだわったんだよ。
―それはどんなところで?
効果音つくるのが好きでさ。「ぶっちぎり」っていうアルバムのバックに入ってるバイクの音は、実際の集会(暴走族の集まり)の音。雨の音も録りに行ったし。あと、言葉遊びとかも好きだったね。
曲のバックに流れる効果音は、雨の音にまでこだわったという
―あ、「尻取りRock'n Roll」ですね!
そうそう。あの歌はね、小学校の教科書に載るといいなと思ってつくったんだよ。渋谷から東横線に乗って、横浜に着くまでの間にできた(笑)
翔さんのプライベートに迫る!
横浜で生まれ育った翔さん。そうとうワルだった(?)学生時代の話をあれこれ聞いてみた。
―中学高校はどこに行ってたんですか?
舞岡中学校、県立柏陽高校。
―柏陽高校! 文武両道ですね!
あの頃は、中2の3学期にア・テスト(アチーブメントテスト)っていう高校のレベルを決めるテストがあって、その結果が合計250点満点で、230点以上だったの。中1まではちゃんと勉強してたから・・・。俺、中2からグレたんだよ(笑)
―すごい! ところで・・・なぜグレたんですか?
中学に入ると違う世界が見えてくるじゃん。「バイク」とか「暴走族」とかいう言葉が耳に入ってきて。かっこよかったんだよね。
音楽も中1まではフォークソングを聴いてたけど、中2の夏にチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」って曲に出会った。感動して、世界が変わったよ。
それからギターがほしくなったり、バイクに乗りたくなったりして、まったく勉強しなくなった。柏陽高校に入っても、俺みたいなのが何人かいて、その1人がJohnnyだったってわけ。
―部活はやってましたか?
中学も高校も剣道部。Johnnyとバンド始めてからも、放課後はみんな部活に行くから、バンドの練習は朝早く学校に行ってやってた。
朝早く起きて学校でバンドの練習・・・。早起きの不良だった
―で、大学へ進学したんですよね?
うん、関東学院卒。大学に行ってなかったら、銀蝿はなかったと思うよ。俺、飲食店でバイトしてて、コックになろうと思ってたから。調理師免許も持ってるし。
―バイトはどこで?
瀬谷商店街の中にあった「さかがみ」って店。今はもうないでしょう。
キャベツの千切りなんてすごい得意よ! 指に包丁がこすれて皮がむけたら、次の指を立ててずっと切ってたんだから。
―彼女とのデートの場所は?
デビュー前から茅ヶ崎の子と付き合ってて、よく湘南に行ってデートしてたよ。普通のかっこうしてれば、どこ行ってもバレないからね。
―ところで、翔さんの愛車は?
リンカーン!
―今もずっと横浜に住んでいるのですか?
結婚してたときは茅ヶ崎に住んでたけど、今は戸塚に戻ってる。お袋とふたりで実家に住んでるよ。おやじは介護が必要で、今施設に入ってる。嵐さんは脳梗塞で一度倒れてるから、本人のことで大変でしょ。親の面倒見るのは俺しかいないかなって。家族ってやっぱり大事だよね。ここ(純喫茶モネ)は近所だから、お袋ともよく来るよ。
翔さんが中学生の頃から通っている純喫茶モネの片山さんと
―お母さんは翔さんがつっぱってることに関してどう思っていた?
止められはしなかったかな。しょっちゅう怒られたけど(笑)。見守ってくれてたんだろうな、俺のこと。
「不良で売ってるんだからさ、俺(笑)」といいつつ、時折見せる優しい表情を逃さずパチリ!
―嵐さんはどんなお兄さんでした?
嵐さんは高校時代(旧 相模工業大学付属高校/現 湘南工科大学付属高校)に伝説をつくった人。不良やってたのに、生徒会長に立候補してダントツトップで当選したんだよ。生徒会長になったらクビ(退学)にならないからな(笑)。
演説のときに「お前ら、毎日男ばっかで授業やってて、文化祭くらい女呼びたいだろ! 俺が生徒会長になったら、門から校舎まで全部女を並べるぞ!」って言ったらしい。
翔さんの今、そしてこれから
―横浜銀蝿は今も現役?
もちろん! ただJohnnyは別の仕事をしているんで、今は嵐さんとTAKUと俺の3人でやってる。
サポートメンバーも参加した新生横浜銀蝿
―翔さん個人でも活動しているのですか?
「翔&BLACK BIRD」ってバンドをやってる。どんなに歳をとっても、ステージに立った瞬間「うわぁ~すげ~」って言われるような人でいたいと思ってる。
同年代のファンが、ライブで体動かして歌ってる俺を見たときに、「また明日もがんばるか」って気持ちになってほしいじゃん。もう55歳になったけど、俺が手を抜いたらダメだと思うんだ。
ロックンロールをずっと伝えていくために結成した「翔&BLACK BIRD」
村山一海さん(THE COOLS/右)、CONNYさん(ex THE VENUS/中央)とも「BONDS OF ROCK’N ROLL」として活動
―それが翔さんなんですね。
「ブレイクスルー」な生き方をしていきたいね。壁にぶつかるって、ストレスがたまる要因になるでしょう。その壁を見ない人はポジティブ、ぶつかるとへこんでしまう人はネガティブ。「ブレイクスルー」はその壁を楽しいものと思って突破するってことかな。
―ステキな生き方ですね!
とはいっても、老眼だけどね。歌詞カードの字が小さくて見えないし、スマホも画面がすごいデカイやつだし(笑)。でもそれは向き合っていかなきゃいけない現実。みんな歳はとるわけだし。
ステージでかっこよくいられないようになったら、もうステージをやる必要がない。それがロックンローラーの意識だね!
「俺の携帯見る?」と翔さんが取り出したのは・・・
ポケットにピッタリサイズの大きなスマホだった!
―これからの翔さんは?
これまでと同じように、ロックンロールの楽しさをみんなに伝えていきたいね。
最後に「はまれぽ.com」を漢字で書いてみようということになり、翔さんに考えてもらった。
「破魔麗帆大混雑(どっと混む)」
たまに間違えて「横浜銀行」って書いちゃうんだよね(笑)
「翔」&「破魔麗帆大混雑」を夜露死苦!
取材を終えて
最後に翔さんに、定番の2つの質問をしてみた。
―横浜市歌を歌えますか?
歌えないよ。俺たちの年代は、学校で習わなかったよ。
―横浜18区すべて言えますか?
戸塚区、中区、西区、南区、北区?東区?はないよね、港北区、港南区、・・・どこまで言ったっけ(笑)?
しばらく残りのアイスコーヒーを飲みながら世間話で盛り上がり、笑いっぱなしの3時間が終わった。
「じゃ、俺帰るよ。家でばばあが待ってるからさ」と言って翔さんは帰って行った。こんなに愛情を感じる「ばばあ」って言葉を、初めて聞いた気がする。
目の前にいる翔さんは、今もかっこいいロックンローラーだった。
―終わり―
<翔&BLACK BIRD>
「55db SHOW SOLO LIVE ~GO GO DE GO!!~」(55だべ 翔 ソロライブ)
日程 6月23日(日)/会場 新横浜 NEW SIDE BEACH!!/OPEN 16:30/START 17:30/ADV 5000yen・DOOR 6000yen
ローソンチケット Lコード 70821(6/22まで)
※当日券あり
※チケット及び・問い合わせ ニューサイドビーチ 045-474-2144
<TCR横浜銀蝿RSR>
「第8回おやじラブロックフェスティバル」
日程 9月14日(土)/チケット前売り3500円 当日4000円
【アルバムリリース情報】
翔&BLACK BIRD NEWアルバム「We're THE BLACK BIRD」
近日発売
新時代主義さん
2018年05月06日 10時06分
緑区とか瀬谷区とか泉区と比べたら戸塚はまだ都会だw
夕立ちR&Rさん
2014年03月26日 01時09分
薬物事件にはガッカリしましたが・・・中学の頃、翔さんに死ぬ程憧れてました!東京公演は全部行ったしぶっちぎり1は今、聴いても名盤ですね!
永田OLさん
2014年03月14日 10時28分
誰も知らない話ではないのですから、やはりここはどうして薬物に手を染めてしまったのか、そこから更生するのにどういう努力をしているのか、そういう話を聞いてほしかったですね。未だにお兄さんの嵐さんの涙の会見を思い出すのですよ。あの会見を思うと、このインタビューの内容は到底納得いくものではありません。