勝てなきゃ走る意味が無いと、俺はハルウララに言った 作:加賀崎 美咲
金継ぎという技術がある。
割れてしまった陶器を漆や金粉を使って繋ぎ合わせて器として蘇らせる技術だ。
バラバラに砕けた器でも器として元に戻る。
けれど割れてしまった事実は変わらない。
綺麗なように見えても、根底に歪さは残ったまま。
なんの話かと言われたら、トウカイテイオーのことだ。
骨折によって、以前のような軽快な走りは出来ない。
だからだろうか、骨折からの回復、走りのフォームの変え方についてよく彼女から聞かれる。
俺は彼女のトレーナーではないから、いつものように公園に来た彼女から話を聞いて、適当なアドバイスをするだけだ。
その関係性は変わらない。
俺はまだ、トレーナーという肩書きを取り戻すことに躊躇っていた。
それに対して、トウカイテイオーのリハビリは順調らしい。厳しい部分こそあれ、モチベーションの高さが回復を早めているとか。
金継ぎの器が美しいように、トウカイテイオーもまた、怪我を糧に力強い走りをみせている。
先日は大阪杯に出場し優勝。無敗記録を伸ばし続けていた。
宣言の通り、三冠は逃せども違う形で、憧れたシンボリルドルフを追いかけて、彼女はまたレースを走り出した。
「それでさ、次は春の天皇賞に出るつもりなんだ」
「天皇賞か……」
天皇賞。その言葉は俺にとって無視できないものだ。当然、今年は彼女も出場するだろう。
あのレースはメジロ家の悲願なのだ。回避するはずがない。
「マックイーンが気になる?」
顔に出ていたらしい。少し心配した声色で話すトウカイテイオー。
「……ああ。あいつも必ず出てくるんだろうな。勝てると思うか?」
「勝てるか、じゃないよ。勝つよ。もう望んだ夢は叶わなくても、立ち止まらない。前に進むって決めたんだ」
「そうか……」
ならば俺は何も言わない。トウカイテイオーが決めたことを覆す必要なんてないのだから。
「あ、話は変わるんだけどさ」
そういえば忘れていたと彼女は手を叩いて。
「ボクのトレーナーになってくれない?」
「その話は前にも断っただろ。レースに出るために名前は貸すが、俺はもうレースには関わらない。でも、お前に聞かれたなら応える。そう決めたんだ」
「そうだよね。ゴメン、変なこと聞いちゃった」
でも、とトウカイテイオーは断る。
「多分、今のままだとボクはマックイーンには勝てない。そんな気がするんだ」
「悪いが同感だ。今のマックイーンは俺が知っていた頃よりも明らかに上だ。何があいつをあそこまで高めているのか分からないが、あそこまでの執念、易々と降ろせるものじゃない」
「だからこそ、キミの力を借りたいんだ」
その目は本気だった。9月に見た、あの無敵のマックイーンに勝つと彼女は言う。
そのために俺の力が必要だと言ってくれる。
俺なんかの指導、なくたっていいだろうに。
一度夢破れても、それでもと立ち上がるトウカイテイオーが俺には眩し過ぎた。
「すまない。やはり俺はもうトレーナーにはなれない。本当にすまない」
「うん、ボクも無理を言っちゃってゴメン。……そうだ! 天皇賞は来週だから見に来てよ。ボクがマックイーンに勝つところ、見せてあげるから」
ピースサインをしてみせ、自信を見せつけられる。
あれだけの実力を見せつけられながら、それでも彼女は逃げることをせず、立ち向かうという。
羨ましい。
そう思った。
「ああ、頑張ってくれテイオー。応援している」
努めて他人事のように俺は言った。
応援をしていれば、自分も何かをしたような気がしたから。
●
天皇賞の当日は清々しいほどの快晴だ。
テイオーも、他のウマ娘たちもすでにゲートに入り、出走を待っていた。
白を基調としたテイオーの勝負服は遠目からも分かりやすい。観客席にいる俺に気が付き、軽く手を振る。
しかし俺は彼女に手をふり返す余裕がなかった。
鋭い眼光に縛られて、俺は身動きひとつ取れやしない。
マックイーンだ。黒いレースの編まれた喪服を象った勝負服に袖を通した彼女が俺を睨みつけている。
——何故、ここにいますの。おかしくなくて?
帽子から伸びる黒のヴェール越しに見えるすみれ色の瞳はそう告げていた。
怒りなのか、それとも違う感情なのか、俺には計りかねる。けれどその表情が、俺がここにいることを歓迎していないことは明らかだった。
しばらくの間、静かな時間が過ぎ。
そしてレース開始間もなくとなって、彼女はやっとターフに目線を移した。
レースが始まった。
走り出すウマ娘の集団。
飛び出したのはマックイーンとトウカイテイオーだった。
先行するトウカイテイオーに張り付くように走るマックイーン。
それは明らかな挑発だった。ピッタリとしたマーク。
いつでもお前を追い越せるという意思表示を行動で示していた。
トウカイテイオーはおそらく、真後ろで聞こえるマックイーンの激しく重い足音に追い立てられ焦らされているのだろう。
いくら置き去りにしようとも、マックイーンは少しも距離を開かせず、大して苦にした様子もない。
明らかな実力の差があった。
それでもトウカイテイオーは勝とうと走る。もっと早く走る。
直感する。あれはマズイ。
明らかな無理のあるペースと走法。完全に骨折が治りきっていないのに、あれほどの無理をすればどうなるかなんて明らかだ。
そんなことはトウカイテイオーが一番分かっているはずなのに、
彼女はペースを落とさない。
いや違う、落とせなくなっていた。
後ろを走るマックイーンのプレッシャーが彼女から冷静さや判断力を奪っているんだ。
まるで狩りのそれを思わせる、悪辣とさえ言わしめるマックイーンの走り。
競争をし、そして勝つ。その一点を極めてしまった走りだった。
マックイーンは強い。
この世代で。いや、誰もが知るどのウマ娘よりも彼女は強くなってしまった。
俺の胸の中は寂寥ばかりだ。
俺が彼女をあの高みへ導きたかった。
俺が彼女を勝たせるトレーナーとなりたかった。
だが現実はどうだ。
俺の手を離れたマックイーンは無敗だったトウカイテイオーに6バ身の差をつけ、圧勝をしてみせているじゃないか。
これが現実だ。
メジロマックイーンに、俺は必要なかった。
それだけのことだ。とても分かりやすいじゃないか。
あいつにとって、俺は初めからいらない存在だったんだ。
むしろ俺はただあいつの足枷となって、邪魔をしていただけなんだ。
いつか出した結論は正しかった。
トウカイテイオー。やっぱりそうなんだ。
負け犬はどこまで行っても負け犬なんだ。
どれだけ抗っても、もがいても、頑張っても。
そこにあるのは厳しい現実だけだ。
あれだけ前を向いていたお前も、今はどうだ。
マックイーンにペースを崩され、折れかけていた足を動かす痛みに表情を崩して、後方列まで置いて行かれているじゃないか。
必死に前に追いつこうと足をばたつかせ、やはり届かず。トウカイテイオーの無敗伝説は幕を閉じた。
●
レースは終わってみれば、マックイーンの圧勝で幕を閉じた。
無敗伝説のトウカイテイオーを下し、メジロ家の悲願を達成したマックイーン。
おめでとう。
それ以外に言葉はなかった。
敗残兵は去るのみ。
足に不調をきたしているであろう、同じ負け犬のトウカイテイオーを迎えに観客席を離れる。
予想通り、歩くのも辛そうにしたトウカイテイオーは壁に寄り掛かっていた。
——トウカイテイオー、もういいんだ。走らなくたって。もう、帰ろう。
そうやって声をかけようとして、言葉は形にならなかった。
足が歩みを止める。その姿に俺は立ち止まらざるを得なかった。
「無様ですわね。無敵の帝王が聞いて呆れる。この程度なのですの?」
凍りついたような伽藍堂の声色。良く知っているはずなのにその声は別人のようだった。
マックイーンがトウカイテイオーを見下ろすように立っていた。
対峙するトウカイテイオーは空元気にも、足が折れかけて辛いだろうに笑ってみせる。
「エヘヘっ、キミ強いね。思っていたよりもずっと、ずっと強かった。でも今度は負けないよ。最後に勝つのはボクだ」
「そうやってまた、意地汚くもがいてあの人を巻き込み、レースの舞台に引きずり出すのですか?」
凍えたような声色に、微かな怒りの色が混ざった。寒さに肌が張り付くような冷たさ。
これがマックイーンなのか?
良く知っているはずなのに、別人のような彼女の様子に困惑した。
「あの人をもう、レースに関わらせないで。あの人は誰かを勝たせられるトレーナーではないのです」
そうだよな。マックイーン。お前もそう思うよな。俺はダメなトレーナー、いやトレーナー未満の、ただの邪魔者——
「……それはキミが決めることじゃないよ」
「いいえ、私が決めることです。あの人は私のもの……、では、もう、ないのですね。いえ、どちらにしても、あの人は——」
「キミが決めることじゃないよ」
マックイーンの言葉をトウカイテイオーは遮る。
マックイーンは目を細め、トウカイテイオーを見下す。何を馬鹿なことを、と。
「ボクは諦めないよ。諦めかけていたボクに、諦めてもいい、仕方がないことだって、逃げ道を示してくれた。
でも、それでも前を向いていたいボクを、レースに関わるのも嫌だろうに、手を差し伸べてくれた」
違うんだトウカイテイオー。俺はきっと何もしないことへの言い訳に、お前を使ったんだ。そんな大層なことじゃない。
「だからボクは彼に、諦めなければ、まだ勝負は終わってないって、証明するんだ」
「あの人はそんなこと、望んでいません」
「望んでるさ。そうじゃなきゃ、初めからボクの相手なんかしてない。なんだかんだボクを助けてくれたのは、彼だって諦めたくないからだ」
諦めたくないと思っている? 俺が?
そんなはずはない。俺は逃げたんだ。
「それは……、あなたがあの人を無理矢理連れ出したから……」
トウカイテイオーがいなければ、俺はあのまま腐っていくはずだった。それで良いんだって納得した。
そうなんだと、自分にそう言い聞かせる。
そうでなければ、何かが変わってしまいそうで怖かった。
俺は俺自身を信じられない。
「ボクは信じてるよ。彼はきっとまたトレーナーになる。信じてるんだ。キミは違うの?」
「——っ! 私があの人を信じていないはずが——」
「なら見てろ! ボクが彼をお前の前に連れてきてやる。諦めてなんかいないって証明するよ」
「——勝手になさい。どうせ、あの人は帰ってはこないのですから。頑張るだけ無駄。敗れた者に次などない、あの人と私はそう思い知らされたのです」
マックイーンは踵をかえして去りゆく。
トウカイテイオーにあれだけ言われて、それでも、俺は前へと進む方法を見失っていた。
●
俺はまだあの公園にいる。
「やっぱり、ここにいたんだ」
ベンチに座る俺にトウカイテイオーが話しかける。
もう車椅子には座っていない。松葉杖をついて、それでも自分の足で立っていた。
俺はまだ座ったままだった。
トウカイテイオーをずっと見ていたのに、なにも変わっていない
そんな自分が恥ずかしい。
けれどここから逃げる勇気もなければ、行動する力もない。
「ボクの足、あと一か月もすれば完全にくっ付くってさ」
こともなさげに、諦めていないと彼女は言う。
「……それを俺に言ってどうする」
「マックイーンはまた、来年の天皇賞に出るよ」
再戦。まだ終わっていないと彼女は言う。
「だから、そんなことを俺に言ってどうするんだって——」
トウカイテイオーの言葉の真意が理解できずイラつき怒鳴ろうとして、彼女の目が合った。
まだお前は立ち上がらないのか?
瞳はそう告げていた。
「ボクは諦めなかったよ? キミは?」
そんなこと言われたって、俺に何が出来る。
「マックイーンには勝てっこない。今更俺が何かしたって、上手くいくはずがない。そんなことはお前だって分かって——」
「ボクが聞きたいのはそんなことじゃない!」
俺の腐ったような弱音をトウカイテイオーが遮る。
握った拳を俺の胸に押し立てた。その手にあったのはいつか彼女と投げ合ったゴムボール。
トウカイテイオーは優しく微笑む。答えは分かっている。そんな笑顔で。
「キミはどうしたい?」
ゴムボールを手に渡され、眺めた。
雨にさらされ、踏まれて、どれだけ汚れても。ボールは形を歪めて、それでもまだ終わっていなかった。
これはキャッチボールだ。
トウカイテイオーは俺に言葉を投げた。
だから俺は投げ返さなきゃいけない。
けれどなんて返せばいいか分からない。
何が正しいか。どうやって選べば。
俺は何がしたかったんだ?
「——トレーナーになりたい」
ポツリと言葉が漏れた。
無意識の中から出た、自分で言ったことすら気づくのに少し間があった。
俺はトレーナーに戻りたいのか?
今更? 逃げたのに?
そんな資格あるのか?
「どうしてキミはトレーナーになりたいの? メジロ家のため?」
「違う」
育ててもらった恩はある。けど理由はもっと単純だ。
「トレーナーになるために今まで頑張ってきたから」
「違う」
トレーナーになるためだ、なんて自分を鼓舞したことなんてない。
「お金とか名声のため?」
「違う」
それならもっと違う方法だってあったはずだ。それでも俺はトレーナーになりたかった。
「なら、どうしてキミはトレーナーになりたかったの?」
それはとても簡単な理由。
あまりにも単純で、いつの間にか忘れていた。
余計なことばかりで頭がいっぱいになっていたから、気がつけば見失ってしまった。
一番最初に、トレーナーになろうと動き出した、夢見た動機。
それは——
「俺が
手にしたボールをトウカイテイオーに突き出した。それが俺の答えだ。
言葉にすればあまりに単純で、でも俺にとっては人生の全てを集約する言葉。
ずっと彼女を勝たせたくて俺はトレーナーになりたかった。
あいつの為に俺は走り出した。
それなのに俺はあいつから逃げ出した。
恥ずかしかった。あいつの為に何もしてやれない自分を恥じた。
だから腐りもする。
彼女から逃げて、走る動機を失った。前へ進む理由はそれ一つなのに。
「俺はトレーナーになりたかったんじゃない。マックイーンのトレーナーになりたいんだ!」
言葉にして、胸の内につっかえていたものが崩れていく。
自分の気持ちなのに、何一つ分かっていなかった。
「でも、マックイーンはキミを必要としてないかもよ?」
いつかの問答の再現。立場は逆になった。
彼女は俺なしでも勝つ。それは見せつけられた。
でも違う。それは俺たちが望んだのはそんな勝ち方じゃない。
「俺たちが望んだのは二人で勝つこと。片割れだけで勝ったんじゃ、意味がないんだ」
「ならどうする? マックイーンはキミは帰ってこないって言うよ?」
「分からせてやる。俺はまたお前と走りたいと、俺の気持ちをあいつに見せて、——マックイーンを取り戻す」
それが俺のやりたいことだった。
「そっか!」
突き出したボールを受け取り、面白いおもちゃを見つけたような表情でトウカイテイオー、いや、テイオーが笑う。
「マックイーンを倒すんだね。なら、一緒に戦う誰かが必要?」
「ああ。こんな女々しい男の、ばかな意地の張り合いに付き合ってくれる、とびっきりのバカが一人必要だ」
「なら丁度いいね。ここに一人、マックイーンにボコボコにされて、お礼参りに行きたいヤツが一人いるよ?」
「なら助けてくれ。マックイーンを倒すのにお前が必要だ」
「いいよ。ボクもマックイーンを倒すのに一番良いトレーナーが欲しかったんだ」
一人で俺たちはマックイーンには敵わないのかもしれない。
けれど二人なら。諦めないバカ二人なら、届くのかもしれない。
届かせてみせる。
目指した場所を真っ直ぐに見つめて、俺たちは走り出した。
「よろしくね、
「ああ、任せろ。
俺たちは足を折った負け犬だ。
それでも諦めなければ、誰かを支えにして、また前に歩き出せる。
待っていろ、マックイーン。
お前のいるところに、俺とテイオーで、今から追いついてみせる。
そしてまた俺と、同じ景色を見て、どこまでも走ってくれ。
それがきっと俺たちの走る理由なんだから。
次回、最終回となります。
追伸:いつも感想・評価等、ありがとうございます。
多忙な身ゆえなかなか返事をかけませんが、いつも読んでいます。書き物の励みになっております。