勝てなきゃ走る意味が無いと、俺はハルウララに言った   作:加賀崎 美咲

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ハルウララの有マ記念

 走るだけでもレースは楽しいと思っていた。レースに出られるだけで私の世界はしあわせでいっぱいだった。

 

 でも今はすこし違う。

 

 トレーナーは私が一番になれると信じてくれる。一回だって一着になれなかった私を信じてくれた。

 

 だから私はもっと速く走りたい。なったことのない一着になりたい。

 

 トレーナーが私に見せたい景色を見たいから。

 

 だからわたしがんばる! 

 

 そんな風に意気込んで走り始めたけど、結果はままならない。

 

 レースは最下位から、ドベから5番目くらいを右往左往する。

 

 あたりまえだ。一番になりたい気持ちだけで勝てるなら、みんな一番になっている。

 

 みんな一番になりたいんだ。

 

 だから私はただスタートラインに立っただけ。

 

 これから競走して、誰よりも速くなって、やっと一番になれるんだ。

 

 そんな当たり前のことが分かって、レースは楽しいだけじゃなくなった。

 

 負けたら悔しくて、次こそはもっと速くなりたい。レースが楽しいと思うのと同じくらい、勝ちたい気持ちは増していく。

 

 トレーナーに教えてもらった走り方をいくつものレースで実践しているうちに、年間最多レース出場賞っていう、賞状をもらって褒められた。

 

 そしたらトレーナーに褒められた。すごく嬉しくて、いっぱい喜んでたら、ご褒美にキャンプに行くことになった。

 

 遊びとトレーニングを兼ねてゆっくり休憩して、また次のレースに備えるんだって。わたしは久しぶりにレースから離れた。

 

 トレーナーの車に乗ってやって来たキャンプ場は山に近くて、山道の長いランニングコースがあった。

 

 わたしがコースを走ってフォームを確かめている間に、トレーナーがカレーを作って待っていた。

 

 辺りはすっかり暗くなっていて、キャンプファイアに照らされながらホクホクのカレーを食べる。

 

 トレーナーの作ったカレーはびっくりするくらい美味しくて、わたしの大好きなニンジンがごろごろいっぱい入っていた。

 

 知ってたんだって聞くと、トレーナーはお鍋の中をかき混ぜながら、

 

「すまない、正直に言うと知らなかった。それが好きな奴がいて、いつも通りに作っていた。甘すぎるか?」

 

 そう話すトレーナーは少し寂しそうにしていた。

 

 わたしが美味しいよって伝えるとトレーナーは、なら良かったって言った。

 

 食べていたカレーをながめてみる。すごく美味しいカレーだ。わたしが今まで食べたカレーできっと一番美味しい。

 

 一番美味しい。今となってはなんて重い言葉だろう。

 

 ここまで美味しくなるのに、どれくらいトレーナーは頑張ったんだろう? 

 

 どんな理由があれば、それだけ頑張れるんだろう。きっとそれはトレーナーにとって大切なことなんだったと思う。

 

 良く考えると、わたしはトレーナーのことをあまり知らない。どんなことが好きで、どんなことをしてきたのか。

 

 そんなささいなことも知らない。

 

 今分かるのは、このカレーの味だけだ。

 

 わたしの知らない誰かのために美味しくなったカレー。

 

「どうしてトレーナーは一番になりたいの?」

 

 なんだか、とても聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。

 

 でも聞かなきゃいけない気がする。そんな予感があった。

 

 トレーナーは困った顔をして、長く、とっても長く、胸の中にある重たいものを吐き出すように息を吐いて、空を見上げた。

 

 つられて空を見ると、キラキラとしたお星様が空をいっぱいにしていた。

 

「俺は彼女を勝たせなきゃいけなかった」

 

 これはただの独り言だって、ゆっくりとトレーナーは話しだす。

 

「でも、俺には俺が思っていたような才能がなくて、彼女を勝たせてやれなかった。

 

 その子には才能があったんだ。誰よりも速くターフを駆け抜ける才能があって、当然のように努力して、勝負に手を抜くこともなかった。

 

 なのに俺は何もしてやれなかった。それどころか、一番大切なレースで俺はとんでないことをしでかして、逃げたんだ」

 

 トレーナーは辛いことを思い出して小さくなる。

 

 俺は大したことのない奴なんだ。トレーナーは自分に酷いことを言う。

 

「俺はあいつに悲しい思いをさせてしまった」

 

 トレーナーはその子のことをそんな風に話した。でもそうなのかな? トレーナーは自分が悪いって言うけど。わたしはそれがなんだか嫌だった。

 

「その子はどう思ってたのかな? わたしはトレーナーと一緒にどうやったら勝てるかを考えるの、楽しいよ? 

 

 レースはまだ勝てないけど、でも楽しい。その子は違ったのかな? わたしならトレーナーと走りたいって思うよ」

 

 トレーナーは目を見開いて固まった。そんなことを考えたこともなかったんだって。

 

「レースが楽しいなんて考えはきっと、俺たちの間にはなかった。あるのはメジロ家の悲願を叶える、その道筋だけを考えてきた。

 

 俺はそのためだけに生かされて、ずっと必死だった」

 

 でも、とトレーナーは言う。

 

「なのに俺は逃げ出したんだ。もう元通りには戻れない。償いたくても、俺にはそんな勇気すらないんだ」

 

「軽蔑しただろ?」

 

 トレーナーの言うことは時々難しくてわたしには良く分からない。ただトレーナーの気持ちはもっと単純なんだと思う。

 

「トレーナーはその子に謝りたいの?」

 

 トレーナーはキョトンとした顔を作って考え込みながら鍋をかき回す。

 

「そうなのかも、……しれないな。でもそんな日はきっとこない。来たとしても、俺はまた逃げ出す。自分を信じられないんだ」

 

 おかわりをくれるトレーナーにわたしは何も言えなかった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 キャンプから帰ってしばらくすると、年間ウマ娘の表彰があったよ。

 

 レースが速かったり、人気があるウマ娘に賞状が送られるイベント。

 

 そんなイベントにわたしとトレーナーも呼ばれたんだ。

 

 わたしは年間最多出場っていう賞で、トレーナーは優秀トレーナー賞っていうのをもらったよ。

 

 ウマ娘とトレーナーは控え室が別だから、呼ばれるまでトレーナーにもらったニンジン飴を食べてたら、知らないウマ娘に話しかけられた。

 

「あら、ニンジン飴いいですわね」

 

「ひとつ食べる? 美味しいよ?」

 

「よろしくて? ならおひとつ」

 

 わたしの横に座って飴を受け取ると、その子は嬉しそうに口の中で飴を転がす。

 

 美味しいよねって言うとその子は頷いた。

 

「ええ、これ好きですのよ? 子供の頃から事あるごとにくださる方がいましたの」

 

「へー、そうなんだ。優しい人だね」

 

「はい、本当に。本当に優しい人でした。繊細すぎるくらいには」

 

 その子はとっても柔らかく笑う。似てないけどトレーナーに良く似てる気がした。

 

「わたくし、メジロマックイーンといいます。あなたは?」

 

「わたし? ハルウララだよ! よろしくね、マックイーンちゃん」

 

 自己紹介をするとマックイーンちゃんは少し目を細めて。

 

「あら、あなたがハルウララさんでしたのね。前々からお会いしたいと思ってましたのよ」

 

「そうなの?」

 

「ええ、デビューしたばかりの新人でありながら、すでに年間最多出場をやってみせたタフな新星。噂になっていてよ?」

 

「へー、そうなんだ。わたしはトレーナーに言われるまま頑張ったからよく分かんないや」

 

「そう、あなたのトレーナーの指示でしたの。どんな方ですの?」

 

 ふふっ、って上品にマックイーンちゃんが笑う。

 

「トレーナー? 今日来てるよ?」

 

「いえいえ、そうではなくて。あなたから見たその方の人物像を聞きたいのです」

 

「うーん? そうだなー。いつも一生懸命で、わたしが一着になれるように色んなことを考えてくれる人だよ」

 

「立派な方のようですね。自分のウマ娘を捨てて、どこかへ行った人とは思えませんね」

 

「え?」

 

 わたしは言葉の意味がよく分からなくて聞き返していた。マックイーンちゃんは何かを見定めるように、わたしの顔を見つめる。

 

「有名な話ですわ。パートナーだったウマ娘を捨てて、どこかへ行ってしまった。あの方、そのことをどう思っているのでしょうね」

 

 昔を懐かしむようなマックイーンちゃんの表情に、わたしは少しムッとする。

 

「トレーナーは逃げないよ」

 

「へ?」

 

「トレーナーは自分のウマ娘を見捨てたりなんかしない。だってトレーナーは悪いことをしたって思ってて、それを謝りたいって言ってたもん。絶対に戻ってくるよ」

 

「……そう。そうですの。失礼しました。部外者が出すぎたマネを。すいません。このような面白くもない話をして。有記念でお待ちしてます。是非いいレースをしましょう?」

 

 聞いたことのないレースに、わたしは聞き返した。

 

「ありまきねん?」

 

「有名なレースですわ。この表彰式に呼ばれたのなら、出場なさるのでしょう?」

 

「そうなのかも。トレーナーに聞いてみるよ! よろしくねマックイーンちゃん」

 

「ええ、本当に。走れる時を楽しみにしています」

 

 マックイーンちゃんはお花が咲くような笑みでそう言った。

 

 表彰式の帰り道。トレセン学園の寮に帰るため、わたしはトレーナーに送られていた。

 

 マックイーンちゃんが言っていたありまきねんに、わたしはわくわくしていた。

 

「トレーナー! わたし、ありまきねんに出られるの?」

 

「有記念に? 出られないこともないが、出たいのか?」

 

 トレーナーはわたしの口から具体的なレースの名前が出たことに少し驚いていた。

 

「うん! 今日ね、マックイーンちゃんに会って、ありまきねんで一緒に走ろうねって誘われたんだ!」

 

「マックイーンにあったのか⁉︎」

 

 トレーナーの顔がひきつった。

 

「うん。もしかしてトレーナーも知ってた?」

 

「あ、ああ……。昔からの知り合いだ。それにしても有記念か。お前の得意種目とはかなり違う、芝の長距離のレースだが大丈夫か?」

 

「今度こそ一着になってみせるよー」

 

「分かった。申請しておくからお前はレースでどうやって走るか考えておくんだ。いいな?」

 

「うん! 一緒に頑張ろうね、トレーナー!」

 

 

 

 ●

 

 

 

 有マ記念の当日はあっさりとやってきた。

 

 わたしはもう出走のパドックに入り、レースが始まる瞬間を待っていた。

 

『始まります、本年度の有記念! 今年はどのウマ娘が勝利の栄光に輝くのか!』

 

 アナウンスの人が楽しそうに実況を始める。 

 

『本命はなんと言っても、世代最強と名高い名門メジロ家のステイヤー、メジロマックイーン!』

 

 今回、一番速いって思われているのはマックイーンちゃんらしい。隣のゲートにいる彼女は紹介されて小さく一礼する。

 

 ぼんやり観客席のほうを見るとトレーナーがいた。トレーナーは静かにわたしを見て、レースが始まるのを待っている。

 

 わたしが手を振ると苦笑して、レースに集中しろと合図した。

 

 はーい、と独り言を呟きながら前に向き直るとマックイーンちゃんがこっちを見ていた。

 

 マックイーンちゃんはわたしには何も言わず、観客席に向けてお姫様みたいにスカートを持ち上げて一礼をして、前を向いた。

 

 どうしたんだろと考えていると、わたしの番のアナウンスがやってきた。

 

『最後は期待の新星! デビューから最多出場を決めた豪脚の持ち主、ハルウララだ! なかなか一着になれないハルウララ。今日こそは一勝なるか!』

 

 こんな風に言われると少し恥ずかしいね。でも、今日こそは一着になりたいのは本当だ。

 

 トレーナーの期待や信頼に応えるんだ! 

 

 息を飲んで、静かにレースが始まるその時を待つ。

 

 わずかな静寂。

 

 そして、ゲートが開いた。

 

 一斉にウマ娘たちが駆け出す。

 

 先頭はマックイーンちゃんの独走。その後ろをダマになった一団が追う。

 

 わたしはそのさらに後ろ、最後尾を走る。

 

 これはトレーナーと考えた作戦だ。

 

 ダート、荒れた道が得意なわたしは、他のウマ娘が走りたがらない、みんなが走った後の荒れたターフを使うことにした。

 

 無理に競争に参加せず、足を残して最後のコーナーに全力をかける。

 

 たくさんのレースを走った経験が、そんな型破りな走りを可能にしてくれていた。全部トレーナーが立ててくれた作戦通り。あとはわたしの頑張り次第だね。

 

 第一、第二、第三のコーナーを抜けて、もうすぐ第四コーナー。前を走る子たちは少しバテ始めてきて、コーナーを曲がるのに大きく膨らんでいく。

 

 今だ! 

 

 膨らんでいく集団の内側に潜り込んで、溜め込んだ足を一気に使う時、ここで仕掛ける! 

 

『おおっと! これを誰が予想したか! ダート専門のハルウララ、有の長距離で先頭に転がり出た! マックイーンと並走する! 先着争いはこの二人だー!』 

 

 自分でも信じられないくらいに足が回転する。

 

 もう足元くらいしか見えない。実況だけがなんとかわたしに状況を教えてくれる。

 

 直線はもうあとわずか。隣を走っているのはきっとマックイーンちゃんだ。

 

 得意じゃない芝に足を取られる。かろうじて先行していたことで疲労しているマックイーンちゃんに追随出来ている。

 

 こんなに速く走れたのは初めてだ。

 

 後ろの一団はとっくに後ろ、あとはわたしとマックイーンちゃんの一騎討ち。

 

 300メートル。

 

 少しわたしが遅れ始める。

 

 200メートル。

 

 1バ身の差ができちゃった。もう追い越すのは難しいかなー。

 

 100メートル。

 

 差は縮まらない。二人の間にある芝が遠すぎる。

 

 あーあ。また負けちゃうのかな。

 

 今回は勝ちたかっ——

 

 ——負けるなっ! 行けぇー! ウララー! 

 

 諦めそうになった心に声が聞こえた。

 

 俯いた顔を上げると、観客席から身を乗り出してトレーナーが必死に応援しながら、わたしを見ている。

 

 らしくもないトレーナーの様子に、レース中だと言うのにわたしは笑っていた。

 

 そんなに必死にされちゃったら、もう諦められないよ。

 

 下を向くのはやめよう。出せる全てを尽くそう。

 

 顔を上げて、わたしはターフを駆け上がる。

 

 崩れかけていたフォームが直っていく。

 

 目の前を走るマックイーンちゃんがいるからだ。マックイーンちゃんが正しいフォームを教えてくれる。

 

 あぁ、そうなんだ。

 

 気がついちゃった。

 

 マックイーンちゃんがトレーナーの『あの子』なんだ。

 

 トレーナーがずっと見ていた子がマックイーンちゃんだった。

 

 マックイーンちゃんは今何を思って走っているのだろう。

 

 何もわからない。

 

 ただ一つ分かることは、マックイーンちゃんは良いレースを走ろうって言ってくれた。

 

 だから全力で応えるんだ。

 

 トレーナーは逃げてなんかない。

 

 トレーナーが教えてくれたことを、マックイーンちゃんに見せてあげるんだ。

 

 トレーナーの声がわたしの背中を押して、わたしは前へ、前へ走っていく。

 

 そして、わたしはマックイーンちゃんを抜いた。

 

 わたしが一番前にいる。

 

 前には誰もいない。ただ芝のターフが前へ広がっている。初めて見た、一着だけが見られる光景。

 

 それにわたしは目を見開いた。

 

 たった数秒わたしが先を走って、レースが終わった。

 

『ゴール! なんということだ! 世代最強のマックイーンが一着を譲ったぁ! 

 

 勝ったのはハルウララ! 春一番が有の空を駆け抜けたぁ!』

 

 乱れた息を整えながら、聞こえてくる実況が、わたしが勝ったことを教えてくれる。

 

 観客席のみんながわたしの名前を呼んでいる。

 

 わたしが一着だった。

 

 勝ったんだ。

 

 生まれて初めて、わたしは一着になれたんだ。

 

 嬉しすぎて、どうしていいか分からない。嬉しすぎて涙が自然と溢れていく。

 

 そんな顔を見られたくなくて、大きく一礼すると観客席が湧き上がり、わたしの有記念は終わった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 レースも終わったあと。

 

 みんな、わたしが勝ったことを、わたし以上に喜んでくれて、たくさん褒められた。

 

 その中にはマックイーンちゃんもいた。

 

「おめでとうございますハルウララさん。とても良いレースでした」

 

 負けても、マックイーンちゃんは朗らかに笑ってわたしの健闘をたたえてくれる。

 

 強い人の余裕って感じだ。次は負けないとも言われた。

 

 去り際、マックイーンちゃんは離れたところにいたトレーナーに近づいて、話しかけていた。

 

 それははっきりと聞こえた。

 

「マックイーン、俺は……」

 

「お元気そうで良かった。良いウマ娘に巡り会いましたわね。二人でお元気で。……では、さようなら」

 

 マックイーンちゃんがトレーナーから離れていく。

 

 トレーナーからは見えないように、顔を伏せながらマックイーンちゃんが走り去っていく。

 

 見えてしまった。

 

 小さく溢れていく雫。

 

 わたしが流したのとは違う。悲しいから流れる涙。

 

 違うよマックイーンちゃん。トレーナーは君のことを見捨てたりしない。

 

 ただ向き合って話し合えば分かり合えるはずなのに、二人の距離が離れていく。

 

 トレーナーは手を宙に伸ばしたまま、動けずにいる。

 

 だめだよ! 

 

 気がつけばわたしはトレーナーに駆け寄っていた。

 

「トレーナー! マックイーンちゃんを追いかけて!」

 

「ウララ⁉︎ でも俺にはもうあいつに顔を合わせる資格がなくて……」

 

「そんな資格なくたって、マックイーンちゃんはずっと待ってるよ!」

 

「ダメなんだ。ダメなんだよ。またあいつを負けさせるんじゃないかと思うと、俺は……。俺はダメなやつだ。あいつを前にして、また逃げようとしてるんだ」

 

「トレーナーはダメなんかじゃない!」

 

 わたしは叫んだ。トレーナーのそういう、自分を悪く言う口が嫌いだった。

 

 だってトレーナーはダメダメだったわたしを、一着にしてくれたのに。ダメなはずないよ。

 

「トレーナーはすごいよ。毎晩遅くまでトレーニングメニューを考えてくれたことも、わたしが経験を積めるレースを探してくれたことも。トレーナーがいつも辛いのを我慢してずっと頑張ってたことも、わたし全部知ってるよ」

 

「でもそんなの当たり前のことで……」

 

「わたしのトレーナーはトレーナーだけなんだよ! 世界一のトレーナーなんだよ!」

 

 トレーナーにだって否定させない。わたしのトレーナーは世界一なんだ。

 

「わたしはトレーナーを信じてるよ。トレーナーが自分を信じられなくても、わたしが信じてるトレーナーを信じて」

 

 トレーナーも勝ってほしい。

 

 きっとトレーナーはまだレースの途中なんだから。

 

「だから行って!」

 

 わたしはトレーナーの背中を叩いて、前へ押し出す。

 

 よろけながら、それでも立ち止まっていたトレーナーは前に歩き出した。

 

「——っ! 待っていてくれウララ。必ず戻る! 」

 

 そこにはもうしぼんだ風船みたいな笑顔のトレーナーはいなかった。

 

 がんばれ、がんばれトレーナー! 

 

 遠くなっていくトレーナーにわたしはエールを送った。

 

 

 

 ●

 

 

 

 走る。走る。

 

 息も絶え絶えになって、俺はただ彼女を探していた。

 

 自分には才能がないって気がついた時にトレーナーを辞めようと思った。

 

 彼女を勝たせられない自分に価値はないと、そう考えていた。

 

 そうやって何もかもに嫌気がさして、勝負から逃げ出した。

 

 勝手に失望されたと一人で思い込んで。それすら言い訳にして。

 

 なんて傲慢だ。

 

 なのに意地汚く、諦めきれず、俺は勝負の世界に戻ってきた。

 

 ウララが俺を変えてくれた。

 

 もうかっこ悪いところは見せられない。見せたくない。

 

 俺を世界一のトレーナーだと信じてくれるウララを裏切れない。

 

 そうだよな。負けたってまた走れるんだ。

 

 諦めて、走ることを辞めちまったら、勝てなくなっちまう。

 

 あぁ、そうか。マックイーン。お前もこんな気持ちだったんだな。

 

 ごめんな。また辛い思いをさせてしまって。

 

 でも、俺はもう逃げないから。血を吐いたって、頭が変になったって、もうお前から逃げない。

 

 マックイーンは簡単に見つかった。

 

 もう長い付き合いなんだ。

 

 こういう時、お前がどこにいるかくらい、すぐに分かる。

 

 人混みから離れた静かな一角に座り込んで顔を隠す奴がいた。

 

 ゆっくりと歩み寄っていくと、気配に気がつき顔を上げ、涙を見せないように拭い、赤く腫れた目で俺を見つけると、彼女はひどく驚いた顔をした。

 

「あら、どうされました? これからハルウララさんと祝賀会でもなさるんでしょう? それとも敗者をなじりにきたのですか?」

 

 澄ました顔で彼女は強がる。けれど赤くなった目は隠せていない。

 

 彼女にそんな顔をさせたのは俺だ。だからその責任はとる。

 

「俺にそんな資格がないことは分かっている。今更どんな面を下げていいかも分からない」

 

「何を今さら。私たちは終わったのですから——」

 

「それでも! 俺はまた、お前と走りたい」

 

 嘘偽りない俺の気持ち。

 

 マックイーンは目を見開く。

 

 俺はずっと逃げていた。なのに今さら、都合が良いことなんて百も承知だ。

 

 けれどこれだけは言わせてくれ、それでも俺は諦められないんだ。

 

 家柄とか責任とか、そんなことはもう、どうでもいい。

 

 これは俺とお前のレースだ。

 

 俺たちが目指した場所へ、お前を連れて行く。

 

「お前に天皇賞を制覇させる」

 

 俺たちの最初の約束を今度こそ、果たすんだ。




とても好評でしたのであと一話、マックイーン視点を書いて今度こそ終わりにします。
次回『インタビュー・ウィズ・マックイーン』
マックイーン目線で物語の裏側を書いて、三人の物語は終わります。
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