勝てなきゃ走る意味が無いと、俺はハルウララに言った   作:加賀崎 美咲

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トレーナーの独白

 ウマ娘が嫌いだ。

 

 レースが嫌いだ。

 

 ダービーが嫌いだ。

 

 でも不幸なことに、俺の人生はそれ無しには成り立たなかった。

 

 メジロ家という家がある。

 

 歴々の強者、頂点を戴くウマ娘を何人も輩出する名家というべき一族。

 

 良家の中の良家。そんな仰々しいクソッタレどもが俺の世界の中心だった。

 

 ウマ娘がダービーを勝ち上がるには必要なものがいくつかある。

 

 磨き上げられた肉体、血を吐くような勝負経験、天から授けられた勝負運。

 

 けれど自力ではどうしようもないものが一つだけある。

 

 それは素質あるウマ娘を最高の状態に仕上げる調教師。トレーナーの存在。

 

 本番のレースでは影も形もない日陰者。

 

 実際にレースを走り、勝利を勝ち取るのはウマ娘だ。

 

 けれど優秀なトレーナーなくして一着、勝利は無い。

 

 勝利を争うウマ娘同士は当然、血筋から厳選された素質を持ち、走る生き物として完成されている。

 

 勝負を決めるのは、最後の小さな誤差。

 

 その誤差を引き寄せるのがトレーナーの手腕にかかっている。

 

 だから当然、ウマ娘は優れたトレーナーを求め、それはメジロ家も同じだった。

 

 けれどそこにはどうしようもない運が介在する。

 

 優れたトレーナーに出会えるかどうか。ウマ娘とトレーナーとの相性がかみ合うか。

 

 コンビを組み結果を見るまで、それは博打に近い。

 

 賽を投げ、偶数か奇数が出るか分からない。当たりか外れか。投げなければ分からない。

 

 そして良家は博打を振らなかった。

 

 単純な話だ。自身から輩出する素質あるウマ娘に見合ったトレーナーを探すのではなく、ウマ娘に見合う素質を持ったトレーナーを用意するのだ。

 

 方法? そんなもの、名家の得意分野だ。

 

 意図的な交配と幼少期からの教育。ウマ娘に行う技法とノウハウをそのまま流用すれば良いだけの話だ。

 

 家の中で将来の覇者を育てる傍らで、それに付き従う従者を飼育する。

 

 そんな大外れクジを代々引き続けているのが我が家で。今代の貧乏クジの担当が俺だった。

 

 ここまで口汚く話していたが、別にメジロ家に恨みはない。

 

 それこそ、メジロ家のトレーナーは当家のウマ娘を支える存在。生まれたときから手厚く、それこそウマ娘と同じように大事に養育された。

 

 金と愛情でどうにか出来る範囲において何もかもに恵まれ、不自由など別世界の言葉だった。

 

 その分結果は求められたし、将来の青写真は決められていたけれど、不満はなく。トレーナーとなるべく医学、スポーツ科学といった分野の博士号や免許を片っ端から修めていくだけの頭脳と才能が俺にはあった。

 

 そして大学院を首席で卒業した翌年、ついに俺の人生の本番がやって来た。

 

 その年、メジロで今代のウマ娘がダービーに出走出来る年齢、つまりはトレセン学園に入学する年齢に達した。

 

 その名前はメジロマックイーン。

 

 つややかな長い葦毛をなびかせ、風を切る走りは本物で、入学前ながら既に頭角を示す彼女が、俺が付き従う主だ。

 

 互いに幼少期から面識があり、彼女の病弱さを大事に見て少し遅れたデビューでこそあったものの、本家からゴーサインが出たのなら不安はなかった。

 

 生真面目で、家の厳格な規律を理解し、勝つべく努力を重ねる彼女は正しく未来の覇者であった。

 

 そして初めてのデビュー戦は当然のように一着。一バ身以上の差をつけた華々しい勝利だった。

 

 初めての勝利を二人で分かち合い、喜んだ。

 

 同時に安心もした。彼女を勝たせることが存在理由だったから。それまであった重圧と責任が誇りに変わった。

 

 

 

 そして後は地獄だった。

 

 勝てない。

 

 それだけだ。二着、三着、二着。彼女のゼッケン番号はいつも掲示板にのる。けれど一番になれない。その前に誰かが走っている。

 

 あれほど才覚に恵まれているのに。努力を惜しまないのに。なのに彼女が一番じゃない。

 

 誰が悪いのかは明白だった。俺だ。メジロマックイーンという天賦の才能を、俺はただいたずらに浪費していた。

 

 俺自身がそれをよく分かっていた。歓声がため息に、期待が失望に変わる頃、そこにあったのは焦燥と不安だけだった。

 

 マックイーンを勝たせなければならない。なのに一番にならせてあげられない。そのために俺は生きているのに、結果が残せない。

 

 その後のレースではなんとか一着をつかみ取れた。しかし落としてはいけなかった嵐山ステークスで同じメジロ家の同門に敗れ二着、菊花賞に出場するための賞金額が不足する事態に陥った。

 

 その頃で覚えているのは歪む視界と崩れそうな足下、そして鉄くさい吐血ばかり。

 

 便所で血を吐きながら震えながら思考する。

 

 マックイーンには才能がある。足は良く伸びるし、負け続けたとしても腐らず努力を惜しまない。

 

 悪いのは俺だ。マックイーンが勝てないのは全部俺の責任だ。

 

 どれ程優れた学業を修めても肝心のトレーナーの才能が無いことに、この頃から薄々と気がつき始めていた。

 

 俺が彼女のトレーナーでさえなければ、きっと彼女はもっと勝利を重ね、栄光の中にいたはずで。

 

 もう、どこかへ消えたかった。

 

 トレーナーを辞職したい。そうマックイーンやメジロ家に伝えようとした矢先、一報が届いた。

 

 ウマ娘の辞退により、繰り上がりでマックイーンが菊花賞に出場することが決まった。ただの幸運だとしても、目標としていた菊花賞の出場にマックイーンは珍しく昔のように感情を表にして喜んでいた。

 

 笑みを溢れさせて頑張ろう、勝とうと言う彼女を見る俺の中にあったのは絶望だった。

 

 どれだけ手を尽くしても届かなかった出場に、ただの偶然が届いてしまった。俺の尽力よりも、ただの幸運がマックイーンの役に立っていた。

 

 その事実が感情をかき乱していく。

 

 出場決定から時間も無く、ほとんどマックイーンの自己判断に任せたレース。菊花賞は気持ち良いくらいの圧勝だった。

 

 薄々気がついていたことは揺るぎようのない事実だった。

 

 俺にはトレーナーの才能がない。

 

 言葉にすれば簡単なことで、しかしその事実に愕然とした。

 

 そこから俺の仕事は変わった。

 

 マックイーンには日々のメンテナンスだけを医者の立場から見て、レースに関しては何も口出しせず、マックイーンに任せる。

 

 面白いほど勝てた。それまでの不調が嘘のように彼女は勝利を重ねていく。

 

 違う。俺の存在こそが不調そのものであり。彼女は最初から勝てるウマ娘だったんだ。

 

 マックイーンが勝利を増やすたびに俺は喜び、そして血を吐いた。

 

 吐き気だとか、指先の震えだとか、細かな体調不良のために病院通いが週一になった頃、そんな異常に気がつかれた。

 

 頭が良く回らず、処方された錠剤を流し込んでいるところをマックイーンに見つかった。

 

 彼女は優しいから、忙しさで食事が疎かだから栄養剤で補っていると告げると、彼女は容易く信じた。疑っている様子は欠片もなく、彼女を騙してしまったことに胸が苦しい。

 

 彼女の信頼に仇なすような真似をする自分が許せなかった。

 

 裏切りへの贖罪をしたい。

 

 自分が信頼されていると感じたからだろうか。それともマックイーンが勝利を重ねていたからか。自分の功績でもないのに、虚飾のようなトレーナーとしての自信を取り戻して、いや違う、ただの自惚れに溺れていた。

 

 欲をかいて、しなくてもいい出しゃばりをしてしまった。

 

 メジロ家悲願である、迫る秋の天皇賞で。

 

 俺はまるでトレーナーのように、マックイーンに指示をした。

 

 前を走ろうとするウマ娘を離すな、内角を攻めて隊列を引っ張っていこう。

 

 今思えばなんて愚かな指示かと、自分をなじらずにいられない。

 

 けれどマックイーンは俺なんかの指示を大真面目に受け取り、花のような笑みで俺に勝利を送ると宣言した。

 

 そしてマックイーンは、勝利して見せた。五バ身以上の差をつけた圧勝を見事成し遂げた。

 

 はずだった。

 

 本当にくだらない。前例の無いことだった。

 

 出走直後の混戦する状況において、マックイーンが他を妨害する位置を走ったと判断された。

 

 順位は降格となり、一着から、最下位の十八着へ。

 

 掲示板から彼女の名が消え、自分が何をやらかしたのかに気がついた時、俺は気がつけば病床に寝かされていた。

 

 倒れたときの状況を説明する担当医の声を余所に、俺に聞こえていたのは俺自身を責め立てる声だった。

 

 ──あの時、お前が余計なことを言わなければマックイーンが斜行することはなかった。

 

 ──メジロ家のウマ娘に最下位などという大恥をかかせて、どうやって責任を取る? 

 

 ──お前さえ何もしなければ、何の問題も無くマックイーンが一着だったんだ。

 

 喉を液体が逆流する感覚と腐ったような臭い、息が乱れ上手く呼吸が出来ない。

 

 すぐさま医師や看護師に取り押さえられ、検査のために拘束された。

 

 何時間もかかる検査や、よく分からない質問に答える日々が数日経って、薄暗い部屋で対面する担当医は気の毒そうな顔で淡々と告げる。

 

 ──パニック障害や逆流性食道炎、胃潰瘍などを併発していますね。ストレスによるものだと考えられます。危険な状態ですから、しばらくの間病院で入院をしていただきます。

 

 のしかかる重圧に身体が敗北した。言葉にすればそういうことだった。

 

 恥ずかしながら、症状と入院を伝えられたとき、肩の荷が下りたような安心感、ホッとした。

 

 少しの間だけでもウマ娘やレース、メジロ家と離れられる。情けないことに、少しの間だけでも逃げられると思った。

 

 けれどそんな都合の良いことが続くはずも無い。

 

 ──あなたには休暇を出します。ゆっくりと療養なさい。その間、マックイーンのトレーナーに関してはこちらで対処しますから、あなたは気にしなくとも問題ありません。

 

 電話越しに、メジロ家総帥からそう伝えられた。要するにクビというわけだ。

 

 ウマ娘を勝たせられないトレーナーは要らないと、それだけの話。

 

 心の中にあったものがまるっきりなくなり、ぽっかりと空いた心持ちで過ごす入院生活に時間は流れていなかった。

 

 病状もそれほど改善せず、対処薬を処方され、蹴り出されるように退院した。

 

 メジロ家のトレーナーでは無い俺に価値などないから相応の扱いというわけだ。

 

 退院までの間は面会謝絶となっていたから、マックイーンと会ったのは実に一月も後のことだった。

 

 花のこぼれるような笑みで、彼女はいつも通りだった。俺がこれほど憔悴しているというのに。

 

 ──またあなたと走る時を待っていますから、身体をお大事に。

 

 彼女は優しいから、俺にきついことを言わない。もうトレーナーに復帰するはずなど無いと分かっているだろうに。

 

 その方が彼女のためだというのに。

 

 彼女の優しさを、俺なんかのために無駄遣いさせてしまっていることが何よりも心苦しい。

 

 このまま消えてなくなりたい。君の栄光に泥を塗りたくない。

 

 そう思いながらも、必死に表情だけは取り繕い。

 

 社交辞令のような色の良い返事を返し、彼女と別れた。

 

 放逐という名の自由を手に入れて、俺は何もしなかった。

 

 何をして良いのか分からない。ただぼんやりとテレビ越しにマックイーンやその他のウマ娘のレースを眺め、勝利を記念するライブを見ても何も心が動かない。

 

 むしろトレーナーの頃の光景がフラッシュバックして、次の瞬間には嘔吐する。

 

 そんなになるならウマ娘から、レースから離れれば良いのに、悲しいことに俺はそれ以外の生き方を知らなかった。

 

 優しいトレーナー仲間の言葉もあまり覚えておらず、季節が経過した。

 

 気がつけば次代の新人たちがやってくる頃、トレセン学園から通知がやってくる。

 

 俺は今、誰の指導にもついていない。今季はどうするかという催促状だった。

 

 もう誰の指導も出来る気がしなかった。

 

 誰かを勝たせてあげられる未来が思い浮かばない。

 

 錠剤一つ無ければ日常生活もまともに送られない無能のお荷物に指導を誰が受けたいというのだ。

 

 誰かに迷惑をかけるならいっそのこと。そうやってロープに手を伸ばしかけて、つかみ取る勇気も無く。

 

 もう俺には勝利どころか、敗北すら掴むことも出来そうに無かった。

 

 だから震える手を押さえながら、必死の思いで筆を執り、なんとか虚弱な意志を文字に変える。

 

 そうしてできた辞表を握りしめ、数カ月ぶりにトレセン学園の敷地に足を運ぶ。

 

 遠くからはトレーニングに励むウマ娘たちの声が聞こえた。

 

 今更何の未練があるというのか。

 

 それなのにまるで火に寄っていく害虫のように、気がつけば観客席にへたり込み、そんな彼女たちの様子を眺めていた。

 

 明日の勝利を信じてウマ娘たちが地を駆ける。それを支えるトレーナーたちも同じように真剣で、今という時間を懸命に生きていた。

 

 彼らが輝いて見えた。

 

 死んだように生きる俺とは全然違う。

 

 そう思うと涙が流れる。

 

 ──俺も、ああなりたかった。

 

 ──どうしてああなれなかったんだろう。

 

 マックイーンを勝たせてやりたかった。彼女に勝利をもたらしたかった。

 

 自分がそこにいる意味が欲しかった。

 

 それなのに今はレースを見ることですら辛い。胸が苦しくなる。

 

 嫉妬と羨望と後悔ばかり。

 

 能無しな自分が嫌いだ。

 

 手に持った辞表が小さく潰れて音を立てる。

 

 これを提出すればすべてが終わる。

 

 トレーナーという肩書きを失って、俺に何が残るというのか。

 

 もう、分からないけれど。

 

 もういいや。

 

 考えることすら億劫になっていた。

 

 観客席から立ち、辞表を出そう。

 

 歩き出して、物陰から小さな声が聞こえた。

 

「うえーん、どうしよう! トレーナーが見つかんないよー」

 

 困っているくせに、元気いっぱいで、のんきな声が、隅っこで体育座りで笑っていた。

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