遅すぎて、すみませんです。
そして短すぎてすみませんです。
氷のように冷え切った朝露が、鼻の先に落ちた。微睡んでいた意識が、その刺すような冷たさに促されて覚醒する。こきりと首を鳴らしながら起き上がれば、深緑色の針葉の隙間から薄灰色の朝日が目に注いだ。鎮火した焚火から上る煙の揺れに、なんとものんきで平和そうな鳥たちのさえずりが拍子を合わせるようにして響いている。
──なんの代り映えもない、いつも通りの目覚めだった。
「よっこいせっ……と」
枕代わりにしていた湿った丸太を蹴り転がして、焚火の根元に積みあがった灰を散らす。燻っていた赤橙色の熱は、いずれもすぐに燃えカスの黒色にまみれて消えた。
敵地のど真ん中。どこから槍が飛び出してくるやもしれないこの大地で、また一つ夜が明けた。
“ジョン”なんてありふれた、珍しくもない名前の男。
どうやらまた生き残ってしまったらしい。
「さて、と。いくかねえ」
地面に転がって口を開けているバックパックを背負いあげて、自分に言い聞かせるようにつぶやく。
どこにいく、と問われても答えようがない旅路で。誰からも自殺志願者のように見られたこの行いに意味などないのは、オレだって十分にわかっている。
ただ、ただ、東へ。その想いだけがなぜか、オレの死んだと思っていた心身を突き動かしている。
どうせ、価値のない人生なら。後先を考えずにその衝動に乗っかってやろうと、そういう愚者だったのだ、オレは。
そうして今日も、また、いつも通りの旅が始まる。オレはその地獄への一歩を踏み出そうとして──
「──すう、すぅ」
そんな、いつもとは違う、
「──ああ、くそ、すっかり忘れてた。昨日はそんなこともあったっけな」
踏み出そうとした脚を止める。ずっと一人で旅を続けていたからか、どうやら迷子を拾ったことがすっかり頭から抜けていたらしい。まだボケるような年齢でもないだろうに。
すこし離れた木陰では、ティーンエイジャー抜け出したてかそこらの少女が横たわっている。昨日拾った迷子だか、人間だか、天使だか、なんだかわからないところであるナツキだ。
まるで塗料を頭からぶちまけたようにみえる人工的な黄色の髪は、朝の湿気に濡れて彼女の頬に張り付いていた。そしてその毛先が、彼女の寝息に合わせてゆらゆらと揺れている。
まるでここがケルト陣営の真っ只中、地獄そのものの場所だとは思えないほどに安らかな様子で眠っている。平和ボケしているのか、大物なのか。どっちにしろ呆れたことだった。
このまま寝かしてやりたくはあるが、陽が完全に上り切る前に出発しておきたい。なぜかって、ケルトどもは勤勉ではないから朝早くの活動はしないからだ。奴らがぐーすかいびきをかいている間に距離を稼いでおきたかった。
幼子のように毛布をひしと掴んで離さないその掌に苦笑しながら、彼女の肩に手を置いて揺らす。嫌そうに身をよじって、瞼が痙攣した。そうして彼女の口からふと、こぼれる何気ない言葉。
「──ううん、もうちょっとだけ」
「──ねえもうちょっとだけいいでしょ、
──ああ、コイツと出会ってから、どうしようもないことばかりを思い出す。
人生ってのは、いつもいつも、取り返しのつかない悲しみと後悔だけが積みあがる、くだらない記録だ。
まったくもって、度し難い。
◆
◆
──すぐにわかった。
これはきっと、夢だ。あるいは、記憶のリフレイン。
幼いころの思い出。彼と私が出会った、最初の物語。
「──ねえねえ、ナツキちゃん、聞いた? 今日の夕方に
それを友達が告げてきたのは、放課後、私がランドセルに教科書を詰め込んでいる時のことだった。
なんでそんなことをその友達がわざわざ言ってきたのかといえば、私が
そして、なぜ私がそういう性格だったかと言えば、私の髪色──まるでマーカーのインクのような、あるいはスーパーに売ってるスライスチーズのような、つまりは一般的な“金髪”とかけ離れた髪色に大きな要因がある。
日本で暮らしていくうえで、この髪色は正直な話デメリットが多かった。自然な色合いの金髪ならまだしも、この珍しい髪色では大多数の人間が“染めている”のだという認識を第一印象として持つ。
そして多くの場合、10代も抜け出していない学生が髪を染めるのは素行不良の一つの証明、わかりやすいマークのように扱われている。
同年代の友達と話すにあたってそうした目線や態度を感じることは少なかった──なぜって同じ年頃の子はそういうのを“かっこいい”と思いがちだし、だいたい話せばわかってくれるから──が、主に大人と接する場合はそうではない。
初対面から色眼鏡で見られるというのは正直きついことだ。私は別に母から受け継いだこの髪は見た目として嫌いではなかったが、そうしたデメリットをもたらす呪いのようなものだと思っていたのも事実だった。
──まあつまりは、そうしたデメリットを覆すために、私は幼心にある程度計算の上で真面目ちゃんを貫いていたのである。
だから、友達から「禁止された場所に行こうとする集団がいる」という規律違反の匂い香る報告があったとき、私はそれを止めるという行動に出たのだ。
普段の通学路から外れて、その池のある山のふもとに辿り着いたときには、ちょうどその集団が足を踏み入れようとする瞬間だった。
「ちょっと、君たち! そこに入るのは禁止だった先生が言ってたでしょう!」
開口一番に私はそんな風なことを言った。当然、小学生なんて正論を言われるほどイライラして反発する生き物なんだから、見苦しいケンカの勃発である。開戦は私の方からに違いなかったが。
流石に取っ組み合いなんてことにはならなかったけれど、私たちをすり抜けて池に行こうとする陣営とそれを阻止しようとする私たちの構図で、山をふんだんに使った(小学生基準で)壮大な鬼ごっこが始まったのだった。
私はそのときどうしていたのか、正直、今ではほとんど記憶も薄れてしまっているけれど。
間違いなく言えることがあるとすれば──
私も規則を守らせるために(と自分に言い聞かせながら実際は楽しんで)子供たちを追い掛け回して、その結果自分があの禁じられた池に入ってしまったこと。
そしてその様子を、遊びに加わることもなくまるで“大人”のような目線で見ていた、ある一人男子生徒に、薄気味悪さと共に苛立ちを覚えていたことくらいだろうか。
──まあその薄気味悪い子供に、私は助けられて。あまつさえ初恋をすることになるのだけれど。
ああ、意識が薄れてきた。
きっと目覚めだ。
続きは、またいつか思い返すとしよう。
◆
◆
くあ、とあくびして目を開ければ、飛び込んできたのは背の高い木々が競い合うように伸びた森林の様子。硬い地面の寝床のせいか痛む背中をさすりながら、なぜこんな場所で寝ていたのかを思い返す。
──ああそういえば、私はあの“無の世界”から抜け出して、ずっと昔のアメリカに来たのだったか。
そう一人で納得していると、横に人の気配を感じる。目をやればそこにいたのは親切なアメリカンおじさんこと“ジョン”さんであった。
まだ寝ぼけ眼であろう私を見つめながら、彼は呆れたような顔をして見せた。
「よく眠るもんだな、ガキみてえにぐーすかぴーだ」
「すみません、もっと早く起きるべきでしたか?」
「──いいや、まあ十分だ。むしろ眠れなくて日中の体力がない、なんて事態にならなくてよかったくらいだ」
「そうですか」
ある程度気を使ってくれているのがわかった。彼としてはもうちょっと早く出発したかったのだろう。しかし、旅慣れしていない私にそれを求めるのも違うと思っているらしい。
私としてはお世話になっている身なのでもうちょっと厳しくしてくれても構わないのだが。口や態度がぶっきらぼうな感じでも、優しさがにじみ出る人柄だ。
とにかく寝すぎて迷惑をかけたぶん、準備だけは早くしておこうと、私は身支度をささっと整えて、彼の横に並んだ。
「女にしては支度が早えな、いやありがたいが」
「今はおめかししているような暇はないでしょう? というか、女性の支度の遅さに何か嫌な思い出でも?」
「──ああ、まあ。どの女も遅いのかと思っていたよ」
「どんな女性だって、出かける前に自分を綺麗に見せる努力はしたいですよ。できる時間があって、それが許されるのならね」
「はあ、そんなもんかね」
そんな軽い雑談を交わしながら、私たちは森の外へと向かっていく。苔むした地面が朝露で湿っていて、脚を滑らせてしまいそうだ。気を付けないと。
もうそろそろ森から抜け出そうかという時に、ジョンさんは私に向き直って今後の予定を告げた。
「今日も西に向かうぞ。最前線があれから後退していなければ、ざっと一週間ほどで到着するだろう。それまで頑張るんだな」
「──ええ、努力します」
そんな言葉をどうにかひねり出す。拾ってもらってこんなことを言うのは大変に失礼だから口には絶対にしないし、しなかったけれど、私は弱音を吐きたくてたまらないし、不安で仕方がなかった。
今私たちがいるのは、アメリカ中央部北寄り。現代アメリカの地図を脳内でざっと描くとすれば──サウスダコタ州やネブラスカ州の西側あたりにいると考えてよさそうだ。
そこから歩きで西へ。一日20km行けたとして100㎞以上の旅だ。そんな経験したこともない。したくもなかった。そんなこと言ってられないけれど。
それに最前線で保護してもらえたとしても、ジョンさんが言うにはそこから西海岸へと運ばれて、労働力の一部になるだろうとか。西側は“大統王”と呼ばれる人が統治していて、そこでは機械と薬によってケルトへの対抗手段を身に着けた歩兵たちが
SFもの、あるいはディストピアものの世界に紛れ込んでしまったのだろうか。そんな場所に行くのは気が進まないが、ケルト陣営よりはましな扱いだと言われればあきらめざるを得ないだろう。
果たしてそこに辿り着けたとて、私がどうなるかは分からない。そもそも、元の時代に帰れるのかすらも不明。一生をこの世界で過ごす可能性もあると思い立ってしまえば、どうしたって不安な気持ちになってくる。
私の帰る場所。あの時代、あの家族がいる日本に。あの親友たちがいる世界に、私はたどり着けるのだろうか。
そもそも、突如そらに出現した光の帯の謎も、それが出現してから私だけが生き残った理由も定かではない。その手がかりをどうにかつかめればいいのだけれど。
──ジョンさんにも話したけれど。私は、ここにくる直前に、誰かに背を押されて、呼ばれたような感覚を覚えた。
背を押すのはどっちかというと“送り出す”動作で、呼ぶのは“迎える”動作だから、それが同時に起こるっていうのは不思議な話だけれど、あの感覚はそうとしか言いようがなかった。
何も感じる事のできない無の世界で、突如として感じた、暖かな手のひらが背に触れる感覚と、鼓膜を震わせる優し気な声色。
あれは、不思議で意味の分からない感覚だったけれど──きっと悪いものじゃないと私は確信している。
私にはきっと、なにか、ここに来た意味があるのかもしれない。突拍子もなくこんなところに現れたと思っていたけれど、なにかやるべきことがあるのかも。
そう思うことにした。そう思わないとやってられなかった。
「──ハズム、リツカ……」
口をついたように出るのはそんな名前の羅列。彼らは今頃何をしているのだろうか。伝えたいこと一緒にやりたいことはいっぱいあるのだけど。
せめて一目、もう一度会いたい。そんな欲望がふと心を支配したとき。
そう、あの子に会ってあげて
「──!?」
また、あのときと同じ声が聞こえた。
「どうした」
「い、いえ。なんでも」
「それならいいが、脚が壊れそうなら言えよ。壊れちまってからじゃ治すのが面倒だ」
「は、はい」
ジョンさんに不審がられながらも、私は今聞こえたことを思い返す。
幻聴なんかじゃない、と思う。やはり私は、なんらかの存在に後押しされている。
そしてその存在はおそらく、ハズムになにか関係している。
きっと、きっと、このまま私が進むことには意味があるのだろう。
──そうであってくれたなら、私はまだちょっとだけ、頑張れる。
決意を新たにするようにして、重いバックパックを背負いなおす。からんと大量の携帯食料(備考:超まずい)がぶつかりあう音が鳴った。
優しいジョンさんは荷物は自分が全部背負うと言ってくれたけど、お世話になりっぱなしは嫌だと、私が固辞して背負った荷物だった。とはいえ、彼の持つ大量の荷物の中では一番軽いものだったが。
そういえば、と荷物のことを考えながら思い出す。
さっきも確認したように、ここは現在のアメリカにおいての戦場。アメリカ大陸中央部北。ケルト人とアメリカ人がしのぎを削る最前線のそのまた奥、完全に敵地のど真ん中だ。
そんな場所に彼は──ジョンさんは一人でいる。しかも、私という突発的な同行者が加わっても問題にならないような大量の物資をもって。
潜入ミッション、というわけではあるまい。私を助けるためにその任務を放棄したというなら私にとってはありがたい話だが、それ程に情に流されやすい人間を潜入という重要ミッションに当てる司令官はいない。
さらには、彼は物資は持っていても武装は最低限のみ。話に聴く機械化歩兵の装備は荷物に無く、ケルトから逃げ隠れする手腕からするに、完全に戦う気はゼロといった感じだ。
──ならば彼はなんのために、こんなところにいるのだろうか。
前を進む彼の横顔を見る。いつだって崩さないしかめっ面が、どこかの誰かに似ている気がした。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次の話はハズム視点になるかな……? 多分。
いつも感想やお気に入り、評価、ここすきなど色々反応ありがとうございます。
今回もよろしくお願いします。
ではではまた今度の更新で。さよーなら。