第16話 くすぐりフェティシズム
ある日田中は、感謝と応援の意を込めて有料メンバーに加入している天津姉妹のチャンネル『リーナとレーナとルッツのアウトドアチャンネル』にて、とんでもないサムネイルを目にした。
有料メンバーのみが再生可能なその動画は、どうやら罰ゲームを受ける里奈の姿を主として撮影したものらしい。黒光りするボンデージに身を包んだ里奈が頭の上で両手首を拘束されている。肘まで伸びる長い手袋をしているが、ボンデージ衣装には袖がない。故に真っ白な腋が露出している。顔には黒い目隠しが巻かれ、平生は下ろしている艶やかな髪はポニーテールに結われている。社長令嬢のあられもない姿にドキリとする田中であったが、しかし、罪悪感からすぐには動画を再生することが出来なかった。
結局はサムネイルの誘惑に屈して再生ボタンを押した。
怜奈が企画の趣旨を説明している。どうやら天津姉妹と美佳のコラボ動画であるらしい。美佳は既に所属していたグループを脱退し、芸名を改めていた。
悪戯っぽい笑みを浮かべた美佳と怜奈が、里奈のすぐ近くで指をワキワキと動かしている。
「えー、それじゃあ、そろそろ始めちゃおうかな」
「ちょ、ちょっと怜奈ちゃん、こんなアウトドアと何の関係もない……」
「はいはい、言い訳しないの里奈っち。往生際が悪いぞ~?」
田中は、里奈と美佳がコスプレ趣味を通じて知り合った旧来の友だと聞かされたことを思い出したが、意識の殆どは里奈の艶やかな姿に釘付けとなっている。
「それじゃあ、罰ゲーム! スタート!」
怜奈が楽しげに宣言し、美佳と共に里奈の体に指を這わせ始める。
「んっ……くふっ……う、んん……」
控えめに呻きながら、里奈は小さく身を捩る。だが、腕や脚を拘束されており、こそばゆさを逃がすことが出来ないのだろう。
「ひゃっ、はあっ、あ、ふ、ふふっ、くふっ、ん……んひ……あう……だ、駄目……くすぐっ……! んふふっ……! はっ、あ、ふう、うう……」
次第に声は大きくなっていくばかりだ。
「まーだまだ、ほーら、こちょこちょこちょこちょ~」
怜奈と美佳が責めの手を緩める気配はない。
里奈は嬌声と熱っぽい吐息を上げながら、髪を振り乱して悶えている。
脚の拘束については、そうした嗜好の者へ向けたサービスなのか、傷や汚れのない綺麗に赤らんだ足裏がカメラに写る形となっている。せわしなく閉じられたり開かれたりする足指の動きが、里奈に余裕がないことを示していた。
「んんっ、ん、くっ、う、うう……くひゅっ、ひゃ、あ、あははははっ! ひ、ひあ、はははっ、はあっ、あははははっ!」
壊れたように哄笑する里奈の姿に、田中の心臓は早鐘を打っていた。
男田中、最盛期を過ぎたとは言え下り坂に入るにはまだまだ若い。体中の血がある一点へと流れ込んでいく。
い、いかん、俺は何をしてるんだ! 里奈ちゃんは大事な仲間で、こんな……! く、くそっ、目が離せねぇ!
怜奈と美佳の長くしなやかな指が、里奈の首筋を、わき腹を、ひざを、太ももを小刻みに動きながら這い回っている。
長く続いたくすぐり責めが中断される。息も絶え絶えといった様子の里奈は全身にうっすらと汗を掻いている。その耳元へ左右から怜奈と美佳が顔を寄せる。ふーっ。
「ひあっ、ああん!」
里奈の甲高い声に次いで、画面が暗転する。
『これ以上えっちぃ声を出されるとBANされるので終了』
とテロップが表示される。
安心したようながっかりしたような気分を味わう田中だったが、『おまけ』と表示されたことで目の色を変えた。
先とは変わり、里奈ではなく怜奈がくすぐりを受けるようだ。
ベッドの上でうつ伏せになっている怜奈に対し、里奈が尻に、美佳が太ももに、それぞれ馬乗りになっている姿が映されたかと思うとカメラが切り替わり、怜奈の顔が映し出される。
その状態でくすぐりが始まるのだから、目尻に涙を浮かべ、大口を開いて馬鹿笑いする怜奈の表情をカメラはしっかりと捉えていた。
美女がベッドの上で身を寄せ合っている画だけでも扇情的であるというのに、白い歯や鮮やかに赤い舌を惜しげもなく晒して大笑いする表情まで見せらていれる。
田中は我知らず呼吸を浅くして動画に集中している。
画面の向こうでは、笑いすぎた怜奈の口角から唾液が滴り落ちそうになっていた。それに気付いた怜奈が慌てて枕に顔を伏せ「写しちゃだめえ」とくぐもった声をあげた。彼女の頭頂部が大きく映し出されている。
これは……えっち過ぎ……だろ……。
声に出した訳ではないが、遂に田中がそれを認めた。
コンコン。自室の戸が叩かれ、田中は跳ね上がる程に驚いた。
「入るよ~、お兄ちゃん~」
田中は『大隆起息子さん』状態となっているそれのポジションを弄って何とか誤魔化してかりんを出迎えた。彼女の姿を一目見て息を呑む。今日に限ってノースリーブの服を着ていた。自然と、里奈や怜奈の痴態が脳裏に蘇ってしまう。更には同じ状況に陥ったかりんの姿まで想像してしまう。
「……っ! かりん! 頼む! 何も聞かずに全力で俺にピンタしてくれ!」
「はあ?」
「そうしてくれないと! 俺は!」
「訳わかんない。てか何かキモい」
「そこを何とか!」
「はあ……。分かった」
かりんが頷き、全力の平手打ちを田中の頬に放つ。乾いた破裂音が響いた。
「……ありがとう。俺は正気に戻った」
「あっそ、良かったね」
冷ややかに言うかりんに対し、田中は言葉と裏腹のことを考えていた。
これはこれで、新たな世界の扉を開いてしまった気がする、と。
天津姉妹と美佳の動画は、順佑の目にも留まっていた。
蒸し風呂のように熱の篭った、汚臭漂う部屋の中、細い目でスマホを見つめつつ、唇を尖らせる。田中と異なり、有料メンバーに加入する金などない無職の順佑には動画を再生する権利がなかった。
これはオラのガチ恋がオラを誘惑してるだで! オラの為の動画!
そう確信する順佑は浅知恵を働かせ、父親に小遣いの前借を頼みに向かった。
「はあ? 動画?」
「ソソソ……」
「そんなん自分で働いて稼げばええじゃろ。お前いくつじゃ」
「ヴー……」
不満げに呻いた順佑に対し、父親はフンと鼻を鳴らした。
だが、何事かをブツブツと呟き続け、自分の傍から離れようとしない順佑に嫌気が差し、遂には根負けした。
「ほれ、千円じゃ。言っとくけど来月は無しじゃ。分かったな?」
「分かってる……」
毟り取るようにして千円を掴み、順佑はヴーチューブ課金カードを購入すべく家を出た。
スーパーマーケットの『サイコー・マルマイマート』にて菓子パン三つとチョコレートアイス、りんごジュースを買った。近場の公園へ向かい、屋根付きのテーブルに購入品を並べて悦に入る。
「おほぉ~!」
これだで! これの為にオラは地獄に耐えて来たんだで!
大量の糖分を摂取して気を良くする順佑であったが、当初の目的を思い出すまでに時間は掛からなかった。
小遣いをもらうなり、すぐにこうして使い果たす悪癖による自業自得なのだが、順佑の思考は常人のそれとは大きく異なっている。
またアンチの仕業だで! オラは悪くない! オラは被害者! 田中が悪い! オラは被害者なんだから、スーパーは返金に応じるべきじゃん!
ふす、ふすっ、と息を吐きながら、順佑は自分を鼓舞するようにアンチが、アンチが、と声を出さずに繰り返す。彼とて頭のどこか、辛うじて残る理性によって現実を理解していた。菓子パン二つは食い尽くし、残りも食べ掛け、飲み掛けだ。こんなものを返したところでどうにもならない。
だが、件の妖しげなサムネイルの動画を見逃すのは口惜しくて仕方ない。
オラは悪くない! オラは被害者! オラは騙された!
そう自分を騙すような思考を繰り返し、やがて意を決した顔をしてゴミを抱えるとスーパーへと戻っていった。
サービスカウンターにて、順佑はゴミを差し出しながらブツブツと呟く。
「オラ……悪くないだで……返品……ソソソ……」
「は? 返品? いや、どう見てもゴミですよね、これ」
「でもオラ、被害者……可哀想……」
「意味が分かりません。返品には応じられません」
「オラ……悪くない……ヴーチューブカード、欲しい……ソソソ……」
店員が通報すべきかと考え始めたところに、折りよく婦警が通り掛った。
別件でスーパーを訪れていた美沙であった。
事情を察した彼女は声を掛ける。
「こんちには、浜谷さん。何かお困りごとですか? お父さんに連絡して迎えに来ていただきましょうか?」
「いや……いやっ……」
「ではお家まで送りますので、一緒に来てくれますね?」
黙って俯いた順佑に対し、美沙はカウンター上のゴミを回収して彼に持たせた。
店員に向けて深く頭を下げる。顔を上げた美沙が困ったような表情を浮かべてこめかみを指で叩いて見せると、店員は合点がいったという顔をした。事実彼女は、些か差別的な語を用い「ああ、あれが例の……遅れか」と納得していた。
順佑を送り届け、彼の父に事のあらましを説明し、美沙は通常業務へ戻っていった。
「……お前、動画に課金する言うてなかったか」
「……オラ……悪くない……ソソソ……」
「働かないからや。働かないから金の有り難味が分からん。分からんからあればあるだけ使ってしまうんじゃろ? ほんの少し前に自分が考えていたことすら忘れて菓子パンだのジュースだの食い散らかして……ほんま、呆れ返る程の業人じゃ、お前は」
実父が呆れ返った、その順佑の行動を緻密に記録していた男が一人、浜谷家を遠巻き眺めている。
天神グループ当主、天神一成乃助の一人娘である天神聖奈夕丹比売が懐刀、霧島。彼は天神家の暗部、その頂へと三十代という若さにして登り詰めた傑物だった。
浜谷家には既に幾つもの小型カメラや盗聴器が仕込まれている。スマホへのハッキングも済んでおり、順佑の行動は発端から結末まで全てが筒抜けだった。
頬の刃物傷を一つ撫でてから、霧島は部下の井野宮へ連絡を入れて見張りを代わるように言い付けた。快速と新幹線を乗り継いで都内へ戻り、一際目立つ高層マンションの最上階へ向かった。
部屋には明かりが点っていなかった。暗がりにぼんやりと浮かぶのは、順佑の写真を印刷して何枚も貼り付けた異様な壁の様子だ。聖奈夕丹比売はあられもない格好で順佑の姿が映し出されたモニターに噛り付き、己を慰めている最中だった。ムッとするようなその臭気に複雑な思いを抱きつつ、霧島は声を掛けた。
「戻りました。夕丹比売お嬢様。本日の行動記録です」
「あ、ああ……ありがとう霧島……んっ、ふふ……はあ、順佑……やはり貴方は……ああ! 私がずっと捜し求めていた……」
傍らに立つ霧島を気にも留めず、ますます激しく盛りゆく聖奈夕丹比売は恍惚として気の狂った笑みを浮かべる。
「業人! ははっ、あ、あはははっ!! ようやく始められるわね! 私達の復讐劇が!! だから、だから証明してくれるわね! 貴方が私に、その役に、相応しい者であると! あなたには資格があるはず! その業を見せて! 私に!」
モニターをべろべろと舐め回していた聖奈夕丹比売がケタケタと笑いながらデスクによじ登り、自分自身を押し付け始めた。
霧島は無表情のまま、その長躯を置物のように固まらせている。猛禽を思わせる鋭い目で聖奈夕丹比売の様子をただ黙って見つめていた。
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます