第15話 喫茶ぱにゃの転機
明くる日。開店時間と殆ど同時に、美佳は喫茶ぱにゃの扉をくぐった。
彼女の姿を一目見るなり、かりんは悲痛な声を上げた。
「ど、どうしたんですか、その目」
「ああ、何でもない、ただの物もらいですよ」
昨日とは異なるながらも、相変わらずの猫尽くしファッションに身を包む美佳の顔には白い眼帯が巻かれていた。
「お、お兄ちゃん……」
「びびり過ぎでしょ。偶然だよ。ねえ、美佳ちゃん」
「そう考えるのが妥当でしょうね。見た所お二人はなんとも無いようですし」
「うう……でもお……」
昨日目にした謝無の絵を思い出し、かりんはますます顔を青くさせる。
「ほら、かりん。接客、接客」
「お構いなく……と言いたい所なのですが、少し寝坊してしまって朝を抜いたのでお腹ペコにゃんです。コーヒーと軽食……ああ、かりんさんのおすすめでお願いします」
「はっ、はい。お兄ちゃん、コーヒーとそれから……」
「ホットドッグな?」
「う、うん。何で分かったの?」
「前に美味いって褒めてくれたじゃん」
うん、と小さな声で答えて照れるかりんを眺めながら、美佳は言う。
「他のお客さんが来るまでで構いませんので、お話相手になってくれません?」
目線で田中に問うと、頷きが返ってきた。かりんが美佳の正面に腰掛ける。
「それにしても妬けちゃいますねえ」
「ちっ、違うんですよ、そういうんじゃ! そ、それより猫屋敷さん、寝過ごしたとは思えないほど今日もばっちり決まってますけど、セットにはどれぐらいの時間が?」
「美佳で良いですよ。そうですねえ、二時間ぐらいだにゃん」
「ひえっ、二時間……そんなの私絶対無理ですよお……」
「もちろん人に会う予定がある時だけですよ。基本的に私は怠け者です。猫という名の語源には諸説ありますが……「寝る子」が略されたという説もあるくらいですから」
「へええ……。と言うか美佳さんって凄く博識ですよね」
「うふふ、照れるにゃん……」
などと二人が話していると、新たな来客があった。
かりんが慌てて立ち上がる中、明るい声が店内に響く。
「おっはよー! マスター! かりんも!」
天津怜奈だった。今日はお団子を二つでなはなく一つにしている。姉の里奈が後に続き、おはようございます、と頭を下げた。
「おー、おはよう二人とも。今日は三人で遊びにいく予定?」
「いえ……。今日は田中さんに聞いて頂きたい提案があるのです」
「提案?」
それは田中にとって寝耳に水といった内容であった。
喫茶ぱにゃには宿泊スペースが併設されているのだが、そこを三人で長期間借り上げたい。料金は通常よりも割り増しして支払うが、その分幾らかをドッグランの設置費用に充てて欲しい。というものだった。
「おこがましいお願いだとは思うのですが……費用を多めに見積もってもこれだけ……自作や伝手を頼って支出を抑えれば、これだけの利益が見込めます。悪い話ではないと思うのです」
「そりゃあ、ありがたい話だよ。余ってる敷地にも税金は掛かってるし。ただ、そこまでしてもらうのは悪いというか」
「まあねえ。ちょっと成金趣味って感じがするよね」
と、怜奈が横槍を入れた。
「でもさ、この辺って月影キャンプ場を除けば、ペット同伴可の宿泊施設がないのも事実だし。それに、私達にお店を手伝わせてくれたら、売り上げも伸びると思うんだよね」
「手伝う……?」
「はい。無茶を聞いてもらう訳ですから、私も頑張りますにゃん」
「いやいや、怜奈ちゃん達はともかく、美佳ちゃんは無理でしょ。そもそも長期の宿泊だって……」
「いえ、それなら問題ありません。後でお話しようと思っていたのですが、私、ニトゲを抜けるので」
「えええっ!?」
美佳の衝撃的な告白の後も話し合いは続いた。田中とかりんは天津姉妹並びに美佳の提案を承諾した。ルッツが二人にすっかり懐いていることや、宿泊施設としては殆ど稼動していなかったこと、田中の冒険心に火が付いたこと、田中が下心を出していないとかりんが判断したこと、そうした種々の理由があっての結論あった。
五人で細部を詰めていく。彼らの選択が如何なる未来を映し出すか。それを知るものはまだどこにもいない。
一方、浜谷家には美沙が訪れていた。
件の小説が上司の目に留まり、様子を確認して来るついでに入院を勧めて来いと言い付けられた為であった。
「ふむ……佐々木さんの言うことは尤もなんじゃが」
「何か、問題でも?」
「順を追って説明していくとな、まずアイツは病院、というか医者を憎んどる。十何年か前に掛かった皮膚科の先生にな、KYOMUKINのようなヴーチューバーになりたいと妄言を抜かして「夢があるのは良いけれど、まずは定職に就いてご両親を安心させてあげなさい」と、至極真っ当に諭されて以来、逆恨みしとる」
「はあ……。そういう人だとはもう分かっていますが、それで未だにお医者さん全てを恨んでいるとは……。あの、おせんべい、頂いても?」
「ええよ。まあ、そんなことがあってから病院に連れて行こうとすれば癇癪を起こすようになってな。それでも奇行は激しくなっていくし、ネットで悪さするのもやめようとせんから、ある時、だまくらかして入院させたんじゃ。もちろんそういう所に」
「そうだったんですか?」
「ああ。けどなあ、アイツ悪運だけは強いんじゃ。その病院に「患者を非人道的に扱っとる」っちゅう垂れ込みがあってな。結局、真偽は曖昧なまま廃業、重症のもんには転院の斡旋もあったらしいが、アイツはほら、大人しいっちゅうか、無気力やろ。それに悪知恵もある。軽症だから家で看てくれ言われてな。仕方なく連れて帰ってきたんやけど、それ以来警戒しとるんか、ワシが運転する車には一切乗ろうとせんくなったわ」
「ああ……」
なるほど、美沙は納得する。お父さんに迎えを頼みましょうか、と訊ねた際の「いや……いや、いや……」と首を振る姿の理由がはっきりとした。
「家で看ろ言うても、あんなん手が付けられん。佐々木さんにだっていつも迷惑掛けとるし」
「いえいえ」
「言い訳がましく聞こえるかも知れんがな、ワシだって何度アイツをぶん殴って縄で縛り上げてやろうと思ったか。でもそんなんして連れて行ったところでワシの立場が悪くなるだけじゃ。見張るもんがおらんくなって、遠くで暮らすアイツの妹らや、そこへ避難して世話になってる妻に悪さする可能性を考えるとどうしてもな……。ほんま、佐々木さんにも、田中くんにも申し訳ないことやで……」
「私はともかく田中さんは……彼自身の想いから来る行動ではあると思いますけど。それはさて置き、今後はどうしましょうか。これを見る限り悪化の一途を辿っているようですが」
「せやなあ……」
順佑の父は腕を組んで、テーブルに置いたタブレット端末を睨み付ける。そこには小説の体を成していない、あの悪夢のような文章が表示されている。
「何なんですかね、これは……。田中さんが超能力を使う悪役で、それを倒してお父さんが泣いて謝る……」
「そうあって欲しいっちゅう下種な願望じゃろ」
「しかし、これを現実だと思い込んでいるのだと想像すると……ゾッとしますね」
「寒気がするな。とは言え、打つ手の無い現状、妄想に逃げ込んでじっとしておればそれで良いとも思ってしまうんじゃ、ワシは」
「ですねえ……。作業所は……」
「無理じゃろ。問題があって働けんのならともかく、働かんのが問題で、そこにゴテゴテとアイツの気色悪い見栄やら自惚れやらが引っ付いとるんや。真面目に頑張ってる人らと同じところへ向かわせてもしゃあない」
では、業人の向かうべき先とは?
美沙と順佑の父は揃ってため息を漏らす。口に出すのは憚られたが、その末路は自業自得の結果としか思えなかった。
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