【詳しく】我が子の人工呼吸器を外し“殺害”「肉体的、精神的な疲労の蓄積は察するに余りある」「自傷他害の恐れとは無縁の日々となるよう」母親に保護観察付き執行猶予判決 福岡地裁
医療的なケアが必要な、当時7歳の娘の人工呼吸器を外し、殺害したとされる45歳の母親の裁判員裁判です。福岡地裁は18日、懲役3年、保護観察付きの執行猶予5年の判決を言い渡しました。検察は、懲役5年を求刑していました。
殺人の罪に問われているのは、福岡市博多区の無職、福崎純子被告(45)です。
起訴状などによりますと、福崎被告はことし1月、自宅マンションで、当時7歳だった娘の心菜(ここな)さんの人工呼吸器を取り外し、窒息死させた罪に問われています。
福崎被告はこれまでの公判で起訴内容を認め、動機について、家族の言動などがきっかけだったとして「なんで、心菜は病気でも頑張って生きているのに、私はただ頑張って育てているのに、身内にこんなことを言われるんだ。心菜はいないほうがいいんだ、心菜がいないなら私が生きる意味もないと思いました」と話していました。
「肉体的、精神的な疲労の蓄積は察するに余りある」
18日、福岡地裁の井野憲司裁判長は量刑の理由について、判決で次のように説明しました。
被告は確実に心中を遂げるための準備をした上で、自発呼吸ができない被害者から生命維持に必要不可欠な器具を取り外して窒息死させていて、殺意の揺るぎなさは顕著だとしました。
2日前の夫の発言が引き金になったとはいえ、夫は本来、介護に協力的だったのに、被告は急速に疎外感や孤立感を深め、振り返って立ち止まるといったこともなく、被害者を躊躇(ちゅうちょ)なく心中に巻き込んだとしました。事件までの2日間の行為を振り返るかぎり、殺害方法、結果ともに重大というほかないと指摘しました。
ただ、介護疲れによることを否定する被告の供述を十分に踏まえても、客観的に見れば、被害者の生命維持が自己の介護養育に委ねられるという張りつめた緊張感の中で、昼夜を問わないきめ細やかな介護養育を5年以上続けてきたとして、その肉体的、精神的な疲労の蓄積は察するに余りあるとしました。
被告は介護を含め、被害者の成長を喜びとして共有できているはずの夫から、介護が負担で、安らぎを奪うものであるかのような発言を初めてされ、夫に悪気があったわけでもなく、はた目にも夫婦間のささいな行き違いに見えるものではあれ、被告にとってはどれだけの深い痛みを伴う発言だったか、第三者には軽々しく推し量ることができないものだったと思われるとしました。
「自傷他害の恐れとは無縁の日々となるよう」
以上のような経緯を踏まえて心中を決意するに至った被告の立場、心情をおもんぱかると、夫の発言から2日程度しかたっていなかったとはいえ、短絡的な犯行などと割り切って評価することは躊躇され、責任は大きく減じられるとしました。
さらに、被告が自己の行為が殺人にほかならないことを全面的に受け入れて、反省と悔悟の言葉を述べていること、夫が寛大な判決を望んでいることなどを踏まえ、刑を減軽し、さらに執行を猶予して社会内で贖罪(しょくざい)の日々を送らせることが相当で、かつ、その日々が自傷他害の恐れとは無縁の、心身の安定を伴う、円満で永続的な社会復帰につながるものとなるよう、保護観察を付けるのが相当だとしました。
言い渡されたのは、保護観察の付いた懲役3年、執行猶予5年の判決でした。
判決を聞いた福崎被告は小さくうなずいていました。弁護側は控訴しない方針で、担当弁護士は「本人も納得する判決だと思う」と話しています。
この裁判で検察は「普段、介護に協力的だった夫に対し、自分の気持ちを伝えるのは容易だった」として「事件に至った経緯は短絡的と言わざるを得ない」として、福崎被告に懲役5年を求刑していました。
一方の弁護側は「人工呼吸器を外すだけで簡単に失われる娘の命を8年間、毎日必死に守り続けてきたことを考慮すべき」などとして、執行猶予付きの判決を求めていました。
これまでの公判で福崎被告は「心菜の未来を奪って、心菜に申し訳ない気持ちでいっぱいです。こんなことをして自分だけ生き残ってしまった。私は一生苦しみ続けますが、どんなに苦しんでも心菜は戻ってきません。すごく後悔しています」「なんで、こんなことをしたのか意味が分かりません。信じられないことをしました。心菜に会いたいです。風呂に入れておむつを替えたり、きれいな足をストレッチしたり、ほっぺたをぎゅーっとしたり、とにかくあの生活に戻りたいです」と話していました。
裁判長が、心菜さんと死のうと思ったとき、なぜすべての医療機器を外したか尋ねると「呼吸器も外して、ずっと足につけているモニターも外して、まっさらな体の状態で抱きしめて一緒に死にたかった。心菜は生まれたときからチューブとか色々な器具が付いていたので、全部取り外してあげたかった」と答えていました。
また、法廷では心菜さんが通っていた介護施設の看護師が証人として立ち、医療的ケア児やその家族への行政の支援が追いついていない現状に触れた上で「福崎被告は夫とともに、献身的に熱心にケアをしていた」「余命2年と言われた心菜さんの命を8年間守り続けてきた。緊張と責任感で疲れを感じる余裕もなかったのではないか」と証言していました。