20日に投開票を迎える参院選で、参政党の存在感が増している。メディア各社の世論調査では「躍進」が予想されているが、近現代史を巡る歴史認識には、戦後歴史学が積み上げてきた研究成果を、全否定するような主張も目立つ。神谷宗幣代表の演説について、日本近現代の国家戦略史・軍事史などが専門の山田朗・明治大教授(平和教育登戸(のぼりと)研究所資料館館長)に検討してもらった。
神谷代表は6月23日、那覇市での街頭演説で、日中戦争について語った。
<(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないわけですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそです。違います。中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争としてどんどんどんどん行くわけですよ>
他民族の地に送られた日本の軍隊に対して、中国側が起こした抵抗を「テロ」と断じる見方だ。山田教授は「日中戦争は、近代日本の膨張主義の結果であり、とりわけ満州事変(1931年)を成功事例とみなした結果の侵略行為だった」と指摘する。
さらに「日本には中国への勢力拡張を目指す勢力とそれを支持する人たちがいて、その結果が満州事変と満州国建国(32年)だった。そして満州国を足がかりに中国華北にさらに勢力を拡張しようとして『華北分離工作』を行っていた。その最中に起きたのが盧溝橋事件(37年)だった」とし、「自衛戦争」という見方を否定する。
神谷代表は、同じ演説で太平洋戦争についても次のような見解を述べている。
<大東亜戦争は日本が仕掛けた戦争ではありません。真珠湾攻撃で始まったものではありません。日本が当時、東条英機さんが首相でしたけど、東条英機を中心に外交で何をしようとしてたかというと、アメリカと戦争をしないことです。そして、中国と和平を結ぶ。当時、中国ってないですけどね、支那の軍閥、蔣介石や毛沢東、張学良、ああいった人たちと、いかに戦争を終わらせるか、ということをやるんだけど、とにかく戦争しよう戦争しようとする人たちがいるわけですよ。今も昔も>
日米開戦に至る経緯を振り返りたい。日中戦争は欧米諸国が中国側を支援したこともあり、泥沼化した。さらに、日本は40年、米国の同盟国である英国と戦っていたドイツ、イタリアと三国同盟を結んだことから、英米との関係が悪化した。近衛文麿首相はルーズベルト米大統領との直接会談を模索するなどしたが、かなわなかった。鍵は米国が求めていた、中国からの日本軍撤兵だった。しかし東条英機陸相らが強硬に反対。近衛内閣は総辞職した。代わって誕生したのが東条内閣だ。
山田教授は「日米交渉の中で、米国が日本軍の中国からの撤退を要求すると、東条を中心とする陸軍が『日中戦争の成果を無にすることはできない』と主張し、英米との戦争に踏み切った」と説明する。
鹿児島市での7月12日の街頭演説では、…
この記事は有料記事です。
残り1187文字(全文2358文字)