小牧次郎・スカパーJSAT 取締役インタビュー(前編)

読売が巨人を育てたように、スカパー!がJリーグを発展させたい

2015/9/15

日本におけるペイTVの最大手はスカパー!だ。今年8月末時点で約349万人の契約者数を誇り、WOWOWを約70万人上回っている。

そのメインコンテンツとなっているのがサッカー中継だ。

チャンピオンズリーグをはじめ、プレミアリーグ、ブンデスリーガ、セリエAが放映されており、そして特にJリーグの中継に力を入れている(スペインリーグのみWOWOWが放映権を持っている)。

J1・J2の全試合を生中継。1年当たりの放映権料は20億〜30億円と言われている。

なぜスカパー!はここまでJリーグに力を注ぐのか?

スカパーJSATの小牧次郎取締役に、アジアでチャンピオンズリーグの放映権を販売する岡部恭英が話を聞いた。

小牧次郎(こまき・じろう)
1958年鹿児島県生まれ。東京大学教養学部を卒業後、フジテレビに入社。「深夜の編成部長」に任命され、「マーケティング天国」「IQエンジン」「アインシュタイン」といった伝説の深夜番組を制作。1997年JスカイBに出向して、衛星多チャンネル放送プラットフォームの立ち上げに加わり、その経験が買われて2001年にスカパー!に出向。日韓W杯の放送責任者を務めた。フジテレビオンデマンドやNOTTVに携わったあと、2013年にスカパー!へ。同社の内規により出向者は役員になれないため、フジテレビからスカパーJSATへの転籍となった。2015年より、同社の取締役 執行役員専務 有料多チャンネル事業部門長兼放送事業本部長

日韓W杯の放送責任者を経験

岡部:小牧さんはラサールから東大に進学し、フジテレビに就職するというエリートコースを歩んでこられました。まずは自己紹介をお願いします。

小牧:1983年にフジテレビに入社し、まずは営業のセクションに3年間いて、編成の仕事を8年間やりました。その間に1年間、カリフォルニアのサンディエゴの大学に留学しています。当時はバブル期でしたからね。

次に経営企画室で1年間フジテレビの上場準備をして、映画のプロデューサーを都合5年間やりました。

その間、JスカイBに出向して、衛星多チャンネル放送プラットフォームの立ち上げに関わっています。ニューズ(現21世紀フォックス)、ソフトバンク、ソニー、そしてフジテレビが4分の1ずつ出資した会社です。

岡部:JスカイBはスカパー!の前身となる会社ですね。

小牧:スカパー!はいろんな会社が合併してできたんですけども、その中の源流のひとつですね。

立ち上げのとき、ちょうど1998年フランスW杯があった。放映権はすべてNHKが持っていたんですが、なんとかW杯に参画したかったので「W杯だけのための500時間」という周辺番組をつくりました。

セルジオ越後さん、風間八宏さん、後藤健生さん、大住良之さん、そして賀川浩さんなどに出ていただきました。NHKの放送を見ている出演者を写し、ひたすら試合について語るというむちゃな番組です(笑)。

JスカイBの出向から戻ってからはフジテレビの有料チャンネルの責任者をやっていたのですが、2001年にスカパー!が日韓W杯の放映権を獲得したことを受けて、コンフェデレーションズカップからW杯まで1年間2回目の出向をしました。2002年W杯の放送責任者です。

その後、フジテレビオンデマンドの立ち上げをやり、2011年NOTTVに出向。まあ、簡単に言えば、立ち上げ屋ですね。

NOTTVに2年半いてフジに戻るのかなと思ったら、スカパー!に行けと言われました。スカパー!の内規で出向者は役員になれないので、今回は出向ではなく、フジテレビから転籍してスカパー!の執行役員になりました。

今スカパー!では、「取締役 執行役員専務 有料多チャンネル事業部門長兼放送事業本部長」という肩書きで、スポーツだけでなく、有料多チャンネル事業部門のトップにいます。

フジで深夜番組の黄金期を築いた

──小牧さんの経歴を見ると、フジテレビの編成時代、「マーケティング天国」「IQエンジン」「アインシュタイン」といった伝説の深夜番組をつくっていたと書いてありますね。僕は「アインシュタイン」の大ファンで、その影響を受けて大学で物理を専攻したんですよ。

小牧:人生を狂わせてしまいましたね(笑)。「アインシュタイン」はまさに僕の企画です。エセ教養主義と呼んでいたのですが、1980年代後半はフジテレビが一番良かった時代で、何をやっても世間がついてきてくれました。

当時、まだ20代でヒラなんですけど、「深夜の編成部長」という役職があり、1年間任されました。のちにスカパー!の社長になる重村一(現ニッポン放送代表取締役会長)が編成部長の時代で、予算を大きくはないですが一括でドンと与えられる。ブラウン管になかったことをやりたいと思って、好きにやらせてもらいました。

当時、フジテレビの新入社員の面接で全員が「深夜をやりたい」という時代があったんですよ。稼ぎ頭のゴールデンをやりたいやつがいないから、なぜか僕たちがすごく怒られましたね(笑)。

2011年の東日本大震災のとき、衛星のインフラとしての重要性が再認識された

Jリーグ中継にかける思い

岡部:とにかく小牧さんは新しいプロジェクトを立ち上げる、いわゆるスタートアップを得意とされてきたわけですね。

小牧:そういうところに置かれることが多かったですね。

岡部:今、スカパー!ではJ1とJ2の全試合を生中継しています。どういうフィロソフィー、戦略でJリーグの中継をやっているのでしょうか。

小牧:Jリーグは日本のプロリーグとしては、プロ野球に次いで2番目です。

ただ両者で違うのは、プロ野球はそれぞれの球団がホームゲームの権利をすべて持ち、日本野球機構が持っているのは基本的に日本シリーズだけということです。そこにスカパー!が割って入るのは難しかった。

1996年に前身となる「パーフェクTV!」がスタートしたとき、いろいろなチャンネルが集まっていたのでプロ野球を700試合以上放送しました。チャンネルをとりまとめるプラットフォーム事業で、会社としてはマーケティングをする立場でした。

一方、Jリーグに関しては、日本プロサッカーリーグが放送権を持っていた。ということは、交渉次第でまとめて放送権を得ることが可能になります。

人気コンテンツをプラットフォームにおけるドライバーというのですが、野球に次ぐキードライバーとして、Jリーグの放映権を獲得しました。それがビジネス上の理由です。

実はもうひとつ理由があり、日本テレビから来た田中晃(現WOWOW社長)が僕の前任者なんですが、彼が「Jリーグをやるぞ」と決めたのが大きかった。とにかく情熱を持って、スカパー!がJリーグの発展を助けて、果ては日本のサッカーを強くして、日本代表を強くするんだと。

読売新聞と日本テレビが巨人を育てたように、スカパー!がJリーグを育てる。メディアが日本のサッカーを育てるくらいじゃなきゃダメなんだという気概を持って、2007年にJ1全試合の放送を始めました。

自前の衛星を持つことで、4Kといった新しい放送技術にいち早く取り組むことが可能になっている

視聴率20%以上のブーム期は1年半で終わった

岡部:会社としてのビジネス戦略と、田中さん個人の思いが重なったんですね。

小牧:Jリーグはご存じのように初期の頃はものすごい人気で、普通の試合でも地上波テレビで20%以上の数字が取れる時代が1年半だけあったんですね。

でも、それはただのブームだった。視聴率は取れなくなって、地上波が扱わなくなってしまった。露出されない結果、観客動員ができないという悪循環に陥ってしまいました。

当初、スカパー!は威勢の良い頃のJリーグから見たらマイナーメディアでした。でも、環境が変わってこちらのオファーを検討してもらえるようになり、2007年にパートナーになりました。

もともと、ヨーロッパサッカー中継に力を入れてきたスカパー!ですから「Jリーグを始めるなら全部生でなければならない」とこだわって、J1はすべて生中継すると宣言しました。追いかけるようにJ2でも全試合生中継を実現しました。

地上波ローカル局の子会社を活用

岡部:全部生というのはすごい。

小牧:しかもそれまでは映像化された海外サッカーを買っていたわけで、映像の制作はしてこなかったわけですよ。Jリーグの場合、映像をつくらないといけない。それが最大のチャレンジでした。

田中が考えたのが、地上波のローカル局に頼むということです。

ローカル局は必ず制作機能を持っている。報道と情報番組が中心ですけど、スポーツの部や課がありました。彼らはスポーツをやりたいのに、プロ野球のオープン戦やインターハイくらいしか中継のチャンスがない。

ただし、地方局としてもスカパー!の下請けの仕事はやりたくない。最初はほとんど断られました。そこで解決策となったのが、地方局が持つ制作子会社に頼むという手段。それだと彼らも引き受けてくれた。

関東近辺だったら東京から出張し、地方ではローカル局の子会社に頼む。この体制をぎりぎりで間に合わせたんです。

岡部:自国のリーグの中継には、放映権だけでなく、制作コストがかかるということですね。

小牧:Jリーグの放映権は、2シーズン後に契約更改があります。もしスカパー!より金銭面でいい条件を出す会社があったとしても、果たしてそこが映像をつくれるのか。その条件を満たせる会社は多くないと思います。

Jリーグもそういう貢献をだんだん理解してくれて、関係が深まり、今やパートナーシップと認めてくれていると思います。

岡部恭英(おかべ・やすひで、写真左)
1972年生まれ。CLに関わる初めてのアジア人。UEFAマーケティング代理店、TEAM マーケティングのTV放映権&スポンサーシップ営業 アジア&中東・北アフリカ地区統括責任者。ケンブリッジ大学MBA。慶應義塾大学体育会ソッカー部出身。夢は「日本が2度目のW杯を開催して初優勝すること」

(構成:木崎伸也、撮影:福田俊介)

*インタビューの後編は明日掲載する予定です。