123便墜落事故の原因は「修理ミスに起因する圧力隔壁の破壊」と公式に発表されてます。
しかし、これに異論を唱える方もいらっしゃいます。
その異論のうち最も有名なものが「自衛隊が誤って演習用のミサイル(もしくは標的機)を当ててしまった」とする説ですが、比較的近年になって目立つようになってきた異説に「日本の優秀なOSであるTRONの開発を止めるために、アメリカがTRONの開発者が乗っていた123便を撃墜した」とする説がございます。
ネット上で生まれ、ネット上だけで広まっている、ネットの暗黒面を煮詰めたようなトンデモ論です。
ここではこの説を『TRON開発者抹殺説』と呼称いたします。
現在、我々が使用しているPCのOSはWindowsが世界を席巻しております。
この『TRON開発者抹殺説』は、そのWindowsの地位を脅かしかねない強力なOSとなりうる日本製OS“TRON”の開発を止めるために、アメリカが123便を撃墜して乗っていた開発者をまとめて殺した、という話になります。
率直に言って、話題にするのもアホらしい説です。
この説については、123便の陰謀説を否定する活動を行っている「JAL123便 事故究明の会」も相手にしてません。
でもネットにはこの説を信じてる人がいるのです。信じられないことに。
『自衛隊誤射撃墜説』もありえない話ではありますが、根拠らしきもの(根拠になってないのはさておき)を挙げる方がいらっしゃいます。
しかし、この『TRON開発者抹殺説』で根拠を挙げる人はいません。何故なら根拠は無いからです。
閑話休題的にこのアホらしい説について言及してみます。
1、TRONとは?
2、誰が123便を撃墜した(ことになっている)のか
3、TRONの開発者は123便に乗っていたのか
1、TRONとは?
『TRON開発者抹殺説』を唱える人にとって、TRONは「日本で開発されていた、なんかすごいOS」くらいの認識しかないのではないでしょうか。わかってないからそんな陰謀論を唱えられるんでしょうから。
そもそもTRONとは何なのか。
TRONとはWindowsなどに代表されるOSの1つで、日本製のOSとして1984年に開発プロジェクトが発足いたしました。
ただ一口にTRONと言っても色々ございます。
主なTRONは超ザックリで以下の通りです。
- ITRON
家電や自動車など特定の機器で使用される、いわゆる「組み込みシステム」用として開発されたOS。さらに軽量化されたμITRONもある。 - BTRON
パソコン向けに開発されたOS。普通に“OS”と聞いて浮かんでくるのはコレ。「超漢字」などが有名。携帯端末用のBTRONとしてμBTRONもある。 - CTRON
メインフレーム、いわゆる「大きなサーバ」用として開発されたOS。電電公社(NTT)で使用された。
他にもJTRON、MTRON、IMTRONなど、40年間のTRONプロジェクトの歴史においては色々なTRONが開発されてまいりました。
OSだけじゃなく、ハードウェアなどの開発も含めた『TRONプロジェクト』が発足したのが1984年。組み込みシステム向けのITRONの開発を目的に開始したプロジェクトで、パソコン向けのBTRONの開発が始まったのは1985年。まさに123便事故が発生した年です。
上記は超概要です。
TRONについてはTRONフォーラムや30周年記念サイトなどが参考になりますので、詳細はそちらをご覧ください。
要するにTRONは1984年に開発がスタートして、2000年代以降も特に家電製品等を制御するための組み込み用OSとして、世界中で広く使われているOSになります。
2、誰が123便を撃墜した(ことになっている)のか
『TRON開発者抹殺説』における123便“撃墜”の黒幕はアメリカおよびマイクロソフトです。陰謀論における登場率で「世界を操る闇の秘密結社・イルミナティ」や「世界を牛耳る闇の政府・ディープステート(DS)」などと並ぶ、悪名高きビルゲイツ氏のマイクロソフトですね。
マイクロソフトが恐れたとしたら、それはパソコン向けOSのBTRONということになりますが、前述の通り1985年はBTRONの開発が始まった年です。「なんか日本で凄そうなOSを作ろうとしてるみたいだ! よし、殺そう!」とマイクロソフトが牙を剥いてきたってことなのでしょうか? 開発が始まっただけなのに? おちおち夢も語れない世の中ですね。
ちなみに1985年はマイクロソフトがWindowsの最初のバージョンをリリースした年で、まだ株式も公開されていない状態でした。映画に出てくる悪役超巨大企業のように自前の運隊を保有してるはずもなく、アメリカ軍を動かせるような超権力の持ち主というわけでもありません。
どうやって123便を撃墜したのでしょうか?
100兆歩ゆずってアメリカ軍が戦闘機をもって123便を撃墜したと仮定しましょう。
でもその場合、すぐにレーダーで見つかります。
不可能と言わざるを得ません。
そう言うと「ステルス機(当時存在していた機体はF-117)が使われたからレーダーに引っかからなかったんだ!」と言い出す人がいます。当時の在日米軍基地にF-117が配備された記録を提示して欲しいところですが、それは最高機密なので出せないのでしょう。だったら何で貴方はそれを知ってるんだ、って感じですが。
と言いますか、配備されていたかどうか以前の問題として、F-117は地上の施設を空爆するための戦闘機であって、飛行機を撃墜することなんて出来ないんですけどね。
はっきり言って、アメリカ軍が123便を撃墜したなんて話は夢物語以外の何物でもありません。
ミサイル攻撃が可能なステルス機F-22は1985年当時はまだ製造されていないのですが、「実はアメリカではF-22の試作機・前身となる機体を開発していたんだ」という主張(主張と言うか妄想)を見かけたことがあります。
だから何でそんな超極秘事項を貴方が知ってるんだ、って話ですが、確かにそんな機体が存在していたとしたら123便を撃墜することは可能だったかもしれませんね。そんな機体が基地から発進したらマニアが涎を垂れらして黙っちゃいないでしょうけど。
とにかく撃墜が可能だったとしても、そんな夢のような(夢と言うか妄想)機体を使ってまで123便を撃墜したのに、TRON開発者を抹殺出来ていないのはどういうことでしょうか。次章に続きます。
3、TRONの開発者は123便に乗っていたのか
結論から申し上げますと、TRONの開発者は123便に乗ってませんでした。
『TRON開発者抹殺説』で抹殺されたとされているのは「松下電器のTRON開発者17人」です。複数会社合同のBTRONの開発において松下電器が中心だったのはその通りで、そして123便の乗客に松下グループの社員が17人いたのも事実でした。
何故そんなことがわかるのかと言うと、1985年当時は今と違って個人情報保護なんて意識は皆無であり、事故翌日の夕刊には全乗客の情報が新聞に掲載されていたためです。名前、住所、勤務先、搭乗理由など、現代では考えられないような情報で紙面が埋められてます。
(今でもネットで検索すると出てきます)
以下は個人情報をボカしてますが、1985年8月13日の朝日新聞夕刊です。
細かい住所まで記載されてるのは、本当に時代と言うか何と言うか……。
また、雑誌でも松下グループ社員の乗客について特集が組まれたりもしてました。
以下は事故翌月のサンデー毎日の記事の一部ですが、部署や家族構成まで記載されてます。
これらによると松下電器グループの社員が17人搭乗していたことがわかりますが、その中にTRON開発者がいなかったこともわかります。
松下電器でTRON(正確にはBTRON)の開発を行っていたのは松下電器産業中央研究所の情報システム研究所ですが、17人の中にここが勤務先の方は一人もいらっしゃいません。
『TRON開発者抹殺説』を唱える人に「誰が抹殺されたTRON開発者なのか、乗客名簿から具体的に名前を挙げてください」と言っても、回答できる人は存在しないんですよね。TRON開発者は乗客にいなかったので当然ですが。
しかもこの17人が123便に乗っていた理由は出張や帰省、友人の結婚式などバラバラです。TRON開発者の抹殺を目論むアメリカは、この17人を123便に搭乗させるために大いなる力を使って多種多様な搭乗理由を作ったとでも言うのでしょうか?
ディズニーランド帰りの女性社員3人組もアメリカが手を回して123便に搭乗させたと?
バカも休み休み言ってください。
いや、休んでも言わないでください。
そもそもTRONの開発を止めたいのであれば、TRONプロジェクトの中心人物である坂村健氏が真っ先に抹消対象になるかと思いますが、坂村氏は今もなおバリバリ活躍なさってます。
『TRON開発者抹殺説』には矛盾しかありません。
『TRON開発者抹殺説』を信じてる人が存在していることが信じられません。
「日本すごい。アメリカ嫌い」が極まり過ぎて頭が沸いてるのでしょうか。
『TRON開発者抹殺説』を唱える人は、ネットの陰謀論に騙されて乗っかっているだけの大馬鹿野郎です。
『TRON開発者抹殺説』を唱える人を見かけたら、問答無用で軽蔑しましょう。