文壇バーの周年誌
(2025/05/19記)
歌舞伎町にあった酒場「あづま」と「利佳」は文人のみならず人文・社会科学系の研究者が常連に名を連ね、名だたる学者や編集者たちが寄稿して周年ごとに記念の私家本が作られるような店だった。
池島信平さんの古いエッセイ「無産有知識階級」(『歴史好き』三月書房、311頁)に教えられ「利佳」を訪ねたのは2009年秋のことだ。残念ながらママである安藤りかさんが亡くなり、「利佳」が私の訪問のちょうど1年前に閉店していたことを、そのとき知らされた。
教えてくれたのは、シャッターの下りた「利佳」の左隣に店を構える「あづま」のママで、もう90に垂んとする平米子さんだった。「あづま」には東日本大震災で閉店するまで、わずかな期間だったが足繁く通った。東洋経済新報社やダイヤモンド出身の編集業界の先達たちが温かく迎えてくれる、おでんの美味いいい店だった。
さて、くだんの「利佳」は20周年を迎えた1978年と30周年を迎えた1988年に、それぞれ『新宿利佳の二十年』(文藝春秋事業出版)、『新宿利佳の三十年』(新潮社)という周年記念本を出している。
20年誌の口絵写真には、故人となった池島さんはじめ田辺茂一さん、時枝誠記さんや恩地孝四郎さんらの姿が見え、巌谷大四さん、扇谷正造さん、志賀信夫さん、山室静さん、エドワード・サイデンステッカーさんらが寄稿している。
30年誌に収録された暉峻康隆さん、松沢嗣郎さん、ママの安藤さんの鼎談は、20年誌に収められた田辺さん、暉峻さん、藤田圭さん(新宿「五十鈴」のママ)、安藤さんたちによる座談と合わせて、昭和20年代から50年代にかけての巧まざる新宿酒場事情、夜の文化的公共圏曼荼羅となっており、歴史資料とまで言っては大げさかもしれないが、なかなかに面白い。
ちなみに、最初に紹介した池島さんのエッセイを枕にした、扇谷さんの「無産有識階級の店」は「利佳」30年誌に寄稿された文章である。
かたや「あづま」も、30周年に『新宿あづま』(審美社、1977年)、40周年に『新宿あづま四十年』(審美社、1987年)、50周年には『五十周年の新宿あづま』(審美社、1996年)を刊行している。
「あづま」の文集は造本にも贅をこらしており、和紙を裏打ちし、背に革クロス貼った上、タイトルを朱の箔押しにした30年誌の目次には、夜の学校、あづま大学、などの異名を取った店らしく、井上光晴さん、大久保利謙さん、金達寿さん、佐々木克さん、奈良本辰也さん、塙作楽さんといったお歴々が名を連ねる。
厚い芯ボールの貼り箱、赤と朱の中間色くらいの布クロスに、タイトルを箔押しした40年誌と50年誌には、30年誌の面々が顔を揃えると共に、綱淵謙錠さん、遠山茂樹さん、大江志乃夫さん、児玉幸多さん、みつはしちかこさんといった諸氏が新たに筆を寄せている。
あまりにも「あづま」と「利佳」が突出しているため、これに匹敵する店というと、新宿5丁目の三番街から先年四谷荒木町に移転した「風花」と、同じく5丁目の明治通り近くにあって2018年に閉店した「風紋」くらいしか思い当たる節がない。
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池袋西口の「ささ」だって、閉店する際に『ささありき』(舷燈社、1984年)を出しただけだし、新宿東口にあった内城育子さん(「風紋」「どれすでん」出身)の「火の子」(2002年閉店)も開店10周年記念にソフトカバーの『火の子の宇宙』(冬樹社、1983年)を残したのみである。
ちなみに初めて私を「火の子」に連れて行ってくれたのは岡本呻也さんだ。山口昌男さんがまだお元気で、私たちが店を覗くと不思議なくらい鉢合わせた。山口さんに私淑する岡本さんは、奥のテーブル席に彼の人の温顔を発見すると、嬉しそうに近場の席を占め、じつに愉しげに突っかかっていた。
ここでは粕谷一希さんともよくご一緒したが、ホームである池袋のほか、神楽坂やゴールデン街、荒木町でもお見かけした粕谷さんと異なり、私は「火の子」と渋谷の百軒店以外で山口さんと出会ったことがない。こちらには鹿島茂さんや原武史さんも訪れていたと聞くが、残念ながら当時は邂逅の機会を得ずに終わった。
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閑話休題。私は20代の終わりに当時の上司だったSに連れられ「風紋」と「風花」に出入りするようになった。ところが、数年を経ずして諸般の事情からSと私は懸隔し、同人と顔を合わせたくないばかりに足が遠のくと、そのまま10年以上ご無沙汰してしまった。Sが現役を退いたと聞いてようやく復帰を果たし、恐る恐るまた両店の扉を開けるようになったのはここ8、9年のことに過ぎない。
息子の大久保(林)卓君と同い年ということもあったのだろうか。ありがたいことに「風紋」のママ、林聖子さんにはいつも、とてもよくしてもらい、店を閉める最後の日まで飲ませてもらった。泥酔した坪内祐三さんにくだを巻かれるのは大抵ここだった。
「風紋」は25周年の1986年に『風紋25年』、1991年に『風紋30年ALBUM』(ともに自費出版)、2012年には『風紋五十年』(パブリック・ブレイン)を出している。聖子さんがかつて筑摩書房に勤めていたことから、初期の「風紋」は古田晁さんをはじめとする筑摩関係者の御用達となっていた。そんな経緯もあり、25周年誌の巻頭言は新潮社から筑摩書房に転じた野原一夫さんが担当している。
この記念誌の寄稿者は目もくらむような豪華さで、目次には粕谷さん(中央公論社)、小島喜久江さん(=千加子さん、新潮社)、坂本忠雄さん(新潮社)、野平健一さん(新潮社)といった大物編集者に加え、田村隆一さん、松山俊太郎さん、いいだももさん、高田宏さん、武田百合子さん、中村稔さん、矢代静一さん、渋澤孝輔さん、洲之内徹さん、山口淑子さんといった名前が並ぶ。
少し薄手のソフトカバーとなった30周年誌は「ALBUM」と銘打たれていることでもわかるように、店内でのショットから常連たちとの旅行会、ゴルフコンペなどの際に撮影された写真を、創業から10年ごとに区切った三部構成にまとめている。
古田さん、臼井吉見さん、唐木順三さんという筑摩書房三羽ガラスのスリーショットが異彩を放ち、藤田省三さん、埴谷雄高さん、神彰さん、宮地佐一郎さん、吉村昭さん、工藤幸雄さん、山本夏彦さんといった顔ぶれからは、匂い立つような昭和の文壇・論壇の空気を感じる。粕谷さんの女婿で、後に都市出版の社長を引き継いだ高橋栄一さんがいちばんの若手ではないかという時代である。
市販もされた50周年誌は山本和之さんのディレクションのもと、たいそうしゃれた装丁を身にまとい、なんと2刷になった。常連の老若男女からの寄稿も然りながら、聖子ママの一代記という趣もあって読み所が多いのは優れた編集者の手練手管ゆえだろう。入手も容易なのでご関心の向きには是非一読を勧めたい。
さて、定席とも言うべきゴールデン街を含めても、今般、私が最も足繁く通っているのは「風花」であろう。古くは中上健次さん、後藤明生さん、古井由吉さん、西部邁さん、西村賢太さんをはじめとするあまたの文人たちが扉をくぐり、いまも島田雅彦さん、奥泉光さん、高澤秀次さん、青木理さん、柄谷行人さん、田中慎弥さんらが入れ替わり顔を覗かせる。
2023年、入居していたテナントビルの建て替えが決まり、43年間続いた新宿5丁目の店での営業が出来なくなった。代替物件は容易に見つからず、一時はそのまま閉店も考えたそうだが、常連客たちの強い声援に応えたママの滝澤紀久子さんは、翌2024年、見事、四谷荒木町への移転を成し遂げた。
そして今年、「風花」は創業45周年を迎え、去る5月15日、そのお祝いの会が開かれた(じつは2020年に40周年のパーティが開かれるはずだったのだが、コロナのせいで流れてしまったらしい)。
伝統ある文壇バーの周年に相応しく、青木さん、奥泉さん、小野一光さん、角田光代さん、柄谷さん、重松清さん、島田さん、高澤さん、田中さん、山田詠美さんらが発起人に名を連ね、京王プラザホテルに式場を取った会は、参加予定者だけで340人という大がかりな集まりとなった。
私はかねてママの紀久子さんに、周年誌を作らないのかと水を向けてきた。ところが面白いことに彼女は、そうしたことにあまり興味が向かない様子である。何度か勧めるうち、書いてくださる方はたくさんいらっしゃると思うけれど、それが自慢のようなひけらかしのようなことになってしまっては嫌なのだ、と返事があって得心した。彼女は、自身がメディアに露出することも全く好まない。
ちなみに「風花」30周年の会では、森山大道さんが撮影した「風花」のカウンターに置かれた花活けのプリントと写真立てが、そして今回(45周年)は、小ぶりの画帖に仕立てられた林静一さんのイラストレーションが、来場者への引き出物として配られた。ともにじつに品の良いものだった。
とはいえ、当代の文壇バーとして押しも押されぬ「風花」である。中上さん、後藤さん、西村さん、西部さん、古井さん、店の歴史を彩った多くの常連が鬼籍に入られたが、現役のみなさんにお声がけしただけでも驚くような顔ぶれが喜んで寄稿してくれるに違いない。
紀久子さんの想いはわかる。ただその一方で、やはり50年周年が目前に迫るこの店の足跡と文化を後世に伝える一書があってもいいのではないかという気持ちは覆いがたくある。
今回の45周年を祝う会では、山田さんと島田さんが「風花」の歴史を振り返る貴重なトークがあった。お2人にはそれぞれの筆で、作家の目に映じた折々の風景を書き残してもらいたいと思わずにいられなかった。むろん重松さんや青木さん、小野さんたちがジャーナリスティックな筆を執れば、また違った景色が描き出されることだろう。
紀久子さんが不承不承取材を受けてメディアに掲載された記事も、かき集めれば、そこそこのボリュームになるはずだし、なによりロングインタビュー、オーラルヒストリーの対象として彼女はとても魅力的な人物だ。
客としても編集者としても外様に過ぎない自分がその任にないことは、正直残念なのだが、写真提供くらいならば力になれることもあるだろう。
あと5年ある。どなたか敢然と手を挙げ、紀久子さんの説得に当たってみよう、「風花」50年誌の編纂にチャレンジしよう、という猛者はいないものだろうか。



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