ハリー・ポッター -Harry Must Die- 作:リョース
ハリーはお風呂でだらけていた。
頬を伝い、顎を落ちて胸に当たるしずくさえ心地よい。
檜の匂いとシャンプーの香り、真っ白な湯気で肌が潤うような気さえする。
日本のお風呂と英国のお風呂は結構な差があった。まず湯船にタオルなどをつけてはいけないらしい。お湯の上に泡が浮いていたりはせず、澄み切ったお湯が実にフーリューだと感じさせられる。
不知火魔法学校は、日本風のお城の建物を模した魔法具でホグワーツに来ている。ボーバトンが巨大馬車で来訪し、ダームストラングが巨大帆船で参上したように、彼らは空飛ぶ城というエキゾチック極まるモノでおいでなさったのだ。
その城の中には日本風の入浴施設があるとのことで、ハリーは今現在お邪魔しているのだった。隣にはユーコとローズマリー。何故だかユーコがハリーとローズマリーの胸を親の仇を見る目で見つめているのが少し気恥ずかしい。胸は見られても減るものではないが、見られると心の方が削られる。
「……なんでそんな見つめてくるの?」
「持つ者が憎いからよ」
「でもこれ、動くときは結構邪魔なんだぜ。揺れると痛いし、視線も鬱陶しいし」
「むきーっ!」
「いってぇ!? こらユーコてめぇヒトの乳引っ張ってんじゃねえよ!」
「千切れろ! もげろーっ!」
「ちょっ、ぼくは何も言ってない、関係ないだろやめろ!」
めくるめくピンク色ワールド。
覗きをする勇敢な男子がいれば垂涎もの、鼻血ものの光景であるが如何せんこの場に居るのは女性のみ。見苦しく不毛な争いが全裸で繰り広げられているだけだった。
「やっぱり人種か! 黄色人種はおっぱい小っちゃいのか!?」
「知らんがな」
「白人でも大きくない子だっているし、黄色の子だって大きい子は大きいじゃん」
「やめろ! 私の逃げ道をつぶさに潰していくんじゃない!」
血涙を流して食ってかかるユーコは、よく言えばスレンダーではっきり言えば幼児体形である。胸もスポーツブラや子供下着で十分。身長もハリーより低く、日本人特有の童顔であるため年齢の十五歳よりもさらに幼く見える。
公共施設に入る際は、「小学生料金で良いんだよお嬢ちゃん」という死の呪文が一番恐ろしいのだそうだ。それを聞けばデート中だろうとソウジローは鉄面皮を歪ませるほどに笑いを我慢し、日本に居る恋敵たちはライバルの不幸を嘲笑うこともできず、憐憫の目を向けてくる。いっそそちらの方が屈辱だ。
それが、こいつらはなんだ。
ローズマリー・イェイツ! 十七歳! デカァァァい、説明不要ッ! それでいてウェストは引っ込んでいて、そしてお尻も柔らかそうだ。だというのに機敏で、元気に動き回るその魅力といったら男の子ならたまらないだろう。
ハリー・ポッター! 十四歳! 年の割に大きいものを持っている。ローズマリーには劣るがそのたわわな果実は、まだ幼い顔つきとボーイッシュな雰囲気からのアンバランスさで知らず知らず男の子のハートを穿っているのだ。
ヨーコ・ツチミカド! 十五歳! ちっこい。以上。
「ちくしょう! 世の中はなんて不公平なんだ! ちっくしょう! おっぱい大きくなりたい! いい加減揉んでくれよソウジロー、大きくなるかもしんないだろ!」
「落ち着けユーコ! 空に響いてる! 声が城まで届く! ソウジローに聞こえる!」
「うわあああああん! 胸だけじゃなく度量もデカいー!」
「やめろォ!」
お風呂で暴れると予想以上に体力を使う。
英日米の三人娘は疲労困憊のまま、ラフな格好に着替えると休憩室でくつろぐ。
「ああああ、うあー肩こりに効くー」
「ちょ、ちょっと待て。なんだそれ? 電気アンマじゃない!?」
「電気アンマじゃなくて魔力アンマだね。ホグワーツじゃ電化製品が使えないって聞いたから、おばあちゃんが用意したんだ。使用者の魔力を電気代わりにマッサージをしてくれるから」
「力が抜けりゅぅ……にゃんかとろけちゃひそぅ……」
「ローズマリーッ!?」
「使いすぎると、あんなふうに疲れを取るどころか生命力が抜けていくんだよ」
「どうしてそんなものを作った!」
不知火の男の子たちは通り過ぎるたびにローズマリーの方を一瞬見て、顔を赤くして足早に過ぎ去ってゆく。確かに見た目はエロティックだ。タンクトップを押し上げる胸はボリュームがあるし、とろけた顔は異性の魅力的な何かを感じさせる。マッサージチェアでこうなったとは思うまい。
からん、と音がしたので振り返ってみれば、そこには牛乳瓶を四つ持ったソウジローが居た。極力ローズマリーの方を見ないようにしているあたり、ちらちら見ないあたりが紳士である。魔法で首を固定して無理矢理みないように自制している魔法式さえ視えなければ完璧だった。これだから男の子は。
「ぼくフルーツ牛乳がいいな!」
「あたしは普通のミルク!」
前面と背面からくっついてまとわりついてきた二人を牛乳瓶で誘導して適当にあしらい、ソウジローは欠食児童どもを適当に畳の上へ追いやった。
休憩室に設置された座椅子の上にいるユーコに、ソウジローが手に持っていたコーヒー牛乳を渡す。「んー」とおざなりな返事を残したユーコは、そのままコーヒー牛乳を喉に通した。どうやら既に蓋は開けてもらっていたらしい。
それを見てローズマリーは少し面白くなさそうな、しかしにやついたまま言う。
「胸がどうのとか言ってるけど、ああしてちゃんと愛してもらってんじゃんよ。羨ましいねえ」
「……ぼくも開けておいてほしかったかな」
床に飛び散ったフルーツ牛乳をタオルで拭きながら、ハリーはユーコを見る。
確かに自然体でソウジローの厚意を受け取っていた。あれはよほどの絆がないとできない事だろう。ハリーとて、ロンやハーマイオニー相手ならあれと似たようなことができると信じている。……いや、できたと言った方がいいか。
今回の確執は深い。
いままでも言い争い程度はあったものの、こうして仲違いするほどの喧嘩は初めてだ。それも、男女における恋愛絡みでの対立は根深い。根深すぎて、四年間積み立てていた友情の塔も崩れかねないほどだ。
ユーコとソウジローを見ていると、もしかしたら実現するかもしれなかった未来が重なって見えてしまう。しかしその場合、栗毛の少女とはもう二度と笑いあえなかったかもしれない。もっとも、いまは恋も友情も捨ててしまったのだけれど。
さみしげに笑顔を浮かべて半分ほどになったフルーツ牛乳を飲み干したハリーの肩に、ローズマリーが手を置いた。
奇妙なことだが、彼女は失恋していない。ローズマリーが惚れたのは、ソウジローだ。そのソウジローには婚約者であるユーコがいる。だというのに失恋していないとは如何なることかといまでも思う。答えは一夫多妻で、二番三番に納まることが可能だからだそうだ。
ローズマリー曰く、ユーコのことは割と好きなのだそうだ。腹黒い部分もあれど、それもソウジローのためを想って自身の長所として活かしているらしい。それはやはり、愛のなせる業だろう。愛する人のためなら、自身がどす黒い汚泥に浸かっても構わない。
きっとソウジローにとっての一番は彼女であって、自分を愛してもらえるとしてもそれは彼女以上の愛情を注いではもらえないだろうという確信。
寂しげに微笑むハリーの頭を掴んだローズマリーは、彼女の頭を自身の胸に埋めた。
「ほらお泣きよハリーちゃん、ママのおっぱいはあったかいぜ」
「うわーんママーさみしいよー」
「んっ!? ばっか、コラ吸うな! ぁう。なにすんだ、このバカ!」
女同士ゆえに遠慮がない。
どたばたと笑顔で悪ふざけしながら暴れる二人を、ユーコは少し細めた目で見る。
そして隣を見て、その細められた目が呆れの色に変わった。
「宗二郎」
「……なんダ」
「ローズマリーのこト、悪くないと思ってル?」
「……まア、悪い子ではないナ」
「ねえ宗二郎? 鼻血出てるから説得力ナイヨ?」
「…………、…………すまン……」
鼻血が出ちゃう。だって男の子だもん。
婚約者からの蔑むような視線に耐えきれなかったのか、ソウジローがこそこそと離れていくのを見てユーコは小さく笑う。あんなムッツリスケベでも、やるときはやってくれるのだ。
ユーコはソウジローの背中を見送ると、いつのまにかじゃれあいから近接格闘に発展していた二人を止めるため歩き出すのだった。
*
ホグワーツの廊下を歩くハリーは、ちょっと胸元が牛乳臭いかなと悩んでいた。
ローズマリーの乳にキスマークを付けた際にかかったのだ。おのれ
正直なところ、まだ恋をすることができるユーコとローズマリーの事が羨ましくて、あれ以上二人と一緒に居られなかった。ロンと男女の関係になれないと運命づけたのは自分自身なのだ。ファーストキスを捧げ、奪うことを代償に陥った未来。それが今だ。
このままハーマイオニーとずっと疎遠であった場合、本当にこれっきりの仲だということも十分有り得る。彼女にはなんとかしてロンへの想いを自覚して、ロンも彼女の想いを素直に受け取ってほしいものだ。そうでないと、肩身が狭いというかい辛いというか。男一人と女二人。これほど面倒くさい展開はない。
「ハリー!」
「あれ、セドリック」
廊下を歩いていると、後ろからセドリック・ディゴリーに呼び止められた。
ハリーの前まで来て一瞬硬直したものの、すぐにいつもの甘いスマイルを浮かべる。
きっとお風呂上りでハリーの髪が濡れていてドキッとしたのだろう。なにせセドリックの気持ちを知っているのだ、それくらいの機微はハリーにもわかるようになった。意識されていると、こちらとしても少し気恥ずかしい。
二人して少し頬を染めながらも、ハリーはセドリックに話の続きを促した。
「ああ、そうだった。ハリー、お風呂だ。風呂に行こう」
セドリックの囁き声に、ハリーの頬にさした朱がさらに濃くなる。
どうしたものかと思ってセドリックが彼女の顔を覗き込めば、ハリーはさっと顔をそむけてしまう。訝しげな顔をする彼に向かって、ハリーは細々とした声で言う。
「か、彼女でもないのにそれは……ちょっと、大胆だぜ。セドリック」
この言葉でセドリックはようやく己の過ちに気付く。
先ほどの言い方では、聞き手からすると「一緒にお風呂入ろうぜ」と取れなくもないのだ。それを意中の女性に言うというのは、つまりそういうことだ。
恐ろしいまでのドストレートなお誘いである。
「ちッ!? ちっ、ちがっ、違う! 違うよハリー、違うんだ! ノー、違う!」
「お、落ち着けセドリック。クールになれ、分かった。違うんだな、うん、わかったよ」
「本当だぞハリー、こんなこと、言わないから。な」
「分かってるって。紳士だろう君は、わかってる。落ち着け」
思った以上に動揺してしまったセドリックに、悪いことをしてしまったとハリーは反省する。半分は意図を察しながらも、からかう意味を込めて言ったことだ。
さすがに冗談だったと言ったらあのセドリックも怒るかもしれない。ここは黙っておこう。セクハラされた立場というのを利用してしまうあたり、なんだかずるい気がする。
まあ、それはいい。
落ち着いたセドリックが言うには、黄金のタマゴを持ってお風呂に入るべきだという話だ。何故答えに近いヒントを与えるのかと問えば、正々堂々競いたいという気持ちと、第一の試練の時の借りを返すためだときっぱり言い切った。
惚れた女性にいいところを見せたいからだとか、友達だからだとか、そういった理由が一切込められていない澄みきった目。ハリーはその眼を見つめると、にぃ、と笑った。
「うん、ありがとう! もっかいお風呂入ってくる!」
にかっと笑顔を浮かべて今来た道を戻ろうとしたハリーに、セドリックが慌てた風に声をかける。
「ああ、ハリー! どうせならいい風呂を使ってみないかい。監督生専用のお風呂だ」
「ほう?」
これでもハリーも年頃の少女。
凄いお風呂、と聞いてしまえば興味を持たないわけがないのだ。
日本には他人が風呂に入っているところへ侵入してくるプロの不届き者が居るとの話だったが、ここは英国ホグワーツ。そのような眼鏡の少年はやってくる心配はないだろう。
セドリックから監督生用浴場への合言葉を教えてもらい、ハリーは悪戯っぽくウィンクしていう。
「覗きに来るなよ?」
「行かないよ!?」
顔を赤くして慌てるさまは、いつもの冷静沈着な紳士と比べて年相応に可愛らしい。うーん、これはヤバいな。きゅんとくるぜ。などと無駄な思考をしながら、ハリーは未だに動揺しっぱなしのセドリックに手を振って別れる。
バカのバーナバス像近くまで着くと、ハリーは合言葉を囁いた。ホグワーツにはこういった秘密主義な部屋が多すぎる気がする。さらに言うと、一応監督生専用の場所だ。教師の誰かに見つかると面倒であるので、透明マントを着用している。それにしても誰もいないところから女の囁き声がするなど、ぞっとする話だ。
脱衣所へ滑り込むように入れば、時間も時間であるからして誰もいない。消灯時間はとうに過ぎている。セドリックと会話しているときがすでにギリギリだったのだ。規則破りを進めるとは、彼もなかなかワルだ。
「うへえ、広いなあ。不知火のお風呂もすごかったけど、こっちはなんていうか、うん。魔法界らしいっちゃ魔法界らしいかな」
蛇口、蛇口、蛇口。
まるで蛇口のバーゲンセールである。
とりあえずセドリックのアドバイス通り、いたるところの蛇口をひねってお湯を出してゆく。赤青黄色、ピンクにグリーンにバイオレット。様々な色の泡がぽんぽん飛び出してきて、こんな小さなものにまで魔法をかけているのかとハリーは改めてホグワーツの無駄に凄い技術に驚いた。
お湯をためている間に、脱衣所に戻ってシャツとジーンズを脱ぎ捨てる。
ブラジャーもショーツもさっさと抜いで、適当にカゴへ投げ込んだ。どうせ誰もいないのだ、気を遣う必要などない。それに誰か来たとしても、同一座標上にありながら空間そのものが男女で分かれているため、覗かれる心配もないし下着を盗られることもないという安心設計である。
すっかり全裸になったハリーは、金のタマゴをさっと手に取って浴室への戸を開けた。
色とりどりの泡が跳ね回る、広い浴場。ハリーははやる心を抑えながら風呂桶でかけ湯をして、先ほども不知火で洗い落としたはずの埃を洗い流すと、ダッシュで湯船の中へ飛び込んだ。
「ぶっは、何コレすっごいな!? わはー! すげー! きゃー!」
一人で騒いでいる様は阿呆のそれであるが、このアミューズメントパークのようなお風呂場では仕方のないことかもしれない。
ダーズリー家においてハリーがそのような施設に行く機会があっただろうか。そんなものは有り得るはずがない。ハリーを『まとも』に叩き直すため過激な教育を施してきた夫妻も、自身のやってることが余所から見てみれば『まともじゃない』ことくらい自覚していたのだろう。
ダドリーお得意だった《ハリー狩り》など、どう言い繕ったところでただのイジメ。それをバーノンやペチュニアがやったことはないが、ダドリーにその行いを許している時点で罪は重いだろう。『まともじゃない』人間を『まとも』に矯正するには、『まともじゃない』手段を取るしかなかった。
要するに彼らはハリーという未知の存在に、恐怖していたのだ。怯えた犬が手当たり次第に噛みつくのと同じこと。そんなダメ飼い主のような扱いをされていたハリーにとって、楽しい機能のある施設というのは、十四歳になっても子供のようにはしゃいでしまう魅力ある場所なのだ。
「あはははは! すごいすごい、これなら一日中だって居られ」
『ないと思うわよ』
「んみぎゃあああああ!?」
唐突に背後からかけられた声によって、ハリーはあられもない叫び声をあげる。
気配も何もなく、前触れも何もない。杖は!? いや、いま全裸だ。あるはずない。
慌てて振り返って何者なのかを確かめようとし、
「ひきゃう!?」
更にあられもない声をあげて飛び退いた。
飛び退いたことによって湯船から飛び出し、濡れた床の上で猫のように体勢を低くして身構えているものだから、格好まであられもなくなる。
振り返った瞬間に感じた怖気と冷たさは、覚えがある。
あれはゴーストの身体を通り抜けたときの感覚だ。
湯船の方を見てみれば、ハリーを凝視しているゴーストが一人いるのが見える。
誰だろう、初めて見るゴーストだ。
女性……いや、年齢としては少女である。ハリーと同じか、少し年下くらいの年齢に見える。もっとも、ゴーストである以上は何百年も年上だろうとおかしくはない。だが、ゴーストの外見は死亡時の状態を維持してしまう特徴があるので、彼女の没年はあんなにも幼い頃だったのだろう。
眼鏡に、少し目立つニキビ面。美醜の感覚に疎いハリーからしても、あまりきれいな人とは言えなかった。なによりあの眼には覚えがある。
ダーズリー家に居た頃のハリーの目と同じ。
すべてを諦めている目だ。
『うらやましいわねえ。女として立派なもの持ってるじゃない。やっぱり巨乳になったわねこの野郎』
「……あまり見るなよ」
『いいじゃないの、減るものじゃないんだし』
けたけたと笑いながら、ゴーストは湯船をすり抜けて寄ってくる。
目線になにやら男の子がハリーの胸を見るときの色と同じものを感じる。
……ハリーは胸を腕で隠し、見えないように注意しながら湯船の中に入って身体を隠した。彼女の顔が舌打ちしそうな表情になったので間違いない。こいつヤバい類いだ。
「んで。何の用だよ、っていうか誰だよ」
『嘆きのマートル。……前に会ったじゃないの。覚えてないの?』
「知らん」
自己紹介されたものの、とんと聞いたことがない名前だ。
寮に憑いているゴーストは一通り知っているが、ホグワーツには結構多くのゴーストが住み着いている。ゆえに全員の名前など知りようがないのだ。
『……そうよねぇ、私の事なんて覚えてないわよねえ。ブスのマートル! 根暗マートル、泣きべそマートル! オォォォウ、なぁぁんて孤独なの!』
「知らんがな。騒ぐなら独りでやってくれないかい」
『……あなた冷たい人だって言われない?』
「どうだろうね」
敵対者や気に入らない人間にどう思われようが全く気にならない、という面はある。
なのでそういった輩に対しては、冷酷な対応をしてしまうのもまた事実だ。
いまハリーの中で、嘆きのマートルへの評価は地に堕ちている。
なによりゴーストとは、生命体ではない。生前の行動を繰り返す《現象》と定義されている。しかし元は人であったということを知っている以上は人間の情として最低限の礼儀は払いたくなるものだが、理性をも失くしたゴーストならばその限りではない。
ほとんど首なしニックなどのように親しい者ではなく、怪しげな視線を向けるこの相手には魔力により造られた疑似生命体と同じように、単なるモノとして扱おうとハリーは決めた。
『あーらあら、私にそんな冷たくしていいのかしらん?』
「……」
『無視はやめて! ゴーストは寂しいと死んじゃうのよ!』
「色々ツッコミどころはあるけど、ウサギが寂しいと死ぬってのは嘘だよ」
『そうじゃないわよ、私が求めてるのはそうじゃないの』
マートルの声を努めて無視しながら、ハリーは金のタマゴを手に取る。
魔法空間から鍵を取り出すと、ふと鍵の取っ手にアラビア数字で《四》の字が刻まれていることに気付いた。これは第二の試練での順位だ。やはり予想できるのは、成績によって開示される情報量が違うということだろう。
鍵穴にいびつな形の鍵を差し込んで捻ってみれば、ある程度までは開けることが出来そうだ。かちり、と小さな音を立てて鍵を開けて、蝶番で開くようになっているタマゴの中身を拝見せんと開帳する。
「うわあ!?」
開いたまではいいものの、中から聞こえてきたのは鉄を釘で削ったときのような、またはガラスを爪でひっかいたような酷い音だった。
思わず取り落としてお湯の中に沈めてしまう。機械ではないのだから水没した程度で壊れたりはしないだろうが、悲しいかなハリーはマグル世界で育った魔女。染みついた感性はなかなか拭えないのである。
慌ててお湯の中に手を伸ばすも、見事な曲線を描いたタマゴはつるりと滑って湯船の底にごんと音を立てて沈みきる。参ったな、とひとり呟いてハリーはお湯に手を伸ばすも、小柄な彼女では届かなかった。
仕方なく湯の中に潜ってタマゴを取ろうと手を伸ばして、果たしてそれは正解であった。湯の中に頭を沈めると、なんとも耳触りの良い音楽が聞こえてきたのだ。
なにかと思い驚くも、お湯の中で揺れるタマゴから他愛ない魔法式が視えたので、単なる録音した音声を再生しているだけだと判断。ハリーは安心してまた湯の中に頭を沈めた。
(……歌?)
耳の中へ流れてくるのは美しい歌声。
ハリーは雑多に詰め込んだ知識の中から、水中でのみまともに聞き取ることのできる言語があることを思い出した。
湯の中に頭を沈めながら、ハリーは歌を聴く。
『貴方も我らの仲間となろう、息のできぬ冷たい世界で』
『急げ急げ、時が過ぎれば大切なものはもう戻らない』
ハリーに効きとれるのはこの二つの意味。
どうやら途中で音楽は途切れているようで、これ以上の情報は得られなかった。
もしハリーの順位がもっと上であったならば、この歌の続きを聞くこともできたのだろう。美しい歌であるだけに、少し聞いていたかったが仕方ない。外出禁止時間にこうしてお風呂に入っているだけでもアウトなのだ、監督生でもないのに監督生用のお風呂にいるのも結構まずい。
そろそろ寮へ急いだ方がいいだろう。
『すごいわねえ、ハリー。あなたくらいよ、タマゴ相手にそこまで理解するのが早いの』
「……おまえそれ」
『クラムは腕組みして二時間くらい唸っても結局わからなかったみたいで、くしゃみしながらお風呂場を出て行ったわ。ちょっとゴツすぎるけど逞しく引き締まってたわね。ブレオはタマゴの歌を聞いてから朝になるまで悩んでたみたい。彼も筋骨隆々だったけど、色々と濃かったわよ。フジワラは二人と比べると少し貧弱な感じだったわね。でも細身の筋肉質ってのも新たな境地へイケそうだわ。セドリックは見事としか言いようがないわね、無駄な肉はないのに筋肉美を見せつけてくれたわ。ちなみに彼は一時間かかって理解したみたい』
「見るところ違くね? なあ、なんか違わない?」
『デラクールはモデル体形だったわ。流線形っていうの? 胸は大きくないけどプロポーションが人外並みね。ローズマリーはもう爆弾って言った方がいいわ。アレで抱きしめられたら落ちない男の子はいないわよ。ちなみにツチミカドは子供体形の割に大人っぽさがあるから背徳的な綺麗さがあるわね』
「まて女性代表選手も見てるのか? というかなんでユーコが出てくる?」
『そりゃフジワラと一緒にお風呂入ってたからよ。鼻血もんだったわ』
「……そ、そう」
ハリーの中でソウジローの評価が一段階下がった。
というか、ソウジローとユーコの身長差ではまるで大人と子供だ。
ユーコの仕草や雰囲気が大人っぽいために酷い誤解は受けていないものの、もしユーコがハリーの服を着てツインテールにでもしようものならば、いまも会場を警備しているはずのウィンバリーやハワードがすっ飛んできてもおかしくないカップルである。
ハリーと同じか少し小さい身長である彼女は、童顔なのも相まって十代前半くらいに見えてしまうのだ。ハリーは白人であることと胸があるため、年相応に見られるのでまだいい。だがユーコは日本人特有の童顔であり更にはぺったんこだ。これはもう笑うしかない。
どうやら他の代表選手たちは全員歌の事を分かっていたらしい。ここにきて年齢差による不利が現れてきた。きっと彼らは、あの金切り声を聞いた時点で水中人語であることを看破したに違いない。ハリーはセドリックに教えてもらうまで水場にタマゴを持ち出すという発想自体がなく、さらには偶然水没させてしまったのが功を奏しただけだ。
運もまた実力のうちとはいう者の、その運を引き寄せるための知識が不足しているというのはかなりの痛手だ。また、先ほどのキーワードからくる『息のできぬ冷たい世界』というのは、ほぼ間違いなく水中で競技を行うということだろう。
なにか特定のモノを泳いで探すといった競技になることは想像に難くない。つまるところ、空気のない中で活動するための手段を模索しなければならないのだ。
「そうとわかればじっとしちゃいられないな」
『あらん、もう行くの?』
「ハーマイオニーに知恵を……って駄目だ、まだ喧嘩中だよ。まずいな、優秀なブレインがいないとハリー・ポッターはただの雑魚だぞ」
『無視はやめてったら!?』
監督生用の風呂場を出て、ハリーはグリフィンドール寮へ戻る。
太った婦人に合言葉を告げて中へ入ると、フレッドとジョージが何やらジョークを飛ばして数人が笑っていた。その中にロンがいることに気付き、ハリーは少し気まずい思いを味わう。
ハーマイオニーの栗毛がちらと視界の端に映ったが、どうやら女子寮へと上がっていったようだ。タイミングが良すぎる。きっとハリーの姿を見て、離れていったのだろう。賢く優しい彼女のことだ、きっと今ハリーと顔を合わせれば険悪な雰囲気になってしまうことを理解しているのだろう。
気遣いは有り難いが、とても哀しい。
彼女の視線からは負の感情をあまり感じない。つまり、ハリーに対して怒っているわけではない。授業中たまに見られるロンへ視線を向ける姿にも、特に変なものはまじっていない。
きっと彼女は、ハリーの思惑に気づいている。
四年目だ、知り合って四年目。ハリーにとっては初めてできた同性の親友。かつて勉強がすべてだと信じていたハーマイオニーから見ても、きっとハリーは初めての親友なのだ。
そんな二人が、互いの考えていることを察せない道理はない。だが悲しむべきことに、だからこそ二人は今でも復縁できていないのだ。
片や相手の事を想って、結果として自分の恋心を殺した女。
片や意地を張って、親友達の心を踏みにじってしまった女。
ハリーとて、もうすっかり女性である。素敵な男性に好意を寄せられて嬉しいという気持ちが理解できないわけではない。ましてやそれがスーパースターのビクトール・クラムだ。いつまでも自分の心を理解してくれない、子供っぽい彼と比べて揺れ動いてしまうのはわかる。
分かるが、やってはならないことを彼女はやった。
それが喧嘩の始まりなのだ。
そしてそれは、互いの心を深く切り裂いている。
不毛である。ただひたすらに不毛である。
「ハリー」
そんな思いも吹いて飛ばしてしまう声が、彼女の耳に届く。
小さく驚きながら目を向ければ、件の
視界の隅にはフレッドとジョージ、そしてジニーが居る。きっと何か吹き込まれたか、激励されたかのどちらかだろう。それを察したハリーは、ふっと柔らかく笑んだ。
「なあに、ロン」
「うん。ちょっと着いてきて」
そういうとロンは、自身の寝室までハリーを案内した。
すれ違うとき少し驚いた顔をした双子と妹が見えたので、彼らの想像通りの行動ではなかったようだ。なんだかそれによって急激に不安になる。
もし突飛で阿呆なことを言い出したら、ハリーは怒らない自信がない。
ロンがハリーを連れて寝室に入ったことで、中にいたネビルが何かを察した顔でロンの肩を軽く叩いてから出て行った。気遣いのできる男、ロングボトム。流石である。
恐らくディーンのものであろうベッドに腰掛けたロンは、自身のベッドに座るようハリーに勧める。特別な意味はないだろうが、少し照れてしまうのはもはやしょうがないことだ。
「それで、だ。ハリー」
「うん」
いつになく真剣な顔だ。
ハリーは少し目を細めたまま、ロンが言葉を紡ぐのを待つ。
事前に考えた言葉などがあっただろうが、彼はいざ土壇場になると計画した内容をド忘れしてしまうタイプだ。双子の兄やしっかり者の妹にいろいろ教えてもらっただろうに、きっと忘れたのだろう。
だからこそハリーは待つ。
ここから飛び出してくる言葉は、きっと耳触りのいいものではないだろう。
「まず、ごめん。待たせすぎた」
彼の声色で、何が言いたいのかはわかる。
軽く頷くだけでハリーは言葉を発さずに続きを促した。
ぎゅっと目を瞑ったロンは、ゆっくり瞼を開いてブルーの瞳をハリーに向ける。
「それで、まただけど。ごめん。僕はハリーの好意に応えられない」
分かっていたことだけれど。
改めて本人の口から聞くと、ずくんと心臓に刃が刺さる思いがする。
鼻の奥がつんと熱くなってしまうが、今ここであふれ出させるのは卑怯だ。
ハリーは努めて無表情にならないよう、ロンの瞳を見つめ続ける。
「僕にとって君は、なんて言えばいいんだろう。確かに好きなんだ、大好きなんだけれど、でもそれはきっと異性に対するものじゃなくって。……えっと、その。……たぶんだけど、妹のように思ってる。だから大切なんだ」
ああ、わかっているさ。
君がぼくに向ける目は愛情ではない、親愛のそれだ。
はじめはハリー自身も頼りない兄のような目線で彼を見ていたことだろう。
いつしかそれは恋心になり、彼への渇望へと変わった。
そして、それを自ら捨てた。
その結果がこれだ。
「だからさ。その、……ハリー」
「うん」
「……僕は、君にキスを返せない」
「……うん」
「酷な物言いだけれど、……これからも親友でいてくれないかい」
「……う、ん……」
ぼやける視界を止めることは、ハリーにはできなかった。
ずるいと分かっていても、こればっかりはどうしようもない。
もう諦めて、吹っ切れたと思っていても仕方がない。
恋というものは、理屈ではないのだ。
ロンはハリーの頭を撫でることはしない。
ハリーも、ロンの胸で泣いたりはしない。
ただ、隣に座ってくれただけ。でも、それがいい。それがよかった。
明日からは、親友のハリーとロンに戻るのだろう。気安く笑い合うのだろう。
それだけのことだ。
最後に小さく礼と別れをいい、ハリーは自身の寝室へ戻る。
一時的なルームメイトであるアンジェリーナたちが察して何も言わないでいてくれるのが、ハリーとしてはとても有り難かった。
*
湖畔にて。
ハリーは手に持ったハードカバーの本を、ぱらぱらとめくっていた。
視線の向こうでは、ネビルとロンが靴を脱いで水辺でなにやら騒いでいる。
どうやら珍しいことにネビルが大はしゃぎしているようで、何かの本を片手に興奮しているようだ。ロンはそんな友人の様子を呆れながらも一緒になって騒いでいる。
隣に座っているパーバティが、ハリーの読んでいる本を覗き込んで言った。
「《豪遊のすゝめ》? なにこれ、何の本?」
「今度の試練はどうも水中でドンパチしそうな感じだからね。いまちょっとその方法を模索してる最中」
「著者はユキーチィ・マンイェン? どこの魔法使いよ、聞いたことないわ」
「さぁ? でもこの本はハズレだね。ガリオンのプールで泳ぐ方法とかしか書いてない」
どうにも困ったもので、何も見つからないならともかく水中活動を可能にする方法はいくつかあった。
ひとつは、『泡頭呪文』という魔法を用いること。ハリーが二年生の時、ヌンドゥ相手に新鮮な空気を確保したあの呪文だ。金魚鉢のような気泡で頭部を保護し、水中での呼吸を可能にする。
問題点は、激しい動きをすると泡が破裂する可能性があること。そうなった場合はもうアウトだ。さらに体は通常の状態であるため、水中での動きも相応に鈍くなる。それではだめだ。
次に出た案は、変身術。たとえばイルカに変身して水中での活動を有利にしてしまおうというもの。だが変身術は難易度が高すぎる。失敗した場合は目も当てられないことになってしまうだろう。
最後に出た案は、『呼び寄せ呪文』で水中で活動する道具を呼び寄せること。たとえば、最寄りのマグルの店からダイバースーツを持ってきてしまうとか。だがそんなことをすれば最後、翌日の日刊預言者新聞は空飛ぶ酸素ボンベによってマヌケなハリー・ポッターが退学になったニュースで盛り上がることだろう。
つまり、八方ふさがりである。
一番いい手は、『泡頭呪文』を用いたうえで何らかの魔法を使い水中での移動速度を上げることだ。そのための呪文はいったい何が有用なのだろうか、といま現在調べに調べている最中である。
「やべえ。今度こそその場しのぎじゃ無理っぽい」
「むしろ私としてはドラゴンもコカトリスも、特に対応策を練っていなかったことに驚きよ。あなた本当に人間なんでしょうね」
「失礼な」
他愛ない話をしながら、ハリーはふと湖へと視線を向ける。
すると視線がばっちり噛みあったネビルが、呼ばれたものと思ってこちらへやってきた。
目の前まで来て別に呼んじゃいない、と言い放つのもなんだか可哀想だ。
まるで主人に声をかけられた子犬のような印象を放つネビルを無下に扱うことのできる者は少ないのではないだろうか。むしろそのようなことをできる者の存在をハリーは許さない。ゆえにゼロに等しい。よしこれでいい。
「随分悩んでるみたいだね、ハリー」
朗らかに笑うネビルは、ふっくらしたほっぺもあって実に愛嬌がある。
抱きしめたくなるような、保護してあげたくなるようなそんな印象がある。
隣で母親のように微笑んでいるパーバティも、きっと同じ気持ちに違いない。むしろ自分の顔が見えないからわからないだけで、ハリーも同じような微笑を浮かべているかもしれない。
ロンでさえ逞しくなりつつあるというのに、彼は成長する方向がおかしいと思う。
「まあねぇーん。やっぱりこれ、十四歳の魔女がやるような競技じゃないんだろうね」
「そりゃそうだよ。もともと年齢線を越えて立候補した人が出られる競技なんだから、十七歳までに習うことをぜーんぶマスターしてるのが最低条件なんじゃないかなあ」
「そりゃそうだ。でもぼくだって、普通の魔女よりはよっぽど戦える自信があったんだけどなあ。こういった知識がないとどうしようもならないのはお手上げだぜ」
「うーん……」
ネビルも一緒になって考えてくれる。
腕組みをして眉を寄せてもまったく知的に見えないのも、また彼の魅力だ。
「ところでハリー、何をしたくて悩んでいるんだい?」
「どうも今度の試練で、ハリーは水中でいろいろしなくちゃいけないみたいなの」
「水中で? ってことはずーっと潜ってなきゃいけないんだね」
「そうなんだよー。『泡頭呪文』はできるけど、移動スピードが不安でさあ」
木に背を預けて溜め息を吐く。
春先とはいえ、恐らくまだ水が冷たいだろうという問題もある。
無敵の『身体強化呪文』で何とかしてくださいと叫びたくなるが、確か魔法式の中には体温調整の機能はついてない。肉体を直接いじる程に複雑な
困った様子のハリーに、ネビルは朗らかに笑って言う。
結果的に、ハリーにとってネビルという少年は救世主になった。
「なら、《鰓昆布》を使えばいいんだよ」
*
試練当日。
ハリーは更衣室で打ちひしがれていた。
星条旗カラーのド派手なビキニ水着を着こなしたローズマリーが、ハリーの肩を叩く。
それだけの衝撃でご立派なものが揺れている。……デカいな。
「どうしたんだよハリー、元気ねえな」
「あうー」
「まさか泳げねえとか? アッハッハー! こりゃ優勝は貰ったぜ!」
高笑いしながら去ってゆくその後ろ姿は、実に男らしかった。
一方壁際で祈るように手を組んでいるフラー・デラクールは、意外なことに機能的な競泳水着を着てきたようだ。銀色の彼女の髪の毛に合わせて、煌めくシルバーなのは彼女らしいと言えるが、どうも元気がないように見える。
声をかけるべきかとも思ったが、彼女は若干高飛車な態度でホグワーツの女性陣には評判がよくない。ハリーとてそういう人にはあまり近寄りたくはないのだ。
「……ネビルぅ」
《鰓昆布》という魔法植物を使う以外に、もはやハリーに手はなかった。
直前まで『泡頭呪文』と併用する水中で高速移動できる魔法を探していたものの、結局見つけることはできなかった。
ゆえに他力本願、ネビルに頼るしかなかった。
彼はホグワーツに必ずある魔法植物だと言っていたが、終ぞ見つけることができなかったのだろうか。
騒々しい大砲の音が鳴る。ついに時間だ。
ハリーは羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てて、更衣室を出た。
明るいボーダー模様のビキニ水着に、デニムを模したショートパンツ型の組み合わせ。
スポーティな感じを目指してパーバティに整えてもらったものの、なんだかビキニの色合いから少しだけ下着のように見えなくもない。こんなに体のラインがはっきり出る格好はあまりしないから、とてつもなく恥ずかしい。
恥ずかしさから少しだけ頬を染めつつ、ハリーは選手たちの並ぶラインまで歩いて行った。
男性陣の格好を見て、少しだけ感心してしまう。
全員見事な肉体美をしている。マートルの言っていたことは正しかったのだ。つまり奴がノゾキを行ったことは確定。ギルティ、有罪である。
セドリックはスパッツのような競泳水着を穿いている。ちょうどいいバランスの筋肉を包み、更にハンサムフェイスが飾られているため何かの彫刻のように綺麗だ。
クラムはブーメラン水着というタイプのモノのようだ。ゴツゴツした彼の肉体にマッチしており、坊主頭もあってまるでボディビルダーのような威圧感を放っている。
ソウジローは赤いフンドシだ。冗談だと思いたいが、本人はいつも通り真顔。彼にアドバイスをしている、ツチミカド校長のチョイスだということにしておこう。
ブレオはなんと驚くべきことに、スリングショットだ。非常にもっこりしていらっしゃる。胸毛やギャランドゥを惜しげもなく披露しており、もはやバカの一言で感想が済む。
女性陣は星条旗ビキニとショートパンツ、競泳水着。この差はなんだろう。
『さぁー、いよいよ競技が始まります! ほらほら、選手以外の人は下がって下がって!』
いよいよハリーの寒中水泳が始まります。
第二試合のように生命保護の魔法がかかっているからといって、冷たさまで緩和してくれるとは思えない。
これが終わったら熱いお風呂の中で沈むんだ、と内心泣き始めたところで、ぱちん、と軽い音がしたので振り向く。
そこにはハリーの苦手とする屋敷しもべ妖精、ドビーが満面の笑みで立っていた。
「や、やあドビー……」
「ハリー・ポッター様! ドビーめは、ドビーめはロングボトム様からのお頼みを達成しました!」
甲高いキーキー声で差し出してきたのは、何やら不気味な形の昆布が入った小瓶だ。
間に合った!
息を切らして走ってきたネビルが、肩で息をしながらハリーに言う。
「ハリー、それを、食べるんだ。そのまんま、食べる。それで水生生物の、特徴を、得られるはずだ。制限時間は約一時間、気をつけてね。約一時間だ」
汗をかきながらも、にっと笑うネビルの姿が天使に見える。
ハリーが凍死することを防いでくれたのだ。
満面の笑みで喜んだハリーは、ネビルを強く抱きしめて額にキスをする。
「ありがとうネビル! 君ったらホント最高だぜ!」
「はっ、ハリぃ!? だ、だめだって! 水着、だめ、柔らか、だめだよう……きゅう」
顔を真っ赤にして大慌てするネビルに笑顔を向けてから、ハリーは小瓶のフタを開けた。しかしまあ、生のまま昆布に食らいつく日が来るとは思わなかった。
噛み切れないぐにゃぐにゃのそれを口に含みながら、離れていったネビルに手を振る。
近くで様子を見ていたらしいブレオが、ハリーに声をかけてきた。
「恋人かいハリエット!? 僕という者がありながら!」
「もぐもぐんぐんぐ」
「……ごめんよ。英語は得意なはずなんだけど、今なんて言った?」
「うるさい」
「……」
ハリーがものを食べるのに夢中だということを察したブレオが、肩を落としてスタートラインまで歩いて去って行った。
念入りに準備体操をしているソウジローとセドリックが、互いの腕を引っ張って筋肉をほぐしている姿を見て一部の女性陣が黄色い悲鳴をあげている。気持ちは分からなくもないが、本人たちからしたら不本意だろう。これもイケメンたちの宿命だろうか。
「なにネビルからもらってんだよハリー、あたしにもくれよ」
「んぐっ、ぷは。まっず!? 何これクソ不味い!」
「やっぱいらね」
ローズマリーと軽口をたたき合ううちに、本当にスタートの時間がやってきたようだ。
司会のルード・バグマンが『拡声呪文』を使ったのか、きぃんと異音が響く。
『さあ時間です! 制限時間は一時間! このホグワーツ校庭にある巨大な湖の中に、選手たちの大切な何かが沈められています! 目的のモノを手に入れ、なおかつ早く戻ってきた者から評価が高くなることでしょう! 制限時間が過ぎればそれは失われてしまうこの酷な試練を見事潜り抜けるのは誰か! 乞うご期待ィ!』
バグマンの人を乗せるのがうまい言葉によって、会場のテンションが天井知らずに上がってゆく。ダンブルドアが前に出てきたので、どうやら挨拶をするらしい。
『諸君! この試練ももはや三つ目、選手たちの見事な姿を見ていってほしい! 以上じゃ。大砲が鳴ったら選手たちは湖に飛び込んでよろしい。ではカウントダウンを始めるとしよう! ファイブ、ふぉ』
ずどん、とやかましい音が響くと同時、セドリックやローズマリーたちが飛び込んでいった。
憮然としたダンブルドアの顔を見ながら、ハリーは首筋に鋭い痛みを感じて蹲る。
隣では、まだ出発していないソウジローが少し心配げにハリーに声をかけてくれた。
痛みが収まったハリーは、ソウジローに笑顔を向ける。
「大丈夫。それより、のんびりしてたらぼくに負けるよ」
「そうか。なら先に行かせてもらう」
小さく笑ったソウジローは、そのまま湖の上に飛び出した。
飛び込んでいくものと思えば、まさかの水上歩行である。
観客たちが歓声を上げる中、ソウジローはばしゃばしゃと水上を高速で走っていき、木刀を振るうと水を割いて中に入っていった。
それを見ても、ハリーにはまだ余裕がある。
最後にネビルへ手を振ってから、ハリーは湖の中へと飛び込んでいった。
水中でどうやって息をしたらいいのかと考えるも、本能で何をしたらいいのか分かってしまう。がぶり、と水を一飲み。もう一度呑み込み、そして胸の中が水でいっぱいになったように感じると、首筋から暖かい水が出てゆくのを感じる。
これが《鰓昆布》の力か。
指の間には水かきのようなモノができており、水を蹴るとものすごい距離を進んでゆくのがわかる。人魚っぽければ可愛かったかもしれないが、それは高望みというものだろう。
しかしもうちょっと何とかならなかったのだろうか。これじゃ半魚人だ。
自由に水の中を泳げることに喜びを感じながら、ハリーは水中をすいすい進んでゆく。
時折調子に乗って宙返りしたところで、全くスピードが落ちることはない。魚たちは毎日こんなにも気持ちのいいことをしているのかと思うと、少しだけ羨ましくなるほどだ。
「さーて。この湖のどこかに目的のモノがあるんだろうし、探さなくっちゃ」
自然と言葉がついて出てくるが、水中だというのに普通に英語として聞こえてくる。
《鰓昆布》には水中人語を操れるようになる効果までついているのだろうか? 余計なことを考えながら、ハリーはとにかく周囲を観察する。
黄金のタマゴから得られた情報はごく僅かだ。もしかしたら上位陣のクラムやソウジローはもっと多くの情報を得ているかもしれない。具体的には、目的の場所とか。
「『ドケオー・アンノウン』、探せ大切なもの」
探し物をする呪文を唱えるも、杖先から飛び出した案内人の役割をする光球も少し不安そうだ。通常ならば自信満々に失せモノの方へ飛んでいくはずが、あたりを見渡すような挙動をしたり道を引き返したりと、実に頼りない。
さてどうしたものか、と嘆息すると同時。
水中に居ながらにして感じる大きな揺れに、ハリーは警戒心を跳ね上げた。
決して地震などではない。水の流れを感じるに、これはなにか巨大なものが水中で動いているような感覚だ。様子を見に行くか、さわらぬ神に祟りなしで無視するか。
しかし光球が震源の方へ向かってゆくので、仕方なくそちらへ向かう。あまりにヤバいモノがいた場合は放っておこう。杖を握ったまま、滑るように泳いだハリーは、一分もかからないうちに今回の原因を見つけた。
「巨大イカ? どうしてあいつ暴れてるんだ」
ホグワーツの湖には、巨大なイカが生息している。
海に居るべきスルメちゃんがどうして湖に居るのかと思いはするものの、今はそんな疑問が吹き飛ぶような光景が目の前で繰り広げられていた。
鳥人状態のフラー・デラクールと巨大イカが戦っているのだ。
いや、戦況から見ると蹂躙劇に近い。水中ゆえに翼すら邪魔になってしまうデラクールに対して、巨大イカにとってこの戦場は己の庭に近い。地理条件どころではない、全てがデラクールに対して牙を剥いているのだ。
確か彼女は『泡頭呪文』を用いて潜っていったはずだ。しかしいま彼女の頭部には、何も魔法の跡が見られない。『泡頭』は強度が脆いのだ、巨大イカとの戦闘の最中に破られたのかもしれない。
「まずい!」
巨大イカが鞭のように振るった触手のひとつが彼女の腹に直撃し、デラクールの嘴からごぼりと大量の泡が吐き出される。
あれは痛い。力を入れればうっすら腹筋の線が見えるくらいには鍛えているハリーだってあんなもの喰らいたくはないのに、綺麗な柔らかいお腹をしている彼女には相当なダメージだろう。
現に先ほどまでの慎重な動き方ではなく、何が何でも水上を目指すようなもがく動きに変わっている。しかし巨大イカはそれを許さない。鱗に覆われた鳥のようなすらりとした脚に触手を巻きつけると、彼女の身体を勢いよく湖底に叩き付けた。
水の抵抗を感じさせないその剛腕に、勢いよく水中の流れが変わる。
ハリーは杖を構えたまま、よくよく狙いを定めて叫んだ。
「『ペトリフィカストタルス』、石になれ!」
杖先から飛んだ魔力反応光は、水中ゆえか揺らめきながら巨大イカに当たった。
その名の通り光と称されているものの、魔力反応光は厳密に言えば光ではない。体内で生成された魔力が、魔法式を組んだ状態で外気に触れた際の魔力反応によって光のように煌めいて見えるだけで、物理的な影響は滅多に受けない。
それゆえに、ただの光ならば水中で発せば多少は拡散したり歪んだりしてしまうのだろうが、魔力反応光にはそれがない。問題があるとすれば、水中ゆえハリーの全身を包み込むこの激流で、狙いが逸れてしまわないかだ。
果たして巨大イカの胴に着弾した石化呪文は、効果をもたらした。
びくんと一瞬痙攣した巨大イカは、石像のように固まったのだ。
だが安心してはいられない。
湖底に沈んだままのフラー・デラクールの元へ跳ぶように泳ぐと、まず彼女の意識を確認する。……気絶しているようだ。こうなれば彼女の競技続行は不可能だろうとハリーは判断する。
「勝手に降参させちゃうけど、人命救助なんだから許してくれよ」
彼女の杖を手に取って、ハリーは水上目掛けて赤い花火を打ち上げた。これは降参する際の合図として、大会委員会から指示されている呪文だ。この大会のためだけに創りだした呪文だというから、ダンブルドアは恐ろしい男だ。
水中であったためか、花火ではなく色のついたお湯が噴き出してる気もするが、まあいい。ハリーが合図を出してから数秒後、水上から誰かが飛び込んできたのが分かった。
顔を見てみれば、なんと、ウィンバリーとハワードだ。
「どうしたの二人とも。二人が救助要員なの?」
フラー・デラクールを抱きかかえるハワードに話しかけては邪魔になると思い、巨大イカの方へ杖を向けていたウィンバリーへ問いかける。
すると露骨に嫌そうな顔をして、彼は杖先を自分の口に寄せるとベースボールに使うボールくらいのサイズの泡を作りだしてハリーに押し付けた。
ハリーがそれを突いて割ると、中から彼の声が再生される。
『話せねぇよブァーカ。俺らは鰓昆布なんざ喰っちゃいねーんだから、テメーみたいに水中でお喋りなんかできねえの』
そういえばそうだった。
頭に手を当て、舌を出しておどけてみれば彼のこめかみに青筋が浮かんだ。
慌てて可愛らしい(と思ったのだが不評だった)ポーズをやめれば、ウィンバリーがまたもなにやら泡を作りだす。それをハリーに押しつけてから、デラクールを運ぶ作業を終えたハワードを連れてワインコルクのように勢いよく水上へと上がっていった。
その際にハワードから投げキッスという激励を貰い、ハリーは勇気が湧く思いを感じる。
急いで目的のモノを見つけなければならないだろうと判断したハリーは、移動しながらウィンバリーの渡してきた泡を割った。
『気を付けろよハリエット。あの巨大イカ、何者かが操ったような形跡がある。テメーも狙われるかもしれねえ、十分用心して殺られんじゃねえぞ』
やはりか、とハリーは足を動かして水を蹴りながら思う。
あの巨大イカは、ホグワーツでは温厚なことで有名だ。恐らくハリーたちの親の代から、それどころかダンブルドアが在学中の頃からあのイカはあの湖に居たのだという。それだけ長い間、ヒトの近くにいることが許されているならば、安全であることの証明にもなろう。
特にホグワーツは危険なものが多い。だが、危険ではあるが死に至るものに関してはその限りではない。厳重な封印が施されていたり、凶悪な三つ首の番犬が守っていたりと、ある程度は生徒が近づけないようになっている。
だからこそ、フラー・デラクールに対するあの態度には不可解なものがあるのだ。
巨大イカの温厚さは、ハリーもよく知っている。二年生の頃、フレッドとジョージがあの巨大イカの触手の上に乗って盛大に花火を振り回していても楽しげに揺れていたとのことだから、その懐の広さは相当なものである。
ならば今回、明らかにフラー・デラクールを殺害しようとしていたのはなぜか。
子を守るなどといった理由ならばまだ分からなくもないが、今回そのような形跡はなかったように思える。ではやはり、ウィンバリーの言うとおり何者かが彼、ないし彼女を操っていたというのならば納得できる話だ。
「……きな臭くなってきたな」
一人ごちて、ハリーは先を急ぐ。
体感ではもう一時間以上経過しているような気がするが、実際には二〇分も経過していないだろう。鰓昆布の制限時間は、一時間と少し余裕があると聞いている。感覚としてはまだまだ水中での活動が可能だが、急ぐに越したことはないだろう。
「……いや待て、なんだアレ」
急いで泳いでいたものの、右前方の方向から何か大きな影がこちらへ向かっているのが見える。
遠見魔法を用いて目を凝らして見てみれば、どうやらブレオとローズマリーがそろってこちらへ泳いできているのが見えた。なにもブレオが発情して、蹴り潰し確定なことをするためにローズマリーを追いかけているのではないらしい。むしろブレオが彼女の手を引いて、全力で泳いでいる形だ。
ちょうどハリーの近くに来たのを見計らって、彼らに声をかける。
「おい二人とも、どうした!?」
二人の『泡頭呪文』は、まだ十分に機能している。
ローズマリーの背中には、まるで大砲のような魔法具を背負っていたが、どうもひしゃげて壊れているようだ。込められた魔力が徐々に崩れているところを見るに、どうやら魔法で造りだしたはいいが、耐久力を越えるダメージを受けてしまったらしい。
ローズマリーは背中から、ブレオも右肩から出血しており周囲の水を赤黒く染めてしまっている。ブレオはそうでもないが、ローズマリーの怪我は少々看過できない出血量に見える。
水中に居ながらにしてハリーの声が聞こえてきたことに驚くローズマリーだったが、ブレオの方は慌てた様子で自分たちが今やってきた方向を指差した。
するとそちらからは、大きな魚影が迫ってきている。すわ巨大怪魚かと思いきや、どうにも違うようだ。一匹の魚にしては、その揺らめき方がおかしすぎる。
遠見魔法を使ってメガネのようなレンズ越しに見てようやく、それらが大量の魚類系魔法生物が集まってつくられたものだということがわかった。
どう解釈してもアレは今からランチを楽しもうとしている様子である。
無論、まな板の上どころか陸にすら上がっていないが、三つ星料理はハリーたち水着の男女。男の方は少々毛深く、女の方は脂身が多そうだが、まず彼らは気にするまい。
流石にあれはだめだ。
「ふざけんな、ぼくまで殺す気か! なんで連れてきた!?」
「がぼぎぼぐぼげぼごぼ」
「喋れないなら無理しなくていいから!? チクショウこの色男め命の危険にも愛されちゃってますってか!?」
三人そろって全力で泳ぎ続ける。
いまこの一時、水中に居る限り息が切れる心配のないハリーのみが叫ぶ余裕を持っている。さらにいまハリーの肌は、《鰓昆布》の影響によって水の流れを細かに把握することができている。ゆえに、目を瞑っていようがどこに何がいるのか、どれほどのスピードで近づいてきているのかも把握することができるのだ。
だからこそ、ローズマリーとブレオに指示を出すのはハリーの役割だ。
「次、あの岩陰に身をひそめて!」
「がぼげっぼぐぼん」
「だから無理に返事するなって色男」
するり、と流れるように岩陰に身を隠せば、巨大魚影のような魚群たちは気づかなかったのか、そのまままっすぐ過ぎ去ってしまう。彼らにとってここはホームのはずだ。何故気付かなかったのかなどという疑問は残るものの、無事に脅威が過ぎ去るのだ、それに越したことはない。
「はー、助かった。結構時間をロスしたぞ」
ハリーが一息ついた。
漂うようにふらふらしているローズマリーを抱え直すと、彼女の豊満な身体がハリーに屈辱の感触を与える。自賛ではあるが多少スタイルに自信を持っていた身としては、水着姿でローズマリーの隣に立ちたくはない。
「大丈夫かい、ローズ」
「あー、ちょっとヤベェかもな。いまもふらふらして足に力が入らねえ。滅茶苦茶悔しいけど、こりゃリタイアしねーとダメかもなあ」
彼女の泡頭に顔を突っ込んで問いかければ、弱気な言葉が返ってきた。
少し歪んだ笑顔を作るローズマリー。
その笑顔の不自然さを指摘する度胸は、ハリーにはなかった。
「あたしの大切なモンってなんだったんだろ……」
「心配すんな、ぼくが取ってきてやるぜ。だから何か奢れ」
「あたしの鍛えられた肉体から繰り出す、ピクルスとオニオンたっぷりのハンバーガーをご馳走してやるよ」
確かに頭がふらふらしている彼女は、ここで治療を受けるため離脱した方が賢明だろう。ここで無茶して彼女の綺麗な身体に傷を残すというのも、有り得ない選択だ。
しかしアメリカンなハンバーガーか。
ひょっとしてローズマリーのスタイルの良さは、そういうものを食べてきたからだろうかと思い彼女の胸に目をやって、ハリーは心底驚くと同時に頬を染めた。
「ローズ! 胸、胸隠して!」
「えっ、うわあッ!? ぎゃああああ!?」
およそ女性としてどうかと思う悲鳴をあげて、ローズマリーは両腕で胸を隠した。
ビキニ水着がなくなっている。
羨むほどに形のいいバストが晒されており、ハリーは少しドキドキしながらも彼女の姿を隠すためかばった。この場に居る男性、ブレオの目に触れさせるにはもったいない代物だ。
というか、この競技は水中の様子を映像として上空に映し出しているはずだ。紳士的な教師であるダンブルドアの事だ、きっとこういったハプニング映像は少女の心を傷つけぬため絶対に映さないようにしていると思うが、それでも心配である。
せめてローズマリーがパレオでも巻いていればよかったのだが、生憎いまローズマリーはショーツ型の水着一丁。ハリーもビキニ水着にショートパンツ型の水着のみと、彼女の姿を隠せるものが何もないのだ。これには困った。
ブレオが何やら泡の塊を渡してくる。きっとウィンバリーが使った魔法と同じものだ。
『ハリエット、彼女はだいじょうぶかい』
「黙ってろエロ魔人。ローズに近寄るな」
かつて自分の尻を揉みまわした男に、冷たい対応を取るハリー。
というか当然である。ボディタッチしてきた親しくもない男なのだ、殺していないだけマシだと思っていただきたい。
しかしプレイボーイ・ブレオとしては、ハリーの反応は納得できないものだったらしい。
『あんまりだ! 僕はただ君たちの身を案じているだけなのに!』
何やら真剣に言っているご様子。
ちょっと悪いことをしたかなと思い、ブレオに謝るため振り向いたハリーは後悔した。
そこには拳を握りしめて憤慨している彼の姿があった。
問題があるとすれば、その手に握り締めている星条旗カラーの水着と彼の顔周辺の水を赤く染めている鼻血だろうか。
『ローズマリーちゃんのおっぱいは今揉んでおかなければ、絶対に後悔する! 僕が心配するのは当然だよ! むしろ男としてこれが当然だね! なにかおかしいところあるかい?』
「おかしいのは君の脳みそだったようだな!」
乙女たちの手によってボロボロになったブレオごと水上に花火を打ち上げたローズマリーは、ハリーに別れを告げる。
彼女の第三の試練はここまでだ。
出血の酷いローズマリーと、全身打撲状態のブレオはここでリタイアするが、特に怪我のないハリーは競技を続行せねばならない。水上から闇祓い二人組ではない、大会運営の魔女たちが降りてくるのを見届けてから、ハリーはその場から去った。
かなりの時間をロスしてしまった。
しかしもう七人中三人もリタイアしているほどの競技であると考えれば、まだマシなのかもしれない。ハリーはなるべく危険な感じのしない場所を選んで、全速力で泳いだ。
「……ッ、あれか?」
しばらく泳ぎ続けると、海藻によっておおわれた広場のような場所に、何かが縄に繋がれて浮いているのが見て取れた。数は合計で七つ。選手全員分が残っているということは、まだ誰も辿り着いていないということか。
近くまで泳ぎ切り、繋がれている大切なもの達が何であるかを把握したハリーは、昔の《魔法学校対抗試合》が酷な競技であるとされているその理由を思い知った。
繋がれていたのは、人間だった。
「……ロン、ハーマイオニー……」
その中には、ハリーの大切な人達の姿もある。
きっとロンは自分の、そしてハーマイオニーはクラムの《大切なもの》なのだろう。
見れば、他にもハリーの見知った顔ばかりだ。
ジョージ・ウィーズリー。これはきっとダンスパーティでパートナーになったローズマリーに用意されたものだろう。彼女が恋しているのはソウジローだが、友人としてよく思っているはずだ。
ユーコ・ツチミカド。まず間違いなくソウジローにとっての大切な人だ。道理でソウジローの近くに姿が見えないと思ったら、こんなことになっていたとは。
チョウ・チャン。ハリーから見るとちがうが彼女にとってハリーは恋敵であり、多少目の敵にされていた相手だ。だがこうして助けを待つお姫様になれたのだから本望だろう。
淡い金髪の少女にも見覚えがある。確かブレオがダンスパーティでお相手していた、レイブンクローの生徒だ。見事な銀髪の少女は、顔に面影があるためきっとデラクールの身内だ。妹だろうか。
助けを待つお姫様たちの中に赤毛の兄弟が混じっているのも変な感じだ。
きっと彼らは制限時間を過ぎたとしても、死ぬなんてことはないだろう。ダンブルドアとはそういう男だ。
だが、それでも、彼らが長時間こんな場所に居て平気かと問われるとそんなことはない。
そして助けられなかったとしたらどうだろう。
死にはしないまでも、辛いだろう。
「……十分だ。十分だけ待つ」
ハリーはしばらく待ってみることにした。少なくともハリーは三〇分から四〇分ほどかけてここへ来た。このまま十分待って誰も来なかったら、自分がこの全員を連れていくしかない。
体内時計で十分間計ることにしたハリーは、とりあえずロンとハーマイオニーの近くまで泳いだ。二人とも固く目を瞑って、水中ゆえ髪や衣服がふわふわしている以外はまるで地上にいるかのように眠っている。
ハリーは、眠ったままのハーマイオニーの手に触れた。暖かい。水中だというのに、まだ体温を保っている。どうなっているのかと思って魔法式を視ようとしたその時、ハリーは嫌な予感に襲われ、咄嗟にその場から飛び退いた。
「ッ!」
水中だというのに恐ろしいスピードでやってきたのは、果たして……何だこいつ?
顔はサメそのものだ。鋭いナイフのような乱杭歯をキシャキシャと鳴らしている。
しかし胴体は見事な筋肉を纏った、ごつい青年のものだった。ところどころが黒くなっており、左手に至ってはヒレのように変化している。
ブーメランパンツをはいていることからして、これはたぶんクラムだろう。変身術でサメに変化しようとしたが、失敗したといったところか。全身変化は相当難易度が高いらしいから、見た目は不恰好でもこうして水中活動できているのでまだマシなのかもしれない。
クラム・シャークはその鋭い牙でハーマイオニーの縄を噛み切ろうとしているが、サイズが大きすぎて四苦八苦している。見かねたハリーが杖を手に叫んだ。
「クラム! それじゃハーマイオニーに噛みついちゃうだろ! ぼくにやらせろ!」
杖先から、魔力反応光を凝縮させた刃を出現させる。ソウジローが使っていた日本魔法の再現だ。然程難しくはなかったが、ハリーなりに魔法式へアレンジを加えている。
ハーマイオニーの足首に巻き付いていた縄をその刃で斬り、彼女の身体をクラムに渡す。
クラムは何か迷っていたようだが、しばらくしてハリーに頭を下げると、勢いよく地上目指して泳いで行った。
半鮫人が来たことで少し狂ったかもしれないが、十分近く経った気がする。
そろそろ行こうと判断して、ハリーはロンのロープを切り裂いた。
すると背後からなにやら大慌てで誰かがやってくるのを感知する。水流の動きからして、男性。セドリックかソウジローだろうか。
見てみれば、どうやら二人とも同時に来たようだ。しかし何か様子がおかしい。
どうやら二人とも何かと戦っているようで、赤黒い水の中掻き分けてこちらへやってくる。どうやら手を貸した方がよさそうだ。
「セドリック、ソウジロー! こっちには皆がいる! そこで食い止めろ!」
ハリーの声に反応し、二人は逃げるのをやめて敵に向かい合った。
急いで泳ぎ、二人の間に入って見てみれば、どうにも競技用に用意された障害物とは思えない魔法生物が目の前に居た。
「……あれはケルピーか?」
セドリックが頷く。
ケルピーとはさまざまな形に変化する水魔であり、いま目の前にいるケルピーはその中でも最も有名な形状、ガマの穂をたてがみにした馬の形をしている。ただし下半身がウミヘビのそれになっているあたり、異形らしさが増して非常に不気味だ。奴らは肉食性で、人間だろうとなんだろうと食い殺す危険な魔法生物だ。
その隣には、なんと日本固有の妖怪と呼ばれる水棲魔法生物の、河童だ。河童とは基本的に人喰いの怪物であるが、頭に皿がないタイプは人間に友好的と知られている。だが目の前にいる筋骨隆々な河童の頭には、立派な真っ白い皿が乗っている。目つきも非情に危険で、ハリーたちの事を食糧としか見ていない目だ。
二対三で数の上ではこちらが有利だ。それにハリーとソウジローはドラゴンを容易に殺害せしめるほどの戦闘力を有している。しかし、問題はこのフィールドだ。
水中で水棲魔法生物と戦闘することの愚かしさは、昔から歌になっているほど有名だ。かつて《自惚れウィリアムス》なる強大な魔法戦士が、あっさり返り討ちにされたという逸話が残っている。
マグル育ちのハリーですら知っているのだ、セドリックは当然として、ひょっとしたらソウジローの出身国日本でも似たような逸話があるかもしれない。
要するに、水中において彼らは、特に河童は厄介な敵となり得るのだ。
「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」
ハリーとセドリックが不意打ち気味に放った武装解除の魔力反応光がケルピーに着弾する。
驚いたように身をくねらせた彼ないし彼女は、ぐにゃりとその姿を捻じれさせた。変化する気か、と思うと、なにやら人型に姿を変えてゆく。
視界の隅ではソウジローが木刀で河童の爪と斬り合っているのが見えるが、そちらに助太刀するためにもケルピーはさっさと倒さねばならない。
変化が終わるのを待ってやる義理もないとして、ハリーは切断呪文を肌色の塊としてぐねぐねしているケルピーに放った。真空の刃は見事にケルピーの肉を切り裂き、赤黒い水をばらまかせる。
にっ、と笑ってとどめを刺そうとしたハリーがケルピーを見た瞬間、その表情が凍った。
「ごぼぼぼぼうぼぁ!?」
セドリックが大慌てで泡頭から空気を漏らしている音が聞こえる。
ケルピーが変化しようとしていたのは、目の前にいたハリー本人の姿だったらしい。
しかし変化の最中に攻撃したからなのか、それとも衣服を再現する気はなかったのか。下半身がぐねぐねの塊のまま、そこからハリーの上半身が生えている姿が出来上がっていた。
もちろん、全裸で。
「うわあああああああ! 見るなっ、見るなァァァあああああああ!」
とにかくがむしゃらに魔法を繰り出して、ケルピーをぐちゃぐちゃの肉片へと変えてゆく。隣でセドリックが何も言わず、顔を真っ赤にして目を逸らしていることが尚更ダメージを受ける。
彼は嘘が苦手な人間なのだろう、ばっちり見られたということだ。
なんて恥ずかしい。こんなのは悪夢だ。
「ち、ちくしょう……許さんぞ……」
怒りの矛先は、哀れな河童へと向いて行った。
しかし助太刀しに行こうと意識を向けると、ちょうど件の河童はソウジローによって真っ二つにされてしまうところだった。ハリーは盛大に舌打ちをする。
魔法式を視ればある程度仕組みはわかるが、ソウジローは水中に透明な床でもあるかのようにこちらへ歩いてきた。木刀型の杖を腰に差しながらハリーとセドリックに声をかけてくる。
というよりは、頭に直接声を叩きこまれたような感覚だ。これは日本独特な魔法だろう。
鼻血を流しながら言っていなければ、とてもカッコよかった。
ハリーが自身の肩を抱くように胸を隠すと、ソウジローは目を逸らした。
こいつも見たのか、くそったれめ。
『怪我はないか』
「あとでユーコに言いつける」
『勘弁してください』
ソウジローとセドリックが、それぞれユーコとチョウの縄を切って彼女たちを連れて浮上してゆく。ハリーもロンの縄を切って、そこではたと気が付いた。
そういえば、ローズマリーとデラクール、あとブレオのリタイアを知っている代表選手は自分だけだ。ということは、あの三人は競技が終わるまでずっとこの暗く寂しい湖底にいるということか。
大切なものが失われるなどという脅し文句は当然ながら信じてはいない。
その大切な者達が人間である以上、選手以外で人死にが出る可能性などダンブルドアが許すはずはないからだ。あの老人はハリーに対して何か隠し事をしているのはなんとなく察しているが、それでも生徒の安全だけは守る教師であるはずだ。
ああ、だからといって見捨てる理由にはならない。
ハリーは自身に『身体強化呪文』をかけると、ジョージ、レイブンクローの生徒、銀髪の少女の縄を次々と切り裂いた。全員を抱きかかえていくなどということはできない。ならば多少不恰好にはなる者の、縄を掴んでいくしかない。
そうして四人分の縄を、外れないようにしっかりその腕に巻き付けてハリーは水上を見上げる。
「……何の用だ」
見上げた先に居るのは、槍を持った複数の
顔つきが人間と違いすぎるので感情が読みづらいが、それでも友好的な態度ではないのはわかる。
「お若いの。どこへゆく気かね」
厳つい顔の老水中人から、美しい声が出てきた。
しかしその言葉遣いはやはり、仲良くしてくれそうなものではない気がする。
だが今のハリーに、そんなものは関係ない。
「どこって、地上へだ」
「それは許せぬ。連れて行けるのは自分の《大切なもの》。一人だけというルールだ」
そこでハリーは、なるほどと思った。
きっと上位陣が得たタマゴの情報は、そこまで伝えるものだったのだろう。
もしかしたらあの巨大イカや魚群も、得られるはずだった情報で回避できたのだろう。
情報を得られなかった選手は、ここでルール違反を起こす可能性がある。知らなかったでは済まされない、というやつだろうか。
ルール違反を起こせば、大量の失点になることは想像に難くない。
だが今のハリーに、そんなものは知ったことではない。
「退いてくれ、ぼくは彼らを地上へ連れて帰る」
「許さぬと言ったはずだが」
「それを阻止するというのなら、悪いけどぼくは全力で逃げ――」
戦って勝つ自信がないわけではない。しかし時間もない中で四人もの非戦闘員を連れて戦うのは賢い選択ではない。ゆえに、いま戦うのは得策ではないとしてハリーは逃走を宣言しようとする。
だがその思惑は、一瞬で崩れ去った。
ハリーの台詞が終わらないうちに、若い水中人が激昂したのかわからないが、槍を構えて突っ込んできたのだ。
「ッ、づァ……!」
「待て! 何をしている!?」
ハリーと対面していた老水中人がなにやら慌てたように静止の声を上げるが、それは一瞬遅かった。水中人の槍は既にハリーの横っ腹に突き刺さっていた。両手は縄でふさがっているため、杖を振るって盾を出すことも叶わなかった。もっとも、あの素早さでは杖を構えていたとしても間に合ったとは思えない。
身体強化をしていなければ、貫かれていたかもしれないのだ。これだけで済んで僥倖である。
しかしそれにしても、速すぎる。水中という彼らのアドバンテージのある場で、彼らと対立することは無謀だっただろうか。だが、ハリーに譲る気はない。
脇腹から暖かいものが流れ出してゆくのが分かる。鰓昆布の持続時間は、きっと残り十分もないと見た方がいい。更にこの出血。人体構造にはあまり詳しくないから素人の予想になるが、それでも水中に居ながらこの出血状態で長時間の戦闘は、まず無理だろう。
一瞬で済ませ、そして全力で離脱するしかない。
「キェェェエエアアアアアア!」
「『フリペンド・ランケア』!」
ハリーが一瞬縄を放して懐から杖を抜くのと、若い水中人が槍を構えるのはほぼ同時だった。
向こうは近接武器で、こちらは遠距離も可能な魔法。どちらの穂先が先に届くかは自明の理だ。奇声をあげて突っ込んできた若い水中人の右肩に、一本の紅い槍が突き刺さる。
それを意に介さず突っ込んできた若い水中人の穂先は、明らかにハリーの胸を狙っている。急所狙いの、確実に死に至るコース。隠しもしない殺意がハリーの身体を包み込んでいるかのようだ。
老水中人が何か叫んでいるが、この集中状態では聞き取ることができない。
このまま殺しきることはまず不可能だ。ならば動きを止めるだけで現段階は十二分。ハリーはもう一度杖を振るって、魔力でできた紅槍を爆破した。
「ギィィィァァアアア!?」
少量の肉と皮だけでつながった腕を揺らしながら、若い水中人はそれでも己の血で赤く染まった水の奥からぎらついた目を向けてくる。
これは、明らかに尋常ではない。
老水中人たちが、周囲の水中人たちになにやら命令を飛ばした。すると仲間たちだろう水中人たちが、懸命に若い水中人を抑え込んでいる。
それでも彼は暴れに暴れ、ついには右腕が千切れてしまった。
「な、何だアレ……」
「お若いの。行きなさい! 早く!」
もはやなりふり構わず、老水中人はハリーに立ち去るよう叫んだ。
競技の中で決められた出来事ではないことは明白だ。ハリーはそう判断し、急いで地上を目指すことにした。《鰓昆布》の効き目があと何分あるのかはわからない。腹からの出血も、どれほど流してしまったのか把握できていない。
とにかく急がねばならないことは確かだ。
「……ッ、……!」
重い。
身体強化の効果はまだ切れていないというのに、重い。
四人分の体重程度、どうってことないはずなのだ。
しかもそのうち二人は、小柄な女の子。屁でもないはずだ。
(……そう、か……)
血だ。
あまりに血を流し過ぎたのだ。
魔法の燃料となるエーテルは、魔力が溶け込んだ血液の事を指す。
魔法使いが血を流し過ぎると、使う魔法にも影響が出てくるのは常識だ。
それすら失念していたのだろうか。思考能力が落ちている気がする。いや、気がするだけじゃない。本当に落ちているのだろう。視界がぼやけている。
(まず、い……!)
更に最悪なことは続けて起こるもので、《鰓昆布》の効果が切れ始めているのを感じた。
首筋に鰓は残っているようだが、手足の水かきがほとんど消失してしまっている。
もがくように泳ぎ続けるものの、ついに魔力不足によって『身体強化』の効果が切れてしまった。同時に血液不足によって頭の中に霞があるようにぼんやりしてくる。
水の冷たさが肌を刺していると実感しているのに、その温度を感じられない。
ついにハリーの手から、四本の縄がするりと抜けおちた。
人間四人分を引っ張れるほどの握力が足りなくなったのだ。
(……仕方ない……)
魔力は底をついている気がする。だが、絞り出せばまだ使える。
一年生の時の経験から、一度や二度くらいならば無理矢理魔力を生成したところで魔力枯渇に陥るということはない。
ならば、振り絞ってやるしかない。
ハリーは杖を抜いた。取り落とさないよう両手で握り締めて、そして無言呪文を唱える。
(『アセンディオ』、昇れ!)
一気に四人全員に当てようと思ったが、魔力反応光が細い。
仕方ないので四連発をそれぞれの身体に当てた。
上昇魔法は問題なく効果を発揮して、四人の身体を勢いよく地上へと押し出してゆく。
これでいい。
(あとは、ぼく自身か……)
杖を逆手に持って自分に向けて構えないと、自分に魔力反応光は当てられない。
手首を返して自分に当てればいいだけだということに気付かぬまま、ハリーは杖を持ち替えようとする。しかし、不幸は続くものだ。
水の流れを考えていなかった。それが今回の失敗。
ハリーは自分が動かした腕によって発生した、ほんの小さな水の流れによって、杖をうまく掴むことができなかった。慌てて手を伸ばすも、水の抵抗が少ない棒状の杖は、するりと湖底目指して落ちてゆく。
いま肺の中に酸素はない。
血中エーテル濃度もほとんどない上に、杖がなければ魔法は使えない。
ごぼり、と口の端から泡が零れ落ちる。
全身から力が抜け、これはまずいなとおぼろげな意識でそう思ったその直後。
(――――、――ッ!)
今までの鉛のように重かったのが嘘のように、右腕が勢いよく動いた。
土壇場で思いついたその魔法は、自分でもあり得ないと確信できる代物。
(『アクシオ』、杖よ来い!)
伸ばしきった右手が、一瞬だけ魔力反応光によって発光する。現在の体内エーテル濃度から考えれば、十分なほどの光量。
五メートルと離れていないハリーの杖は、はじかれたようにハリーの手の平の中へ納まった。
そしてほとんど握力がないはずのハリーの手は、杖が握りつぶされるのではないかというほどの力で握り締められる。まだ操作技術が拙いゆえ、仕方のないことだ。
すぐさま杖先を自分に向け、上昇魔法を無言呪文で行使する。無理矢理に動かしたため折れた右手首を庇いながら、ハリーの身体は水をかき分けて水上目掛けて上昇し、
「ッ、がっは! げほっ、ぐ、うああっ!」
勢いよく水面へと投げ出された。
四人を上にあげた時から待機していたのか、ウィンバリーとハワードがタオル持って水面に立っていたおかげで、即座に水面から引き上げられる。
ハワードにタオルで体を隠してもらい、抱きしめて頬にキスを貰う。とても暖かくてうれしかった。珍しく厳しい顔をしたウィンバリーに抱えられて、ハリーは水上に設立された競技用の建物の中へと入れられた。
「ハリー、大丈夫かいハリー!」
「退きたまえディゴリー! 『エピスキー』、癒えよ!」
セドリックと、スネイプの声が聞こえる。
腹に空いた穴のあたりから、暖かな何かが流れ込んでくるのが分かる。
耳にもまだ水が入っているのかよく聞こえないが、きっと治癒魔法だろう。
「ハリー、君はなんてバカなんだ! 僕らなんて放っておけばいいのに!」
「ったく、本当にもう! ありがとうよこの大馬鹿!」
「ハリーッ! ハリィーッ!」
ロンとジョージの声、そして、金切り声のような悲鳴が聞こえる。
スネイプがポッターを興奮させるなと怒鳴っているのが聞こえてきた。まあ、一応結構な怪我人なのだからそれも仕方のない事、というか当然のことだ。
しかしハリーには、腹の傷に響こうとも、それでも聞きたい声だった。
「ハリーッ! ああ、ハリー! どうして、どうしてこんな……!」
栗毛の親友が、ハリーの冷たい手に縋り付いて涙を流している。
まるで死んでしまったかのように扱われていることに、ハリーは少しだけ笑った。
親友は、ハーマイオニーはハリーに覆いかぶさるようにして泣き続ける。
「治癒中だから揺らすんじゃあない、グレンジャー!」
「うるっさいわね! 黙って治癒してなさいよ泣きミソ!」
「……あとで覚えておきたまえ」
目の前でとんでもないことが起きているのを見なかったことにして、ハリーはハーマイオニーの手を握り返した。
それだけで、彼女の目から溢れだす涙の量が倍になったかのように思える。
「ほんと――ごめんなさい。あなたの、こと――わかってたのに。私ったら、なんて――なんて、意地っ張りだったのかしら――」
「……、…………」
案外プライドの高い彼女が、号泣してこれだけ言ってくれるのだ。
ハリーとしても何か言ってあげたかったのだが、生憎と凍え過ぎて声が出せない。
ハーマイオニーもそれをわかっているのか、耳を寄せてくれるものの、どうやら無理をしすぎたせいで体そのものをうまく運用できないことに気付く。仕方なく、笑みを浮かべるだけになりそうだ。
そう思っていたものの、野次馬たちをかき分けてやってきたソウジローが、ハーマイオニーの肩に手を置いた。そして彼と共にやってきたタオルにくるまったユーコがハリーの肩に手を置くと、不思議と頭の中がクリアになったような感覚を覚える。
これはなんの魔法と問おうとする前に、ハーマイオニーから明確な感情が伝わってきた。
暖かなその気持ち。
水で冷え切った身体に流れ込んでくる、お日様のように暖かい気持ち。
それは愛情でも、友情でもない。
きっと言葉として言い表すのならば、姉妹へ抱く親愛の情に近い。
ロンとの仲を取り持つためにあのような行動を起こせば、下手をすれば二人との友情を失ってしまうかもしれない。言い訳は効かない。なぜなら、ハリーだってロンの事を好きだったから。
好いた惚れたは理屈じゃない。
理屈ではないからこそ、やっぱりそれは心の問題なのだ。
今回の大喧嘩は、きっとハリーとハーマイオニーがこれからも友情を育んで生きてゆくためには必要なことだったのかもしれない。
同じ男の子を好きになってしまった以上、日本魔法界のように特殊な価値観がない限りはどちらかが涙を流す羽目になってしまう。今回その役割を担ったのが、ハリーだったということ。
そしてその真意は、三人で一緒にいたいという子供染みた現状維持のためだった。
だが、だから何だというのだろう。
大好きな人と一緒に居たいと思うのは、何も悪いことではないはずだ。
ハリーは治療するスネイプに手で合図して、少しだけどいてもらう。
彼は不機嫌そうな顔をしたが、それでもお願いを聞いてくれるようだった。
「女の子の仲直りって難しいんだな……」
「まあ、おまえにゃ分からんだろうぜ。色男のロニー坊や」
「……うるせ」
ロンの言葉と、ジョージの言葉が聞こえる。
この色男のおかげで、この数ヶ月ハリーとハーマイオニーは苦労したのだ。
なんとも複雑な思いだが、そんな男に惚れてしまったのだ。
仕方のないことかもしれない。
「ああっ、
続いてやってきたのは、フラー・デラクールだ。
なにやら感極まった様子で、ハリーの治療を再開しようとしたスネイプが突き飛ばされて湖に落ちて行った。合掌である。
そんなデラクールは、ハリーの傍に跪いて彼女の頬へ熱烈なキスをブチかました。
「んな……ッ」
「ありがとう、ありがとうアリー! あなたの
涙を流しながらハリーに感謝するデラクールは、またハリーにキスの雨を降らせた。
目を白黒させて驚くハリーと、苦笑いするハーマイオニー。
そんな二人の様子に気づかないほど感激しているデラクールは、続いてロンの方へと走っていった。
「嫌な予感がするぞ」
「奇遇ねハリー、私もよ」
デラクールがまくしたてる内容を聞きとるに、どうやらハリーが打ちあげたあとは意識を取り戻したロンが、ガブリエル・デラクールを助けたらしい。
何度もお礼を言いながら、デラクールはそのお礼の度にロンの頬へキスをしてゆく。
妹の意識が戻ったとボーバトン生徒が知らせに来るまで、その熱烈なフランス人はデレデレにゆるんだ顔のイギリス人男子にキスし続けていたのだった。
しかしハッと振り向いたロンは、ハリーとハーマイオニーの笑顔を見た。
純粋に美しいとすら思える笑顔なのに、何故か背筋が凍る。
無理矢理口の端を持ちあげて笑ったロンは、そのままそそくさとその場を去ってゆく。
「何なんだろうねえ、あの色男は」
二人は顔を見合わせて、そして堪え切れなかったように笑う。
もう二度と出来ないと思ったこのやりとりも、またいつでもできるのだ。
こんな他愛のない時間が、とても愛おしい。
ハリーは幸せを噛みしめるように、もう一度ほがらかに笑うのだった。
【変更点】
・お風呂回。
・楽しいものに弱いハリエット。
・告白の返事をできる程度にはロニー坊やも成長
・水中人ご乱心。
親友が死ぬかもしれないとなれば、意地なんて張ってられません。ということで、ようやく仲直り。原作でロンとハリーの喧嘩は割とすぐ終わりましたが、彼女たちのはそこそこ長かったものと思います。
そして今回の話も長かったものと思います。前話の倍だぜ! しかし仲直りは大事なので。仕方ない。全部ヴォルデモートが悪い。
今回は水中戦。スタイリッシュな戦闘が出来ない代わりに、水着の美少女が泳いでると思えばいいものでしょう。きっと。
炎のゴブレットも残すところあと六話分。お辞儀する日はきっと近い。