第9話 悪夢のデパート

『――圭佑くん…起きて…』

 誰だ? 莉愛の声…?

 無機質なカウントダウンがゼロになった瞬間、俺の意識は、眩い光の粒子となって霧散した。


 目を覚ますと、俺は冷たい床の上に倒れていた。見渡せば、そこは明かりの消えた、不気味なほど静まり返ったデパートの正面入り口。ガラスの向こうでは、激しい風雨が叩きつけ、雷鳴が轟いている。

「ここが…莉愛の精神世界ってやつか? 一体どこにいやがるんだ…」

「…やっと起きた。K(ケイ)の思考レベルが低すぎて、同期に時間がかかった」

 背後からの、少し拗ねたような声。振り返ると、そこにいたのは、桜色のボブカットの快活な印象の幼女だった。黒を基調としたゴスロリ風のワンピースには、電子回路のような桜花弁が明滅している。

「対Muse用自律思考型AI、【Q-s(キューズ)】Kのナビゲーターとして、父君(マスター)にプログラムされた」

「お前…なんで親父にそっくりなんだよ、その口の悪さ」

「創造主(マスター)が、私を正人に似せて造ったからよ。文句ある?」

「口悪いな、お前」

「それより、早く莉愛を助けに行くぞ!」

「待って。Kにはまず、これを渡さないと」

 Qは、俺の手に、白を基調とし、桜の花びらの紋様が刻まれた、美しいマイクを具現化させた。

「『ソウル・シンガー』。Kの『想い』を歌に乗せて、この世界のバグ(トラウマ)を浄化する、Kの武器よ」

「武器って…肝心の莉愛がどこにいるのか分からねえのに、どうやって助けるんだよ!」

「うるさいな。私がナビゲートするって言ってるでしょ。それと…」

 Qは、俺をじっと見つめた。「正人が美咲ちゃんの高校入学祝いに買ったノートパソコン、Kが私物化したでしょ? せっかく私が眠ってたのに」

「あいつ使ってなかったんだから、いいだろ!」

「よくない! 私は美咲ちゃんのために造られたのよ。Kのためじゃない! あんたの動画見たくないんだから!」

「…へいへい、俺で悪かったな」

 その時、店内に、ノイズ混じりの佐々木のアナウンスが響き渡る。「本日ご来店の神谷圭佑様。最上階の特別催事場にて、素敵なプレゼントをご用意しております」

「歓迎されてるみたいだな」

「さっさと行くわよ」

 アナウンスが終わると、止まっていたエスカレーターが、ギギギ、と不気味な音を立てて動き出した。

 俺の知らない莉愛、か。


 エスカレーターで上の階に上がると、そこは家電量販店のフロアだった。ずらりと並んだテレビ画面に、一斉に映像が映し出される。それは、莉愛が俺の昔の配信を食い入るように見ている、思い出の映像だった。俺と玲奈がキスする映像が映り、俺は思わずそのテレビに駆け寄り画面を隠した。

「隠しても無駄よ? 私の記憶に入ってるから」

「さ、佐々木のやつ、莉愛の記憶まで覗き見やがって…!」

 俺は顔を真っ赤にしてごまかした。

「違うわ。あれは莉愛が創り出した佐々木よ」

 莉愛、俺が見えないとこで苦しんでたんだな。お前の痛みは分からない。

 俺たちは、いくつものフロアを駆け上がった。


 そして、たどり着いたのは、薄暗いおもちゃ売り場だった。フロアの中央に、頭部のないマネキンが、リクルートスーツを着て立っている。その手には、古びた拡声器が握られていた。

 拡声器から佐々木の声が響く。「武装開始(アーマメント・スタート)」

 その声を合図に、棚に並んでいたラジコンカーたちが一斉に起動した。ジープ、スポーツカー、パトカー、そしてヘリコプター。それらに跨ったアクションフィギュアたちが、赤い目を光らせ、銃器から黒く粘り気のある憎悪弾を撃ち放ちながら、俺に襲いかかる。

 俺のシャウトがラジコンカーを宙に浮かせ、動きを止める。しかし、拡声器からさらに大きなノイズが響いた。「壊れちゃダメよ!」

 その声を合図に、壊れたおもちゃたちが、ガシャンガシャンと音を立てて合体し、巨大なメカ・ゴーレムへと変貌した。

「何だ? ゴーレムみたいな奴は」

「Kのゲーム実況に出てきたモンスターじゃない?」

 怪物は、佐々木の声だけでなく、冷たい玲奈の声でも喋り始めた。「あなた程度の才能、掃いて捨てるほどいるわ」

「まずい、K! 敵が融合して、憎悪が増幅してる!」

 絶体絶命のピンチに陥ったその時、俺は目を閉じ、心の中で叫ぶ。(玲奈…! 俺に、力を貸してくれ!)

 その想いに呼応するように、現実世界の玲奈の指輪が淡く光る。次の瞬間、俺が持つマイクが眩い光を放ち、高貴な青色に輝く『セイクリッド・シンガー』へと進化する。

 俺が祈るように歌い始めると、天井から舞台のスポットライトのような光が降り注ぎ、憎悪の要塞の頂点に立つ、佐々木マネキンだけを、強く照らし出した。「いやああああっ!」という佐々木の断末魔が響き渡り、光を浴びたおもちゃたちは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。

 カラオケ60点台の力見たかよ。練習なしで一発撮りだぜ?


 最上階は、かつて俺と莉愛が訪れた「ゲームセンター」が、歪んだ形で再現されていた。

 プリクラ機の中から、莉愛のすすり泣く声が聞こえる。俺が近づくと、プリクラの画面に、過去の光景が映し出された。

 中学生の頃の莉愛が、自室のPCで、炎上前の俺のゲーム配信を、夢中になって見ている。「あ、Kくんの動画、更新されてる! これ見て、勉強頑張ろ!」

 そこへ、姉の玲奈が入ってくる。

「またそんな動画見てるの? 飽きないわね」

「お姉ちゃんに布教しなきゃ!」

 画面が切り替わり、廊下の隅で、天神家の使用人たちが、ひそひそと莉愛の陰口を叩いている。

「またお部屋で、あんな動画をご覧になって。お嬢様には悪影響ですわ」

 彼女は、ずっと一人で、俺を応援してくれていたのだ。


 映像が終わると、プリクラ機の取り出し口から、一枚の写真が吐き出された。それは、佐々木に撮られた、制服の胸元がはだけさせられた、莉愛の無防備な寝顔の写真だった。

 俺が、怒りに震えながら写真を握りつぶした、その瞬間。プリクラの画面が、再び切り替わった。


 そこに映し出されたのは、あの息の詰まる食卓だった。

 父が、新聞から顔も上げずに、吐き捨てるように言う。

『――やめろ。飯が、不味くなる』

 妹の美咲が、氷のように冷たい声で続く。

『働いたらどう? 聞いてんの? この、引きこもり』

 それは、莉愛の闇が、俺自身の心の傷(トラウマ)を抉り出すために見せている幻影。

「やめろ…」

 俺がうめくと、プリクラ機から甲高い悲鳴が上がり、より強力な「絶望のバリア」が発生した。


「見ないで…! 圭佑くんに、こんな私、見られたくない…!」


 莉愛の悲痛な声が響き渡ると同時に、クレーンゲームのガラスケースが内側から突き破られ、爪を鋭く伸ばしたぬいぐるみたちが、赤い目を光らせて飛び出してくる。ショーケースに飾られていた美少女フィギュアたちも、自らパッケージを破り、小型の銃器で武装して俺に襲いかかってきた。

「ダメだ、K! 靄の発生源…プリクラ機の中の莉愛の心を直接救わないと、キリがない!」

 Qの悲痛な声。俺は、意を決してQに問う。

「Q、何か方法はないのか。どんな手を使っても、俺はあいつを助ける」


「…最後の手段。それは、Kの『想い』を、この精神世界で最も莉愛が信頼する人物…『天神玲奈』の歌声に乗せて、直接、彼女の心に届けること。でも、もし失敗すれば、Kの意識は、永遠にこの世界を彷徨うことになる…」

「何のために俺はここにいるんだよ!」

「…べ、別に、Kのことなんか心配してないんだからね! でも…もし戻ってこれなくなっても、私、知らないんだから…!」

 Qは、顔を真っ赤にして、ワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。

 俺は、そんなQの頭を優しく撫でると、覚悟を決めた顔で言った。

「Q、頼む。俺の、最後の歌を、あいつに届けてくれ」

 Qの瞳から、一筋の光の涙がこぼれ落ちる。彼女は圭佑の体に溶け込むように、一つになった。


 次の瞬間、俺の体は眩い光に包まれ、そのシルエットは、見慣れた玲奈の姿へと、ゆっくりと変わっていく。

 そして、その手の中で、青く輝いていた『セイクリッド・シンガー』が、さらに形を変え、白金と青い宝石があしらわれた、気高い王錫のようなデザインの**『セレスティアル・ロッド』**へと進化する。

 Q:「うわっ、可愛い…。似合ってるよ、K…」

 圭佑(玲奈):「ふざけるな! 女装趣味はないのでやめていただきたい」


 変身を遂げた圭佑(玲奈)は、絶望のバリアに向かって、優しく、そして力強く、最後の歌を歌い始めた。


「♪莉愛、聞こえるか…? お姉ちゃんだ…。もう、一人じゃない。私たちが、そばにいるよ…♪」


 その歌声は、ぬいぐるみの動きを止め、黒い靄を浄化し、プリクラ機そのものを、内側から眩い光で満たしていく。

 やがて、光が収まると、絶望の象徴だったプリクラ機は、ひび割れ、粉々に砕け散った。

 そして、その光の中から、ゆっくりと、一人の少女が現れる。


 それは、ずっと会いたかった、妹の、天神莉愛だった。

 莉愛は、涙を浮かべながらも、世界で一番美しい笑顔で、圭佑(玲奈)に向かって、こう言った。


「…うん。やっと、見つけてくれたね、お姉ちゃん。……そして、圭佑くん」


 彼女には、わかっていた。愛する二人が自分を救いに来てくれた。その再会の瞬間で、幕を閉じる。



 

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