10年以上前に死んだ大学の後輩の話
10年とほんの少し前に、多分そこそこ仲が良かったはずの後輩が死んだ。大学で知り合った後輩だが、なんやかんやXのアカウントも相互になってネットでもリアルでも付き合いのある後輩だった。
「仲が良かったはず」などという奥歯に物が挟まったような変な言い方なのには理由がある。そいつが死ぬ2年程前に、喧嘩、という訳でも無いのだが、そいつに一方的に嫌われて関係は切れていたからだ。その間の事は共通の知り合いから伝え聞く程度の話しか知ることはなかった。
リアルの後輩で、Twitterでも相互だったため、昔は共通のフォロワーが大量にいたし、そいつの紹介で知り合ったそいつのリアル知り合いのフォロワーなんてのもいた。
まかり間違って相手の親御さんに話が伝わりでもしたら、申し訳ない。
なので、なんとなくたまに「昔、学歴コンプレックスをこじらせて死んだ後輩がいる」なんてツイートはしても、それを大声で語る事は無かった。
しかし、2回も凍結する中で共通フォロワーは殆どいなくなったし、奴のリアル知り合いとの関係も完全に消滅した。今となっては、奴のアカウント名をXで調べても、何も出てこない。
本名もだ。ふと思い立って奴の本名をGoogle検索しても、何も出てこないのである。晩年(と言うのが正しいのだろうか)の関係が悪かった事もあり、奴の存在が自分の中でどんどんと希薄になって行くのを感じる。
このnoteを書こうと思ったのはそんな理由からだ。
10年以上経ったので流石にもう良いだろう。今回は自分の備忘録も兼ねて奴の思い出話をしたいと思う。人が死んだ話で金を取るのはなんだか気が引けるので、全文無料公開とする。
もしも、ここで書かれてる『奴』が誰の事かピンと来る昔の知人がこれを読んで「いやいや遊牧民、そうじゃない。彼は本当はこうで……」と思う部分があったのなら、DMで教えて欲しい。
俺も、久しぶりに奴の話を誰かから聞きたい。
○目次
・奴との出会い
・奴の性格
・奴の就活
・奴の東京
・奴の死
■奴との出会い
まず最初に言うと、奴は学歴コンプレックスをこじらせて死んだ。社会人になっても学歴コンプレックスを捨てられず、学生の延長気分で仕事に真面目になれず、その癖プライドだけはいっちょまえで認知不協和に苦しみ、最後は酔った勢いで自殺した。23歳だった。
学歴コンプレックスをこじらせて死んだ奴なんて聞くと、細くてナヨナヨした暗い奴をイメージするかもしれないが、奴はとにかくデカかった。
身長は190近かったし、体重は100キロを軽く超えていて、バリバリの体育会系だった。当時の私は筋トレに興味が無かったのであまり覚えていないが、私と会った大学2年の時点でベンチプレス140キロを上げられたはずだ。
性格も明るかった。よく笑い、よく喋り、空気も読める友達の多い人間だった。
そいつと最初に何で仲良くなったのかは覚えていない。サークル間交流会のような飲み会で、私が酒を一気飲みして大騒ぎしていたら奴も一緒に盛り上がってみたいな始まりだったと思う。
顔を合わせると、向こうから声をかけて来るようになり、いかつい見た目に似合わずアニメオタクな事もわかって会話が弾み、よく一緒にいるようになった。
私は昔、大学生ネタツイッタラーアニメアイコン界隈のような物に所属していた。フォロー300のフォロワー1400程度。
オナニーの報告や、アニメの感想、フォロワーへのエアリプをツイートするだけの、何処にでもある大学生の不謹慎系Twitterアカウント。もちろんbioは一行だ。
それを教えた時に、奴が目を光らせて驚いてくれたのを覚えている。田舎の大学生にとって、体育会系で仲良くなった先輩がFF比4倍以上のアニメアイコンアカウントを持っていて、アクティブにオフ会に出ているというのは、魅力的で別世界の出来事のように映ったらしい。
というか、当時の私もそれを自慢に思っていたので仲良くなった後輩に教えたのだ。
それからしばらくしてアニメアイコンのアカウントを作った奴は、私の相互フォロワーをフォローし始め、ほどなくして私よりも界隈に馴染み、フォロー数百フォロワー数千の人気アカウントになっていく。
(奴が大きなサングラスをかけB系の服装で、当時流行ってた女児アニメの団扇を持っているという画像をツイートしたら界隈内でとてもウケたのだ。筋骨隆々の巨体だけあって、非常にインパクトがあった。)
リアルでも仲良くなり、Twitterでも同じ界隈で、ますます俺と奴が一緒に過ごす時間は長くなって行った。
大学でも会うし、Twitterでも会う、そしてオフ会でも会うのだ。あと、それらとは関係無く宅飲みしたりもする。
こうやって文字にすると本当に仲が良かったんだなと思う。
晩年のイメージが強すぎて、自分でもそこまで仲が良くなかったように感じてたので、少し驚いている。
やっぱり、忘れる前に今文字にして良かった。
■奴の性格
奴の話題は、誰かの悪口がとても多かった。この前見たダサい奴、イキったウザいブス、糞な先輩。そんな話をいつもしていた。
自分のサークル(正確には学生団体)は馬鹿な先輩と無能な同期しかおらず、自分がいなければ回らないんだ。といった話をよくしていたのを十数年以上前なのにまだ覚えている。
という事は、よっぽど奴はそんな話ばかりしていたんだろう。
後になってわかった事だが、奴は学生団体の中で細かい雑用をとにかく嫌って"無能な同期"に仕事を押し付けてサボり、会議では"馬鹿な先輩"の意見を否定するだけ否定して代案も出さない。なんて事を平然とやっていたらしい。
非常に愚かだが、大学生なんてこんな物だろう。
他には、『あと一歩で駄目だったけど、俺は良い所まで行った』という自慢話も非常に多かった。
「高校受験、本当はあそこ狙ってたけどギリギリ落ちて滑り止めに入った」
「大学、本当はあそこの推薦を取りかけていたんだけどギリギリ駄目でここになってしまった」
「高校時代、あと少しで県大会に行けたけどギリギリ駄目だった」
本当に、多種多様なあと一歩で駄目だった自慢話をしていた。自慢話でなく、単なる言い訳だったのかもしれない。
今思うと「俺は本来ここにいる人間じゃないんです」「俺はもっと高い位置にいるべき人間なんです」と私にわかって貰いたかったのだろう。
しかし、今よりずっと尖っていた当時の私はそれを全否定した。
「お前の話っていつも『あと少しで駄目だった』とか『本当はあそこ狙ってた』とかそんなんばっかだよな。じゃあ俺が受験の時に東大行きたいな~って思ってたら『本当は東大狙ってたけど、ここに来ました!!』って言えんのか?アホらしい。そこに行けなくて、落ちて、今この大学にいるのがお前だろ。あとちょっとで駄目だったって事は、駄目だったんだよ。女々しい事言うなや。」
概ね、こういった感じの事を本人に直接話したのを覚えている。プライドが非常に高く攻撃的で、自分の学歴を本当の学歴だと思えていなかった奴にとっては死ぬ程屈辱だった事だろう。
しかし、Twitterでも大学でも先輩である私を立てて、奴は反論も逆ギレもしなかった。
他に何を言ったのかはよく覚えていないのだが、多分同じような事を沢山言って、その度に我慢させてヘイトを蓄積させてたんだろうと思う。
今思うと申し訳ない事をしたなぁという気持ちだ。
そんなこんなでおそらく奴の中には私に対する不満が積もり積もっていたのだと思う。
決定的な決裂の切っ掛けとなったのは、私が奴に紹介してやったバイトだった。
OBのツテでやってくる楽でゆるいバイトを紹介してやったのだが、奴はそのバイトが楽でゆるいのを良いことに手を抜きまくり、紹介した私の所まで苦情が来て、奴をクビにする事になったのだ。
私が来期からはバイトから外れて欲しいとLINEで頼むと、奴はハッキリと逆ギレした。そして、LINEとTwitterをブロックし、俺の前から消えたのだ。
こう書くと、奴が100%悪いし、というか100%悪いと思うのだが、そもそも前段として私に対する不満や怒りがあってこその行動だったんだろうなぁと思う。
奴の内心の話なので想像でしか無いが、『こいつ、俺に対して偉そうだし失礼だしムカつくけど、面白いし先輩だしちょくちょく美味しい思いもさせてくれるので我慢してやるか』と思っていた所で、その美味しい思いが無くなってキレたとでも言えばいいのか。
非常に愚かだが、大学生なんてのはその程度の物だと思う。
■奴の就活
少し話は戻るが、奴はとにかく「利口に賢く上手く生きていく」という事を意識していた。とにかく、就活の事をいつも話していた。
1年上の私が就活の事を何も調べていないのに、何故こいつはこんなに就活の事を調べているのだろうと不思議に思った物だ。
だがこれは、奴が変だったのでは無い。私が呑気過ぎたのだ。
2010年代初頭、年越し派遣村の記憶が新しく、リーマンショックの影響から社会が立ち直れていない状態。通っていた大学のレベルが大して良くない事もあり、我々の先輩達の就職状況は話半分に聞いているだけで芳しく無いとわかった。
予告無しで後ろから撃たれた氷河期世代と違い、我々の代には「過酷な就活がやってくるから準備をしなければいけない」という意識があったと思う。
大学入学してすぐの時に講堂に集められ、「君達の内30%は就職出来ません。無職として大学を卒業します。」なんて脅されたりもした。
ちなみに私はその時、(ってことは70%が就職出来るのか。じゃあ俺は間違いなく就職出来るな。)と呑気に考えていたのを覚えている。
話が脱線した。
奴は、今風に言うとライフハック思考の強い奴だった。ブラック企業という言葉が当たり前になりはじめた時代で、過重労働と低賃金を避けようと必死に勉強していた。
その結果、「業界内で安定した地位のある歴史ある中小規模のメーカーを狙う」という戦略を立てて、会社研究と就活をし始めたのだ。
当時はわからなかったが、今思うとこれはかなり最適解に近い選択だったのではないかと思う。
ろくに就活もせず、なんとなく名前を聞いた事のある地銀に入行し、薄給過重労働に苦しむ事になった私とは大きな違いだ。(既に退職済みである)
奴は私と違って、本当に賢かった。賢すぎたのかもしれない。
■奴の東京
奴は、私から1年遅れで社会に出て、東京に出ていった。
吟味に吟味を重ねた優良企業に入社して、Twitterのファロワー達とオフ会三昧の日々。
それは楽しかった事だろう。しかし、FF外になってもたまに目に入ってくる奴のツイートは、みるみる内に大学時代のような明るさを失い、仕事の辛さを誤魔化すような虚勢に満ちた物になっていった。
4年の時は「就職決まった以上、もう学歴コンプとか言ってらんないよね」なんて言っていたはずが、自身の学歴を嘆くようなツイートも増えて行った。
本人に直接会って話を聞いた訳では無いのだが、概ね予想は付いている。死んだ人間の内心を予想で語るというのは良くない事かもしれないが、もう10年以上も経っているのだ。
奴が仕事を初めてからどのように病んで行ったかという私の予想を語らせて欲しい。
一応、死の間際まで親交のあった共通の知人達と話して確認等をしているので、全くのデタラメでは無いと補足しておく。
まず、ここまでの文章を見てわかるように、奴は細かい仕事や従来のやり方を軽視する上にプライドが高く高圧的である。先輩に教わった『会社のルール』を『無能な連中がやってる無駄な仕事』と馬鹿にする性格の悪さがある。
そして、偏見が強い。パン職のおばちゃんを「非正規雇用の誰でも出来る事務をしてる年増女」と軽視して、雑に仕事を投げるタイプである。本来なら、彼女たちこそ一番怒らせてはいけない存在なのに。
もう想像がつくだろう。細かい仕事や決まったやり方を軽視し、偏見が強くて高圧的。そんな奴が歴史あって、仕事の流動性の低い、中小規模のメーカーに入ってまともに働ける訳が無い。
仕事というのは我慢の連続であるし、メーカーにおいて「よく知らないけど、賢い僕がこの方が効率が良いと思ったので手順を省きました」なんてのは許されないのである。
奴が、会社に入ってあっという間に問題児扱いされて腫れ物になって行く姿が目に浮かぶようである。
奴は、出社前の朝8時頃、ビールやタバコ。ファ○クポーズにした右手の写真をTwitterに投稿したりするようになった。
「糞みてぇな会社、アルコールでも入れなきゃ働けねぇ」
「出社前のヤニ決めてる」
「社会にファ○クポーズ決めてる」
そんなネタツイートと一緒に。
皆さんに聞きたいのだが、平日の朝の寝起きにビールを飲んで旨いだろうか?休日の朝ならまだしも、ちっとも旨くないと思う。
それらのツイートから「僕は無能なんじゃない。社不なだけなんだ!!仕事が出来ないんじゃない。仕事をやる気が無いだけなんだ!!」という、悲痛な叫びを感じてしまうのは、私だけだろうか。
ちなみに言うと、大学時代はそんな風に酒を飲むタイプでも無かった。
奴は、社会の波に揉まれ埋もれ、「筋骨隆々で女児アニメ大好きな大男」から急速に「仕事の出来ない無能な新卒」にジョブチェンジして行く事に耐えられず、必死に「俺は凡人じゃない。俺はその他大勢じゃない。」と叫び続けていたのだろう。
だが、仕事が辛い。新卒の時に上手く行かないなんて当たり前だ。私もそうだった。これを見てる方も、多分そうだったろう。
学生時代に高くなった鼻と自己意識は、就職したらへし折られてボコボコにされて、自分の涙と鼻血の混じった砂を舐める事になる。そんなもんだ。
そんな時、新卒サラリーマンは学生時代の友人達と会い、大いに騒いで、気持ちをリフレッシュして次の労働に備えるのだ。
中年のように嫁がどうとか子供がどうとか言って誘いを断る事も無いし、同じ大学を出た仲間達は、皆同じような体験を会社でしている。傷を舐め合えるのだ。
奴も、そうしただろう。元より、東京にはTwitterの知人も多い。毎週末、下手したら毎日のようにフォロワーと会って飲み歩いていたと、共通のフォロワーから伝え聞いている。
しかし、奴にとってはそれも心を追い詰める要因となっていたのではないかと思う。
これを見てる皆様方もご存知かもしれないが、Twitterはとにかく高学歴が多い。当時、私や奴が付き合ってた界隈の人間はとにかく早慶と旧帝が多かった。
私は学歴で人の価値は決まらないと心の底から信じている異常者なので、特段気にならない。
しかし奴は、オフ会中も「いや○○さんの大学に比べたら俺の大学なんてカスなんで」「俺の大学だと就職はここら辺しか行けないけど、△△さんは上目指せるじゃないですか」「大学は……北大です」と自虐したり上げたり、自分の大学名を偽ろうと試みたり、本当に忙しかった。
まだ仲が良かった頃、そういうのやめろと怒った事もある。
そこまで学歴コンプレックスが強い奴にとって、仕事で苦しんだ後の飲み会がどんな物だったのだろうかと想像してしまう。
自分が本当は通いたかった大学に通ってた人間が、自分が本当は行きたかった企業に入っている。
自分より高い給料を貰っている。自分より楽しそうな仕事をしている。自分より昇進の道が開けている。
それどころか、「ブラック大企業に入るより、ホワイト中小!!」なんて偉そうに言って選んだゆるふわ企業で、自分は全く仕事に付いて行けない。
就活成功で落ち着いたはずの、奴の学歴コンプレックスが、東京生活で再び燃え上がってしまった事は容易に想像できる。
そこから、奴が死ぬまでに詳細に何があったのかを私は知らない。
■奴の死
ある日、共通のフォロワーから連絡が来たのだ。『彼が亡くなった。お参りに行きたい。リアルの知人でもあった遊牧民なら、実家も知っているのではないか。』と。
奴の実家は私の実家から歩いて行ける距離にあり、入った事は無いが前まで送った事はあり場所を知っていたので、そのフォロワーと予定を合わせて2人でお参りに行った。憔悴した顔のお父さんが急に訪ねて来た我々を見て言った言葉をハッキリ覚えている。
「もしかして……Twitterの関係の方ですか?」
「はい、そうです。」
「いえ……私は大学の先輩で。」
「ああ!失礼しました。中へどうぞ。」
奴が死んでから、親交のあったフォロワーが何人も線香を上げに来ては「Twitterの関係です」と言って帰って行ってたらしい。
何が失礼しましたなのかよくわからず、真面目な状況なのに笑いそうになってしまったのをよく覚えてる。
それからも、何人かのフォロワーから同様の依頼があり家に連れて行ったため、私は奴の両親から「Twitterの関係者を家に連れてくる大学の先輩」として認知され仲良くなっていった。
もちろん、奴の両親と話す時は喧嘩した事などおくびにも出さず、仲が良かった時の思い出話だけをした。
そして、奴のお母さんから「パワハラの可能性を警察が調べたが、そういった事は無かった事」「死ぬ数時間前に飲み屋で会った知人がおり、酔った勢いの自殺であると思われる事」「本当に親思いの良い子であった事」等の話を聞く事が出来た。
とても良いご両親だった。便宜上、奴の名称を奴として統一してるが、そんな呼び方をするのが申し訳なくなるくらい良い方々だった。
なんだかオチも教訓も何も無いが、10年以上前に死んだ後輩の話はこれで終わりである。
読んでて思ったかもしれないが、奴が就職してから死に至るまでの大部分は私の想像だ。関係が切れてたんだから仕方無い。
しかし、一緒にお参りに行ったフォロワー達からの情報、一時は昼も夜も一緒に遊んで知ってる奴の性格、Twitterで時折流れてくるツイートから想像した物なので実態に近いと思う。
私は、そう思っている。
あれから私は、人の心には触れられたくない部分があるので、そこには極力踏み込まないよう気を付ける事を学習した。
わかってて踏み込んでしまう時もあるのだが。
コメント
3ああ、まかり間違えば教祖様となっていたナイスガイ。
「人を見下す教」需要あると思います。
初めて読ませて頂きました。
後輩さんの人となり、葛藤、とてもわかりやすく丁寧に文章にされていて、グイグイ引きつけらてしまいました。
後輩さんの無念に、勝手ながらこちらも胸が締め付けられる感じがしました。
それにしても、この記事の構成、文章、表現のスマートさに感動しました。ありがとうございます。
後輩さんのご冥福をお祈りいたします。