ネットで調べましたところ・・・
今夜のNHKニュース<普天間基地移設問題>でも
やはり気になりました。
↓ こういった内容のものでありました。
http://www.pref.okinawa.jp/chiji_inamine/byobu/06.jpg
「万国津梁の鐘」の文字(第1知事応接室の屏風)
≪鐘銘原文≫ ≪書き下し文≫
琉球国者南海勝地而
鍾三韓之秀以大明為
輔車以日域為唇齒在
此二中間湧出之蓬莱
島也以舟楫為万国之
津梁異産至宝充満十
方刹地靈人物遠扇和
夏之仁風
琉球国は南海の勝地にして
三韓の秀を鍾め大明を以て輔車(ほしゃ)となし、
日域を以て唇歯(しんし)となして、
此の二つの中間にありて湧出せる蓬莱(ほうらい)島なり
舟楫(しゅうしゅう)を以て万国の津梁(しんりょう)となし、
異産至宝は十方刹(さつ)に充満し、
地靈人物は遠く和夏の仁風を扇ぐ。
<大意>琉球国は南海の景勝の地にあって
朝鮮のすぐれたところを集め
中国と日本とは非常に親密な関係にある。
この日中の間にあって湧き出る理想の島である。
船をもって万国の架け橋となり
珍しい宝はいたるところに満ちている。
故吾王大世主庚寅慶生尚泰久茲
承宝位於高天育蒼生
於厚地為興隆三宝報
酬四恩新鋳巨鐘以就
本州中山国王殿前掛
着之定憲章于三代之後
故に吾が王、大世(おおよ)の主、庚寅(かのえのとら)に慶生す。
尚泰久(しょうたいきゅう)なり。
茲(ここ)に、宝位を高天に承(う)け、蒼生(そうせい)を厚地に育む。
三宝を興隆し、四恩に報酬せんがために、
新たに巨鐘を鋳(い)て、
以て本州中山国王殿の前に就(つ)け、これを掛着(かいちゃく)す。
憲章を三代の後より定め、
<大意>偉大な尚泰久王は仏法を盛んにして仏のめぐみに報いるため、
この鐘を首里城の正殿前にかけた。
法を定め世の人々を救い、王統の長い治世を祝う。
相国寺の渓隠和尚に命じて鐘に刻む文を作らせ中山国王殿の前に
備え付けた。
文武于百王之前
下済三界群生上祝万
歳宝位辱命相国住持
溪隠安潜叟求銘々曰
須弥南畔 世界洪宏
吾王出現 済苦衆生
截流玉象 吼月華鯨
文武を百王の前よりあつめ、
下は三界の群生(ぐんせい)を済(すく)ひ、上は万歳の宝位を祝ふ。
辱(かたじ)けなくも、相国の住持
溪隠安潜叟(けいいんあんせいそう)に命じて、銘を求む。銘に曰く。
須弥(しゅみ)の南畔、世界洪宏(こうこう)たり。
吾が王出現して、苦しめる衆生(しゅうせい)を済ふ。
流れを截(た)つ玉象、月に吼(ほ)ゆる華鯨(かげい)、
泛溢四海 震梵音声
覚長夜夢 輸感天誠
堯風永扇 舜日益明
戊寅六月十九日辛亥
四海に泛溢(はんいつ)し、梵音声(ぼんおんじょう)を震はし、
長夜の夢を覚まし、感天の誠を輸(いた)す。
堯風(きょうふう)は永く扇ぎ、舜日(しゅんじつ)は益ます明らかなり。
戊寅(つちのえとら)のとしの六月十九日辛亥(かのとい)のひ
<大意>尚泰久王が民を救い平和な世の中にするという内容。
「琉球が尚泰久王のもとで仏教を盛んにして平和になった」という意味を伝える。
大工藤原国善
住相国溪隠叟誌之
住相国溪隠叟、これを誌(しる)す。
文の作成者は相国寺の渓隠(けいいん)和尚。
鐘を製造したのはヤマトの鋳物(いもの)職人、藤原国善です。
当時、琉球は仏教を保護し、ヤマト禅僧たちがさかんに来航して多くの寺院が建てられていた。
渓隠和尚はヤマト禅宗の影響下にあった琉球寺院の禅僧で、
また藤原国善は北九州出身の鋳物職人と考えられています。
鐘の文章はヤマトの仏教思想を持つ人間によって作成され、
鐘はヤマトの職人によって製造されたもの。
ここが少々意味深長!!らしい。
猶書いた方は豊平峰雲氏!
http://www.nisimuibijutu.com/article/14131848.html
お~~~~!!
なんだかスッキリしました!
いつもあの屏風が出てくると気になってしかたありませんでした。
沖縄の歴史を踏まえてこの屏風を詠みますと
なかなか意味深長!であると思いました。
歴史を考えると一概に納得ってわけにはいかないですね!
今仕事をおしまいにしました!サブッ!
そ~~よね!気になってたっしょ!ね~!
私も 最初の会談から 気になっていました
♪琉球と大和の間には 深くて暗い 川がある♪
先日の夜明け前の出来事といい、沖縄の怒りは止むことがないのでしょうか
今年もおしまいですね~~!
本当に独立した国家でしたから
それから長い長い歴史のなかで翻弄されてきた
って感は否めない気がしますね。
なんだか都合悪いところは全部
沖縄におしつけたって感じで
心が痛むんですよね~!