江戸時代末期の京都、会津藩で家族も持てない下級武士のふたりが、長州藩士暗殺の大役をあたえられた。ひとりはあっさり気絶させられ、のこったひとりが若き長州藩士とむかいあう。
しかし戦いのさなかに雷が落ちた。そして会津藩士は江戸らしい路地で目ざめる。あまりに遠い場所でひとりめざめたことを不審に思った会津藩士だが、さらに奇妙な住民たちに遭遇する……
斜陽の時代劇にオマージュをささげた2023年の日本映画。低予算で自主制作されながらロングランヒットとなり、日本アカデミー賞で最優秀賞にも輝いた。
現在はプライムビデオ見放題で、7月18日に金曜ロードショーでの地上波放映も予定されている。同じように映画愛にあふれた自主制作低予算映画の『カメラを止めるな!』に影響を受けた作品らしいが、内容は異なるが評価される流れが似ている。
『カメラを止めるな!』 - 法華狼の日記
自主制作映画らしく監督の安田淳一は脚本や撮影、編集、VFXなどを兼任。もともと結婚式などでのビデオ撮影が本業で、脚本が評価されたことで江戸村や寺社での撮影が可能となったおかげもあり、映像はかなりリッチ。殺陣も物語に要請されるリアリティにあわせて複数ちりばめられ、単純にアクション映画としても見ごたえがあった。
まず現代の街を彷徨する主人公を、何カットも望遠圧縮で撮っているところが素晴らしい。侍の衣装を着た俳優がただ歩いているのではなく、侍姿の現代の風景に混入している異物感が出ている。監督がビデオ撮影を本職としているにしても、簡単に見えるカットひとつに手間ひまがかかっているはずだし、そうするだけの効果をあげている。
前後して、シリアスな主人公ひとりが映画をつくっている集団にまぎれこみ、タイムループのような状況からギャップの笑いを生むわけだが、これは映画と思いこんだ主人公がシリアスな集団にまぎれこむ『ザ・マジックアワー』の逆転か。
『ザ・マジックアワー』 - 法華狼の日記
笑いのアイデアは似ているが、関係が逆転しているうえに構成はまったく異なるので盗作ではない。どちらかといえば説明しすぎず笑いを流していく『侍タイムスリッパー』が好みなくらいだ。
その後の現代文明とのギャップ描写も定番を押さえつつ流して、主人公は本物の武士でありながら斬られ役を演じることになる。限りなく近いが決定的に異なる立場になることで、歴史と時代劇の類似と差異が浮かびあがっていく。
その差異が最もあらわれるのが終盤の主人公の選択だ。違和感や嫌悪感がないといえば噓になるが、最も主人公に親身な助監督の女性と、最も殺陣を専門とするスタッフが全否定することで、本来ならば映画において禁忌であり愚行と作り手が理解しているとわかり、許容しながら見ることができた。最終的に虚構が現実をうわまわることで、納得することもできた。あくまで娯楽の素材だった戦争に真摯に向きあうことで、映画賛歌の物語というだけでなく、帰還兵の社会復帰のような物語としても成立した。
この映画はタイムスリップによる異文化ギャップだけでなく、タイムスリップによってたどりついた未来から過去をふりかえるテーマもふくんでいる。娯楽を賞揚しつつ、現実を忘れる道具にはせず、物語には過去を継承し批判する機能もあることを描きだす。「真剣」に向きあい、そして決別する物語として、予想外に現代に作られた意義が感じられた。
ただ感想を検索するとライムスター宇多丸も指摘していたが、ポスターの横書き文字をすぐ読むところは違和感があった。そのデザインのポスターを使うなら、まず逆に読んでから左から読むのかと気づくべきだろう。意味不明な出来事ならば反応しなくてもおかしくないが、先入観をもっている対象に反応したなら先入観にそった反応をまずおこなうべきだろう。
【後編】宇多丸『侍タイムスリッパー』を語る!【映画評書き起こし 2024.10.10放送】 | TBSラジオ
ただですね、ポスターの文字組み、「縦書きで漢数字」にすればよかろうに。これ、横書きにしたらたぶん、右から左に読むだろうし、きっとあの時代(幕末の会津藩士)だったら。あと、アラビア数字を読めるのかな?とか。ちょっとここは気になっちゃったけど。
また主人公を助けることになる助監督が、監督を目指して脚本を書いているのに最近は目前の仕事を優先して書けなくなっているエピソードがひろわれなかったことは気になった。この『侍タイムスリッパー』自体が、主人公の奇妙なふるまいから助監督が着想した脚本だった、といったオチになるのかと予想したのだが。監督がトラブルで撮影に参加できなくなって部分的に代行するという、監督が影響を受けたという『カメラを止めるな!』のパターンでもない。